異世界で初キャンプ
車で走り続けること半日。
太陽は地平線へと沈み始め、辺りは夕焼けに染まっていた。濃い紫に染まった空はどんどんと暗くなって行っている。
「ルルーベルさん、あとどれくらいで街に着きそうかわかる?」
「どうでしょうか……いつもならまだ二、三日はかかるんですけど、車、というが速くてイマイチ憶測が……」
「馬だとそれだけかかるんだったら、車でも半日はかかりそうね。じゃ、この辺りでキャンプの準備をしよっか」
速度を落としながら良さげな場所を探す。
あと二、三時間くらいだったら走り切ろうかと思ったけど、ここから半日は流石にキツイ。
朝からずっと走りっぱなしだし、今後何があるかわからないから休める時に休んでおきたい。
それに街灯のない場所で日が落ちたら真っ暗闇になる。
ヘッドライトを点ければ走れないことはないだろうけど、全く知らない土地で疲れた状態のまま真っ暗闇の中を走るのは、ちょっと避けたい。
万が一にも事故るわけにはいかないんだ。JAFなんて便利なのもいないし。
しばらく走って、どこまで行っても同じような草原だと察して私は車を止める。
車中泊とかキャンプとか、日本だと結構やる場所は気にしなくちゃならないけど、異世界なら別にどこでもいいか。
と、思いつつ一応ルルーベルには問題ないことを確認しておいて、キャンプの準備を始めようと車を降りる。
「わかりました。では、魔物が寄ってこないように結界を張っておきますね」
久々の降車に体を伸ばしていると、ルルーベルが言った。
おっと、そうだ。この世界には魔物っていう物騒な存在がいるんだった。
結界を張る。という行為に興味はあるけれど、
のんびり見学している暇はない。私はキャンプの用意をしておかないと。
日が落ちると視界が悪くて準備が大変なのよね。
車のバックドアを開いて、その前にテーブルを置く。椅子が一つしかないから、どっちかが車に座るためだ。
テーブルを挟む形で、車の反対側に折り畳みの椅子を出した。
焚火台も出そうか悩んだけど、洗い場もないし片付けるのも大変なので今回は断念。光源はLEDランタンで充分だろう。
一応、ガスで点けるランタンもあるにはあるんだけど、燃料補充が出来ない状態ではあんまり使いたくない。
さて、夕食はどうしようかな。クーラーボックスに卵と野菜、鶏肉がちょっと入ってたはず。あとお米。
でも料理するのは面倒だし、今日はカップラーメンで良いか。
こういう状況になって実感したけど、鍋と火と水があれば美味しいラーメンが食べられるって、本当に革命的だよね。
楽、早い、美味しい。かつ持ち運びが簡単って、最強のインスタント食品だわ。
便利な料理を開発してくれた方々に感謝しながら、各種機材をテーブルに並べていく。
ひと段落した所で、ルルーベルはどんな感じだろうと様子を伺い、その姿に息を呑む。
少し離れた場所で佇みながら、祈るように胸の前で手を組んで何か唱えているルルーベルは、まるで創作に出て来る歌姫のように綺麗だった。
呪文だろうか。特殊な言葉らしく、聞こえてくる単語の意味は全然理解できないけれど、ルルーベルの発する不思議な言葉は心地よい唄のように空へ、草原へと溶けていく。
黄昏時、藍色に染まる空には地平線に沈む太陽と少なくない星たちもルルーベルの唄に聞き入っているような、そんな妄想を抱いてしまうくらい幻想的な風景だった。
まるで夢でも見ているみたいな不思議な感覚に浸っていると辺りに変化が現れた。私たちの周りの地面に淡い光の輪が浮かび上がると、そこからジワリと上方へ広がって半円形のドームを形成する。
ドームが完成して数秒後、光は消えて完全な透明へと移り変わる。目には見えなくなったけれど、何かに護られているというしっかりとした安心感は残っていた。
「おー、すっごく素敵だった!」
私が拍手をしながら感想を述べると、ルルーベルははにかみながら振り向いた。
「これで、一晩は魔物の心配はしなくて大丈夫です。あくまでも魔物だけですが」
照れ隠しか、いそいそと効果を説明してくれる。この言い方を聞く限り、動物や人は入ってこれるんだろう。
つまり盗賊の警戒は必要だってことだ。
まあ、結構な速度でかっ飛ばしたし、いくらなんでも馬じゃ追いつけないでしょ。
私の方も準備はできた。と言ってもキャンプバーナーで鍋の水を沸かすだけなんだけど。
ルルーベルは机の上の物たちが珍しいのか、まじまじと眺めていた。
「たくさん魔導具をお持ちなのですね」
「違う違う。そういうのじゃなくて、普通の道具だよ。あ、その椅子に座ってね」
私は車に、ルルーベルにはキャンプ用の椅子を。
ちなみにルルーベル曰く、魔導具は一般人でも手に入れることはできるが、かなり高価な物として流通しているらしい。残念ながらこの道具たちはそんな高価な代物じゃない。全部3000円前後のお手軽品だ。
「そうなのですか……? 光や炎が勝手に出ているのに」
椅子に座りながらルルーベルは怪訝そうにLEDランタンとキャンプバーナーを見つめる。
日本だと普通の物なんだけど、よくよく考えればこれだけコンパクトに持ち運べて、何度も使える光や炎はとんでもなく凄い代物なのかもしれない。
こんな素晴らしい商品を開発してくれた企業様に感謝しつつ、私は鍋の中で熱されている水の調子を確認する。
プク、プクと泡が出始めているけど、まだ時間がかかりそうだ。待っている間に雑談でもしとこうかな。
「さっきの唄みたいなのって、結界を張るための呪文?」
「はい、ボクらの所属する魔法教団に伝わる結界魔術の呪文です。母親から子供へ、安らかに、健やかに育つように、と願いを送る子守歌が元になっているのですよ」
「素敵だね。でも、聞き慣れない言語だけど、別の国の唄なの?」
「いえ、遥か昔、この世界にまだ魔子が満ちていなかった時代に使われていた言語、らしいです。ボクも詳しくはしらないのですが」
さらりと気になる発言があって私は問いかける。
「昔は世界に魔子はなかったの?」
「そう、伝えられています。ほとんど御伽噺みたいなものですけど」
「御伽噺、ね。どんなお話なの?」
「『魔術師アーフィン』というお話です。まだ魔術が特別な、ごく少数の人間にしか扱えなかった時代の」
そう前置きをしてルルーベルは語り始めた。