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漆拾弐 ~ 夜話怪奇考 ~

 チカとムツミが、猫のために用意してくれた食事は、蒸し鶏を中心に据え、昆布とジャガイモで和えたものだった。食欲を促す味付けと食べやすさ、腹持ちや歯磨き効果などを考慮して、試作されたものだということだ。事実かなり食いつきが良く、拳大の盛り付けを猫はぺろりと平らげてしまう。猫はこれが大層気に入ったようで、皿まで奇麗に舐めている。

 試しに同じものを少しもらうと、グルタミン酸とアミノ酸のうまみが凝縮されいて、鶏肉の風味とジャガイモが香る素晴らしいフードであることがわかった。まあ、塩気が無いから人の味覚としては美味しくない。にゅ~るとかなめた感じに近いねこりゃ。

 ふたりによると、ビタミンやミネラルも適度に配合しているそうで、完全栄養食となっている自信作だという。やはりチカとムツミの職人気質は素晴らしい。毎回、要求以上の質を満たしたサービスを提供しようとする熱い想いは、ペットの餌に対しても変わらないようだ。


「ふたりともありがとう。いつも忙しいのに、猫の飯まで手を抜かないなんて」

「「おもてなし」」


 自分がそうお礼を言うと、チカとムツミはふたりで左右の手を合わせ、一つのハート型を作った。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 腹も満たされたし、明日からの本格的な調査に備えるため、風呂に入ろうと思ったのだけれど。猫がずっと離れてくれず、仕方なく風呂場まで連れて行くことになる。チビも特に風呂を嫌がる猫ではなかったから、ここまで似ているならこいつも湯に浸かれそうな気もするし。

 自分は常々、羞恥心を持てと口を酸っぱくして言っているつもりなのだけど。辿り着いた脱衣場には、なぜか全裸の娘がふたりほどいた。今回の下手人はサクラとメイだ。

 性格的な印象から、サクラが全裸なのはまだ分かる気がする。だがメイはどうだろう。どう見てもお堅い委員長的なオーラを発しているのに、いきなりこんな無法を働くのはやや納得がいかない。そこで自分は、隣でこちらをガン見して鼻の穴を膨らませているランに、姉として指導を行うよう伝える。

 指示を受けたランは、ちょっと面倒そうに口を尖らせてふたりを捕まえに行き、独楽でも回すように素早くタオルをラッピングして戻ってくる。一瞬で任務をこなし、自慢げな笑みを見せる彼女の背中をよしよししてから、おじさんは猫を片手に浴場へ向かう。

 洗い場へ猫をおろすと、少し床の匂いを嗅いで浴槽の方へ歩いて行った。その足は、浴槽から溢れるかけ流しに洗われていたが、全く気にする様子はない。しばらく周囲を散策した猫は、やがて自分の方へ戻ってきて一声鳴いた。そこで、手近にあった洗面器にお湯を満たして置いてやると、洗面器の縁の匂いを嗅いでからゆっくりと中へ入り、やがてぺたんと底面にお腹を据えた。

 それにしてもこの風呂は相も変わらず寒すぎる。


「はる様、猫ちゃんもお風呂に入るのでございますか?」


 ランに頭を洗ってもらっているリエが、洗面器にみっちりと収まっている猫を見て言う。


「いや、どうなんだろうね。大多数の猫は水に濡れるのは好きじゃないかもしれないし、これは性格によるところが大きいと思うよ。猫それぞれって感じかな」

「晴一くんが飼っていた子はどうだったのですの?」

「うん。チビは風呂場へ連れて行けば入ったよ。率先して自分から入ることはあまりなかったけど」


 思い起こせば、今目の前にいるこの猫とほぼ同じような行動を、チビもとっていたと思う。

 やや温くなってきている洗面器の湯に、蛇口から新たに湯を足しつつ、お腹周りを撫でると、猫はゴロゴロと喉を鳴らして目を細めた。自分の方は、寒さに耐えかねていたため、洗い場にいる間はシャワーでお湯を浴びっぱなしだ。やっぱりいきなり体を洗うのは無茶だった。それでも、誤魔化し誤魔化しではあるが、何とか洗い終えた。

