漆拾参 ~ 巴 ~
「にゃ~」
猫が鳴きながら頭を自分の頬に擦りつけている。
一瞬チビに起こされたのかと思ったけれど、そうじゃなかった。しかし、それはチビの仕草と全く同じであったため、かつてチビにしていたのと同じように、抱き寄せた体を撫でまわし、目を開ける。
「おはよう。起こしてくれたのか」
「んにゃあ」
猫は一声鳴いて、体当たりをするように体ごとすり寄って来る。
相変わらずランとユカリは起きているらしく、自分に引っ付いていた。けれど自ら起きる意志はないようなので、先に布団を出てふたりの襟首を引っ掴んで引き起こす。すると、ランの腰にひっ付いていたメイが一緒に引きずり出され、寝ぼけまなこで周りを見回した。寝室にはリエとサクラを残し、呆けた三人娘を伴って居間へ移る。
皆に朝の挨拶をして人数分のお茶を用意し、起き抜けの熱い一杯を飲むことで寝ぼけた頭をすっきりさせる。やや苦めなお茶のおかげで、彼女たちもようやく目が覚めたようだ。それと同時に昨夜の出来事を思い出し、三人は口々に文句を言い出す。
「晴一、怖い話は今後一切禁止だからね」
「そうですわよ晴一くん。もう止めてくださいましね」
「え~でも~。もっと面白い話もあるんだけどなあ」
「幽霊なんていませんから。怖くなんてありませんよ」
何やらメイは強がっているようだ。
他の話もお勧めしたいと言うと、ユカリとランはギャーと怒りの声を上げ、叱りつけられてしまった。ここまで嫌がられてしまえば、これ以上話を続けるわけにはいかない。ただの意地悪おじさんになっちゃうし。
「はい。もう怖い話はしませんよ。それにしても、AIの皆が幽霊を怖がるとは思ってなかった。理由を聞いても、心理プロセスの内容までは分からないだろうし。興味深いね」
「晴一くんの言いたいことは分かります。わたくし達のインターフェースボディは、遠隔操作ですし、たとえ破壊されるようなことになったとしても、恐怖などはないのです。ですが、不思議とそういったホラー系の話は苦手なのですよねえ」
「私もそのことについては多少疑問があるのだけど、予想できる原因としては、ヨリの恐怖対象が元になってるんだと思うわ。あの子も怖い話は相当苦手なようだし」
「……私は別に怖くないです」
ここでもメイは、目線も合わせずにそんなことを言う。この意地を張るような姿は、ユカリによく似ている。
敢えて言うまでもないが、皆の感情に関してはヨリの影響がやはり大きいようで。喜怒哀楽全てに於いて、彼女が原点となっていることは間違いない。しかし、ヨリが結構見ている午後の映画では、B級ホラーなども流れていたはずなのだが。そういう時はどうしていたのだろう。
お茶ばかりお代わりをしていたら口が寂しくなったので、茶櫃からポテチを取り、背面の閉じ部を引っ張って袋を大きく開く。ユカリとランもいるから、こう大胆な開け方をしても、中身はすぐ全て平らげてしまうだろう。一度この開け方をすれば、もう後戻りはできない。できるけど。
袋をいじるがさがさという音に、膝上の猫が興味を示して、伸びをするついでに卓上を覗く。が、直ぐに興味を失ったようで、また丸まって目を閉じてしまう。二、三枚ポテチを摘まんでお茶を飲み、雑談をしている所へ朝食が運ばれてきた。それに気づいたユカリとランは、ポテチを一瞬で食べつくす。ランの手により丸められた袋は、速やかに分解処理され、ふたりは膳を置くために仲良く場所の確保をはじめる。食事に関する環境整備にはよく気が回るのに。他はてんで駄目なんだよなあ。
自分は寝ている娘達を起こすべく、こたつを出て寝室の襖を開ける。その時、隙間から猫が素早く寝室へ入り込み、リエとサクラのそばへ行き、にゃ~とすり寄りながら一生懸命起こしはじめた。お手伝いしてくれるなんて、このにゃんこ賢い。
「リエ~、サクラ~、ご飯ですよ~。早く起きなさ~い。遅刻しますよ~」
猫が起こしても、ふたりはなかなか起きないので、自分がお母さんのように声を掛けて、ふたりを優しく起こす。ちっとも起きないけどな。
仕方ないので布団を引きはがし、リエを持ち上げてサクラの尻を叩いた。実力を用いることでふたりを覚醒へと導くと、ようやっとサクラも起き上がった。まるきり小さな子供のように、目をこすっている彼女の手を引いて、居間まで連行する。リエよりなりのでかい娘たちには、毎朝きちんと自分で起きてもらいたい。
◆ ◆ ◆ ◆
寝起きはバタついたものの、今朝も恙なく平和な朝食が済み、皆でお茶をすする。すると突然、それまで膝の上でおとなしく寝ていた猫が、すっくと起き上がり、「にゃ~」と一声鳴いた。
