最期はせめて推しの手で
「わたしは18歳で死ぬ運命にあります。…ならばせめて、憧れのルーファス殿下の手で、この命を終えたいと思ったのです」
・
・
・
わたしはかつて、この乙女ゲームのプレイヤーだった。
「だった」というのは、遊ぶのを辞めたという意味ではない。
今のわたしは、このゲームの登場人物の一人である悪役令嬢の「アリエル・ホールドン」だ。
そう。どういう訳か、わたしはゲームの登場人物として転生していたのだ。
どうしてそんなことになってしまったのかは分からないが、そういうものなのだと納得するしかない。
このゲームはいわゆる学園もので、貴族だけが通う学園に通うことになった平民の少女が、そこで貴族の男性達と出会い、恋に落ちるというものだ。
貴族であるアリエルは、平民の主人公メアリ・ラスティングに対して、差別心を隠すことなく接し、陰湿な虐めを繰り返す悪役。
そして前世の…つまり、プレイヤーだった頃の記憶によれば、アリエルは、必ず非業の死を遂げる。
どんなルートに向かおうとも、メアリと誰がくっつこうとも、アリエルは死ぬ。
アリエルが登場しないルートもあるが設定資料集によると、そのルートでもアリエルは死んでいるらしい。
だからわたしは、死を回避するのを諦め、それを受け入れた。
だって仕方がないではないか。
抗ったところで、絶対に助からないのだから。
そしてわたしは、どうせ死ぬのなら前世で「最推し」だったルーファス・ロックウェル殿下の手で死にたいと考えた。
彼は攻略対象の中で最年長の35歳と、いわゆる「イケオジ枠」で、わたしはルーファス殿下のダンディの見た目と渋い声にオジサマ好きのわたしはノックアウトされた。
もちろん彼の魅力は外見や声だけでなく、中身も素晴らしいのだが、その点については割愛させていただく。
しかし、それは所詮叶わぬ想い。
殿下と結ばれる相手がいるとすれば、それはヒロインであるメアリの役回りだ。
それが乙女ゲームである、この世界の理なのだから。
どうせ死ぬ運命。
どうせ結ばれない運命。
それならばいっそ、最推しの手で死を迎えるのが、アリエルとして得られる最高の幸せではないだろうか?
オタクとは、死ぬことと見つけたり。
そう考えたわたしは、その「結末」に向かって人生を歩んでいこうと決めた。
「わたしは、18歳で死ぬ運命ですから」
そのためにわたしが行ったのは、前世の記憶を使って、予知能力者として振る舞う事だった。
時々、友達や家族の身に起こる他愛もない出来事を、前世に記憶を利用して言い当てる。
そして、自分は18歳で死ぬ運命にあるという「予言」をする。
そう吹聴しておけば、心優しいルーファス殿下なら「わたしを殺してほしい」という、無茶な願いを聞き入れてくれるかもしれない。
・
・
・
「アリエル様って、好きな人はいるんですか?」
放課後。喫茶店でのティータイムの最中、この世界のヒロイン・メアリに尋ねられた。
本来であれば、悪役令嬢のわたしはメアリをこっぴどく虐めて、その報いとして非業の死を遂げる。
だけど、人を虐めるなんて性分に合わないし、何よりゲームの主人公であるメアリは、愛着のある大好きなキャラクターだ。
そのメアリに酷い事なんてできるはずもなく、同級生として仲良く接しているうちに、こうして放課後一緒にお茶を飲む仲になっていた。
「そうね。わたしはやっぱり、ルーファス殿下かしら」
「 ルーファス殿下…年上がお好きなんですか?私、てっきりアベル先輩とか、イバン先輩とかの名前が出てくるものだとばかり」
メアリの口からは、攻略対象の名前が次々に出てくる。
攻略対象はとても素敵な男性たちばかりで、みんなイケメンだし、性格も良いしで学園の中でも人気者だ。
そんなイケメン達と結ばれる可能性のあるメアリは、正直羨ましい。
推しに殺される為に生きている。そんなわたしなんかとは大違いだ。
「もちろん、みんな魅力的な殿方だと思うけれど、やっぱりわたしは年上の落ち着いた男性が好きね」
いわゆる貴族のお茶会ではなく、喫茶店に来ているのも、それが理由だ。
アリエルとして生きているとはいえ、本来であればただの一般人のわたしは、モダンな内装で飴色の木材に囲まれた喫茶店の方が落ち着く。
というのもあるけど、なにより、この店のマスターが中々のイケオジなのだ。
「あっ、もしかして、この喫茶店に来るのも…?」
「ふふっ、マスターには内緒よ?」
口元に指を当てて、ウィンクしてみせる。
するとメアリは、同じように口元に指を当てながら「分かってますよ。内緒ですね」と微笑む。
その可愛らしい笑顔を見ると、わたしも思わず笑みがこぼれてしまう。
この子が本当に、この世界の主人公なんだなと思わされる。
プレイヤーとしてゲームを何周もしたのは、もちろん、攻略対象のイケメン目当てではあったのだけど、メアリの可愛さも、わたしのモチベーションを上げる大きな要因だった。
