第2章 湊鼠の湖 4
西湖の北岸の瀟洒なホテルのような病院で、怪奇現象が起きていた。それを知らず、病院の最新設備を取材に来た新聞記者、孤堂駿介はその怪奇現象に巻き込まれる。入院患者の大山源蔵は枕元のテレビモニターにホラーな映像が流れる。それにショックを受け、パニックを起こした。そのまま、失踪し、西湖で水死体として発見される。それは自殺として取り扱われたが、孤堂はそこに納得できないものを感じる。
「出てくるもんか」
土屋が捨て台詞を吐く。正確には出て行くのは狐堂のほうなので、捨て台詞とはいえないのだろうが、その言葉に反論しても始まらない。実際、すられたり盗られたりした財布が出てくることは少ない。しかも彼の財布はただの何の変哲もない合成革のパスケースでいかにも安物だ。しかもかなり使い込んでいたから、ごみと扱われても仕方がないような代物だ。通常犯人は足がつくことを恐れて、現金だけを取って残りはごみ箱に捨てる。そうなればよほどの高級品でもない限り出てこない。
「そうさ、所詮、写真の一枚くらい」
声に出して呟く。所詮写真だ。それもかなり古い写真。ただ、それが彼の両親と写っている唯一のものだということが問題なのだ。
父が女と家を出ていったとき、母は半狂乱になって父の物を処分した。父が写っている写真も例外ではなく、そのすべてを、記憶さえも捨て去ろうとした。あの写真はたまたま狐堂がノートの間に挟んでいたので、捨てられずにすんだ。実際、父が失踪して数年たった後、孤堂が自分の荷物の整理をするまで、狐堂自身がその存在を忘れていたくらいだった。おかげで母に見つからずにすんだのだろう。狐堂が生まれた村の近くの町の写真館で記念に撮った写真のテストとして、コンパクトカメラで撮った一枚だ。狐堂が写真館の主人からおまけだと言われて貰ったものだ。狐堂が八歳、母は今の狐堂より若く、父はちょうど同じ年だ。
母は父の影をすべて捨て去ったはずだった。唯一残ったものは狐堂自身だった。狐堂は幼いころはまだ母親に似たところがあったが、長ずるにつれ、だんだんと父に似てきた。今、あの写真に写る父と自分を区別することは難しい。母は息子を見るたびに自分を捨てた男を見ることになる。彼女はどんな思いで狐堂を育てたのだろう。顔立ちも体つきもその声さえも父親に似てくる自分の息子に何を見ていたのだろう。
狐堂は幼いころ、父が憎かった。母が父のことを悪し様に罵る言葉を鵜呑みにしていたが、少しづつ、疑問が湧いてきた。父はなぜ母と自分を捨てたのか、父と母の間に何があったのか。幼いころの父の思い出と、母親の言う父親像がずれていく。あれは幼いがゆえの思い込みで、本当の父は鬼のような男だったのか。神社の境内でキャッチボールをしてくれた男は母が言うとおり、孤堂の勝手な想像なのか。そうあってほしいという孤堂の作り上げた偶像なのか。それは今でもわからない。いつか会ったら確かめてやろうと思い、手近なところに入れておいた。あれから四半世紀近くたつが、会えない。生きていれば父は五十六歳、今、どこかの道路ですれ違ってもわからないかもしれない。自分自身の二十数年後が想像できないことと同じように、今の父はどんな風に変貌しているか、見当もつかない。
今、父親に会ったら、どうしたいのだろう。殴りたいのか、怒鳴りたいのか、それとも殺したいのだろうか。父は憎悪の対象なのか、思慕なのか、憐憫なのか。会いたいのか、会いたくないのか、それさえもわからない。父がまだ家にいたころ、父は大きな存在だった。体も声も力も子供の孤堂にはかなわない大きな男だった。酒を飲んでは暴れまわり、どなり散らしたあの男、あの男は自分の子供である孤堂よりも趣味のバイクを大切にしていた。孤堂はもう子供ではない。今ならあの男にかなうだろう。腕も力も大きさも、殺すことさえも可能だ。だからといって殺したいのか、殺したくないのか。
「未練だな」
狐堂は自嘲的に笑うとバイクにまたがって手近な店に行き、テーブルに陣取りパソコンで記事を作り始めた。デジカメの画像とともに大森にメールで送る。すぐ折り返しに電話が鳴る。
「警察発表では自殺なんだろう。さっさと戻って来い」
「まだ湖上祭の取材が残っている」
「あれか、いつまでだ」
「今晩、湖上祭の実行委員の反省会がある。それに呼ばれているんだ」
電話の向こうで安堵のため息が漏れる。それを孤堂は勝手に了解の意味に解釈する。