 足早に猫入り洗面器を持って浴槽へ行き、猫を縁に置く。毎度の刺激を我慢しながら慎重に体を沈め、湯舟へ寄り掛かかる。そうして頭が洗面器に近づくと、横に飛び出した髪の毛に猫がじゃれついて(かじ)り始めた。人心地ついたあたりで、他の皆も色々洗い終えて、寒いとこぼしつつ浴槽へ集結してくる。この子らは耐環境機能を切っているのだろうか。もしかしたら、あの極寒鍋ランチの時になにか知見が得られたのかもしれないな。

 そしてお定まりのように、自分の左右にはヨリとユカリが座り、真ん中にはリエが陣取って湯中の猫を撫でていた。リエはお湯の温度を小まめに確かめて、冷めてきたと感じれば、手桶を使って浴槽の湯を足すなどしている。そんな彼女の様子を見て、ふたりはいいコンビになりそうだなと思った。

 しかし、あまりにも頻繁に面倒を見いているものだから、リエの肩はすっかり冷え切り、彼女が湯に浸かるたびに、自分の胸にはひんやりとした感覚がやってくる。これは非常に気になるので、立とうとするリエの腰に腕を回して、少し大人しく温まるように促した。その後は、ちらちらと猫を見やりながらも言い付けを守り、肩まできちんと浸かってくれた。また隣からユカリが文句を言ってきたため、自分の元へ誘うと、赤面して断られてしまう。なんだよもう。遠慮しなくてもいいのに。

 じっくりと湯に浸かり、数分間無言の時が過ぎると、いよいよユカリの顔色が危険な赤みを帯びはじめる。意地を張りがちな彼女は、自分からは決して風呂を出ないため、今日ものぼせる前に声を掛けた方がいいだろう。


「そろそろヤバそうだし、動けなくなる前に出よう」

「うう、そうね……。もう、どうして私だけ」

「リエもいいかい?」

「はいですよ」


 動きの怪しいユカリが気がかりなため、ヨリへリエを預けて、ユカリの腋に手を回して浴槽を出る。そこで何となく猫にも出るぞと言うと、まるで言葉が理解できるように洗面器を出て、体を振って水を飛ばした。

 冬の露天風呂は寒すぎるから、ちょっと控えたい。そう心の中で言いながら、ユカリを小脇に抱えて脱衣場を目指す。早めに声を掛けたのが良かったのか、今回は出入り口をくぐった辺りでユカリが復活した。彼女を解放し、代わりに濡れてげっそりしてしまった猫を拾い上げ、バスタオルにくるむ。簀巻(すま)きのようになった猫を適当な椅子へのせると、タオルの中で早速毛づくろいをはじめた。

 自分も体や髪を拭いて着替えを終える頃、残りのメンバーも浴場から出て来た。ドライヤーを掛けて身支度も終わり、面倒を見てやらないといけない子はいないかと、脱衣場を見回す。けれど皆が上手くカバーしてくれているので、その必要はないようだ。

 タオルにくるんだ猫に、ドライヤーでもかけようかと思ったが、ランに髪を乾かしてもらっているリエが面倒を見ていたので、リエに任せて自分は先に部屋へ戻ることにした。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 一番に戻ってきたと思ったら、室内にはすでにチカとムツミの姿があった。いつものことだけど、このふたりは必ず誰かの先回りをして、何かと世話を焼いてくれる。

 こたつの上にはフルーツ牛乳が置かれており、それは丁度自分が飲みたいと思っていたものだった。多少動揺はしたものの、よく冷えたビンを手に取り、一応ふたりへ扱いをたずねる。

 当然のように礼を言って、これを飲んでも問題は無いだろう。けど、ここはやはり、大人としてうかがいはたてておくべきだ。


「お早いお戻りで。因みにこれは俺が飲んでいいのかな」

「どうぞお召し上がりくださいませ」

「先ほどご所望されておりましたので」

「あ、ありがとう……。ところで、ふたりは思考を読んでいたりするの?」


 もしかしたら、社システム経由で自分のイメージを読み取っているのかもしれないし。この際だから、対応力の秘密を探ってみよう。


「いいえ」

「これは」

「「機械学習。と、同じもので御座います」」


 チカとムツミは立ち上がり、その場でくるりと半回転して背中合わせになる。そうかと思えば、ふたりでこちらに手銃を伸ばし、ウインクをしながらパーンとそれを撃つようなジェスチャーをみせる。そして少し間をあけてから、いつもの無表情に戻り、静かに着席した。何だか分からないけどまあいいや。