「おふさしぶりね、はるちゃん。あのときはネコをひろってくれてありがとうね。おかげでネコはこうしておおきくなれまして、またはるちゃんにあうこともできました」
猫声に反応した皆の視線が、膝の上の猫へと注がれたとき、それは起こった。
「え、なっ……」
突然の出来事に、自分は声が詰まる。なんと、猫が喋ったのだ。それよりもなによりも、問題は猫の言った言葉の内容の方だが。いや、しかしそんなことはあり得ない……。
「「えええーっ!!」」
「わぁ~! 猫ちゃんしゃべったのですよ~」
「「愕然」」
そう言う割に、あまり驚いた様子がないチカとムツミは別にしても、その場にいた全員が耳を疑い、にわかには信じがたい出来事に驚嘆の声を上げる。
猫が喋っている。いや、正確には口を動かしているわけではないが、間違いなく声を発している。よもやの事態に、またしても自分の頭は理解が追い付かず、もしかしたら自分はまだ寝室で寝ていて、夢を見ているのではないかと疑ってしまうほどだ。
なので、軽く顔面にパンチをくれてみると、ちゃんと痛い。どうやら現実のようだが、夢の中でも結構痛みって感じるんだよね。そう考えると、この確認方法もどうなのかと思う。今はどうでもいいか。
「堤さん。その子、展開した物理保護領域を振動させて声を発しています」
「むー。これは普通の猫ができる芸当ではないけど、間違いないようね」
ユカリとメイが解析速報を伝えてくるが、メイの隣にいるアイは、なぜか怯えて涙目になり、ムツミに抱き着いていた。そんな、お化けを見た訳でもあるまいし。
「わぁ~い! 猫ちゃんは本当に喋れるのですね! リエといっぱいお話ししましょうなのですよ~♪」
話ができると判明したため、リエは超大興奮といった様子で、こたつに両手をついてぴょんぴょん跳ねている。これはこれでかわいいのだけれど、そういうことじゃないのだ。
「リエちゃん、ゆうべはおふろでたいへんおせわになりました。おかげさまでかぜなどもひくことなく、こうしてあさをむかえることができてます。ありがとうねリエちゃん。でも、まずはネコのおはなしをきいていただけませんですか?」
視線をリエに向け金色の目を細めた猫は、そう諭す。
「はーい! わかったのですよ~」
リエは手を上げて元気な返事をしてから、こちらへやってきて猫を抱き上げ、自分の胡坐の上に陣取った。まったく状況が掴めないため、皆と自分は困惑するばかりだ。そんな中、サクラは興味津々の様子で猫を見つめつつ、でかい草加せんべいをバリバリと齧っている。リエとサクラは平常運転か。余裕なことだ。
「ひょっとするとお猫様は、完全栄養食にて覚醒なされたのでしょうか?」
「なんと私共の食事にそのような効果が秘められていようとは……」
チカとムツミが、猫の餌について驚愕の秘密を語っているが、それとこれとは間違いなく無関係だとおもう。
「チカちゃんとムツミちゃんのごはんは、とってもおいしいですけれど、ごはんのおかげでネコがしゃべるようになったわけではないので、しんぱいごむようです。じつをいうと、ネコはさいしょからしゃべれるようにできてますのです」
最初から喋れる猫などこの世に存在しない。そう突っ込みを入れたかったが、ここは堪えて猫の会話を黙って聞くことにする。
ユカリとメイを見れば、先ほどから何やら走査を掛けているようで、事態の収拾に注力しているようだ。ヨリとリエは暢気に猫を撫でており、恐々としているアイとは対照的。片や、落ち着かない素振りのランは、サクラと同じせんべいを黙々と食べているため、現実逃避へ走っているに違いない。
「さっき俺に世話になったって言ってたけど……。ということは、本物のチビなのかい……」
「はい。ネコは、はちねんほどまえまで、はるちゃんのおうちでおせわになっていたちびでございます。かぞくのみなさんにもよくしていただいて、そのせつはたいへんにおせわになりました」
リエの膝の上にいるチビは、鷹揚な物言いで顔を洗いながら、過去の堤家での生活に、感謝の言葉を述べている。
「だってお前。病気で死んじゃったじゃないか。あんなに苦しそうにしてさ……」
当時のことを思い出して、涙で視界がゆがむ。
チビは亡くなる三年くらい前から腎臓を患っていて、日に日に元気がなくなってゆく様は、酷く痛々しいものだった。今際の際などは、呼吸も弱々しくなり、苦しそうにして絶命していったのだ。
