契約の変更
「直志、本当に見なかったのか?人に化けていても、正体は妖なのだろう?だったら、少しでもおかしな所があったとか・・・」
「確かに見る者が見れば、妖が人型になると、違和を感じるものです。しかし、そいつはおそらく変化が得意なのか、憑依して移動するのでしょう。そうなると、常人に見分けるのは至難だ」
「そうなんですか・・・」
秀晴が肩を落とすと、清蓮は「しかし」と付け加えた。
「この妖はあまり利口ではない。何度も同じ場所に、日を置かず現れるのが良い証拠だ。骸があった近くでも、怪しい女を見たという者が何人もいますからね」
清蓮は背広の内側に手を入れ、紙を取り出した。
「これはその証言を元に、似顔絵師に書かせた女の顔です」
「新聞の折込に入っていたものと、同じものか」
「ええ・・・見覚えは?」
直志はそれを受け取ると、食い入るように見た。
四つ折の跡が付いている紙には、美人だが、少々険のある顔立ちの女が描かれていた。長い黒髪に、大きめの口。細い目と顎―息をするのも忘れて暫し見入り、直志はおもむろに首を傾げた。
「この女性―見たような気がする・・・」
「本当かっ?」
秀晴は色めき立つ。
「多分・・・話をした女性の中にいたと思う・・・」
清蓮は無言のまま、直志の頭に手を翳す。すると直志は、小波に揺られるような気分になった。靄が晴れてくような、不思議な感覚だった。それと同時に頭痛が引いてゆく。
「これを昼間碧様に見せた所、言葉にはしませんでしたが、碧様は怯えて悲鳴をあげました・・・この絵は、相当忠実に描かれている筈ですよ」
赤―直志は、その色を連想した。
「そうだ・・・目が、光った・・・赤に―」
靄が消えた。
視界が突然明るくなったような気がした。
今までの全てが、夢だと錯覚するほどの、爽快さだ。
「ほくろの女・・・そうだ。右の目と鼻筋の間に、近づかねば分からん程の・・・間違いないっ。向うから話しかけて来て・・・それからだっ。頭痛が始まったのはっ」
清蓮は頷いた。
「惑わしの術は、実際に会って接触しなければ発動しません。その妖が夜半にしか出現しないのも、手っ取り早く人を襲わないのも、まだ力が不十分だという事でしょう。退治するなら、力をつける前に越した事はない」
清蓮は、背広の襟を意気込んで直した。
「そろそろ女が現れる時刻です。秀晴様、碧様のお部屋に参りましょう」
「あ、ああ」
秀晴は元々物腰が気弱だ。清蓮にそう言われて立ち上がった姿は、若主人と言うより付き人のようだった。また清蓮も、使う側が良く似合う。
「ああ、それから―直志殿。妖を退治するまでは、この館から出てもらうわけには参りません。それまではここでお待ち頂くか、今宵は別室にお泊り下さい」
書斎を出ようとする二人に、直志は立ち上がりながら言った。
「俺も行く」
これには清蓮も驚いたようだった。
「今から何をしに行くか、本当に御分りでなのですか」
「ああ。鬼を退治するのだろう?」
清蓮は扉に手をかけたまま、薄く笑った。
「彼方は依頼主ではありません。もし彼方に何かあっても、私は助けませんよ?」
「分かっている。しかし、妖は館の中を自由に行き来できるのだから、どこにいても同じだろう?ならば共に行き、その妖とやらの顔を拝んでみたい」
「ほう・・・何とも豪胆な御方だ・・・自分が狙われていると知っておられるのに、それでもあえて危険と対峙なさると?」
直志は、真剣な眼差しで清蓮を見た。
「本来なら、俺はすでに殺められていたのだろ?それを思えば今宵の俺は運が良い。秀晴兄さんに招かれたのも、清蓮殿に会ったのも、何かの縁だろう」
清蓮は脅すように、低い声で言った。
「むざむざと死ぬのも、何かの縁だと?」
「いいや。死にに行くつもりは毛頭ない。俺は単によりかかった船には乗る主義なんだ」
清蓮は瞬いて、初めて嫌味ではない―少なくとも直志にはそう見えた―笑いのようなものを浮かべた。
「彼方は他の貴族とは、少々違うようですね。とても変わった感性をお持ちのようだ」
「そうか?」
「ええ」
事の成り行きを見守っていた秀晴は、突然切り出す。
「清蓮殿。依頼を少し変更してもらえませんか」
清蓮は秀晴に視線を寄越す。
「依頼内容に、直志の身の安全も加えて頂きたい」
直志は驚いて秀晴を見た。
「もちろん、その分の報酬は上乗せします」
「秀晴兄さん、これは俺が勝手に―」
「良いでしょう」
清蓮は、直志の言葉を遮るように言い切った。
「それが依頼主の意思であるなら、私に異存はありません。料金については、事が終わったあとに」
「分かりました」
「あの・・・」
「じゃあ直志、行こうか」
これ以上直志が何を言っても、受け入れてもらえる空気ではなかった。
秀晴は優男の見た目とは裏腹に、笑顔で我を通すのだ。
直志は上着を脱いで、シャツを腕まくりした。
清蓮は洋風の扉を開いた。
廊下は、書斎よりも幾分明るい。
「さぁ。参りましょう」
逆光での清蓮の横顔は、文句の付け所が無いほど整っていた。
細くてしなやかな髪が、輪郭の外側だけ鉄色に透けている。
そのさまを見ながら、直志は椅子から立ち上がった。