モニター越しに眺める事しか出来なかった、推し達。
それが今は、実際に生きて動いている彼らが目の前に居て、触れ合う事さえ出来る。これが嬉しくない訳がない。
だけどこの生活は、わたしの死によって、あと1年足らずで終わるのだ。
「メアリさん。貴方は、わたしの分まで幸せになってね」
そう思っていると、自然とそんな言葉が飛び出す。
「もう、アリエル様ったら、縁起でもない事言わないでください。いくら、アリエル様に予知の力があるからって、それが当たるとは限りないじゃないですか」
もちろん、友人であるメアリにも「予言」は伝えてある。
だけど、メアリはこうして、いつも前向きな言葉で励ましてくれる。
さすが、この世界の主人公。
さすが、この物語のヒロイン。
本当に、眩しいくらいに可愛い。
そんな天使のような女の子に、わたしは笑って「そうだといいわね」と返すのだった。
・
・
・
そして運命の日が訪れる。
王子であるルーファス殿下と会える、数少ない機会。王城での舞踏会の日。
メアリや、攻略対象のイケメン達、ゲームの主要な登場人物が一同に集まるこの日は、このゲーム最後のイベント。
主人公のメアリは、この日に攻略対象の一人と結ばれ、悪役令嬢のアリエルは悪行をバラされ断罪される。
その後のアリエルの死因はルートによって様々だが、ロクな死に方をしないのは共通している。
だからわたしは今日、この場でルーファス殿下に「わたしを殺してほしい」と頼まなければならない。
今日を逃せば次はない。
会場の大広間。多くの人の中、一際輝くルーファス殿下を見つけたわたしは、殿下の目線が向かう先に陣取り、彼をじっと見つめる。
ダンスに誘えるのは、男性からだけだ。
いくら人生最後の一大イベントと言え、マナー違反をしてしまっては台無しだ。
わたしの視線に気づいたのか、ルーファス殿下はこちらを見て、優しく微笑んでくれる。
そして、わたしの方へと歩み寄ってきてくれた。
緊張する。
心臓がバクバクとうなり声をあげる。
まずは普通にダンスをし、その後、ルーファス殿下をバルコニーを連れ出す。
計画ではたったそれだけの事。これまでの舞踏会でも、やったことのある流れ。
だけど、そこにたった一つ。「わたしを殺してほしい」とお願いする事が追加されるだけで、これほどまでに難易度が上がるなんて。
でも、やるしかない。
「こんばんは、アリエル嬢。今宵は一段とお美しい」
ルーファス殿下が話しかけてきて、そっと手を差し出す。
これは、踊りませんか?というお誘いだ。
わたしは震えそうになる手をなんとか抑え、意を決して、その手に自分の手を重ねる。
「こんばんは、ルーファス殿下。本日も、大変素敵でいらっしゃいますわ」
さぁ、計画通りに進むんだ。
「アリエル嬢、もしよろしければ、私と踊っていただけますか?」
「喜んで」
音楽が始まり、わたし達は手を取り合って、ステップを踏み始める。
二次元世界の最推しとのダンス。これほど、オタク冥利につきることは無いだろう。
だけど、今はそんな感慨に浸っている場合ではない。
今はただ、計画通りに事を運ばなければ。
「アリエル嬢。この曲が終わったら、バルコニーでお話でもいかがですか?」
願ったり叶ったりな流れだ。
ルーファス殿下から提案してくれたとなると、より自然に計画を実行できる。
「えぇ、ぜひ。わたしも、ルーファス殿下とゆっくりお話したいと思っていた所です」
曲が終わり、二人で大広間の外に出る。
熱気溢れる大広間とは違って、夜の涼しさを感じさせるバルコニーに出ると、火照った身体を冷やすように、風が吹き抜けていく。
バルコニーには、他に誰もいない。二人きりの状況だ。
「いい夜ですね」
「ええ、本当に」
爽やかな風が吹き抜け、空には満月が煌々と輝いている。
まさに、絶好のシチュエーションだ。
こんな景色の中で「殺して」と頼むなんて、殿下には悪いが本当の意味での「一生のお願い」なのだ。許してほしい。
「…殿下。実は、折り入ってお願いがあるのですが……」
「はい、なんでしょう。アリエル嬢の頼みとあらば、出来る限り叶えて差し上げましょう」
優しい笑みを浮かべてそう言う殿下を見ると、やはり、心苦しく思う。
わたしの願いは、わたし自身の欲望でしかない。
だけど、どうしてもやらなくてはいけない事なのだ。
「ありがとうございます。では…わたしを、殺していただけないでしょうか…?」
「えっ…?今…なんと…?」
わたしの言葉に、ルーファス殿下の顔から笑顔が消える。
さすがに唐突すぎただろうか。だけど、今更後には引けない。
わたしは大きく息を吸い込み、そして、もう一度口を開く。
「殿下は…わたしの予知の力の事は、ご存知ですよね」
「え、ええ……。予知の力については、私もよく知っていますよ…」
