One should die proudly when it is no longer possible to live proudly.
「彼」を調べていると、面白すぎて仕方ない。
というか、本人が基本的に何も言わない分、考察するしかないが、かなり突っ込みどころが多い。
例えば、バンドの解散シングルは、いわゆるB面曲が有名過ぎて、実際にファン投票でも一位はB面曲である。
確かに、B面曲は素晴らしい曲だと思う。
しかし、A面曲は曰く付きと言わんばかりな曲である。
これを一枚にしようと考えた「人」は「彼」が嫌いなんだろうとしか思えない。
A面曲は、歌詞について、唯一、他のメンバーから「自分達の関係性を表す歌詞にしてほしい」と変更を求められた、とWikipediaに記載されている。
なんというか、曲名からして恨み辛みがきっちりでている。歌詞も酷い。悔しさが滲み出すぎである。挙句に曲の終わりは「彼」以外が歌う上に「彼」への、あたかも恨み言を繰り返す。
「彼」がPierrotであったかのように。素晴らしい「関係性」である。
それでも、ライブで既に演奏されていた上にアルバム曲のリミックスとはいえ、B面曲を作り上げた「彼」は偉大だと思うが、腹筋が痛い。
まあ、シングル盤の収録は「彼」以外が行った、という信憑性が低い記載もある。しかし「持ち主」である「彼」が許可はしたと考えられる以上、「彼の曲」だろう。
サブスクで解禁されているので、バンド消滅理由や時期などの経緯を確認した上で聞くことをおすすめしたい。
更に「彼」の後年、人生が「午後」に差し掛かってから、過去と向き合ってからのインタビューとかを確認すると爆笑度が上がる。不謹慎だが。
そう、不思議と「彼」が何人もいるかのように見えるのは、この「早朝」、「午前」と「午後」「夕暮れ」で意識のベクトルをあたかも、物語であるかのように彩っていることも一因として挙げられる。
特にソロ活動になってからは、物語的に時間が進む。
この「物語」の系列に入るのは「壊す」「終焉」というのか、簡単に言えば「滅びの美学」と考えられる。それが一番現れているのは「彼」の活動最期だろう。
この最期を見た上で、2020年に「彼」が歌詞を書いて歌った曲を聞くと、本考察があながち大幅に外れていない気がするのが不思議である。
一方で「彼」の曲は、綺麗な、おしゃれな「皮肉」に彩られている作品も多い。これはバンド時代の終焉が一番わかりやすい。
「彼」の「午前中」、特に「早朝」時であるバンド時代は「皮肉」が多い。時間が過ぎると共に「皮肉」は鳴りを潜め「物語」的になっていく。
「彼」のピークを時間に直せば「午前9時30分から11時30分」といったところだろうか。
まあ、今は本当に活動が終わってしまったために、まだ存続しているファンクラブの会報が爆笑に拍車を掛けてくる。
最新号では、ファンボイスに過去の写真の再掲である。本人コメントすらない。ここまでくると昔のローソンチケットペーパーである。「皮肉」が効き過ぎだ。
それにしても、面白い。
「彼」は活動がうまくいっている時は、おそらく「彼」なりの「美学」に従うのに、活動がリアルに停滞か破錠に向かうと、真逆の特性「未練」や「皮肉」に従うように見える。
まるで「彼」が複数人いるかのように。