【一章】煌びやかな夜会
明陽【めいよう】二十一年、三月。
立食式の会場は、子の刻を回ろうかという夜半にあって、今だ眠りを思い出さない物達が溢れていた。磨き上げられた大理石に人々の脚や裾が写り、その数を倍はあるかのように見せている。広い宴会場の中は、目が眩む程煌びやかだった。
日向直志は、正直うんざりしていた。
京都に来て二ヶ月、ことある事に夜会に出されているからだ。
もちろん夜会に出るのは初めてではないのだが、やはり都の女子は垢抜けていて、誰もが自信に溢れて颯爽としている。直志自身それが悪い事だとは思っていないし、むしろ活発な女性は好ましいのだが、それが群れをなして自分を囲むとなると、直志はどうにも気後れしてしまう。
面白おかしく会話を楽しむ事はできるのだが、いざ女性が特別を望むと、途端に足踏みしてしまうのだ。特に、大勢いる中から一人選んで夜会から連れ出す―なんて事を求められると、非常に困る。そうなると、女性が皆同じ顔に見えてくるのだ。
根っからの恋愛下手は、恐らく父からの遺伝か、女っ気の少なかった環境のせいだ。
幼少の頃は奉公人の子供と男女関係無く遊んでいたし、少年期になっても、冷かしを気にする性質ではなかった。寄宿学校は完全寮制男子校でのエスカレーター式。直志は、二十三になる今まで、恋愛と呼べるものを経験した事がない。本人がその事を特別気にかけていない事を、周りの人間はことのほか重大に受け止めていた。
何せ直志は、一人息子なのである。
日向家はまだ歴史が浅く、この会場内でも新人の域を出ない。ここは一つ、都の大きな家の娘を嫁にもらい、日向家を安泰へと導いて欲しいと言うのが両親の本音であった。
直志は、日向が自慢の文武両道聡明を兼ね備えた美男子。どこへ出しても恥ぬ逸材なのだが、どうにも色香事には無頓着で鈍感、どんなに両親が見合いをすすめても、頑として受け入れなかったのにはわけがある。ゆくゆく家を継ぐものだという自覚は直志にもあったのだが、妻を持ち責任ある立場になる前に、世の在り方を見て回りたいからだ。
直志は名の通り率直な人間である分、そこが長所であり短所でもある。
何とかして女子に興味を抱かせたい両親は、上京したいと言い張る直志に、合意。社会勉強と称してはいるが、社交界へ出る度に都の美女達との接触があるのだから、何れはその色香に絆されるだろう、というのが真の思惑だ。
長年日向に仕える爺やと数人の奉公人が直志に付き、都へと来ている。夜な夜な嫌がる直志に、これも見聞を広める為の手段なのだと弁舌巧みにいさめては、夜会へと送り込んでいた。
・・・だから直志は、今宵もうんざりしていたのだ。
煌々と照らされる会場には、幾つものテーブルと赤いテーブルクロス。その上には、西洋から伝わった風変わりな料理と、自国の料理が並べられている。女性陣は様々な色の布を纏い、美しさを競っている。何事かを愉快ように耳打ちし合っている姿は、男には真似できない可愛らしい魅力があった。
直志にも、人並みそれを楽しむ事はできる。
しかし、皆が微笑み酒を酌み交わしている最中に、互いの腹を探り合っている様は、何とも居心地が悪るかった。直志はそのような事が苦手であるし、好まないのだ。
それに直志の実家は新参者であっても、長年名だけを頼りに暢気に暮らしてきた者達とは違い、第三次文明開化の波に乗る、貿易仲買に携わる家業。都の乙女達は流行に目敏く、珍しく貴重な物を酷く好む。これから更に力をつける筈の家を把握しておくのは日常内の事で、しかもそこの息子は美男子ときている。会場の娘達が、直志に群がるのは当然の事だと言えた。
しかし乙女達の恋の駆け引きは、奇しくも成就する事はない。
直志自身、恋の駆け引きが何たるや知らないからである。
直志は溜息を吐いた。
人込みかそれとも酒に酔ったのか、直志は眩暈に見舞われた。宴の最高潮にも関わらず女性陣を切り抜けると、酔い覚ましに向う。
大きな両開きで、硝子がはめ込まれている扉窓だ。
その向うは、洋館ならではのバルコニー。
開け放たれたそこには、まだ冷たさが残る風が吹いている。そこから、薔薇の垣根と芝生が見えた。そこだけ窓の分が切り取られたように、黄の光が当たっている。
会場内が明るいので失念しそうになるが、今は夜の真っ只中。
三日月は何とも頼りなく、本来なら寝静まっている筈の都を、薄明く照らしていた。