メード
清蓮は碧の顔を覗きこんで、額に触れた。
「少し熱がおありのようだ―横に寝かせて下さい」
秀晴は言われた通りにし、自分は洋寝台から出た。
碧の腕に抱かれた龍牙丸は、依然かたかたと震えている。何かに怯えているようにも見えた。
「大丈夫だろうか・・・」
「ここ数日、あのような幻を見ていたのでしょう?無理はありません。清めの塩も、効果が切れ始めているようですし・・・」
溜息を吐いていた秀晴は、数秒後突然顔を顰めた。素早く扉の方へと振り返る。
「そう言えば―守衛達は何をしていたんだっ?」
秀晴は憤慨して、乱暴に扉を開けた。
すぐそこには、入った時と変わらぬ様子の守衛が四人。
その側に、銀の洗面器を持った先程のメードもいた。どうやら雑談していたらしい事を知り、秀晴の体温は一気に上昇した。
「お前らっ、主人の危機に何をしているっ」
普段は温厚な秀晴の怒りように、守衛は全員目を丸くした。
「あの・・・何かあったのですか」
「何かっ?お前らこんなに近くにいて、悲鳴が聞こえなかったとでも言うのかっ」
守衛は更に目を大きくして、顔を見合わせた。
「悲鳴っ?」
「お前、聞いたか?」
「い、いや・・・」
「何だとっ?」
男達は、困惑して主人を見た。
「我々は、片時も離れずこの場におりましたが―そのような声は聞いたおぼえがありません・・・」
「なっ・・・」
今度は秀晴の目が見開いた。口も、開いたまま閉じない。
直志もさすがに顔を顰めて、その場から怒鳴った。
「そんなわけないだろう。碧さんの悲鳴が、そちらに聞こえない筈がないっ」
「いえ、しかし―部屋からは物音一つ、聞いておりません・・・なぁ?だよな?」
同意を求めて一人が視線を向けると、他の者が頷いた。
「我々がここにおった事は、彼女も知っておる事です」
守衛がメードを示した。
メードは恐々と頷く。
「私が氷をかえて戻って来てから、皆動いてはおりません・・・何だかお話しが長引いてしまって・・・申し訳ありません」
清明は洋寝台の側を離れず、廊下に向かって言った。
「真、何も聞こえなかったのですね?」
野太い声の男が、これに答える。
「はい。確かに。嘘偽りはございませぬ」
「分かりました」
直志は清蓮の方へと振り返り、幾分腹立たしげに言う。
「何が分かったと言うんだ?」
「彼らの言っている事が、真だという事がです」
直志は、訝しんで眉間を寄せる。
「物音一つ聞こえなかったのは、あやつの仕業でしょう」
「あやつ・・・あの女の事かっ?」
「ええ。妖しの力で、物音を部屋の外に聞こえないよう、していたのでしょう」
当然の事だ、という風な清蓮を見て、直志は唖然とした。
「妖はそんな事までできるのか・・・」
「はい。しかし、遠くから仕掛けたものでは有りません。あの妖にそのような力が、残っているとは思えませんから」
直志は少々居直って、低い声で聞いた。
「では、あの幻とは別に―本物が戻って来た、と?」
清蓮は神妙に頷いた。
「既に、手に届くほど近くにいる筈です」
その場の全員が、息を飲んだ。
「ど、どこに・・・」
気づけば、直志が握る龍牙丸の震えは、速度が増していた。
濃緑色の制服を着ている女が、申し訳なさそうに秀晴を見、腕の中の洗面器を示した。
おずおずと切り出す。
「あのう。碧様の、氷水は如何いたしましょう・・・」
温厚さを取り戻した秀晴は、夢から醒めたように言った。
「ああ、そうだ。碧っ。妖が来るのなら、今のうちに碧の手当てをっ。早う、ほら―」
秀晴はメードを急かす。背の低いメードは会釈しながら、足早に部屋に入った。側にある円卓に洗面器を置くと、碧の顔を覗きこむ。
秀晴は、部屋外の様子を伺いながら言った。
「可哀そうに・・・恐ろしい幻に、気を失ってしまったんだ―少し熱が出てきてしまったから、あとで熱冷ましを持ってきておくれね」
「はい」
秀晴は後ろを振り返り、ふとメードを見る。
「ああ―あと、冷めた粥も下げておくれ」
「承知いたしました」
清蓮は邪魔にならぬように、洋寝台から少し遠のいた。
女中は碧の青白い顔を覗きこみ、顔を渋くする。氷水につけて絞った布を持ったまま、少しの間、躊躇していた。
秀晴はそれに気づいて、部屋の中へと戻ろうとする。
「どうかしたのか?」
「あ、いえ。あの―碧様はお熱の為に、汗をおかきになられているようで・・・御着替えの方が、先かと―」
女中が含み有りげに言い、上目使いで直志を見た。
さすがの直志も、その意図に気づく。
「ああ―そうか・・・では、俺達は部屋の外で待つとしよう」
「すまんな。そうしてくれるか」と秀晴が言う。
直志と秀晴は扉へと向かった。
しかし清蓮は動かない。
「なりません。部屋から出ては」
何とも紳士らしからぬ言葉に、直志は少し呆れた。
「清蓮殿。いくら何でも、着替えの場に立ち会うなど―」
「ならば死にますか?」
言葉に詰まる二人に、女中は困惑した視線を清蓮に向けた。
清蓮は洋寝台から少し間をとり、そこから動こうとしない。
「あのぅ。でしたら―後ろを向いておられてはどうでしょうか」
女中がそう言うと、清蓮は即答する。
「そうですね。そういたしましょう」
直志は呆れた。ここまでくると、虚脱してしまう。
「おい・・・清蓮・・・」
清蓮の不躾な態度に腹を立てて、無意識に拳を握ったのだろうか。よりいっそう、龍牙丸を持つ腕が震えた。
女中は、碧が握っている小太刀を示し、恐々聞く。
「あの・・・これはどけても宜しいのでしょうか?」
清蓮は少し間を置く。
一度床に落とした視線をメードへ向け、また視線を床に落とした。
溜息を吐く。
「少しの間なら、いいでしょう・・・」
「はい。では―、誠に申し訳ないのですが、これをお取りしてもらえませんでしょうか」
直志と秀晴は、内心首を傾げた。
清蓮がメードに言う。
「何故、です?」




