第9話 告げられたのは……
「……ど、どういう意味だよそれ?」
——もう戦えない。
その言葉だけが、耳の奥に焼きついて離れない。
目の前のラビエナが視線を落とす。
まるで後ろめたさでも感じているように。
「言葉のまま……あなたは……もう戦えないの」
「だから、それがどういう意味だと聞いている!」
「……あなた、リセルのことはわかる?」
——リセル。
それはこのリアゼルの全ての命に宿る、万物の源。
体に流れるリセルを上手くコントロールすれば、思考は研ぎ澄まされ、身体能力は跳ね上がる。
さらに魔力へと変換させれば、炎や氷に雷等、思い浮かべる空想を魔法として現実に変えることすら可能だ。
「そんなの常識だ。リセルを知らない奴なんていない」
「そう……それならリセルは日々生きているだけでも消耗するのも知ってるわね……じゃあリセルを回復するには?」
「食事や休息、そして瞑想や祈りだと、より質の良いリセルで回復する」
「その通り、リセルの扱いなんて個人差はあれど、立って歩くのと同じように意識せずとも身につける……それじゃあ――」
ラビエナは一度言葉を区切り、金色の瞳でノアを射抜いた。
「あなたは今、体の中にリセルを感じる?」
「……そ、そんなこと……」
ノアは目を閉じ、意識を体の内側へと向ける。
かつてなら、脈動する血潮のように全身を巡るリセルをすぐに感じられた。
しかし……今は何も感じない。
それはわかっていた。あの夜、重傷を負ったとはいえ、ノアのリセルが回復には十分すぎる時間が経った。
だが……いくら時間が経っても自分のリセルが回復しないことに、疑問を抱いていたのは事実だ。
「あの夜……ドラミホールはあなたを貪った。でも、わかっていると思うけど、喰われたのはあなたの肉じゃない……あなたのリセルの核」
ラビエナは胸に手を当てた。
「リアゼルの生物には大なり小なりリセルが生まれ、宿る核がある。万が一にでも傷つけば、その者のリセルは大きく乱れ、最悪リセルを失う……そして、あなたはほぼ最悪の状態よ」
「……は?」
簡単には飲み込めなかった。
リセルがない……扱えない。
そんなこと、生きる術を失ったも同然の宣告だからだ。
「じょ、冗談言うなよ……」
「冗談なんかじゃない。現にあなたは回復していない。それは、あなたのリセルが既に機能していない証拠では?」
「それなら、なぜ俺は生きている!? リセルを失った者は死ぬはずだ!」
「言ったでしょ? ほぼ最悪の状態って……厳密には、あなたはリセルを全て失ったわけじゃない……といっても、残っているのは……ほんの欠片なの」
「……欠片?」
「ええ、その欠片が辛うじて肉体と魂を繋ぎとめている。でもそれは、もう回復することはない。増えることも、満ちることもない。なにせそれを担っていた核が無いのだから……」
「……はは、なにでたらめを……」
「でたらめなんかじゃない……第一あなた自身が――きゃっ!」
ラビエナの言葉を遮ったのは、ノアの両手だった。
抑えきれぬ怒りと混乱に任せて手を伸ばし、小さなラビエナを鷲掴みにしていたのだ。
「お、同じことを二度も言わせるな……!」
「ぐ、ぐうぅ……」
ノアの手の中で、ラビエナは苦悶の表情を浮かべる。
必死にノアの手を剥がそうとするその力は、意に介する必要がないほど頼りなく小さい。
「俺はまたすぐに戦えるようになる! あの夜だって、なにかの間違いなんだ! きっと仲間達は強力な洗脳を受けていたに違いない! そうだ……そうに決まってる!」
「ちが……う! あなたの仲間達は……最初から、あなたを……狙ってた……」
「違う! そんなわけない! これ以上余計なことを言ってみろ! このまま握り潰すぞ!」
ノアは更に強く、ラビエナの小さな体を握りしめた。
彼女はより一層表情を歪ませ、呻く。
このまま続ければ、確実に彼女はノアの手の中で息絶える。
そう、元々ラビエナは常識を覆す化け物だ。
彼女が力を取り戻した時、世界は混乱に陥るかもしれない。
だから、この場で仕留めるべきだ……弱ってる今がチャンスなのだから。
(そうだ……このまま殺した方が……世界のためなんだ……)
このまま……
このまま……
このまま……
「――くそっ!」
思いとは裏腹に、ノアの手はラビエナを握り潰すどころか、手放す。
ぽとりと床に落ちたラビエナは必死に空気を取り込んだ。
「げほっ……ごほっ!」
「……もういい……」
吐き捨てるよう呟いたノアは、ラビエナに背を向けた。
「好きなところに行け……もう君に用は無い」
「……あなたはこれからどうするの?」
「関係無いだろ!? さっさと失せ――ぐっ!」
怒鳴りかけた瞬間、背中に焼けつくような痛みが走る。
あまりの苦痛に、ノアはその場に崩れ落ちた。
「ど、どうしたの!?」
「な、なんでもな……ぐぅぅ!」
「……っ! ねぇちょっと背中見せて!」
何かを察したのか、ラビエナはふわっと浮かび上がり、ノアの背後の上着を捲った。
「な、なにこれ……」
彼女は絶句した理由はノアにも見当がついた。
この癒えることなく放置された無数の刺し傷。
そこに膿が滲み、まるで腐り果てた果実のように一面が爛れた自分の背中を見れば、誰だって言葉を失うだろうと。
「なんでこんなになるまで放っておいたの!? あなた自分の治療は!?」
「うる……さい。早くどこか行け……ッ!」
激痛で今すぐにでも飛びそうな意識を必死に保ち、ラビエナを追い払うように吐き捨てる。
しかし、彼女はその場を動こうとしない。
そしてノアの背後で数秒の沈黙の後、再びノアの耳に彼女の声が届いた。
「まさか……治療したのは私だけなの?」
図星だった。
あの夜、ノアの手元に残っていたのは、折れた剣ただ一つ。
かつて業物と讃えられたそれも、鉄屑に過ぎず、売ったとしても大した額にはならかった。
そんな、はした金で買える治療アイテムなど、たかがしれており、重症の二人を同時に治療など、到底不可能な量だった。
それをノアは自分ではなく、目の前のラビエナの治療に使った。
(……ほんと、俺は何やってんだか……)
我ながら馬鹿な話だ。
何を思って自分の金で買った貴重な治療アイテムを魔族なんぞに使ったのか……ノア自身でもわからないのだから。
「ねぇなんで!? あなたのほうが重症なのに! 私もう大丈夫だから! 残りの薬はどこ!?」
ラピアナは飛び回って手当たり次第に物色を始める。
しかし無駄だ。
治療アイテムは一週間前に彼女に使ったので最後、もう残ってない。
「なんで! なんでよぅ!」
一向に薬が見つからず、彼女の金色の瞳から、涙が溢れ出す。
(なんでって、それはこっちが聞きたいんだって……)
「……うぅッ!」
「駄目っ! このまま死ぬなんて許さないっ! お願いだから――」
更に増す激痛に、やがて目の前のラビエナの声もよく聞こえなくなってくる。
ともなって意識もだんだん薄れてきた。
(俺、このまま死ぬのか? それも良いかもな……もう生きていてもしょうがない。今まで多くの人を助けてきたが、まさか最後に助けたのが魔族だとは……向こうに持っていく良い土産話が出来た……)
苦し紛れにほくそ笑んだところで、ノアの意識は途絶えた。