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メリーが幸せに出会うとき


 やばい、やばい、殺される……!

 私は大理石でできた階段を、三段飛ばしで駆け下りる。

「メリー、待て! お前ら、追え!」

 羊を急きたてる牧羊犬みたいに、後ろから怒鳴り声がした。


 今日は週末。パーティー会場を飛び出ると、夢を売る港街「ランブレス」の目抜き通りは、多くの観光客で賑わっていた。


 私は人の波をすり抜け、ハンドバックだけを持ってひた走る。そして目的の細い路地に飛び込んだ。

 ダクトパイプから漏れる汚臭と埃だらけのそこは、人一人がやっと通れるくらい。吸い込まれるような闇しかないから、観光客も近づかない。


 私はやっと足を止め、壁に手をついて深呼吸を繰り返した。

 見上げれば、建物に挟まれて窮屈そうな黒い空。星なんてずっと見ていない。目の前の壁には、「幸福」とい派手な落書き。書いたあなたは幸福かしら。


 ああ本当に、ろくでもない人生だ。

 二十二歳の小娘が何をって、港の船乗りさんは笑うかも。

 でも、金持ちの男に大金を貢がせて、用が済んだら次に乗り換える女の人生なんて、清く正しく真っ当だ、なんて言えないわよね。


 今日は最悪の日だった。

 隣町に住んでいる元ターゲットが今のターゲットにわざわざ接触して、二人して私への復讐計画に燃えていた、なんて。まさか、招かれたパーティー会場で、銃口を頭に突き付けられるとは思わないじゃない。しかも二人揃って。


 とりあえず貰った宝石はバッグにインして、二人の顔に氷がたっぷり入ったワインクーラーの水をぶちまけ、隙をついて逃げ出して……今に至る。


 お化粧はぐしゃぐしゃ。胡桃色の髪は、誰にも見せられないくらいぼさぼさだ。

 でもこれは、彼らを上手く騙せなかった自分のせい。

 これくらい、たいしたことない。


 私はぎゅっとバッグを抱きしめた。


「この女を見ませんでしたか。メリー・カーレッジという名で、恋愛詐欺師です」

 ふと、通りのざわめきに混じって自分の名前が聞こえた。あの二人に雇われた男達だろうか。


 私は顔をしかめた。

 顔写真をバラまかれては、迂闊に通りを歩けない。でも、秋の夜を外で一晩過ごすには、肩出しのドレスじゃ寒すぎる。プレゼントしてもらった毛皮のコート、受付で預かってもらうんじゃなかったな。

「さて、どうしよう」

 思わず呟いた、その時。


「こんばんは」

 不意に、背の高い男が路地に入ってきた。

 私は喉まで出かかった悲鳴を必死に飲み込み、後ずさる。


「私は君の敵ではない。味方だ」

 通りを煌々と照らすネオンの光を背に、男の容姿は分からない。

 ただ、落ち着いた甘い香りが微かに漂い、シルエットだけでも上質なロングコートに身を包んでいることはわかった。


 いわゆる、この街にお金を落とす側の人間。

 つまり、あいつらの同類。


「……私が誰だか知っているの」

 私はじり、と後ずさった。


 同類ということは、繋がりがあるということ。捕まればきっとあいつらに差し出される。


 こつり、こつりと靴音が細い路地に響く。

 彼の体が邪魔をして、通りからは奥にいる私の姿は見えない、だろうけど。

「恋愛詐欺師だろう。ずいぶん派手にやっているようだな」

 低く艶のある声で男が言う。


「……あなたは、誰」

「ウィズダム・クラージュ。ウィズと呼んで欲しい」


 その名前には、聞き覚えがある。

 ここ数年で急速に力を伸ばしてる、海運会社の若き社長だ。確か、三十歳前後。


「困っているなら、助けようか」


 遠慮もなく近づいてきた彼が目の前に立ち、闇に慣れた目に端正な顔がぼんやりと見えた。

 秀でた額に落ちる黒髪、銀縁の眼鏡をかけていて、薄い唇は弧を描いている。

 確かにウィズダム・クラージュだ。どこかのパーティー会場で見かけたことがある。その時は、この人は騙されるタイプじゃないと、ターゲットから外したの。だって、視線だけで人を射殺せそうなんだもの。