「大森、頼みがある」
「取材費は振り込んでおいたが」
「ついでに本社のラボで兵頭総合病院について調べて欲しい」
「はぁ、まさかあの自殺が事件だなんて言い出すんじゃないだろうな」
「お前、やはり長い付き合いだな。よく判っているじゃないか。何か判ったらおれのパソコンにメールで送ってくれ。それと西湖の病院の設立のいきさつとか、その工事関係者、後、元ホテルだって言ってたから、そのホテルの元の持ち主や経営者についても資料が欲しい」
長い沈黙が流れた。大森が電話の向こうでどんな顔をしているか、想像して狐堂は楽しくなった。
「おれはパシリか」
唸り声がした。東洋新聞社警視庁記者クラブ詰めのキャップをパシリに使うのは、多分狐堂だけだろう。狐堂の生まれ故郷の村が水没して、母親の実家を頼って上京して以来、狐堂は近所に住む大森をこき使ってきた。高校でぐれた狐堂と違い、まじめにこつこつ勉強する大森は名門大学に進学し、新聞社に入社した。その後もごく順当に昇進している。片や狐堂は高校時代ぐれて暴走族に入り、高校を中退、かつ上げなどで補導され、高等少年院に放り込まれた。その後自衛隊に入るも、上官とうまくいかず、日本を飛び出して海外をウロウロし、紛争地域で従軍していた通信社の記者にくっついて従軍記者のまねごとをしているうち、新聞社に中途採用された。その手助けをしたのが大森であったが、二人の関係は上司と部下という立場を逸脱している。幼馴染の気安さがそのまま職場に出ている。表向き主従関係は逆転したが、実際のところ、今だに暴れん坊と苛められっ子に近い。
「まさか、お前を長年の友人だと思っているよ。頼りにしてるぜ」
苦々しく絞り出すような声が、判ったと携帯から流れたのを確認すると、狐堂は携帯電話をポケットにしまった。
しばらくして店を出て借りたマンションに戻った。何もすることがなく、景色をぼんやりと眺めていた。穏やかな、しかも冷涼な気候で過ごしやすい。部屋にクーラーは付いていたが、狐堂はここに来てスイッチを入れていない。そのくらい過ごしやすい場所で、人の行きかいもゆったりとしている。今も下の道路で腰の曲がった老人が背負い籠にいっぱいの野菜を詰めて、ゆっくりと歩いている。大半はトウモロコシのようだ。湖の端が少し望めるが、そこにも人影が見える。多分、観光客なのだろう。のんびりと湖畔を散策している。
「田舎はいいな」
羨ましい、とそんな感慨がある。ここは時間が都会よりゆったり流れている。勿論、一日二十四時間は二十四時間だし、出勤時間や登校時間は似たようなものだ。それでも人々の時間感覚は都会のそれとは違っている。受付で待人がいても、その奥で談笑し、お茶などすすっている。顔見知りがいると話し込んでいるのも、仕事場にあるまじき行為だが、そんなものをとがめる空気はない。コンビニで買い物をしても、いわゆるマニュアル通りの対応ではなく、昔の小売商店の親父やおばさんを連想させる。笑ってしまうのはファストフードでさえ、都会のぎすぎすしたてきぱきさが抜けているのだ。普通待たせないだろう売れ筋の商品すら、待たされるが、地元の人間はそれをいらつくでもなく待っている。それを観光客がいらついて文句を言う場面を何度か見かけたこともあるが、それでもそれほど迅速になっているとは思えない。国道沿いに野菜や果物の露天が出ているが、地元の老人がのんびりととうもろこしを焼いていた。家族でやっているのか、小さな子供も夏休みで売り子をしている。半分は遊びで、半分は手伝い、そんな感覚で楽しんでいる。
取材ならそんなもののほうが楽しい。ただ病院は田舎にあったが、中の時間は都会時間で流れているようだ。あそこは都会のサテライトのようなものだ。この場所の違和感が狐堂を捉えて仕方がない。
小一時間ほどコーヒーとタバコでブレイクを取っていると、メールが来た。開封してみると兵頭総合病院の東京での規模と診療状況がまとめてあった。かなりしっかりとまとめてあったので不審に思ったが、その答えはすぐ判った。この病院の看護婦長と理事長、事務長が乗った車が事故に会い、多額の保険金を巡って保険会社と病院側がもめた事があったからだ。そのために事故を追っていた記者がこの資料をまとめていたわけだ。
兵頭病院のかつての事故は一体どんなものなのか?それが大山の自殺と何らかの関わりがあるのか。謎はまだ入り口だ。孤堂はこの謎にどう立ち向かうのか。