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第2章 湊鼠の湖 2

西湖の北岸にあるホテルとみまごう瀟洒な病院で、怪奇現象が起こった。入院患者のベッドの脇のテレビモニターにおぞましい映像が流れるというもの。入院患者の大山源蔵がそれをみて錯乱し、騒ぎになった。

そんな騒ぎを知らず、病院の最新設備を取材に、新聞記者の孤堂駿介はこの病院にやってきた。その取材のついでに、湖で行われる花火大会も取材に誘われ、ちょっとした騒ぎに巻き込まれ、財布をすられる。その際病院の事務員に会い、そこで大山が失踪したと聞き、捜索に参加するも、西湖から大山は見つからなかった。


「人が浮いてる」

 多数の視線の先にうつぶせになって浮いている塊がある。消防団の男たちが観光用の手漕ぎボートを引き出し、岸に浮遊物を誘導する。その正体は誰もが想像したとおり、大山源蔵の遺体だった。長い間水の中に浸かってために生前の面影はなく、膨らんだぶよぶよとした肉の塊になっている。野次馬の多くが目をそむけ、医者が駆け寄ったが一目見ただけで死んでいるのがわかるだけに手を出さない。先ほどの家族が出てきたが、男のほうは一瞥しただけで顔を背け、女性のほうはその場に座り込んだ。

 狐堂はこのよくある愁嘆場を冷静に観察していた。最悪の事態にインタビューも出来ないが、手元のカメラですばやく写真だけは撮った。そのうち野次馬の誰かが死体に触れようとしたので、狐堂は怒鳴った。

「触るな、現場保存だ。誰もそこに近寄るんじゃない」

 人波がさっと引く。誰もが狐堂のほうを振り向き、空気が一瞬止まる。

「警察が来るまで、この死体に触れてはいけない。もしかしたら事件かもしれないし、そのためにも現場保存は最優先だ」

「あんた、警察か」

「新聞記者だ、こういうことには慣れている」

 とりあえず狐堂は現場写真を撮っておく。新人研修のとき、事件現場に着いたら、すぐに撮るように教えられた。それが取材の第一歩だ。

 死体は十時間以上、水に浸かっていただろうと、狐堂は判断した。作務衣のような簡易な寝巻きの腹の部分にかなりの石が残っている。石を抱いて入水自殺したように見える。いくら湖の底であっても、夏場では腐敗が進むから、体内にガスが溜まり、浮力で浮いてくる。少々の石を重石がわりに抱いたとしても、沈んだままということはできない。浮かばないようにするには相当量の重石か、それとも零度に近い水温の湖底に沈まない限り難しい。たぶん昨日はまだ体内にガスは溜まっていなかったので、浮かんでこなかったのだろう。湖上を捜索してもそれらしい影も見つけることは出来なかったのはそのためかもしれない。

 ものの二十分もしないうちに警察が到着し、担当医や発見者から事情を聞いていく。狐堂も先ほど撮ったフィルムを提供した。もっとも、もう一本別に自分用に撮ってあるのだが、それは秘密にしてある。

「もうかぎつけたのか」

 不意に声を掛けられ振り向くと、暑苦しい顔があった。昨日、狐堂を筋の者と勘違いした土屋警部補だ。

「おれはもともとこの病院の取材で来たんだ。ここじゃ人手不足で交通課が何でもするのか」

「そうか、おれはもともと刑事事件を追うデカだ。交通整理は手伝いだよ。おい、ここで事件の臭いでもするのか」

「今度の取材はもっと高尚で社会的なものだ。最新医療の実際と今後の展望と課題がテーマでね」

「元暴走族の暴力ブンヤが」

 土屋が勝ち誇ったように言った。狐堂の眉間にしわがよる。

「調べたのか」

 ついて回る前科、すでに服役も終わって綺麗な身になったと刑務官に言われてあの扉を出てきたというのに、まだ纏わりつかれている。

「勿論だ。こんな静かな田舎を荒らされたくないんでね。県警から鑑識を呼んでおいたから、じきに死体を動かせるだろう。観光シーズンに無粋なものを野晒しにしておけないからな。まぁ、おれの見たところではあれは自殺だ。担当の医者にも、おれはもう死ぬなんて洩らしていたらしいし、看護婦も聞いている。病苦で自殺、決まりだな」

「急いてはことを仕損じるって言うぜ」

「だったら抱きかかえているあの石はどう説明つけるんだよ。さっきうちの警官が病院のスリッパを岸で見つけたぜ。これだけ状況が揃っているんだから、百パーセント、自殺でけりだ。ハイエナのようにかぎまわるのは止めて、さっさと帰るんだな。ここはお前さんが出張ってくるような無法地帯ではない。のどかでゆったりと時間が流れる田園風景だ」