 彼が私に右手を伸ばす。まるで溺れる私が掴むことを確信しているように。

 私はその手を払いのけた。


「……助けてもらわなくても結構。でも、助けたいなら助けられてやってもいいわよ」

 誰かに媚びて生きるのは、詐欺師の時の自分だけでじゅうぶん。


「最高」


 ウィズはそう言って、笑った。

 





 ウィズダム・クラージュは変な人だった。


 私を高級ホテルの一室に押し込んで、夜の間に必要な物、下着もパジャマも服も靴も、すべて揃えてくれた。自由に使えるように、と現金の詰まった鞄も用意してくれて、部屋付きの使用人も紹介してくれた。

 まさに、至れり尽くせり。


 私も繊細な性格はしていないので、一晩ぐっすりとふわふわなベッドで眠った。できたら意識がないうちに殺してほしい、と思いながら。


 でも、コーヒーの香りと共に目が覚めて、隣室にいるウィズを見つけたときに、さてどうしようと頭を抱えた。


 彼は仕事前なのか三つ揃いのスーツ姿で、ソファに腰かけ、新聞を読んでいる。

 高級ホテルらしい、すっきりとした広い部屋の窓はガラス張りで、地上を遠くまで見渡せた。まるで王様が住む部屋みたい。

 十人の女性のうち九人が、彼に夢中になりそうな朝の風景だ。


 でも、私は夢中になれそうにもない。

 だって初対面の女に無意味にこれだけ貢ぐ男がいる? ありえないでしょ。


「おはよう、ウィズ」

 私はシャツ一枚を羽織った姿でソファに近づき、ウィズの肩にしなだれかかった。でも。

「おはよう。よく眠れた?」

 そう言って、ウィズは私をやんわりと離す。


「眠れたけど。朝の挨拶はしなくていいの?」

 わざとらしく唇を尖らせると、ウィズは片眉を上げて、

「今は結構」

 ……今は、ってどういうことよ。


 半眼になった私に構わず、彼は言う。

「今日は外せない会議があって、午前中は仕事に出る。午後は帰ってくるから一緒に出掛けよう」

 穏やかなその声に、やっぱりねって気持ちが百パーセント。

「ついに、あの二人に差し出されるってわけね」

 あいつらは不動産王と大手興業主の息子。仲良くやるのに私はちょうどいい手土産だ。


「いや? 君の物を買いに行こうと思って」


 平然と返すウィズに、一瞬、思考が飛んだ。


「……私の、物なら、昨日の夜、たくさん運び込まれてたと、思うんだけど……」

「どうせ使うなら、君の好みに合わせた方がいいだろう。足りない物もあるだろうし」

「いや、でも」

「我儘は聞かない。何せ君は今、私に『助けられている』身だ。そうだろう?」

 楽しげに言い放つ男前が、癪に触る。


「じゃあ私はいつ、あの二人のところに連れて行かれるの。タイムリミットを気にしながらのお買い物なんて御免よ」

「私は君を、彼らに渡すつもりはない。ただ、デートをしたいだけ」

 肩をすくめたウィズに、私は顔が引きつった。


 まったくもって理解不能だ。


「冗談でしょ。恋愛詐欺師を相手に」

「詐欺に引っかかるつもりはないが、君と楽しい時間をすごせたらとは思っている。私は君に夢中だから」


 背筋がぞわりとした。

 言葉は甘いけれど、その目は私の中の何かを見ている。

 その時、秘書がウィズを呼びに来て、私は言い返せなかった自分に腹を立てながら、ベッドルームに戻った。


 それから。


 午後になると本当にウィズは帰ってきて、私を車に乗せてお店を回った。

 経験上、値札のないお店の品物がどのくらいするのか把握はしてる。それをウィズは「君に似合う」とか「今、見ていたから」と言って次々に買うのだ。怖い。


「午前中は何をした?」

 黒い車に戻って、上機嫌のウィズが聞いてくる。

 ちなみに、運転手は三人いる秘書の内の一人。後ろと前には、護衛の車がぴたりとついてる。

「ダラダラと。身の安全を考えたら、どうせ外出なんてできないし」


 ほとんど振動のない車の中で、ウィズが私を見て微笑む。

 眼鏡の奥の青い瞳は優しくて、錯覚しそう。


「そうか。外出できないのは不自由だな。護衛を手配しておこう」

「不要よ。私に回すより、自分の身を守るために使ったら? 護衛の車があるってことは、あなたも狙われやすいんでしょ」


 ややブラフが入っているけれど、出る杭は打たれるもの。特にこの新旧の歴史が入り乱れるランブレスでは、真正直な商売のみでのし上がれるわけがない。富豪の裏側に多少触れた経験から、そのくらいわかる。