 この子たちは、純粋に数学的な行動予測を立てて、最も確率の高い未来を選んでいるだけのようだ。思考などを読まずとも、超スペックを誇るこのふたりなら、その程度のことは容易(たやす)いのだろう。などと言うほど簡単ではないだろうけれど。

 ふたりにもらった瓶入りフルーツ牛乳の紙蓋を親指でワイルドにぶち抜き、ぐびぐびやっていたところへ、露天風呂から皆が戻ってくる。にこにこ顔のリエの腕には、すっかり乾いてフワフワになった猫が大人しく抱かれていた。

 皆も戻ったし、飲み終えた空ビンを座卓に置いて、バスルームへ行って歯を磨く。寝室へ向かうと、皆布団入りを果たしていた。おじさんは、芋虫が逆進するような動きで、真ん中の空いたスペースにもそもそと潜り込む。するとそこで、枕元に待機していた猫も、布団の中へ進入してきた。さらに猫は、かつてチビがホームとしていた自分の脇の隙間に収まり、ポジショニングが決まると、喉を鳴らして目を閉じる。


「え~。ここもチビと同じか。ほんと不思議な猫だな」


 自分の脇に(はま)って、気持ちよさそうに喉を鳴らしている猫の頭を、今日は右側にいるヨリが嬉しそうに撫でている。やがて自動で照明が落とされて、ナツメ球モードになったとき。ふと樹海のことが思い出されたので、ユカリに気になっていたことを聞く。


「あのさユカリ。昼間サクラと一緒に樹海に入ったんだけど、あの周辺はどこまで再現されてるの? 動物とか人工物はないよね?」

「ん~。樹海の中には自然環境しか再現してないわよ。山の上には施設も再現しているけど。なんでそんなこと聞くの?」


寝入りばなのやや眠そうな声でユカリは答えてくれた。


「樹海っていうとなんか幽霊とか出そうでさ」


 あくまでも個人の感想です。


「んなっ、幽霊なんているわけないでしょ!」


 途端に布団に潜っていたユカリが顔を出して声を荒げた。何を怒っているのだ。稲妻状になったアホ毛の仕掛けも知りたい。


「そりゃいるとか出るとは言い切らないけど。そういうイメージもあるっていう話で、ってちょっと腕握り過ぎじゃない? 痛いんだけど」


 自分の腕を掴むユカリの手には、いつもと違う強い力が込められていて、若干痛みを覚えた。そしてなぜか反対側にいるヨリも、同じようにぎゅっと腕を掴んでいる。


「もしかして、幽霊怖い?」


 ひそひそと小さな声で、ふたりに聞いてみると、ヨリはうんうんと頷いていて、ユカリは何も言わず腕にしがみ付いたままだった。またいたずら心が顔を出した自分は、昔行った地元の心霊スポットで体験した話を、誰に聞かせるでもなくぼそぼそと語りはじめる。

 それは二十代になりたての頃だ。当時バイトをしていたゲーセンの常連客と一緒に、心霊スポット巡りをしていた時期があった。その日は、鬱蒼とした森を背負うとある霊園に行ったのだが、そこはもともと背後にある森の中にあった旧墓地を、手前の道沿いに新設した霊園に改葬したという場所だった。

 奇麗な霊園の外側を囲う道を歩き、初めに入った森の中は、埋葬当時は土葬であったらしく。移設の時に掘られた棺桶と同じ大きさの穴が、埋め戻されるずに幾つも開いているような場所だった。夜の暗闇の中、懐中電灯に照らし出されたその様子は非常に生々しく、まばらに並ぶ深い墓穴の陰から、何者かが這い出てきそうな雰囲気があった。

 とはいえその場はそれだけだったので、皆は元来た道を戻り、霊園の前にある駐車スペースまでやってくる。数人のメンバーと、駐車スペースにとめた車の周辺で話していたとき、ひとりが中を見てくると言って、新しい霊園の方へ入って行った。夜の夜中に墓地の中をひとりで散策するなど、ビビりの自分からすれば正気の沙汰ではない。このとき入って行った彼には、これ以後やべーやつという認識を持つようになったものだ。

