捌 ~ そうだ、京都へ行こう ~
日本庭園てなんかいいですよね。
自分の長湯に付き合うことになったヨリは、すっかりのぼせてしまった。気づくのが早かったため、深刻な状態ではないと思うけど、色々と考慮できていなかったことが悔やまれる。ヨリの立場上、自らの意思で湯から上がるという選択ができるわけ無いのだから、ちゃんと様子は見ておかないと。
茹蛸のように全身が赤くなってしまったヨリを、小脇に抱えるように浴場を出て、脱衣場に戻ってきた。空調の利いた涼しい空気に包まれたヨリは、体温の低下とともに、脱力状態からの回復を見せはじめる。この分なら大事ないようなので、辛いときは先に上がるよう言い含めておく。初めは、あまり納得していなかったけれど、現状を鑑みた彼女は、素直に注意を聞き入れてくれた。
ややって、完全回復を遂げた彼女を洗面台まで連れて行き、髪を乾かすために籐製の丸椅子へ座らせる。洗面台奥の壁はすべて鏡になっているため、背後の脱衣場を見晴らすことができて解放感があった。これは良い環境設計だと思う。
「えへへぇ~。大きな鏡で御座いまふねぇ~」
まだ残るのぼせに上半身を揺らしながら、ヨリは大きな鏡に感嘆の声を漏らす。
「そだね~。これはちょっと見ない大きさだね。にしてもヨリちゃん真っ赤だね。大丈夫?」
「はい……なんとかだいじょうぶでふ」
右手で手うちわをパタパタしながら、ヨリは言うほど大丈夫ではない調子で脱力している。なかなか冷めないようなので、何かいい手はないものかと思い脱衣場を見回すと、部屋の中程に並ぶ棚の間に、スリムな縦長の扇風機があることに気づく。
これ幸いと扇風機を確保し、電源を投入しながらヨリの横へ設置した。ここの壁には、そこかしこにコンセントが付いているので助かる。木目調の化粧が施されたスリム扇は、機械音を出さず、風量を強めてもほとんど風切り音が出ない。こんな家電見たことないな。どこで売ってんだか。
「ふぁ。世の中には便利なものがあるので御座いますね~」
鏡越しに成り行きを見ていたヨリは、余程風が心地良いのか、呆けたようにのんきな言葉を返した。
「便利だよね~。しかもなんか異様に静かだし……」
「なにか御懸念がおありなのですか?」
「懸念て言うほどのものでもないんだけど、ちょっとあれって思ったもんでね。まあ気にしなくても大丈夫で~す」
「左様で御座いますかぁ」
ゆらゆらの振れ幅は収束しつつあるものの、本調子となるまでには、まだ時間を要するようだ。
雑談をしながら、手近にあった脱衣籠のバスタオルを取り出す。それを自分の腰に巻いてあるハンドタオルと取り換えてから、ヨリの元へ戻る。
彼女が頭に巻いている鉢巻き状のタオルを解いて、後頭部から包むように新しいバスタオルを当て、髪の水分を丁寧に移し取る。ヨリの大事な髪を乱暴に扱うわけにはいかないので、ここは慎重に作業しなければ。
「はぅあ~。お手数をおかけいたしまして申し訳ございません~っ」
あらこの子また恐縮してる。ええんじゃよ、おじさん好きでやってんだから。
「ううん、全然申し訳なくないよ~。それにこういう場合はありがとうだよ?」
「はっ、左様で御座いますね。ありがとう御座います……神様」
あ~かわいい。あ~。
「いいんやで」
「……やで?」
「せやで」
似非関西弁を炸裂させる神おじは、タオルを忙しく動かして、横や前髪の水分を念入りに拭き取ってゆく。長い髪を拭く場合は、先端の部分から拭いてもすぐに上の方から水がおりてきてしまう。なので、そちらはタオルで包む程度にとどめ、頭頂部に近いところから先に対処してゆくと効率がいい。
髪を拭いている最中、ヨリの細い項を見ると、きゅっとへこんだ盆の窪が目に入り、小さかった頃の姪の姿を被せてしまう。まだ姪が幼かった頃は、よく一緒に風呂に入っては、こうして髪を乾かしたものだった。
「懐かしい……」
かつての情景を思い出していると、感想が自然と口をつく。今頃あの子は何をしているのかな。もしかすると、だらしない生活態度を妹に咎められているかもしれない。両親も孫には甘いし、一人っ子だからマイペースだしなあ。
「懐かしい、で御座いますか?」
「ああ、うん。家では姪ともよくお風呂に入っていたからさ」
「そうなので御座いますね……」
