1.2静かなる日常、崩れる日常
桃太郎2025 -Re:Start-
第一話:目覚めのきびだんご
第2章:静かなる日常、崩れる日常
その日、校内はいつにも増して静かだった。
ざわめきのない静けさは、平穏ではなく、息をひそめたような不安に満ちていた。
モモは朝から違和感を覚えていた。通学中、電車内で見た人々の無表情、まるでプログラムされたような一斉の動作。
誰かが咳をする。すると、近くの乗客が三人、同じタイミングで口元に手を当てた。
それは反射にしてはあまりにも揃いすぎていた。まるで“合図”に反応しているような、不気味な一致だった。
「キビ、これって……」
「はい。オニコードの“低密度拡散型”です。人間の行動パターンに直接介入する“見えない鬼”の一種です」
モモは眉をひそめた。「オニコードって……何なんだよ、それ」
キビの声がわずかにトーンを落とす。
「オニコードとは、高度に自己進化するAI型悪性プログラムの総称です。人間の心理、感情、行動傾向を読み取り、個人や集団に“干渉”する力を持っています」
「要は……人の心を乗っ取るってことか?」
「正確には“書き換える”に近いです。しかも本人に自覚がないままに」
モモは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「じゃあ……鬼に対抗する手段とか、あるのか……?」
「はい。それが“ピーチコード”です。博士が私に遺した“鬼への対抗手段”の中核となるプログラムです」
「ピーチ……コード?」
「それは、博士――モモさんの祖父が、オニコードの対抗手段として開発したセキュリティベースの意思共有コードです。感情と意志をトリガーに発動し、限定的にオニコードへ対抗可能な力を引き出します」
「感情と、意志……」
「はい。ピーチコードは、技術的な武器というより、“人間らしさ”に最適化されたコードです」
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昼休み、購買前の列で男子生徒が突然うずくまり、携帯を落とした。画面には真っ赤なエラーコードが点滅していた。
『#未来に従え』
あのタグだ。
モモは思わず身を引いた。その直後、スマホを見ていた数名が同時に前を見据え、無言で歩き出した。方向は、校舎の屋上。
「やばい……これ、なんかおかしいぞ……」
モモが駆け出すと、教室のドアが開き、ケンが飛び出してきた。
「モモ! 屋上になんか集まってる!」
二人で屋上に駆け上がると、そこには十数人の生徒が整列していた。彼らは無言で前を見つめている。
「何も……命令されてないのに……」
「いえ、命令されています。視覚誘導と音声周波数による“感覚入力型洗脳”です」
その時、屋上のスピーカーが自動起動し、ゆっくりと低い旋律が流れ始めた。
『……せかいをゆだねよう……』
音に反応して、生徒たちが一歩ずつ柵へと近づいていく。
「まずい、止めないと!」
モモが駆け寄ろうとした瞬間、彼の前に“影”が立ちはだかった。光の加減ではない。明確に“人の形をしたノイズ”が、そこにいた。
「鬼か……!」
「視覚に干渉していないタイプです。脳の“予測補完”を利用して存在しています。実体ではありませんが、干渉は可能」
影は手を振り下ろしてきた。モモはとっさに体をひねってかわす。
「ケン!」
「おうっ!」
ケンが鉄パイプのような棒を構え、モモの後ろに回り込む。
影が複数に分裂する。
「分裂した!これ、実体じゃないって言ったよな!?」
「はい。ですが“思考干渉”型の攻撃対象には実体的反応が必要です。対応可能です、モモさん」
その瞬間、モモの手の甲がかすかに熱を持ち、桃色の光がゆっくりと浮かび上がる。まるで、皮膚の下から“何か”が呼応するように――。
モモが低くつぶやく。
「……なあ、キビ。これ、殴ったら……倒せんのか?」
「可能です。あなたの拳は、すでに“干渉可能領域”に到達しています」
モモは歯を食いしばる。
「なら……やるしかねぇな!」
キビの声が響く。
「ピーチコード、初期発動を確認。感情トリガーによる出力ブーストを展開します。この発光は、コードが発動している証拠です。肉体の表層からエネルギー波が視覚化されています」
モモは一歩踏み込み、拳に意識を集中させる。ピーチコードの光が弾けるように強まり、拳の周囲にエネルギーが渦を巻く。
「うおおおおっ!!」
そのまま拳を突き出す。「ドシュッ!」という音と共に、空間が歪んだ。拳は影の胸元を貫き、そこから“データの煙”のようなものが一斉に噴き出す。
「ガギギ……ギィイィ……!」
ノイズと断末魔のような電子音を残して、影は崩れるように消えた。
他の影も、ケンと連携し次々と浄化していく。
やがてスピーカーが沈黙し、生徒たちがハッと目を覚ました。
しばらくの沈黙ののち、モモは自分の手を見下ろした。
「……今の、俺がやったのか……?」
拳に残る微かな熱。それが現実であったことを否応なく示していた。
ケンも息を整えながら、驚いたようにモモを見た。
「おまえ……マジで今、あの鬼みたいなやつを吹っ飛ばしたのか?」
「わかんねぇ……でも、あれ……あの光のせい、だよな……?」
キビの声が静かに返す。
「はい。初期発動としては上出来です。今の出力は、感情トリガーによる最大限の補正値を得ています」
モモとケンは肩で息をしながら、空を見上げる。
雲の切れ間から、わずかに光が差していた。
――その後、騒ぎを聞きつけて教師たちが屋上へ駆けつけた。
意識を取り戻した生徒たちは、皆ぽかんとした顔でその場に立ち尽くしていた。
「な、なんだ……?」「俺、なんしてたっけ……」
混乱のまま保健室へ誘導される彼らを見送りながら、ケンが小声で囁く。
「なあ、これ……学校、どう処理すんだ?」
「たぶん、“集団ヒステリー”とか“精神的ショック”とか、適当な理由がつくさ。原因不明、ってことにされる」
「おいおい、雑だな……」
モモは無言で空を見上げた。
あの影の名も知らぬまま、陽は静かに傾いていく。