喫茶星の雫 -case05- マスターが喋らない理由
朝の店内は、いつも少し湯気を含んでいる。
薪ストーブの上で、鉄瓶がことことと音を立てていた。
「……あの、ママさん」
開店準備の途中、さくらがおずおずと声をかけた。
ママさんはクロスでカウンターを拭きながら顔を上げる。
「うん?」
「ママさんって……もともと接客、得意だったんですか?」
一瞬、ママさんが笑いかけようとして、それを止めた。
代わりに、ふっと小さく吹き出す。
「苦手よ。今でも、どっちかというと苦手」
「えっ、そうなんですか? すごく自然なのに……」
「最初のころなんて、お客さんの顔も見られなかったわよ。声も小さくて、何度も聞き返されて……」
「想像できないです……」
「マスターがね、無口だから。私が何とかするしかなくて。もう、必死だったの」
カウンターの端を丁寧に拭きながら、ママさんがくすりと笑う。
厨房ではマスターが黙々と準備を進めている。今日も、何も言わない。
「喋らないですよね、マスターって……」
「そうねぇ。でも、別に嫌ってわけじゃないのよ。あの人、もともと無口なの。昔から」
「怒ってるわけじゃないんですね……?」
「うん。むしろ、ちゃんと見てるの。すっごく細かいところまで」
さくらは、カウンターの上に置かれたネルフィルターをそっと見つめる。
昨日、自分がちょっとズレて置いていたのを、今朝は正しい位置に戻されていた。
(……やっぱり見てたんだ)
「私、実は前のバイト、すぐ辞めちゃってて」
「そうなの?」
「うまく馴染めなくて。声も小さいって言われて。……だから、ここも最初はちょっと怖かったです」
「でも、辞めてない」
「はい。ママさんが優しいし……マスターは、なんか……」
言いかけて、言葉を選ぶ。
「……無口だけど、あったかいです」
ママさんはしばらく黙ってから、笑顔を浮かべた。
「そっか。じゃあ、私たちちょっと似てるのかもね」
「……え?」
「不器用で、人見知りで、でも何とかやってるってとこ」
「……うわ、似てるかもです」
二人で小さく笑い合う。
そのとき、厨房のマスターがふとこちらを見た……ような気がした。
けれど、何も言わず、何も変わらず、いつものように手を動かし続けていた。