まだ呆け気味の彼女は、自分の話す家族との思い出話に、少しだけ表情を曇らせる。いや、自分が寂しさを感じているため、そう見えただけかもしれない。はっきりと自覚したのはここへ来てからだけど、おじさんこう見えて意外と寂しがり屋みたいだし。
「神様、やはりお帰りになりたいですか?」
ふと、彼の女の発したストレートな質問にドキッとさせられる。自分の気持ちはとうに見透かされていたようで、悲しげな顔をしたのも気のせいではなかった。人の気持ちを汲むのが上手いなこの子は。
彼女が供物に選ばれた理由には、そういった部分も含まれるのだろうか。最早供物って話自体怪しいんだけど、そこは保留しておこう。多分だけど、根本的な問題が解決すれば、些細な疑念もまるっと解消するだろうし。
「んー、まぁ……そうしたいのはやまやまだけどねぇ」
「そう……ですか。お帰りになられる際は、私もお供してよろしいでしょうか……?」
鏡に映ったヨリの表情は、不安に満ちていた。それは当然だ。ここで何もかもを放り出して、自分だけが帰ってしまえば、この子は自身の存在意義を失うことになるのだ。しきたりでは、この子も神に連れ去られるそうだから、そう言った覚悟もあるにはあるのだろう。
そもそも、その意味不明なしきたりとやらに腹が立つ。こんな子供を振り回して悲しい顔をさせやがって。ほんとに何なんだよここは。
たとえ彼女を日本へ連れて帰ることになるとしても、自分に異論はない。あるわけがない。ヨリのようないい子をこんなところに放置してたまるか。むしろ積極的にお持ち帰りしたいくらいだ。怒られたって持って帰る。けれど、人一人の人生を預かるには、重大な責任が伴うわけで……。情だけで生きて行けるほど現実は甘くないし、現代日本の社会システムも、主に法的な面で障害となるだろう。
そういったことが難しいのは、日本だけに限らず、地球上にあるほとんどの国が、そうであるはずだ。突然現れた素性のわからない人間に国籍をあたえ、社会に組み込むというのは、容易な事ではない。それでも、もし仮にそうなった場合、自分は命がけで彼女に対する責務を果たそうとするだろう。これは断言する。
沈痛な面持ちで俯くヨリの姿を、鏡越しに見る形となったこの構図には、皮肉にも社会的立場という隔たりを、まじまじと見せ付けられているように思える。ま、これは今の心理状況がそうさせているんだろう。いかんいかん。いかんな、ネガティブシンキングは。何でもかんでも暗い方にベクトルが向いちゃって。
「そうだね。その時は絶対に連れて行くよ。神様は初めからそのつもりだし~、ヨリちゃんが嫌だって言ってもお構いなしでねっ!」
重たくなってしまった空気をごまかすために、ヨリの頭をちょっとだけ乱暴に拭く。いやだめだよ女の子の髪をそんな粗雑にしたら。この人攫い予備軍め。
「あわわわわ」
「くだらねぇこと心配するねぃ! まるっと引き受けてやっからよぅ!」
なぜか唐突な江戸っ子。
鏡の手前と向こうでは、共におっさんと少女がじゃれあい、仲良く笑っている。考えることや、やらなければならないことが山ほどあるのは、今いるこの場所だろうと母国だろうと、きっとそう変わりはしない。ならば今は、この子ができるだけ笑顔でいられるように尽力して、問題の解決に勤しもう。
そろそろ髪も良い頃合なので、寄せておいたドライヤーを手に取り、ヨリへ声をかける。いきなり耳元で騒音がしだしたら、彼女も驚いてしまうだろうし。何かと怯えやすいヨリに対する配慮は、挨拶の次くらいに大事なことだ。
「これからちょいとうるさくなるけど、心配しないでね」
「あ、はい。がんばります!」
両手のグーを胸の前でそろえて神妙な面持ちで構えるヨリは、どこをどう見てもかわいい。
腕を伸ばし、なるべく離れた位置でドライヤーの電源を入れてから、ゆっくりとヨリへ近づけてゆく。温風を浴びたヨリは、早速首をすくめ、肩にも力が入った。髪の下の方から、全体が程よくばらけるように温風を当て、表面積を稼ぐようにして水分を飛ばしてゆく。すると、ほどなくしなやかで細い少女の髪は軽くなり、ドライヤーと扇風機の風になびいてふわりと舞い上がる。
四、五分くらいで全体がしっとりする程度まで乾いてきたため、ドライヤーのブローを止め、後ろの髪をブラッシングで整える。それからヨリが普段使っている髪紐を、櫛とブラシの乗ったトレーと共に彼女の手元へ置いた。
