王
悪魔怪獣に襲われた辺りで死んだ気がしたのだが、こうしてやや肌寒い草原で月を見上げている以上何かが起こって助かったのだろう。ほんとに夜になったら消えたのかもしれない。
月とはいったがカタチと模様が似てるだけで、あそこまで血のように赤い月はほんとに月なのだろうか。一応異なる宇宙に飛ばすと言われた気がしたので金星とかだったら拍子抜けである。もし金星ならそれはそれで驚愕ではあるが。
異世界に来て半日がたったというのにしたことといえば昼寝と気絶だけである。おまけに草原の定位置からも動いていない。ここに俺を送り込んだ存在はこの現状に何を思うだろうか。
何か目的があって俺が送り込まれたとは思えない。何せあんな雑な対応をされたのだ。およそ目的を達成してほしい奴らの挙動ではない。
しいていうなればさっきの悪魔どもに襲われて餌になるまでが予定だとすれば一応つじつまは合う。これからすぐ死ぬ餌に語ることなどないからだ。転生させずに17歳の日本人をそのまま送ればいいのではなかったのかという疑問は残るが・・・
昼寝に気絶を重ねたせいで全く眠くない。異世界に来てからも昼夜逆転に至るとは性根のニートはどうしようもないのかもしれない。
「貴様か、我が配下を葬ったのは」
そんな呑気な考えも吹き飛ぶおぞましい気配に包まれる。
姿は見えない。だが先ほどの悪魔とどこか似ている。統率個体のような存在だと仮定。
底冷えするような声、存在感に俺は圧倒され、手足が言う事をきかない。
うっかり熊と森の中で遭遇したならばこんな感覚に陥るのだろうか。
次の一手を誤ればその瞬間に首を落とされてしまうのでは――
「・・・居なくなってたんだよ、気が付いたら。俺は何もしてない」
「ふん、魔力の残滓も消さずにそのような戯言を。安い挑発か、よほどの阿呆か」
魔力の残滓?まずい。情報のアドバンテージがないせいで早速ぼろが出ている。
悪魔どもに襲われて時は本当に死んでも構わないと思っていた。
だがなぜか生き残ったしもう少しこの世界について知りたくなった頃である。
買う程の興味はない漫画でも偶然その日に十何話か無料公開してたら読んでしまうのとそう変わらない。
俺という人間は常に一貫性がなく、その時々の心持ち次第で適当に生きてきた。今は生きたい気分なのだ。
「興味深い力ではあるが、我が敵ではない。疾く去ね」
「待っ――――」
***
目の前に転がった、胴と頭部が切り離された人間をソレは一瞥する。
切断部から肉眼では不可視である魔力が血とともに徐々に大気へと拡散している。完全な死を迎える頃には魔力が空となった肉塊と果てるだろう。
この世界ではあらゆる生物が魔力を内包し、それらが死滅するとき魔力は大気に溶け、肉は大地に還る。死後数分の間、死体の周囲には自然の魔力と異なるその者特有の魔力の残滓が漂う。
(いずれ大気に完全に溶け、感知できなくなる。だが・・・)
あの少年の周囲には誰かの魔力の残滓が色濃く漂い続けていた。それこそたった今死んだ者がそこにいると言わんばかりに。
配下の魔力は通常の生物よりも濃いとはいえ、現地に到着するまでの数時間その場に漂い続けるとは考えられない。何より死体も残っていない。跡形もなく消す大魔法を使った痕跡もこの草原には見当たらない。
自身の体を細かく霧状にしていたソレは凝縮し、自身を形どる。
疑問は残る。だがそのようなことはソレ――この世界の頂点に君臨する王種が一角、『ヴァンパイアロード』にはあまり関係のないことであった。
路傍の変わった形の小石を蹴飛ばし、川に落ちた後どうなるのか。ふと気にかけても数瞬後には気にも留めない些事である。背を向け、根拠地への帰還を試みる。
だが、蹴飛ばした小石が自分の頭めがけて跳ね返ってきたならば話は別である。
ドサッ。と何かが地面に転がる音がした。背後からだ。
ヴァンパイアロードの知覚は鋭く、新手に無防備にも背後を取らせることなど滅多にない。
そしてこれは新手ではないとも直感していた。
ゆっくりと振り返ると――
ずずずと。頭部のないからだが地を這って頭部へ手をのばしていた。拡散していった魔力が切断面へと逆流し、切られた頭と胴が引き合うように作用する。
「ふん、名ばかりの神どもが。我らの真似事か?趣味の悪い」
頭部と胴は完全に癒着し、焦点を失った瞳がロードを捉える。
(こいつは視覚に依存していないのか)
「貴様も哀れだな、死して尚魂を弄ばれ、人の形を失いながらこうして戦わされている。同郷のよしみだ。塵も残さず葬ってやろう」
ロードの体から血飛沫のように細かい魔力が一帯を包み、そして一斉に天高く立ち昇る。天を衝くその不気味な魔力は空に浮かぶ星と同じ色をしていた。
『血河燎原』
瞬間、すべての血飛沫が爆発した。