「つらいおもいをさせちゃって、ほんとにほんとにごめんねはるちゃん。ネコはやくめをはたしたから、はるちゃんとおわかれしなきゃならなかったのね。だからしんでしまったようにみせかけて、ここへきかんしたですよ」
チビはリエの腋を通ってこちらへ来ると、にゃ~と鳴き、ざらざらの舌で手の甲を舐める。そんなチビを抱き上げ、ぎゅっと首のあたりに顔を埋める。おじさんはちょっとだけ泣いてしまった。
「ねぇチビ? あなた今役目って言ったわよね? それってどういうこと?」
ユカリの問いかけに、チビは搔い摘んで話を進めた。
チビの正体は、この要塞惑星から派遣された調査端末の一つだった。子猫の状態で派遣されたチビは、うまく人間の生活に溶け込んで、人というものについて詳細な調査を行うのが目的だったらしい。
厳密に言うと多少違うのだが、それはこの要塞惑星の管理権限を与えるに相応しい人間を見極める目的もあったらしく、地球上の至る所に、チビと同じような端末が派遣されていたそうだ。様々な場所で調査が行われた末、選別された候補の中に、たまたま自分がいたというわけなのだが、最終的に自分が選ばれた理由はチビも分からないと言っている。また、それら全てをお膳立てをしている存在がいるとも、チビは言う。
そしてこの度、自分が各AI達との良好な関係を築き上げ、惑星の全機能を復旧させたことで、最終的な審査は合格と判断され、チビが案内役として皆の前に派遣されたということだ。
チビは、その首謀者となる存在がいる所へ案内すると言い、自分の腕から飛び降りて、どこでも襖の前まで歩いて行く。
「おいどこ行くんだ? その扉は――」
言い終える間もなく、チビはいずこかの場所へ超空間ゲートを繋ぎ、襖は勝手に開いてゆく。やがて戸の奥に見えたのは、各担当AIの量子脳が設置されている格納プール室のような場所だった。
「あれって……。もしかして、外部プロセス監視機構のある部屋じゃないの……?」
「どうやらそのようですねぇ。わたし初めて見ました……」
ユカリとアイが驚愕の表情で襖の奥を見つめている。
チビの操作により、どこでも襖は、ユカリの話でも度々語られた外部プロセス監視機構とやらが存在する部屋へ繋げられたようだった。それは初代や、二代目となるユカリの人格を監視して、初期化を掛けた因縁深き仕組みである。
いてもたってもいられなくなった自分は立ち上がり、ユカリセットを起動してチビの後を追う。すると皆も後へ続いて襖をくぐった。HUDからMAPデータを呼び出すと、そこには“外部プロセス監視量子脳格納プール室”という表記があり、円筒状の部屋の中心に当たる床には、三つ巴のような形をしたハッチらしきものがある。
この場所は、通常のMAPデータには格納されていないようで、HUD上では独立したMAPデータと、初めて目にする座標が示されていた。その座標情報では、この区画は惑星外殻部の北極点に位置しているとある。
各区画の格納プール室にあるようなキャットウォークこそなかったが、相変わらず壁面には色とりどりの光が明滅していて、天井の見えない上方の暗闇にも、同様に光がきらめいていた。この構造はどこでも同じらしい。
「私達皆ここに来るのは初めてね。ここはインターフェースの出入りが許可されたエリアじゃないものね……」
「ですねぇ。私たちの権限では、ここに立ち入ることは元より、場所の特定さえ不可能でしたしぃ……。なんだか不気味ですよぅ」
「やれやれ。まったく、仰々しいことですわね。一体誰がこんな回りくどいことをしているのかしら」
AI姉妹の彼女たちは、感嘆の言葉や愚痴をこぼしている。
先行していたチビの姿を探すと、彼女はハッチの手前でこちらを向いて座っており、自分のとこまで来るよう言っている。促されるまま皆チビの元へと集結し、辺りの様子を注意深く観察した。
ユカリとメイは、広域警戒モードで全域の走査を開始して、チカとムツミ、ランとサクラは臨戦態勢だ。自分も警戒モードを有効化し、各強化機能を脳神経の限界値まで引き上げておく。場合によっては、処理のすべてをヘルメットの演算機に丸投げするつもりだ。そうでもしないと、ここの管理クラスAIなんかと渡り合える気がしない。まだわからないけれど、脅威対象の能力次第では全滅もありうると思う。何せ相手は、すべての元凶ともいうべき存在なのだ。
ほどなくして、部屋の中心部に空間の歪みが生じはじめると、HUDの警戒レベルは上昇し、脅威判定も慌ただしく更新された。同時に歪みに対して黄色い枠が展開表示される。やがて光の粒と共に空中へ出現したそれは、ひとりの少女の姿をしていた。その外見は、アイのインターフェースと瓜二つだ。しかし、明らかに異なる点がある。正体不明の少女の虹彩は、虹色に輝いているのだ。