「心配してくれて、ありがとう」

 さらりと返す様は、本当にスマートだ。

「そういうつもりは微塵もないから。そもそも」

「あ、あそこにジェラート屋がある。止めろ」


 後半は運転手に命じたウィズ。ちょっと待って。


「さっき昼食を食べたばかりよ」

「甘い物は別腹と言うだろう」

 車は音も立てずに止まり、私はウィズに引っ張り出された。


 手を伸ばしても届かない、眩しいほどの青空。

 乾いた空気。

 通りを歩く、たくさんの人、人、人。

 誰が、どこから私を見ているのか、わからない。


「大丈夫だ」

 不安に立ち尽くす私に、ウィズが短くそう囁いてくれた。


 その根拠を疑う前に、彼の部下が買いに行ってくれたジェラートが差し出される。

 コーンの上に乗った艶やかに光る茶色いジェラートには、小さな紙のスプーンがくっついていた。


「君はチョコレート味が好きだろう。ランチのデザート、美味しそうに食べていた」

「ウィズの分は?」

「甘い物は苦手だ」

 その胡散臭い笑顔が悔しくて。


 私はジェラートをすくったスプーンを、ウィズの口に突っ込んだ。






 澄んだ秋の空気に、港街らしい潮の香りが流れてる。どこからともなく聞こえてくる音楽に、大道芸人が通りの端でステップを踏む。


 私は野暮ったい紺色のワンピースを着て、つばの広い帽子をかぶり、俯きがちに白い石畳を歩いていた。なるべく人目につかないように。


 ウィズと出会ってから、二十日余りが経った。

 彼は紳士的で、どんな我儘も怒らなかった。お小遣いがほしいといえば、理由も聞かずにお金をくれるし。警戒してるのがバカみたいに思える。


 彼が私に望むのは「愛を囁くことを許す」ということだけ。私に触れるのは両想いになってから、ですって。正直、拍子抜けする。

 今までそんな男に出会ったことがなくて、戸惑うし、怖い。


 彼が目を細めて笑う様子とか、長い指で煙草をつまむ仕草とか、見ているだけで胸がきゅっとする自分がいる。……認めたくはないけど。

 でも、いつかは逃げ出すときがきっとくる。

 だからいつか、そのときまでは。


 考えながら歩いていると、ふと、小さな花屋に気づいた。

 男に花束を贈られても、今までは嬉しいとしか思わなかったけど……ウィズの部屋に似合う花は何かしら、なんて考えてしまう自分が悪くなくて、私はホテルに帰る足を花屋に向けた。