高密度に織られ、光沢を湛えるヨリの髪紐は、まるで絹製のように軽やかで、自分でも初めて目にする素材だった。真の江戸時代ならば、こういった装飾品も当時の庶民では持ちえない高級品なのかもしれない。時代設定にそぐわず、こういった端々で緩い部分には、首謀者のガバガバぶりがにじみ出ている気がしてならない。誰かいるんだろう、裏で糸を引いている奴が。
「裏で糸を引いてる奴とか。実生活じゃ絶対使わなそう……」
「なんで御座いますか?」
いけねえ口に出てた。おじさんになると独り言も増えるそうな。
「あいや何でもございません。さてと、ヨリ姫様。あとはご自身でお願いいたします」
「ひ、姫ぇっ!?」
「女の子は皆お姫様なのだぜ。ふふふ」
はしゃぐヨリの姿に癒しを得て、晴れ晴れしい気分になったおじさんも、自分の髪へドライヤーをかける。
手櫛でバサバサと髪をかき回し、温風にさらして乾燥を促すと、抜けた髪が洗面台にはらはらと落下して行った。なにか危機感のようなものを覚えた自分は、無言でドライヤーを止め、散っていったそれをまじまじと見る。割と気になるお年頃。手鏡を使った合わせ鏡で、入念に頭部のチェックを行う神様には、きっと哀愁が漂っていることだろう。
穴が開くほど頭部を見回し、特に問題ないことを確認できたおじさんは、大きなため息をつく。髪が気になる神様の隣には、櫛で丁寧に髪を梳くヨリの姿がある。彼女は少し心配そうにこちらを見ていた。
「うん、まだ全然大丈夫だぜ」
爽やかな笑顔と共に、サムズアップをヨリに向ける。状況が呑み込めない彼女は、髪紐を口にくわえてきょとんとなっていた。
やがて髪を結い終えたヨリが、床や流しに落ちた長短両方の髪をひろい集め、どこに捨てればいいかたずねてくる。そこで覗き込んだ洗面台の下には慣例通りごみ箱があったので、そこへ入れればいいことを教えてあげた。
脱衣籠の前へ行き、また入浴前のようにバスタオルを広げて先にヨリを着替えさせる。ふと籠の方をのぞいてみれば、彼女の着物と自分のシャツとなどが、クリーニングでもされたようにぴしっとおりたたまれた状態で、透明なビニール袋へ収められているのに気づく。ヨリが浴衣を羽織り終えたことで、タオルを広げる手が空いたため、自分のパンツが入った袋を開けて中を確認する。パンツからは、ほんのり柔軟剤のような香りがしており、明らかに洗濯されていることがわかる。なにこのサービス怖い。
「ほげぇ」
ここでも理解が追い付かなくなった自分は、つい変な声を出してしまう。
「ほげ?」
浴衣姿になったヨリが聞き返してきたので、パンツを広げたまま彼女へと向き直る。
「洗濯されてる……」
「ええーっ!?」
ヨリは、またかわいく『えーっ』と言った。
盛大に驚いたヨリは、自分がもっているパンツの裏側へ手のひらを当て、大胆にも手鏡のようにして匂いを嗅ぎはじめる。何ということだ。これではまるきり少女に自分の下着の臭いを嗅がせて喜び勇む下劣な変態野郎ではないか。はいお巡りさん私がやりました。
「これは……いたたまれないな」
混沌とした絵面を前に、さしものおじさんもドン引きだ。
「本当! いい匂いがします!」
この世の終わりだろうか。正直もう駄目だと思った。
気まずいおじさんはパンツを取り上げ、彼女の軽率な行動を窘める。だが、そんなことはどこ吹く風というように、ヨリも取り出した自分の着物の匂いを嗅いで、「私のも~」と喜んでいた。そりゃものすごくかわいいんですけど、おじさん複雑だよ。
「えへへ。神様とおそろいの匂いがしますね~」
ご満悦といった様子で向けられたヨリの笑顔は、輝くほどに眩しかった。一人慌てているのがばかばかしくなるほどに。でもさ、おじさんのパンツと同じ匂いのする着物っていうのも、ちょっと複雑な気がしませんか。
着慣れたTシャツとパンツを身に着けて、その上から浴衣を着込むと、ヨリが「良くお似合いですよ」と、こぼれるような笑みで褒めてくれる。キモイ照れ顔を向けながら彼女へ謝辞を述べ、共に脱衣場を出る。ここへ来てドタバタの二日目だが、一日ぶりに風呂に入ることができたので、身も心もリフレッシュされた。あ、ヨリが常にかわいいから、心の方はずっとリフレッシュ状態か。