ルーファス殿下は戸惑った表情をしているが、それでもしっかりと答えてくれる。
「その予知によると、わたしは18歳で死ぬ運命にあります」
「……」
「ならばせめて、憧れのルーファス殿下の手で、この命を終えたいと思ったのです」
わたしの告白を聞いた殿下は、悲痛そうな顔をする。
そんな顔しないで欲しい。そんな悲しい目で見つめないでほしい。
せっかくの決心した決意が揺らいでしまう。
だけど、やめるわけにはいかない。
「アリエル嬢……。貴方の気持ちはよく分かりました。だけど、その望みは叶えられません」
殿下はわたしの目を真っ直ぐに見据え、はっきりと告げてくる。
「無茶のお願いだとは分かっています。ですが、どうか……」
食い下がるわたしに対し、殿下はゆっくりと首を横に振る。
そして、電光石火の勢いでわたしを強く抱きしめた。
突然の事に驚くわたしを他所に、殿下は強く、強く、わたしを離さないように抱きすくめ続ける。
「で…殿下!?」
何が起こっているのか分からず、わたしは動揺してしまう。
だけど、ルーファス殿下の腕は緩むどころか、更に力を強めていく。
「そんなこと、起こるはずがありません。私が起こさせません!」
わたしを、強く、だけど優しく包み込むように抱きしめながら、殿下は耳元で力強く囁いた。
それはまるで、何かに誓うかのような言葉だった。
ルーファス殿下の胸の中で、わたしは呆然とする。
一体どういう状況なのか、全く理解できない。
これは、ゲームシナリオにはない展開だ。
シナリオに反して、メアリと仲良くしているわたしに言えたセリフではないのだけれど、ルーファス殿下がアリエルに好意を寄せるなんてことは絶対にありえない。
なのに、どうして? 混乱するわたしを他所に、ルーファス殿下は続ける。
「アリエル嬢。貴方には、僕の妻になっていただきたいのです」
ルーファス殿下はそう言って、わたしを抱き締めていた腕を解くと、床に片膝をつき、わたしの手を取る。
そして、サファイアのように輝く碧眼で、まっすぐにわたしを見上げる。
その瞳は熱を帯びていて、こちらまで恥ずかしくなってしまうほどだ。
「で、殿下!な、何を仰っているのですか!?」
そんな、まさか、そんなことってあるのだろうか
。
アリエルはミジメに死んで、プレイヤーにカタルシスを感じさせる存在のはず。
ルーファス殿下と結ばれるのは、メアリであって、わたしではないはずだ。
だってアリエルは、ヒロインじゃなくて悪役令嬢なんだから。
そして、一際真剣な眼差しを向けた殿下は、意を決したように口を開く。
「死の運命など、私が変えてみせます。だから、どうか我が妻となってはくれませんか」
その瞬間、頭の中が真っ白になる。
心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなっていく。
「…は…はい………」
最推しからのプロポーズ。
受け入れるかどうかの思考をする事も無く、口が勝手に動いてしまった。
わたしの返事を聞くと、ルーファス殿下は嬉しそうな笑顔を浮かべる。
そして、広間の方を向くと、大声で叫んだ。
「みんな、協力ありがとう!!アリエル・ホールドンを、我が妻として迎える事が決まった!」
次の瞬間、広間から大きな歓声が巻き起こると共に、メアリと攻略対象たちがバルコニーへと飛び出てくる。
「もう、アリエル様ったら、殿下の好意に早く気付いてくださいよー」
「おめでとうございます。幸せなお二人の姿を見られて、私も嬉しいです」
「おめでとうございます、アリエルさん」
みんなの祝福の言葉が、次々とわたしに降り注ぐ。あまりの出来事に、頭がついて行かない。
そんな馬鹿な。こんなルートなんて存在しないはず。
こんな展開なんて………………
・
・
・
ピピピピ ピピピピ ピピピピ
スマホのアラームが、うるさく鳴り響く。
「ん………?朝……………???」ベッドの上で眠い目を擦りながら、手探りでアラームを止める。
辺りを見回すと、いつもの自室だ。
アリエルの自室ではない。デスクに目をやると、あのゲームで散々酷使したパソコンが見える。
「…夢かぁ…………」
ゲームのキャラに転生して、最推しにプロポーズされるなんて、普通に考えればあり得ない事だ。
好きすぎるあまり、あのゲームに関する夢は度々見たが、それを現実を勘違いするなんて自分の拗らせ具合に呆れてしまう。
・
・
・
ピポピポ
メッセージアプリの通知音。
このアプリで、わたしに連絡を送ってくるのは、わたしの数少ないオタク仲間のユミちゃんだけだ。
オタクの例に漏れず朝に弱いユミちゃんが、こんな時間から連絡してくるのは珍しい。
寝起き30秒の、シバシバとする目でスマホに目をやると、そこにはわたしを再び混乱に陥れる言葉があった。
「ヤバいヤバい!アリエルが主人公のDLCが出るって!」
【終】