 その時。


 すれ違ったお婆さんが、反対側から来た若い男にぶつかった。

 男の腕が、よろけるお婆さんの鞄から財布をかすめ取る。

 悲しむお婆さんの顔が一瞬、頭を過ぎって、私はとっさに男を呼び止めた。


「ちょっと待って。あなた今、財布を掏ったわね」


 自分で自分に驚いた。

 私が、誰かの罪を告発するだなんて。


 男はぎょっとしたように、私を上から下まで舐めるように見た。そして、

「お婆ちゃん! この人、俺があんたの財布を取ったって言うんだよ!」

 気づかずに通り過ぎていたお婆さんが、驚いたように振り返る。


 その、一瞬の隙を狙って、男は私の口の空いたバッグに腕を突っ込んだ。


「見てよ、これ! この女が財布を掏ったんだ! 人に罪をなすりつけようとしてる!」


 通りにいる観光客や仕事人の大勢の視線が、一気に私達に集中した。


 振り上げた男の手には当然、財布がある。

 それは私のバッグから取り出したように見えただろう。

 お婆さんは慌てたように戻ってきて、男から財布を受け取って……私を睨んだ。

 ……一瞬でも、感謝を期待した自分がバカみたい。


「違います、今のは」

「俺は見たぞ。この女が婆さんの鞄から財布を抜くところ」

 はあ? と振り返ると、若い男はまるで神託でも下すような厳かな顔で、私ではなく周りを見回している。汚いやり方だ。


「その女、ウィズさんのお気に入りじゃないか。最近、よく連れ歩いてる」

 不意に、人垣から声がした。

「あの人が泥棒女を相手にするか? この間、港の埠頭長の娘との縁談が決まったって噂を聞いたが」

「ウィズさんは壊れかけのアラ大橋を自腹で直してくれた篤志家だ。掏りなんか働く女にゃもったいねえ。婆さんに謝れ!」


 明らかな嘲笑。侮蔑の視線。

 私は……。


「おい。その女、エッセ商会の息子が探してた女じゃないか」

 その声に、私はとっさにその場から逃げ出した。


「待て!」

 後ろから誰かの怒鳴り声が聞こえたけれど、振り向かない。


 事故みたいなものだとはいえ、注目を浴びてしまったことを悔やむ。

 私を殺したがっている二人には、すぐ報告が行くはず。捕まれば、もうウィズに会えなくなってしまう。

 だって私は、誰にも言わずにホテルから抜け出していたのだから。






 走って、走って……もう無理と思ったところで、立ち止まった。

 目の前に広がる神秘的な青い海。白い住宅街の端にあるそこは、古いオリーブの木が悠々と枝を伸ばしている小さな公園だった。


「鬼ごっこは諦めたか」


 肩で息をしながら木の幹に手をついて振り返ると、強面の男が二人、こちらに向かってくるところだった。わかりやすく、腰には銃を入れたホルスターを下げている。


 あの人垣の中に、彼らはいたのだ。私を捕まえるチャンスを窺っていて、蛇のようにしつこく私を追いかけ回して。


 私は潮風になびく髪を押さえた。

 ああ、本当に、ろくでもない人生。

 でも仕方ない。幸せは全部、過去のものだから。



 私が生まれたエーレ村は、楽園だった。

 父は旅の兵士だったとかで顔も知らないし、母は出稼ぎに行った先で病気になり、私が五歳のときに亡くなった。

 他の子供達も私と似たようなもので、親を頼れない子は皆、村長さんの家で育てられ、村の年寄り達が生きる手助けしてくれた。


 あの村には、資源は何もなかったけれど。

 他人を責めるず、羨まず、泣いたり笑ったりしながら孤独を癒す場所であってくれた。


 十五歳になって、食い扶持を稼ぐために村を出る時、思ったのだ。


 ここに幸福は置いて行く。

 残りの人生は村への恩返しのみに生きる、と。



「私を捕まえる? それとも殺す?」

 声が擦れなかった自分を、褒めてあげたい。


 男達は余裕の笑みを浮かべて、

「できれば自らの手で息の根を止めたいというのが、雇い主の希望だ」

「私が貰ったお金は、違法に取引した外国の女の子を買うためのお金だった。あいつらはお金さえあれば人間なんてどうとでもする、人間のクズよ」

「俺達には関係ねえ。金さえ払ってくれればな」

 鼻で笑われて、納得する。それもそうだ。


 青い海と白い雲。この美しい風景が見納めになる刻がすぐそこにある。

 でも、お生憎様。

 私は簡単に捕まってあげる、素直な良い子じゃないの。


「取り引きしない? 私が知ってるあいつらの弱みを話すわ。上手く使えばお金になるかも」

 私はそろそろと革のバッグに手を這わせる。

「それから、ここに彼らの宝石の指輪やネックレス、それからクラージュ社長から貰ったお金も入ってる。これもあげるわ」

「嘘をつくな」

「嘘じゃない。確認する?」


 私は黒いバッグを彼らの目の前に放った。


 同時に。バッグの中で掴んだ銃に右手の人差し指をかけ、トリガーを引く。


 ぱんっと乾いた音がして、男達の足元に砂埃が舞った。

 私はすぐにオリーブの木の陰に隠れた。銃を持つ手は震えてる。


「お前!」


 男の一人が怒鳴って、すぐに近づいてくる気配がした。

 想定外! まずは遮蔽物に隠れるだろうから時間稼ぎができるはず、と思ったのに!


 私は木の陰から飛び出して、男達とは反対の方向へ逃げようとした。しかし、すぐに捕まって地面に押さえつけられてしまう。

「別嬪さん、危ないことすんじゃねえよ」

 ぎり、と腕を捻り、銃を取り上げられる。乾いた土の匂いと痛みに生理的な涙が浮かぶ。でも。


 今やることは、泣くことじゃない。

 恩返しは道半ば。まだ死ねない、逃げなければ……!


 私は肩に力を込めて、体を起こそうともがいた。

「諦めねえなあ。おい、雇い主に連絡しろ」

 背中に体重をかけられ、肺が圧迫されて苦しい。息が、できない……!