脱衣場の出口は、長い廊下の途中に面しているため、来た方とは反対にも通路が伸びている。よく見ると、その先には“休憩室”と書かれた行灯看板が置かれており、おじさんは気になってしまう。となれば行くしかないでしょう。
休憩室前までの廊下には畳が敷き詰められているが、室内はフローリングとなっていて、足元には大小のスリッパが二足並んで置かれている。ざっと見まわした室内は、大きな病院の待合室ほどの広さがあった。スリッパをはいて中に入ると、室内は別の空調が効いており、湿度の低い空気のおかげで、火照った体から汗が引いてゆくのを感じる。
入口から見える対面は、しっかりとした木枠に嵌った大きなガラスの引き戸になっていて、外には見事な日本庭園の景色が広がる。引き戸のすぐ外側は、幅の広い濡れ縁になっていた。濡れ縁の床板は縦に張られていて、継ぎ目に設けられた五ミリほどの隙間のおかげで、雨水が溜まりにくい構造だ。この社は岩窟の内部に作られているのだし、雨の心配はないと思うけど。それにしても、岩窟の中に日本庭園とは……。あるいは岩屋の奥の方は、中庭のように繰り抜かれでもしているのか。甚だ謎である。
庭園の通路には玉砂利が敷かれ、飛び石も埋め込まれている。通路周囲の盛り土には、場所によって異なる種類の木が植えてあり、季節に合わせて趣に変化が出るよう工夫がなされているようだ。ヨリの話では、四季の概念すらない様子だったにもかかわらずである。
しかし、それらの疑問などは些細なものだった。ありえないことに、上空には当然のように青空が広がり、雲さえ流れているのだ。白い玉砂利の中に、無数の飛び石が点々と奥へと続く通路と、植樹の連なりに目を奪われ、誘われるように庭へ降りようとしてしまう。だがそこで、玄関にあった看板と同じものが目に入り、足を止めた。
“雪駄をご利用ください”
足元の小さな立て看板には、達筆な毛筆体でそう記されている。そりゃあそうだよね。
「あ~……」
今朝方部屋に置かれていた雪駄の意味は、ここういうところを散策するための物だったようだ。
庭園の広さにばかり気を取られていたが、よく見れば濡れ縁自体も左右へ長く伸びている。左手方向は、壁の終わりと共に途切れていたが、右手方向は、百メートルくらい先で更に右へ折れているようにみえる。もうここが外なのか、あるいは建物の中なのか判断がつかない。謎が過ぎる状況におじさんは頭を抱える。
そんなとき、室内のヨリからお呼びがかかる。返事を返して室内へ戻り、ヨリの元へ行くと、彼女は興奮気味に目の前の冷蔵棚を指さしていた。
「はいなんじゃらほい?」
「神様、この色とりどりの物はなんでしょうか?」
ヨリが指示していたのは、コンビニにあるような飲料が並ぶ壁内冷蔵庫だった。よく見れば、ペットボトルの隙間からバックヤードも見え、在庫の箱が積まれているのがわかる。
ヨリの目線に合わせるように置かれた大量のジュースは、思惑通りというように、彼女の目を釘付けにしていた。加えて、左端のガラス面には張り紙がしてあり、休憩所を使用するにあたっての注意書きが掲示されている。
“平素は、当旅館おやしろ(さき島本館)をお引き立てにあずかりまして、誠にありがとうございます。休憩室の各設備、及び飲食物等はすべて無料サービスとなっておりますので、二十四時間いつでも自由にご利用いただけます。また、飲食の際に出たごみは、備え付けのごみ箱へお願いいたします。環境美化にご協力いただき誠にありがとうございます。尚、外からの飲食物の持ち込み等はご遠慮――”
云々。なじみのある文言を記した紙を、簡易パウチで保護した掲示物である。おじさん疲れちゃうなあ……。
「あーあ。とうとう旅館て言っちゃったよ……。なんだよこれふざけてるの? 人様をこんな所に拉致して来て。さんざん翻弄した挙句至れり尽くせりか!」
怒っているのか喜んでいるのか。はたまた笑いながら怒る人か。頭がおかしくなりそうだが、まあいいだろう。最後まで付き合う覚悟はできているんだし。とことんやってやろうじゃないか。
「神様?」
おかしな貼り紙の前でぶつぶつ言いながら、のけぞったり地団駄を踏んだりして暴れていたら、ヨリから心配のお声掛けをいただく。少し取り乱してしまったが、暴れたくもなるでしょこんなの。
