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第1章 焦香色の男 5

西湖の北岸にある瀟洒なホテルのような病院で、怪奇現象が相次いだ。入院患者の大山のベッドの脇のテレビモニターに悍ましいホラー映像が流れた。そのショックで大騒ぎを起こし、病院中総出で収めることとなった。

そんなことがある事を知らず、新聞記者の孤堂駿介は病院の最新設備の取材におとづれた。その時に地元の観光課の職員から河口湖の花火大会の取材を引き受けることになる。その雑踏で、騒ぎが起きた。

「きゃあぁ」

 騒ぎはどこにでもある。少し奥まったところで数人の若者が女性を取り囲んで暴れだしたのを見て、止めようと狐堂は騒ぎの中に入っていった。

「引ったくりだ」

 誰かが叫んだ。若者は女性のハンドバックを強奪している。周りの見物人からも刃物をちらつかせて分捕る。こいつらは集団の窃盗らしい。一見無謀な行為に見えるが、祭りでこのあたりは車両の乗り入れが禁止されている。警備員もいるが、見物人に対して少なすぎる。ここに到着するころには逃げおおすことは簡単だ。

 狐堂は野次馬の中から、いつの間にか騒動の中に踊り出ていた。暴れている男を殴り倒す、もう一人、女性に絡み付いている男の腕を掴もうとしたとき、狐堂の腰に誰かの手が廻った。盗られた。ズボンのポケットに入れておいた小銭入れを奪っていく。こいつらは騒ぎと盗みを手分けしている。数人の財布を取った時点で、チンピラどもは四方八方に逃げ出した。

「やろう」

 怒鳴って追いかけた。人ごみの中、若い貧弱な男一人に目をつけて、そいつだけを追いかける。そいつが孤堂の財布を持っている。途端、誰かが狐堂の前に飛び出した。

 よけられずぶつかる。相手は華奢な女性で倒れこんで起き上がらない。

「すいません、大丈夫ですか」

 これではチンピラを追いかけられない。周りは騒いでいるがチンピラたちはくもの子を散らすように逃げてしまった。誰かが携帯で警察を呼んでいるが、この人ごみですぐに到着するはずがない。

「痛い」

 下で倒れこんでいる女性がか細い声を出した。舌打ちをしたが見捨てていけるわけがない。それに今から追いかけても人ごみに紛れこんだチンピラを見つけられるとも思えない。孤堂は仕方がなく手を貸し立たせたが、女性は酷く足を痛がっている。

「どうも足をひねったみたいなの」

 その声の主は朝、病院で会った受付の事務の女性だ。

「君は兵頭病院の」

「あら、新聞記者の、あの……」

 歩けそうにない美也子をそのままにしておけずに狐堂は抱き上げた。

「あの、その、そんな格好はあの」

 さすがに相手はお姫様抱っこをされて恥ずかしくて顔を伏せ、赤らめている。

「少し先の駐車場におれのバイクが止めてある。家まで送るから我慢してくれ」

 狐堂にしてみれば、自分がぶつかったから相手が足をひねってしまったのだ。その点については責任を取らねばならないと思っている。盗られた財布にそれほど金は入っていない。警察も呼ばれているはずだから明日にでも被害届けを出せばいい。その財布はパスケースに小銭入れがついたもので、パスケースには残高のほとんどないスイカと、古い写真が入れてある。残高のほとんどない新聞社の支給品のスイカなどはどうでもいいが、写真だけは取り戻したい。

 美也子をバイクの後ろに座らせてゆっくりと発進させる。彼女のマンションは河口湖畔から富士吉田方向に少し行った所にあり、それほど遠くないので助かった。

「手当てをしようか」

「大丈夫です。私、看護婦じゃないけど病院勤めだから、応急処置くらい出来ますから」

 そういうと手際よくシップ薬を貼り、包帯を巻く。狐堂も危ないことをしてきた経験上、傷の手当てには慣れているが、年頃の女性の足をなでまわすような行為は躊躇する。

「何か飲み物でも出しますね」

「いや、けが人を動かす趣味はない」

 かといって狐堂に他人のキッチンを勝手に使う趣味もない。とりあえず義務は果たしたと考えて祭に戻るつもりでいたら、電話が鳴った。電話はキッチンに親機子機ともにあり、足をひねった美也子の代わりに子機の方をとって渡してやる。

「はい、ええ、そうですが……」

 美也子は深刻そうに話を聞いている。

「うそ、そんな、本当に大山さんなんですか。そんな……。ええ、すぐ出ます」

 電話を切ると包帯が巻かれた足で立ち上がろうとする。

「無理するな、今、ひねったばかりだろう」

「でも大山さんが行方不明になったらしいの。探しに行かなきゃ」

 その声は切迫し、尋常ではない。

「どういうことだ」

「大山さんはうちの患者さんで、四日前に手術をしたばかりなの。昨日の夜に錯乱を起こして、それで鎮静剤で落ち着いたはずなのに、ベッドを抜け出して外に出ちゃったの。今日は湖上祭で、症状の軽い患者さんは付き添いがあれば外出が出来るから、それに紛れて出て行っちゃったんじゃないかしら。どうしましょう」

 美也子は顔面蒼白でうろたえていた。よほどその患者が危険な状態にあるのだろう。今にも飛び出さんばかりで、用意を始めた。狐堂はそれを見てため息をついて立ち上がった。

「おれが代わりに行く。これでもブンヤだ。人探しは慣れている」

 女性の部屋に夜中とは言えないまでも、陽が落ちた後にいるのはやはり気が引ける。一つ部屋で二人きりとなると、いくら新聞記者としていろいろな修羅場を潜り抜けてきた狐堂といえども、気を使わずにはおられない。しかも美也子は二十台の知的な美人であり、背も高くスタイルもいい。三十二歳独身の男が気軽に寛いでいいはずはない。むしろ事件が起きてくれた方が孤堂にとって気が楽だ。

 外に出てバイクにまたがると、もとの記者に戻れる。病院からの失踪、管理体制はどうなっているのか、病院の手落ちはないのか、ことが重大なほうに進まないか、そんなことを考えながら西湖に向かった。

ホラー映像を見て錯乱した入院患者が失踪した。ただの失踪か、それとも事件か、自殺か。騒動に巻き込まれ、孤堂が動き出す。本格ミステリーの序盤は失踪から始まる。

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