「ここでおれは引ったくりにあったぜ。昨日財布を奪われた」

「その程度のチンピラはどこにでもいるさ。夏場は多いんだ。届出をだしておけばもしかしたら見つかるかもしれない。可能性は薄いがな。邪魔になるからどいた、どいた」

 土屋は野次馬を蹴散らすように陣頭指揮を執る。この調子では記者発表のときにどれだけの情報が明らかになるかははなはだ心配だ。狐堂はバイクから望遠レンズを取り出し、少し離れたところから取材することにした。ついでに昨日とったデジカメの映像もチェックする。昨日の引ったくりは画像で見る限り四人、鮮明な画像は少なく、狐堂が追いかけた若い痩せた男だけが比較的鮮明に写っている。あの男なら画像がなくても似顔絵が描けるくらいに覚えている。まだ若い男、というより少年だ。年は十四、五くらいか、高校生とは思えない。背はあまり高くなく、肉付きも良くない。顔色もあまりよくないし、一見して栄養状態がいいとは思えない。だがそれを補うほど整った魅力的な顔立ちをしている。通俗的にいうハンサムという言葉が似つかわしい。十五前後の年齢からすれば、アイドル系の美少年といっていい。鑑識が到着するのに時間がかかっているので、狐堂は関係者のウオッチを始めた。

 土屋警部補、どこにでもいる四十台の男、どちらかといえばブ男に属する中肉中背のさえない男だ。水死体の家族は二人、六十前後の女性は妻だろう。気分を悪くしたのか、病院から折畳みの椅子が持ち出され、そこに座ってハンカチで顔を覆っている。小太りで当たり前の下町のおばさんという感じだ。背は百五十センチそこそこ、その割に胴周りは立派だ。その脇に立つ三十半ばの男は多分、息子。いらついてタバコをひっきりなしに吸っている。背は百七十くらいか、やせ型でやや猫背、一見してチンピラといういでたちだ。兵頭真人は一度現れたが、家族を一瞥してすぐに病院内に戻っていった。現在は早乙女が渉外を受け持っているらしい。穏やかな物腰で、人々の間を行きかい、話を聞いている。近在の消防団の男たちはすでに帰宅し、今は病院関係者と警察、少々の野次馬しかいない。

 死体発見から四十分が過ぎて、ようやく鑑識一行が到着した。さすがにそこはプロの仕事で、手際よく周りを改め、証拠らしきものを探し、遺体を検分した後、ストレッチャーに載せる。狐堂はさっと近寄り、訊ねた。

「どうですか」

 相手は狐堂を刑事か何かに勘違いしたらしく、事細かに報告してくれた。死後十二時間以上たっている。解剖を待たなくてははっきりしないが溺死の可能性が高い、等々情報を教えてくれた。

「お前、何をしている」

 当然、土屋がそれを黙ってみているわけがない。見つけるとすぐに飛んできて、鑑識と狐堂の間に立ち塞がった。

「あれ、こちらの方は富士吉田署の方じゃないんですか」

 鑑識課員が不思議そうに聞く。

「こいつは元暴走族のチンピラだ」

「それはないぜ」

 何がチンピラだ、これでもれっきとした新聞記者だと孤堂は睨み返した。

「うるさい。これ以上うろつきまわったら、記者発表のとき、締め出してやるからな」

 相当の剣幕で怒鳴りたてる土屋に閉口して、狐堂は退散した。しかし、十分な情報は集まった。近くのカフェでデジカメ映像をパソコンに取り込んで記事を作る。第一報を入れなくてはいけないが、まだ自殺とは決め付けない。

自殺である。状況的に自殺だといえる。手術をして四日後、まだ術後の経過も万全ではない時期だ、うまくいったか不安になる。それでなくても錯乱し、自暴自棄になっていたと看護師たちはいう。大きな手術の後にこうなる例それほど珍しいことではない。それは狐堂も今までのいろいろな取材の際に見聞きしていた。土屋も自殺だという。県警の鑑識も自殺でしょうと言った。だが、ざわめく。なんとなく心がざわめく。自殺、状況がすべて自殺だといっているのに、心にしっくりこない。狐堂はデジカメの写真を何度も見返したが、別に変わったところはない。ごくごく普通の自殺風景。それがかえって引っかかる。それはさっきから野次馬たちが口にしていた、『呪いの映像』という言葉が呼び込んだ疑問なのかもしれない。

大山は西湖で入水屍体となって発見された。警察は自殺と判断する。鑑識も事件性になるものを見つけてはいないが、孤堂はそこに引っ掛かりを覚える。これは事件ではないか。

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