乙女の寝室
間もなく、三人は碧の部屋に到着した。
守衛が会釈をする。
秀晴の話し通り、守衛が扉の横に立っていた。
左の鎖骨から肩に掛けて、金色の紐が付いている青い制服姿だった。
秀晴がいざ扉を叩こうとした時、直志は重大な事に気が付く。
「秀晴兄さん・・・これは、いいんだろうか?」
秀晴は意図が汲み取れず、「何がだ?」と聞く。
「だから、その・・・こんな特殊な状況であっても、碧さんは嫁入り前のお嬢さんじゃないか。それなのに男が寝室へ訪ねるというのは、どうも、その―」
直志が尻つぼみに言うと、秀晴は笑った。
「今更何を言っているんだ。自分から来ると言い出しておいて」
「いや、しかし―乙女の寝室だと言う事を、失念していたんだ」
「私も、お前以外の者ならば別室でお待ちいただいたさ。お前はこういう時に、よこしまな事をしないよ。それが分かっているから、ここまで連れて来たんじゃないか」
直志が不納得に恥じて唸ると、清蓮はそれを横目で見た。
「まるでそちらの方が、嫁入り前の乙女のようですね」
「なっ?」
直志は紅潮した顔で、涼しい顔の清蓮を睨んだ。
だが清蓮には、爪先程も堪えていないようだ。
その横にいる秀晴は、ぼそりと呟いた。
「あまりに邪心が無いと言うのも、困りものなんだがな・・・」
直志は清蓮から、秀晴に振り返った。
「うん?」
直志は聞き取れなかったようだが、清蓮は位置的に聞こえた。
秀晴は曖昧に笑った。
「いいや。独り言だよ」
「ふぅん?」
秀晴が扉を叩き、「碧、私だ」と声をかける。
扉が内側に開くと、女中が顔を出した。邸の使用人は古の西洋を意識しているらしく、旧英語読みの『メード』と呼ばれる、濃緑色のドレス。
今では『異国語を極力禁じる』という法の下に、日本語風に漢字あてするのが一般的なのだが、何ぶんこれほど古の西洋風を貫いている邸も珍しく、世に浸透していない異文化を、いちいち日本語あてするのは骨が折れる。どうせこの館の中でだけなのだからと、ここではそのまま「メード」と呼ばれていた。
(不思議な格好だ)
そう思いながら、直志は秀晴に続いて部屋に踏み入った。
部屋は広く、どうやら続き部屋になっているらしい。
直志達が入ったのは、外側から寝室に直通する扉らしく、すぐ向うに、天蓋の掛かったベッドが見えた。白い布を垂らした天蓋と、内側には紗のとばり。その向うに、枕を背に布団をかぶって座っている人影があった。
細い腕が布団から出て来た。腕は、細く白い。
それを見て、メードは濡れ布を受け取った。
「氷を代えて参ります」
メードは平桶を持って、会釈をすると退室した。秀晴は洋寝台に近づき、その端に座った。いつもより幾分穏やかな声で、妹に話しかける。
「具合はどうだ?」
「ええ。昨日よりは、大分良くなりましたわ・・・」
「昼間清蓮殿に頂いた、清めの塩が効いたのだろうかね」
「そうかもしれません」
直志はそれほど碧と話した事はなかったが、それでも彼女の声が発熱によって掠れ、意気消沈している事は分かった。
「粥を持って来たんだ。元が華奢なのだから、少しは食べて精を付けた方が善い・・・今取り分けよう」
秀晴が立ち上がろうとすると、碧は秀晴の腕を弱弱と掴む。
「いいえ、お兄様。今はまだ食欲がありませんの・・・そこに置いていて下さいな。あとでちゃんと食しますわ」
秀晴は渋い顔をした。
「そうか?ではまたあとで、温かいものを持ってこさせよう・・・ああ、水は?」
「いいえ、先程飲みましたから」
「ふむ、そうか。何か不自由があったら、すぐに言うんだよ?」
碧はくすりと笑った。
「ええ。分かっていますわ」
―直志はきょうだいを持たないが、それでもこの兄妹が、特別仲が良いのだと分かっている。
・・・秀晴の母、碧の義母は秀晴を産み、すぐに別宅へと移っている。
年に一度、会うか会わないかの仲らしい。
幼少期は寂しい思いをして過ごし、人見知りの気があった義塾時代は、親しい友人もいなかった。そこに現われたのが、義妹の碧であるから、秀晴の寵愛振りは仕方ない事だとも言えた。
庇護する者ができるという事が、嬉しかったに違いない。
直志は二人の関係を羨ましいと思ってはみるものの、兄か弟が欲しかったので、姉や妹を想像するのは難しかった。
しかし出来うる限り想像してみると、それは碧のような性格の子かもしれない、と直志は思った―