 彼がひとりで中に入って数分が過ぎたころ。車のすぐそばにある霊園を囲む塀の向こう側から、風鳴のような女性の悲鳴のような、所謂(いわゆる)幽霊の効果音めいた怪音が聞こえ、近くで雑談をしていた全員は固まってしまう。音が聞こえてすぐ、中に入っていた彼が戻って来たが、中では特に何も起きなかったらしく、自分たちの聞いた音について尋ねても、知らないと言っていた。

音がした位置は塀のすぐ向こう側だろうと、皆の意見が一致したので、原因を確かめるために全員で中に入り、音の発生位置と思われる場所まで行ってみた。そこには真新しい墓碑が建っていたのだが、墓碑に刻まれた文字は赤く塗られていた。後で調べてみると、それは生前戒名というものらしく、その時点では墓の主もまだ存命であったようだ。

 当然、当時はそのようなことは知らないので、赤い文字が刻まれた墓石の気味の悪い絵面に、ただただ驚き、逃げるようにその場を後にしたのだった。出来事的にはその程度のことだったのだけど、聞こえた音の発生源が特定できたわけでもなく。結局、仲間内では原因不明の怪現象として片づけられた。

 だが。実は後日、また昼間に訪れた時に起こった現象の方がもっと怖かったのだ。怖かったのだが、話が長くなりそうなので、今回はこの辺で切り上げることにする。夜も遅いしな。

 話の途中で、ユカリなどが抗議してくるかと思っていたけれど、特にそんなことはなく。終始大人しく話を聞いていたようだ。他の皆はもう寝てしまったのか。室内はしんと静まり返っている。


「わっ!」

「「うわぁぁぁぁぁぁ!!」」


 皆静かだったので、少しばかり声を出して脅かしてみたら、えらい騒ぎになってしまった。

首だけで視線を向けると、ヨリとユカリは両側から悲鳴を上げて、一層しがみ付き、アイはムツミに抱き着いてめそめそと泣いていた。ランとメイは抱き合っていたが、自分と目が合ったランがこちらへ枕を投げつけてきた。枕は顔面にヒットし、なかなかコントロールに感心する。チカとムツミ、リエとサクラはこれと言った反応はなかったようだ。

 少し体を起こして様子を見ると、リエとサクラは熟睡していて、左端にいたチカも静かに目を閉じている。一方右端のムツミは、まだしがみ付かれているようで、目を閉じたままアイの頭を撫でまわしている。彼女の浴衣はアイ汁で酷いことになっているかもしれない。


「これこれ、お嬢さん方や。夜は静かに寝る物で御座いますぞ? ふぉっふぉっふぉ」


 騒ぎの張本人が、好々爺(こうこうや)でも装ったような口調で、もっともらしいことを言う。ろくでもねえ野郎だ。

そこでユカリが足を蹴ってきたので、布団を捲ると彼女は涙目になっていた。同じようにヨリもひーんと小さな声を上げていたので、布団の中でふたりの手を取る。


「お化けなんてのは、寝ぼけた人が見間違えたものだよきっと。それにこれはライトな話の方だし……」

「もうよしなさいよ!」


 布団に潜ったユカリがくぐもった声で文句を言い、またひとの足を蹴飛ばす。

 ユカリの蹴りが自分の体を軽く揺らし、おかげで腋に(はま)った猫は、またごろごろ言いはじめ、右の方ではアイがまだびーびー泣いていた。


「もうやですぅ……うぇ~ん」

「あ、うん。なんかごめん……」


 これ以上口を開くと、アイの状態が悪化してしまいそうなので、口を(つぐ)んで目を閉じる。アイはまだめそめそしていたけど、十分くらいするとそれも静かになった。

 しかし自分は一向に眠くならず、皆が寝息を立て始めても状況は変わらない。おかげでしばらくの間、まんじりともせず過ごすことになった。

 配置の関係上、自分は寝返りが打てないため、時折天井を見るなどして過ごすしかない。このまま眠れないようであれば、対策を講じるために布団を抜け出す必要があるかもしれない。いよいよそんなことを考えはじめたとき、やっと自分の元にも睡魔がやって来た。

 ヨリはともかくとして。超科学の産物であるAI娘達が、よもや怪談話を怖がるとは。なんともナンセンスな話だと思う。けれど皆相当怖がっているようだし、今後怪談話をするのは控えよう。

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