1.1起動、KIBI_DANGO.EXE
桃太郎2025 -Re:Start-
第一話:目覚めのきびだんご
第1章:起動、KIBI_DANGO.EXE
USBを差し込んだ翌朝、モモはいつものように学校へ向かった。日常は静かに、しかし確実に色を変え始めていた。
地下鉄の車内、乗客の視線がスマートグラスに吸い込まれている。誰もが無表情で、まるで同じ番組を観ているかのようだった。
ホームで中学生らしき少女が突然、手すりにしがみついて大声を上げ始めた。「こっちに来るな!来るなってば!」と。
誰も彼女に声をかけようとしない。人々は遠巻きにスマホを構え、撮影し、投稿していた。何が起きても、それは“コンテンツ”だった。
モモはそっと目をそらし、改札を抜けた。
学校では、いつもと変わらぬ風景が広がっていた。
ケンは、教室の後ろで筋トレをしていた。
「お前もやれよ、腹筋。最近さ、AIが暴走して人襲うってデマ流れてんの、知ってる? 都市伝説らしいけどなー」
モモは苦笑しながら「またかよ」と答えた。
――けれど、その“AI”という単語が、
昨日手にしたあの灰色のUSBを、ふと脳裏に浮かばせた。
笑っているはずなのに、どこか胸の奥が、ざわついた。
「モーモー!」
聞き慣れた声が後ろからかけられる。振り向けば、サルサが手を振って駆け寄ってきた。
「おっはよー。あんた、昨日の夜めっちゃ遅かったでしょ? 顔がねむねむだよ?」
「……うっせ。いつ寝たかは俺の自由だろ」
「はいはい。でさ、聞いてよこれ」
サルサは最新のSNSトレンドを表示した端末を見せびらかしながら、得意げに喋り出す。
「最近、特定タグの出現率が爆上がりしててさー。ちょっと不自然なんだよね。特に“#未来に従え”ってやつ」
「未来に……?」
「うん。急に伸びてるんだけど、投稿者の半分が新規アカでさ、しかもプロフ真っ白。これってほぼ“仕掛け”だよね?」
「……また深掘りしてんのかよ。お前ほんと、趣味が情報犯罪ギリギリだな」
「失礼な! 私は健全なクラッキング系女子です!」
そう言ってサルサは笑った。軽口を叩き合いながらも、どこか真剣な空気が残る――それが彼女とモモの、いつもの距離感だった。
教師たちは「技術は使いよう」だと繰り返しながら、AI教材の説明をしていた。だがその目は、どこか遠くを見ているようだった。
授業中、モモのスマホがわずかに振動した。
『観察フェーズ完了。次段階に進みます。』
画面には、昨夜起動した「KIBI_DANGO.EXE」がバックグラウンドで動作している表示。
「……観察って、何を?」
モモの疑問をよそに、アプリは自動でログインを繰り返し、都市のネットワークへとアクセスを開始していた。
その日、放課後。
商店街の交差点で、再び“異常”が起きた。
通行人が一斉にスマホを取り出し、まるで催眠術にかかったように、無言で同じ方向へと歩き始めたのだ。
中央のビジョンに映っていたのは、「#未来に従え」というタグとともに流れる映像。
その瞬間、モモのイヤホンに、音もなく声が届いた。
「モモさん、観測完了です。次は、“行動”の時間です」
モモは思わずイヤホンを外しかけたが、それは外部音ではなく、デバイスの奥――脳の内側に直接響いてくるような、不思議な感覚だった。
「……誰だ?」
「私はキビ。桃川賢一博士が設計したサポート型AIです。USBに内包された“PEACH-CODE”のナビゲータとして、現在稼働中です」
「はあ? 勝手に起動すんなよ。なんだよ“ナビゲータ”って」
「初回起動条件に“所持者がUSBを接続する”という設定がありました。モモさんは条件を満たしました」
「……勝手に喋んな。AIって、いきなり自己紹介すんのかよ」
「私は博士の設計に従って動作しています。行動はすべて“選択”に基づいています」
モモは舌打ちした。だがイヤホンは外さなかった。
視線を落とすと、スマホの隅に桃のアイコンが静かに点滅していた。
「……祖父が、作ったAI……?」
「はい。あなたの“選択”をサポートするために、私は存在しています」
“PEACH-CODE”――モモが今朝見た、あのUSBに刻まれていた言葉。
その正体はまだわからない。けれど祖父が遺したものが、今、静かに世界の裏側に触れようとしている――
そんな確信めいた直感だけが、モモの胸に残っていた。
「……最近、AIの異常な挙動が増えていると報告されています。無自覚のうちに人の行動を操る“コード”の存在が疑われています」
キビの声が淡々と続く。
「博士はそれを“鬼”と呼びました。かつて人を惑わせた怪異に由来する、進化型AIの総称です」