 悔しさに唇を噛んだ、そのとき。


「なんであんたがっ」

 大声と共に、一気に視界が明るくなった。

 同時に体の拘束が解かれ、肺に酸素が飛び込んでくる。


「来るのが遅くなってすまなかった。この辺りは道が細いから車が入れなくて」


 耳に馴染んだ低い声と共に、体が抱き起こされる。

「ウィズ……?」

 見上げた相手の眼鏡が、きらりと光を反射した。

 すぐそばでは彼の部下が、二人の男を捕まえている。


「君には護衛をつけていたんだが、撒かれたようだな。どうせ銀行に金を振り込みに行ったんだろうが……大丈夫か」

 口の中で呟いた言葉は聞こえなかったけど、そっと伸ばされた長い指を、私は避けた。

 嗅ぎなれた彼の甘い香りが鼻をくすぐる。


「……私は平気。来てくれてありがとう。ウィズはまだ仕事中でしょ。邪魔してごめん。仕事に戻って」


 安堵に震える声が、みっともなくて嫌になる。


 ウィズの眉間の皺が深くなった。

「仕事よりも君だ」

 鏡で写したみたいに、私の眉間にも皺が寄る。

「婚約者がいるのに?」

「こん……私は今、フリーだが。どこの誰だ?」


 目を瞬く相手に、逆立った気持ちがすとんと落ち着く。

 その事実に。

 私は砂をかぶった髪をくしゃくしゃにかき回したくなった。


「ああ、やめ。嫌だ。こんな自分は嫌い」

 俯いて、頬を擦って、顔を上げる。

「ウィズ、今までありがとう。もらったお金はもう返せないけど、今後一切あなたに近づかないから安心して」

「急にどうした」

「私は一人がいいの」


 早く次のターゲットを探さなきゃ、と心の底から思う。

 ミイラ取りがミイラになってる。恋愛詐欺師が恋するなんて、バカみたい。でも、しょうがないじゃない。

 私に何も求めなかった人なんて、ウィズが初めて。

 これ以上、彼の傍にいたら、もっと好きになってしまうから、だから。


「それは困る」

 ウィズはじっと私を見つめた。

「……何故?」

「私が君を愛しているから」


 至極当然のように言われて、なんだか腹が立ってきた。


「私のことを何も知らないのによく言うわ。出会ってひと月も経ってないのに」

「君の本名は、アレイシア・カーレッジだろう。エーレ村出身の女の子だ」

 ……どうして。


 ひゅっと空気を飲みこんだ私の髪を、ウィズがひと房、掬った。

「私もあの村の出身だから」

 完全に、思考が停止した。


「ここ数年、村長の家に不定期に多額の金が振り込まれると聞いた。私以外にどんな成功者が金を運んでいるのかと興味が湧いて調べたら、君だった。私の渡した金を全額、銀行に振り込んでいるね」

「……銀行には、守秘義務があるはず」

「この世の問題の多くは金で解決できる。信頼さえも金で買える、いい時代だ」


 にこりと笑ったウィズ。

 私は開いた口が塞がらない。


「君のやり方を調べさせて、ずいぶん危ないことをしていると思った。同時に、パーティーで君を見かけた時、目を奪われたんだ。その身一つを盾として、堂々と生きる君に。まあ、つまりはひと目ぼれだな」


 甘い言葉なんて、ターゲットに散々吐いてきた。

 でも、ウィズに比べたら私なんてちっともたいしたことなんてないと思い知る。


「君を狙う男共には話をつけたつもりだったんだが。また連絡をしておくよ」

 顎に手を当て、遠くを見た彼にぞくりとしたものを感じつつ、私は頷くこともできない。


 ウィズは再び、私を見下ろした。

「君は私を愛するだけでいい。この先ずっと」


「……私は自分で村に恩返しを続けたいの。自分の力で」

 ええ、認める。自分の気持ちは認めるし、ウィズの気持ちは信じられないけれど! それとこれとは話が別!


 ウィズは、ふむ、と首を傾げた。そして、

「では私の傍で、詐欺師としての経験を活かして働かないか」


 風が吹いた。

 運命をかき回すような、強くて優しい、海の風。

 私はぐすん、と鼻を啜った。


「働いてほしいなら、働いてあげる」


「最高だ」

 ウィズは吹き出し、私に右手を差し出した。



【END】


ありがとうございました。

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