現われた妖
直志の痺れは肩を過ぎ、背中へと進んでいた。
女中の目が、怒りに血走った。
「ちくしょう、ちくしょう・・・お前さえいなかったらっ」
清蓮の落ち着いた声は、薄闇の中で刃物のように鋭く通った。
「出て来い・・・」
直志の背筋に、悪寒が走った。
刹那、女中は大口を開け、硬直した体を仰け反らせた。
そして動物の断末魔のような、恐ろしい悲鳴を上げる。
直志は見た。
半透明な―密度の濃い風のような物が、女中から抜けたのを。
悲鳴が止むと、女中は気を失って床に倒れ伏す。
半透明なものが、薄闇の中で色を濃くしてゆく。
「邸の中を動く為に、この女中の体に入ったのだな・・・」
「清蓮、今の―」
「今度こそ本体が来ます。くれぐれも、御用心を」
透明、薄水色、水色、薄藍色、藍色、濃藍色・・・
女中の側に一つ、影絵のような塊が蹲っていた。
それがむくりと起き上がると、同時に髪が揺れた。
龍牙丸が激しく動き出す。直志は、清蓮の言葉を反芻した。
(味方につける・・・)
龍牙丸には意思がある―という事は、何らかの形で疎通が図れる筈だ。己が認められれば、力を貸してもらえるかもしれない・・・いや。力を貸してもらう必要がある。
薄闇の中で見えたのは、似顔絵と酷似した女だった。
しかし幻の時とは違い、女は平民服に素足だった。
「おのれ・・・よくも、よくも邪魔したなっ」
「どうやら、お前の妖術は底をつく寸前のようだな」
「うるさいっ。お前、何者だっ」
清蓮は目を細めた。
「陰陽師、阿倍野清蓮・・・お前を退治する者だ」
「陰陽師?陰陽師が、何故ここに―」
「妖が現るる所、陰陽師あり。陰陽師現るる所、妖はなし―」
妖は目を見開いた。
「私を殺す気かっ」
「事情によっては」
びゅー、びゅーと胸元が鳴っている。
妖は蒼い顔を清蓮に向けたまま、喘鳴のする息で言った。
「邪魔を、邪魔をするなっ・・・」
清蓮は、妖の顔から足先までを流し見た。
「このままでは、人型さえ保てなくなりそうだな・・・お前、生まれたのはごく最近だろう」
「だったら―だったら何だって言うのっ」
「別に。私には関係ない・・・ない―が、興味はある・・・最近起きた首無し達は、お前の仕業なのだろう?」
妖は、にたりと笑った。
「ええ。そうよ・・・皆、いい顔の男だった―」
「だから首を取った?」
妖は、ふふ、と愉快そうに笑った。
「皆顔立ちは違うけど、整った顔だった・・・それに、美味い」
妖は直志を見て、舌なめずりをした。
「そこの男も、美味しそう・・・」
直志の全身の産毛が、総立った。
「もうすぐ、お前の首も私のもの・・・」
「そうはさせん」
妖は、直志から清蓮へと視線を戻した。
「取った首は、どこにある」
「そんな事、教える必要ない」
「いやある。然るべき所に戻し、供養する」
女の顔が、醜く歪む。
「ふん、誰が教えるか・・・お前もお前もっ、皆殺しだっ」
妖は女中を飛び越し、清蓮に向かって飛びかかってきた。
清蓮はそれをひらりとかわす。つんのめった妖を、直志はどうにか避けた。妖は直志の方へとかかろうとしたが、直志が握っているものを見て、その足を躊躇させた。
「直志殿、絶対に離すなっ」
「わ、分かっているっ」
妖は、直志の後ろへと血走った目を向けた。その視線の先に、壁に背中をへばりつかせる秀晴がいた。妖と目が合うと、秀晴は小さく悲鳴をあげる。妖は秀晴目掛けて走り出した。
清蓮は、妖の前へといつの間にか回り込み、行く手を阻んだ。
「秀晴殿、碧様の元へっ」
足を竦ませていた秀晴だが、弾かれたように駆け出した。




