僕に見えた、彼女の背中
夢にまで見た背中があった。
僕が泣けば駆けつけて、両手を広げて隠してくれる。華奢なのに大きく見える、彼女の背中。
けれどもその姿が、この異世界にあるのは僕のせい。嬉しくて血が沸き立つのが分かる。沸騰するくらい、体全身が喜んでる。けれど同時に僕の心は凍り付いてしまうほど寒くって、どうして良いか分からない。
翼を召喚させてしまって、ごめんなさい。僕のこと忘れてない? 4年もたったけど、大切な人が出来たかな? 僕が翼を忘れたなんて、思ってない?
4年は長い。
翼はもう、大学に行った?
目の前に立つ翼は、相変わらず華奢で手足が長い。ショートパンツにタンクトップという装いは、肌を見せないこの世界に慣れてしまった僕にとって、少し目のやり場に困ってしまう。
長くきれいな黒髪を一つにまとめ、背中にはどでかいバックパック。ミルク色の肌は日焼けをして、眩しいほどに健康そうだ。その時ふわっと石鹸のにおいがして、僕は何故だか泣きたくなった。僕はもう、地球の匂いがしないから。
「うちの樹をいじめたのはどこのどいつ!? しっかり懲らしめてやるから手を挙げろ!!!」
僕の後ろ向きな感情をたたき壊すように、まるで日本にいた頃のような怒鳴り声がした。4年も離れていたというのに、その変わらない態度に救われる。
おもむろに彼女はどでかいバックパックから財布を出して、何かを取り出した。あんなどでかいバックパック、旅人にでもなったの?
何かを確認するように翼は小さく頷いた。そしてその瞬間、思わずよろめきそうになるほどの暴力的な力がその場を支配した。あふれ出る魔力を翼は操り、ぎゅっと拳に力を注ぐ。
まずい! そう思った瞬間には、翼は神殿の床をたたき割っていた。
「翼、怪我しちゃうよ」
僕はそう言って、守ろうと両手を広げた翼に縋りつく。召喚前は同じくらいの背丈だったのに、今は僕のあごの下に翼の頭がきてしまう。翼が縮んでしまったと慌てたけれど、すぐに僕の身長が伸びたのかと思い直した。
「樹がこんなに泣くなんて、あいつらの仕業なんでしょ!? ぶっつぶす」
そう言うものの、翼の動きは鈍い。どうやら大きくなった僕ならば、翼の動きも止められるらしい。
「違うんだ。僕のせいで翼が召喚されてしまったから、僕は泣いたんだ」
「私が来たのが嫌だった?」
「どうして良いか分からないほど、僕は嬉しい。でもそう思う自分だって嫌だ。だってもう日本に帰れない。そんな世界に引きずりこんで、それでも僕は、翼が居ることがただ嬉しい。翼のことが大事なのに、でも卑怯で臆病者の僕は、僕のために喜んでしまう」
「呼ぶのが遅いわ、馬鹿者が」
翼は照れくさそうにそう言うと、にんまりと可愛く笑った。くるりと体の向きを変え、「呼んでくれて、ありがとう」 耳元で小さくそう言うものだから、僕はもう、ぎゅうぎゅうと翼を抱きしめた。
翼はまたあのどでかいバックパックの中をごそごそと引っ掻き回す。翼は行動力もあるし、強い。けれど残念ながら、整理整頓という概念がすっぽりと抜け落ちてしまってる。
「あれ、無いなぁ」 と言いながらバックパックの中を探る翼を見て、もう長く思い出すことは無かった教室の風景を思い出した。
「これこれ! ほら、これ使って」
そう言って翼が取り出したのは、僕がずっと使ってたパイル地のタオル。ふわふわで、真っ白なそのタオルは翼と二人で過ごしていた頃の匂いがした。
「ちょっとね、片づけなきゃいけないことがあるんだ。だから樹はもうしばらく、ここでゆったりしといてね」
ぽんぽんと頭を撫でられて、翼はよいしょと立ち上がる。今の小さい翼に頭を撫でられると、なんだか変な感じだな。
翼は両足に力をいれる。そうしてとんと地面を蹴ると、その体はふんわりと空を舞い、大きく割れた石の床を通り越す。軽い着地の足音は、ローブの人たちや金髪少女のざわめきで聞こえないほど静かだった。
翼の勘の良さは魔力コントロールにもいかされているらしい。僕はかなり苦戦した。それを軽々とやってしまえるのが翼らしくて、僕は眩しいなとその後ろ姿を眺めた。
正直言って、良くない兆候だと思った。僕は確かに気づいてた。
けれども僕は卑怯だから、いい気味だと思ったのだ。