リンとウサ
土曜日の20時更新です……
雲ひとつない晴天。
「空気が澄んでて気持ちいい……」
マンションのベランダから空、見てた。
両手を突き上げ、中学の時から着こなしてる緑ジャージで大きく伸び。ショートの髪が肩を撫でる。
「気持ちいいって、ちゃんと思えるー!」
あの子と出会って私は変わった。
視線を部屋の中に戻す。玄関の手前、ユニットバスのドア。
私の最愛のパートナーは今、そこで戦ってる。
✳✳✳
トイレの便座の先っぽ。
僕はちょこんと乗っかって座ってた。静かに目を閉じて。
瞑想してんのかって? 違うね。この一週間のコトを考えてた。〝振り返り〟ってヤツ。リンがいつも「よく考えて行動しなさい」て言うから。
出すの忘れてた。
普段揚げ物ばっか食べてるうさぎなのに。白うさぎ。リンがいつも「野菜も食べなさい」て言うのに。
便秘症なんだ。三日位無くて当たり前、みたいな。今回は一週間無かった。注意してないとウンコすんの忘れちゃう。
「アレ。肛門から何か出るホラ。えーと、何だっけかな……あ、ウンコ! ウンコ!」
てな具合。リンが今日は「出るまでご飯抜きね」て言うから。「あ、じゃ出しときますか」みたいなノリでスタンバったんだけど。
「出る気。全くしない……」
おケツが鋼鉄の門みたい。がっちり閉まってる。
「そもそもウンコって、どーやって出すんだ?」
身体の機能に『ウンコ出す』ってついてないんじゃないかな? 『今から空飛んで下さい』くらいのコトだよね多分。え、違う? 違うのか……。
「何か、よくわかんないから怖い」
とりあえず便器から下りよーとして。さっき交わしたリンとの約束を思い出した。
「どんなに出なくても逃げちゃダメだよ、ウサ」
僕の体のコトを。何よりも心配してくれる人がいる。再び便器の先っちょにスタンバイ。そして、一週間ぶりに息んでみる。
「! …………」
びくともしない。
鋼鉄の門を野生の力で抉じ開けよーとしたら、溶接されてるコトが判明。頭ん中で非常ベルが鳴る。
「まず、おケツがッ。その後に脳ミソの血管がパーンてなる!」
またまた怖くなった僕。とりあえず浴槽の中に飛び込んで呼吸を整えた。
落ち着く為に故郷の伊吹山を思い出してみる。荒れ果てた草原、朽ち果てた木々。大雨で土砂崩れが起きる岩肌。
「アレ? こんなだっけか?」
四面楚歌ってヤツ。こんなコトなら食物繊維、ちゃんと摂っとけば良かった。
「キャベツのコト『クソ葉っぱ野郎』とか馬鹿にしてゴメンなさい! そもそもが草食動物のクセしてジャンクフードばっか食ってゴメンなさい!」
ツーッと涙出た。
「もうムリ。ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ。ごめんねリン。僕はウンコ出なくて死にます。僕のお尻に穴は空いてません。だからもう何も出ません……」
ん、穴?
以前テレビで施設の看護師さんが、年寄りのおケツの穴に指突っ込んでウンコわしわし掻き出してたのを思い出す。
〝摘便〟だっけかな。あの時は「うわ、マジ引くわ信じらんね」とか騒いでたけど。
「……コレしかないよね!」
口をへの字に結んで便器にカムバック。
一度レバーを引いて、タンクの水でゴシゴシ手洗いする。利き手の右前足を使うんだ。落ち着く為に耳洗いしちゃったから、もう一度手を洗い直す。
「今から僕は、おケツの穴に指突っ込んで詰まってるウンコに風穴空ける!」
自分を鼓舞する。やれんのか? やれる。
リンがそう願うなら。
惜しくない。
キラキラ輝く宝石の瞳。あの笑顔の為ならおケツの百や二百。
自慢の黒耳が斜め後ろ、ピーンてなった。
✳✳✳
ウサがトイレに籠って三十分が経った頃。
キィーッ……。
ユニットバスのドアが開くと、私のかわいい子が堂々と出てきた。
有名なボクシング映画のファンファーレが聴こえてくるかのよう。何かを成し遂げた小動物の表情だ。ゆっくりと、ベランダで待つ私のところまで凱旋パレードは続く。
柵に持たれかかって小首を傾げて微笑む私。
「やったんだねウサ……」
パッチーン! ハイタッチを交わす。
「ウンコ。ぽろぽろ出た!」
得意気に報告してくるその頭を優しく撫でてやる。目を細めて耳を倒すパートナー。よく頑張ったね。
ウサはヒノヒカリを浴びながら、どうやって排便まで漕ぎ着けたのかを私に一生懸命話した。何度も何度も頷いてやると、とても満足気な表情。
しばらくはベランダからカラスを見つけては、中指を立ててご機嫌だったウサ。やがて柵に登ってうたを歌い出す。
「レリゴ~レリゴ~」
ウサはアニメが大好きだ。
「ねぇリン。ありのままでいいって、どんななの?」
出会った頃にもこの質問してきたっけ。
思い出す私。あの時は「犯罪者になるって事だよ」とか答えた。
でも今は違う。
「死んだように生きるって事」
とても嬉しそうなウサ。
それではまた……