7.拍子抜け
店の駐車場には翔平のバイクと真奈の軽自動車があり、恭明の車はまだ来ていなかった。フロアの三人が出勤するのはもう少し後のはずだけど、気になるのは紅葉がいつ、どうやってここに来るのかということ。
「もしかして恭明が連れてくるのかな」
つぶやいたとき聞き慣れた車の音が近づいてきた。白いSUVは恭明のもの。彼以外には誰も乗っていないようだ。
「おはよ」
恭明はあくび混じりに言い、バックドアを開けて白い発泡スチロールの箱を下ろした。磯の生臭い匂いと、ザラザラと氷の打ち合わさる音。
「ねえ、紅葉さんってどうやって来るの。車?」
「車だって。ああ、言うの忘れてたけど、彼女が来るの今日からじゃないから」
「九月からって言ってなかったっけ」
「日曜だし、明日はうちが定休日だし、火曜からってことになった」
「そっか、そうなんだ」
拍子抜けしてそうつぶやくと、恭明が笑い声を漏らした。
「楓、楽しみにしてたんだ」
「ううん、どっちかっていうと緊張してた」
ふと、今朝の母との会話が頭を過る。母は本当にわたしがオーベルジュに移ることを望んでいるのだろうか。もしそうなら、それはきっとわたしのためではなくメゾン・ド・アリスを解体するためだ。
「そういえば今朝、社長から電話があったよ」
「へえ」
恭明は建物脇に植わったモミジがしだれかかっているのをヒョイと頭を下げて避ける。透ける陽にまぶしそうに目を細めた。
「仕事の話?」
「明日、例のオーベルジュの場所に行くからついて来いって。紅葉さんも来るって」
「ふうん。楓、行くの?」
「あたしには関係ないって言ったんだけど、社長がそれで引き下がるわけないし。それに、どこに建てるか気になってたから行くことにした。半ば押し切られたっていうか、いつも通り。あたしの話なんて聞かないから」
「たしかに場所は気になるな」
「でしょ。昨日話してたリゾートホテル、あれとは離れた場所みたい。詳しくは聞いてないけど」
「そっか。じゃあ、報告楽しみにしとく」
どれほど本気で言っているのか、恭明は母が絡むと当たり障りのない言葉でかわしてしまうことが多い。こういう時にふと、もし祖父がいなくなっていたらと頭を過る。もし、祖父があのとき入院したまま動けなくなったり、命を落としたりしていたら。
本部から来たマネージャーが要求したのは原価率を下げるために食材のランクを落とすことと、稼働率を上げるために夜の営業を二回転させること。あの状況が続いていれば恭明は確実に店を辞めていたはずだ。
「おっはよーん」
厨房に顔を出すと真奈が気の抜けたあいさつをしてきた。いつもと同じ一日が始まり、夏休みのおまけのような九月最初の日曜日は慌ただしく時間が過ぎていった。