別室への誘い
直志が視線を向けると、陰陽師は今宵の主賓である館の若主人の所へ、迷い無く向かっているところだった。
――だとすれば、雇い主は彼なのだろう。この館に入るには、招待状を受け取り、正門にいる守衛が確認を取らなければならない。
この陰陽師が誰ぞの知り合いであるというより、若主人から招待されたと考える方が、直志にとっては無難な考え方であった。
今宵の宴はここの若主人が主催したもので、三十を手前にしてこの家を継いだのは、三年程前に先代が急逝したからだ。
都に来て二ヶ月の直志に、何故招待状が来たかとの理由は、先代と直志の父が、友人である事にある。父と先代は同じ学校の同卒らしく、小さい頃に何度か家に訪ねて来た折には、若主人に遊んでもらった事を直志は憶えている。
若主人にはまだ十代の妹がいる。腹違いではあるのだが、真のきょうだいよりも仲が良い事で有名だ。そのような兄弟すらいない直志には、少しばかり羨ましくもあった。
(ああ。そう言えば、今宵はまだ彼女の姿を見ていないな・・・もしや、陰陽師が来た事と何か関係があるのでは・・・)
陰陽師は宴に不似合いな真剣な顔で、若主人と何事かを話している。
その表情も少々、直志の不安を煽った。
この陰陽師は随分若い。
もしかすると、直志と同世代なのかもしれなかった。
立ち振る舞いは優雅で無駄がなく、隙が無い。何処ぞの貴族と言った雰囲気で、商標無しで来ていれば、会場内に自然に溶け込んでいた事だろう。
しかし小さな商標を目敏く見つけた者が、彼に注目した人数分いたとは思えない。小さな商標の五芒星柄が、全員に見える筈がない。仕草は自然でも、やはり彼は浮いて見えるのだ。こうも人目を惹くのは、単に彼の容貌だと言えるだろう。
直志は人の美醜にいまいち疎いが、それでもこの陰陽師が、随分整った顔だちをしている事は分かった。
細面の白肌に、涼しげな目元、筋の通った鼻、形のいい唇―。
彼の顔を見れば見る程、直志は彼を「彼」と呼んでいいものか分からなくなった。まるで少々背の高い女、かと言って男装した女と言うには、しっかりとした眉であるような気もする。
それが彼の違和であり、人目を惹いている要因だろう。
どちらにしても、美人に変わりない。
その道の者からは、相当好かれそうな雰囲気だった。
直志の肌が密やかに粟立ち、背中に寒気が走った。
陰陽師は若主人との会話中、ちらちらと周りの様子を伺っていた。人目を憚る内容なのか、それとも妙な視線を気にしての事なのか。それにしては、誰かを探しているようにも見えた。気になりはするが、ここ最近続く夜会と愛想の振り撒きで、直志はいささか疲れていた。こんなにも年齢層が低い夜会は初めてだ。
直志は少女達の雰囲気に、完全に呑まれてしまったようだ。
(ここは早めに帰って、休んだ方が良いだろうな・・・)
踵を返す瞬間、直志は一瞬あの陰陽師と、視線が合った気がした。
錯覚だろうと思い、直志は歩き出した。
清蓮は会場内を視線だけで把握すると、バルコニー辺りに視線を留めた。目を更に細めると、そこから流れるように、人垣を伝う『跡』を追った。
そして今まさに、出口へと向かう男の姿を捉える。
短く切った黒髪の、二十代前半と見て取れる後姿だ。
陰陽師は、秀晴の耳元で囁いた。
「秀晴殿―あの方です」
秀晴は陰陽師の視線の先を見た。そして、驚きに目を剥く。
「あの方を、邸から出してはいけません」
清蓮は、秀晴の側から歩み出した。
「あ、お待ちを・・・清蓮殿っ」
「そこの方」
直志は反射的に振り返り、困惑した。
あの陰陽師が、此方へと向ってきたからだ。
黒背広に黒革靴。宴には地味過ぎる、黒一色のネクタイ。装飾品の類は一切無く、それが余計に、商標を映えさせていた。
腰まである髪は、中程で緩く縛ってある。歩く度に漆黒色の横髪が揺れ、シャンデリアに反射して鉄色に光った。
「失礼。少し宜しいですか」
女とも男とも覚束無い声をしている陰陽師は、やはり直志を見ていた。この時直志は、この男―かもしれない人物に、他の者と同じく、自分が魅せられている事に気が付いた。
「何でしょうか」
近くで見るとますます、陰陽師は男女の判断がし難い姿だ。
陰陽師の少し後ろから、若主人―小野秀晴が続いている。
中肉中背で、年相応な顔立ち。天然癖毛なのだが、それが意識して手入れしているように、洒落て見えた。
「別室でお話ししたい事があります。少々、お時間を頂けないでしょうか」
直志は思わず瞬き、「私の?」と聞いた。
「ええ。彼方のです」
「失礼ですが―どこかでお会い致しましたでしょうか」
「いいえ。全くの初対面です」
直志はある種、その物言いに心地よさを感じた。
しかし初対面の者に、己の名も名乗らず話しかけるのは、いささか無礼である。しかも『別室』とは、どういう意味なのか少々考えてみて―直志はこの陰陽師が男色家で、自分は誘われているのではないかと結論した。
(冗談ではない。天に誓って、男になど興味はないっ)
その方面に疎い筈の直志だが、何度となくそういう誘いがあっては、そう思考するのも致し方のなかった。
大学まで完全寮制というのは、ある種そういうものとの葛藤と、そうでない者の切り抜けが必要になるのだ。そして直志は、常に誘われる方、逃げる方の立場であった。
寮時代を思い返して、少々眩暈を催した。
直志は感情が表に出やすい。
この時も、明きらかに表情に出ていたようだ。
秀晴がそれを悟って、話に割って入った。
「直志、違うんだ。この方はそういうのではないから・・・少し向うで話さないか?私が紹介しよう」
「あ、ああ・・・」
きっと秀晴兄さんから、自分の事を聞いていたのだろう。
直志はそう思って、やっと返事を返した。




