Sometimes people don’t want to hear the truth because they don’t want their illusions destroyed.
非常に残念なことに、今、私の部屋やパソコン、タブレットには「彼」に関する資料が大量にある。
サブスクでの音楽もまた「彼」に関する楽曲ばかりである。「彼」が歌った、作った曲は確認できるものは全て聞いている。
そう、これでは端からみたら、完全に「ファン」というのを通り越して「ガチファン」か「信者」だろう。
ここまで調べても、まだ想定されるプロファイルが怪しいと感じられる。virtual感が酷い。
「早朝」が終わり「午前中」のピークを迎えるまでに「彼」は一度イメージを変えている。
それまでも最初期の「尖っている」イメージから脱皮しつつあったが、もっとわかりやすく、綺麗なイメージ、大衆向けになっていく。
「彼」が「Charisma」と称されるのは、おそらく当時サブカルチャーか外来文化であった「R&R」という音楽を耳触りよく、わかりやすい楽曲に落とし込んだからだと推察している。
その「彼」は「早朝」から「正午」に向かって、更にわかりやすく自分自身を表現しようと時間を進める。
「早朝」直後は手持ちの楽曲がほとんどなく「早朝」時の楽曲も歌っているが、ここから「正午」過ぎまでは「早朝」時の楽曲を歌っていない。
「彼」はある意味で1/2の責任から、全責任を負う立場にならされた。そして、ソロデビューまでに与えられた時間は、後年の「彼」の楽曲完成スピードから鑑みれば少なかったと推察される。
私生活では、第一子の誕生イベントが発生している。
この時間において「彼」には公私共に、全責任が降りかかってくる。
ナーバスなプロファイルが組み上がる「彼」だが、これでは「夕暮れ」時、「日没」を迎えても、なお即死攻撃を仕掛けた「元仲間」を許す気になれないのは仕方ないだろう。
しかして「赤いスーツ」を着た「彼」は大衆に支持された。賞も受賞している。まあ、見た目も綺麗である。いつの時代もイケメンが有利なのは残酷だ。
「彼」は「彼」自身を消耗させる「彼」のためのバンドを消滅させ、そして「彼」自身で勝負するという賭けに勝った。
「彼」のここからのイメージは「早朝」時の「彼」ではなく、実存感、実在感が薄くなり、よりartisticになっていく。起承転結で考えると「承」の時間。
時間としては「10時」ぐらいだろうか。
かなり短時間でイメージや歌い方が変化していく。
28歳のバンド消滅時の映像から「彼」の最大ヒット曲のPVまで約5年の歳月である。
この「早朝」と「午前中」は聞き比べをしても、やはり違う。アルバム一枚毎に急速に変化していくのがよくわかる。
「彼」がソロ活動になってからのファンは「彼」のバンド時代を想定することは難しいと感じる程度にイメージが書き変わる。
書き変わる毎に、多少の振れ幅はあれど、よりわかりやすいmessageに、曲に移り変わり「怒り」や「皮肉」は鳴りを潜め、音は綺麗に洗練されていく。
もし、バンドの後継者、というあれば、それは余程、右隣だろう。右隣は変わりつつあった「彼」をどこか認められなかったのだろうか。
「ダサい」と称されてなお、どこか「尖った」まま「夢」を追いかけ続けているのだから。