「だ、大丈夫大丈夫。なんとなく運動がしたかっただけだから……。それと、これだったね。これはねえ、飲み物だね~」
「飲み物で御座いますか?」
ヨリは、カラフルな液体の詰まった透明な容器を、怪訝な様子で眺める。自分は冷蔵庫の扉を開けて、彼女の目の前にあった、瓶のオレンジジュースをひとつ手に取る。このまま渡そうと思ったが、恐らく開封に手こずってしまうだろうから、キャップを開けてから手渡した。
「その濃さがウェノレチ」
ウェノレチの百パーセントジュースはとても美味しい。お子様にもお勧めだ。
「あの……。よろしいのでしょうか?」
「どうぞどうぞ。なんかみんなタダみたいだし、多分一通り一口飲んで捨てても怒られないよ」
おじさんは悪い顔をしてあまりにもあんまりなことを言っちゃう。だってなんか腹立たしいんだもん。
「そ、そのようなことをしてはいけません! もったいのう御座います!」
当然、ヨリには諫められてしまった。ええ、ごもっともです。
「そうだよね。もったいないよね。ヨリちゃん偉い! 賢い!」
しっかり者でかわいい彼女の頭をくりくりと撫でまわす。常に撫でていたいこの手触り。
棚の商品配置を見ると、低い場所に清涼飲料が集中して置かれているが、ヨリの手が届かない高い位置には、様々なアルコール類が陳列されている。なんかもう、何だろうねコレ。
「こういう配慮はできるのに他が色々とおかしいだろ。あと俺は殆ど酒は飲まないのに」
毒づきながら下の方に目を移し、カロリーゼロのコーラを取る。大体ヨリとふたりしかいないのに、酒なんか飲めませんよ。こちとらある程度責任てもんがあるだい。
飲料棚の右隣には、サンドイッチなどが並ぶ冷蔵棚があって、そこにもぎっしり食べ物が置かれていた。飲食物の種類と、それらに印字されたロゴやパッケージに貼付されているシール類もすべて、日本国内で見かけるものばかりだ。更に背後には、大きなガラスシールドがついたアイスケースとスナック類の棚があり、休憩室というよりもコンビニの様相である。そう言えば、昨日から何も食べてないのに、不思議と今は食欲がない。喉は渇くのに。
入口から見た右手の壁際は、自販機スペースのようで、缶ジュースやらの入った自販機が二台ある。その向こう側には隣室への出入り口があって、また別のスペースが割り当てられているようだ。
出入口を越えた先にも自販機が数台並べられ、即席の冷食うどんやバーガーなどが提供されている。こちら側だけを見れば、ちょっとしたオートスナック状態だ。また、当然のように、各自販機の購入ボタンは赤く点灯しており、料金を支払わずとも利用が可能だ。ほかにも、ソファーやテーブル、マッサージチェア、各種瓶牛乳の入った四面ガラスの冷蔵庫。さらにお茶やコーヒーのディスペンサーと、とにかく何でも置いてある場所だ。
気になる隣の部屋だが、なんとそこはゲームコーナーになっていた。いや、規模的にいえばゲームセンターと呼ぶにふさわしい。入り口から見える範囲だけでも、プライズ、写真シール機、メダル機、ビデオゲームなどの姿が確認できる。
「うわ~、うわあどうしよう……。すんごく入りたい」
途端にそわそわしだすゲーム好きおじさん。
目の前に広がる光景に嘆息すると同時に、年甲斐もなく気持ちが逸りはじめる。気付けばおじさんは、小学生時分に戻ったような、ドキドキワクワクな気分になっていた。しかし、そんな気持ちをぐっと堪えて踵を返す。今はこんなことをしている場合ではなく、社をもっと調べないといけないのだ。
それだけではない。地球への帰還を果たすため、今後しばらくは島全体の調査に明け暮れることになるだろう。それがどのくらいの期間に上るのか、想像もつかない。そんな状態でゲームなどしている場合ではないのだ。
ゲーセンの誘惑に後ろ髪をひかれ過ぎて、後頭部が禿げてしまいそうになるも、なんとか高ぶる気持ちをねじ伏せ、ヨリと連れ立ち休憩室を後にする。このさき自分たちがどうなるのか、全く予想がつかないため、ゲーセンを利用できる機会があるかどうかも分からない。それでも、できることなら一度くらいは遊びたく思う。いや一度といわず二度三度。四度五度――いやもっといっぱい遊びたい。むしろ店員をやってもいい。昔取った杵柄だからな。