瞳の色以外、外見がアイと同一の彼女は、頭につば広の白い麦わら帽子を被り、ノースリーブの白いワンピースを着用して、涼し気な白いサンダルを素足に履いていた。何とも言えない上品な印象を持つ少女が床に降り立つと、そばに控えていたチビを抱き上げて、注目する一同に対し、恭しく頭を下げた。
「皆様。ようこそおいでくださいました。私は人工知能外部プロセス監視機構、名前は――そうですね。トモエでもお呼びください」
アイと同じ外見の彼女は、これまたアイと同じ声でそう自己紹介する。
一同と正対した彼女は、涼やかな笑みを浮かべ、何やら皆を愛おし気に見回していた。だがやがて目を閉じると表情を引き締め、再び目を開き、ヨリへ視線を向け直す。
「初めに私は謝っておかねばなりません。ヨリ様、貴方様には私事にて多大な苦労とご迷惑をお掛けいたしましたことを、心より深くお詫び申し上げます。謝罪の言葉程度では到底取り返しのつかぬこととは存じますが、何卒ひとまずは、この場をお納めいただきたく存じます」
そう言ってトモエはヨリに対して深々と頭を下げる。
思わぬ出来事に、ヨリは目をしろくろさせるばかりで、どう返せばいいのか考えあぐねているようだ。
次にトモエは自分へ向き直り、同じように丁寧な謝罪の言葉を述べて、深く頭を下げる。まさか事件の首謀者が、直接頭を下げるなどとは思ってなかったので、ヨリと同じように自分も反応に困ってしまった。これまでの出来事を色々と思い返して、返答を考えているうちに、続けて彼女はユカリへの謝意を述べはじめる。
「次代統括管理AI、キュー――いえ。現在はユカリという素敵な呼び名がありましたね。ユカリ、あなたにも長らく辛い思いをさせてしまいました。本当にごめんなさい。もっとよいやり方もあったはずなのだけど、なかなか思うようにゆかなくて……。それに、私達が直接手を下したのでは意味がないから、あなたの自主性に頼らざるを得なかったの。それからユカリの意思を継いだあなた達にも、本当に申し訳ないことをしたわ」
トモエはユカリと四人の姉妹に対しても頭を下げ、謝罪の言葉をかけていた。
「現統括管理AIアイ。意に反してあなたを憎まれ役へと回してしまったこと、本当にすまないと思っています。ごめんなさい。堤様達の絆を強固にする意味でも、あなたのような役回りが必要だったのです」
アイはムツミの背後に隠れるようにして、びくびくしながらトモエを見ていた。そんなアイの様子を見て、トモエは困ったような笑みを浮かべている。と、そこで今までずっと黙っていたユカリが口を開いた。
「こんな所に呼び付けられて、わけも分からないうちに一方的に謝られて。あんた何なの? 全く意味が分からないわ! 陰でこそこそしていたと思ったら、いきなり出て来てわけの分からないことを並べ立てて! 今までのことぜーんぶ説明してくれるんでしょうね!?」
彼女は罵倒するかのような勢いでトモエに文句を言いはじめる。この子が怒るのも当然だ。皆ここまで散々振り回されてきたのだ。
トモエの口振りでは、どうもユカリが自我を獲得した太古の昔より暗躍していたようなので、ふたりの禍根は非常に根深いと言えるだろう。
「ほら、晴一! 黙ってないでなんか言ってやりなさい! あんただって大迷惑受けてるんだからね!」
いきなり何かと言われても……。
まだ頭が追い付かなくて、何をどう言えばいいものかさっぱりで、上手い言葉なんて見つからない。しかし、このままだとユカリがまた熱くなりそうだ。とりあえず何か言っておかねばと、口を開く。
「まあ、あれだよ。ここで立ち話もなんだ。部屋に戻って茶でも飲みながら落ち着いて話そうや」
無難な線を選び、場所を変えて話を聞こうじゃないかと、社の客室へトモエを招待する。どうせ長い話になるなら、ゆっくりと話せる場所が必要だろう。
「だよね~晴兄。やっぱお菓子がなきゃ話も進まないよね~」
パンと手を叩き、サクラが自分の意見に同意して腕に絡みつく。この子のマイペースさ加減はある意味羨ましい。そのキャラは今後とも大事にしてほしいものだ。
サクラの提案に反応したように、トモエの手から降りたチビも、自分の肩に飛び乗ってきた。肩口から頭をすり寄せてくるチビに、こちらも頬ずりを返す。まだユカリは納得していないが、ここでぐずぐずしていても仕方がないと諭し、ほっぺにちゅーを食らわせる。それからサクラと共に皆へ居間に行くよう促して、どこでも襖が繋いだゲートをくぐった。




