漆拾壱 ~ 情報収集解析AIと猫 ~
いよいよ最後の姉妹が加わり…
午後はまた自主トレでもしようかと、サクラを誘って社の外に出てみた。
ここ数日のうちに、外もすっかり冬の空気になっている。半纏とスウェットだけでは寒すぎるため、ユカリセットを起動して外界の影響から自分を隔離した。
イメトレだの立ち回りだのと、サクラと話をして海岸を歩いて行くと、社入り口の岩陰に遊歩道が見えた。なんだかいやに目につくので、ちょっとだけ予定を変更し、先にこの小道を散歩することにする。
鬱蒼とした原生林に囲まれた遊歩道は、樹海の中を散策するためのルートらしく、環境も忠実に再現されているようだ。道幅は二メートル程あり、砂利が敷かれている。樹海を切り裂くように道はまっすぐ伸び、かなり先の方まで見通せた。道なりに進んで行けば、山頂まで辿り着けるみたいだ。
「ふう。ただの樹海なようで良かったぜ」
「ん? なにが?」
「うん、ちょっとね。それよりも、折角だから山体にのぼってみない? もちろん競争でっ!」
言いつつ身体機能を大幅に強化し、主観時間伸長を行うと同時に、全速力で林道を駆けだす。
超高速で木々の間を走り抜けて、単なる坂道を上る勢いで、箱庭富士の山頂目指して疾走した。HUDの後方映像をでは、少し遅れたサクラが追従してきている。自分たちの通過したルートには、踏み砕かれたり弾かれたりした溶岩の破片が舞い散り、もうもうと砂煙を生んでいた。
お互い衝撃波は抑制しているけど、足が弾き飛ばす地面の諸々は制限していない。自分たちのせいで結構抉れてしまうけど、このくらいなら許容範囲だと思う。これも環境保全機能ですぐに戻るはずだし。
暴力的に爆走すること数十秒。自分は程なく山頂に到着し、だまし討ちで出遅れたサクラも、ほぼ同時に頂上の土を踏んだ。
「なんだよも~。ずるいじゃんか~、前置きも無しに競争とか言って~」
「そうだぞ。大人は皆ズルいんだ。サクラも気を付けた方がいい」
「なんだよそれー。そんならここいらで一番ずるいのは晴兄ってことじゃんか~」
まったくだ。
笑いながらサクラを宥)めて、茶色く塗られた自販機の前へ行く。無料購入可能なボタンを押してペットのコーラを二本取り、片方をサクラへ放った。サクラはそれをしれっと受け取り、ベンチへ腰かけると早速キャップを捻った。隙間からは炭酸ガスが漏れ、聞きなれた音がする。自分も隣へ腰をおろしてキャップを開く。
山頂の自販機では、五百ミリリットルサイズの価格が、全て一本五百円となっていた。しかし、ここでも硬貨を投入する必要はない。現地でもこんな値段で売っているけれど、輸送コストや発電機の燃料代を考慮すれば、こんなものなのだろう。ここにいると忘れがちになるけど、やはり利便性とは金で買うものなのだ。
「う~ん、五百円もするコーラは格別に美味いな」
眼下に広がる海を眺め、皮肉を込めて言ってみる。おまんまを食べるためにはしゃーないんだ。採算は無視できないからね。
「晴兄の言う五百円? てゆーのがどんくらいの単位なのかぜんぜん分かんないけど。これにはそのくらい価値があるってことでいいの?」
「いんや全然。これは思い切り皮肉だよ。富士の頂上でなけりゃ、この価格は六分の一から七分の一になったりするからな~」
「へ~すごいね~。よくわかんないけどすごいんだろうな~あははは~」
他愛のない話にもサクラは真摯に耳を傾け、ベンチの上で足をバタつかせながら、けらけら笑う。こうしてみると、学校が帰りにコンビニ前で群れているJKと大して変わらんな。
「本来なら五~六時間かけて登る所だけど、いまは十五秒くらいかね。簡単に登って来たけど。ありがたみも何もないな」
自分は若かりし頃の苦い体験を振り返りながら言う。と言っても、ほんの六年ほど前の話だけど。
「へ~。人間てそんな時間かけて移動しなきゃなんないのか~。大変だね」
「人の登山は、二本の足でてくてく歩くのが普通だからなあ。しゃーない」
「そっか。てゆーかさ、なんで山なんて登んの?」
それは自分も知りたい。
「さあね。なんで大変な思いして山なんて登るのかね。なんにしても俺は登山家じゃないからわからん。ただ……達成感はあったかな」
「ふ~ん。達成感か~。あたしにゃよくわかんないな~」
昔自分も富士山に登ったことがある。ただ、登って降りて来るだけの弾丸登山だったので、二度目は遠慮したいと思う程疲れ切った思い出が強く残っている。
それでも一定の達成感はあったし、最終的には行ってよかったと思える旅だった。その時一緒に行った友人は、それ以降登山にはまり、時間を作っては一人であちこち出掛けるようになったし。ほんと、人なんてなにが切っ掛けで変わるかわからんもんだ。
「ふ~ん。難しんだねー」
「ああ。人の心理は良く分からん。そこは完全同意だな」
サクラは、空のペットボトルで座っているベンチを叩いたり、足元の砂を蹴ったりしている。自分のボトルもそろそろ空になる頃なので、残りを二口程度で飲み干して、ユカリセットの機能で分解回収をかける。すると、同じようにサクラもボトルを分解して、ベンチから立ち上がり、尻を両手で払った。
「さてと、降りるか~」
「だねー」
伸びをしているサクラは明るい調子で返す。この子のノリはいつも軽いけれど、嫌味が無くていい。
一応、頂上の神社にお参りをしてから踵を返す。見よう見まねで拝礼の作法らしき動きを見せるサクラはかわいかった。
帰りは山頂から海へ向けて思い切り地面を蹴り、眼下に広がる樹海を越えるように飛び降りる。その後は海上へ出て、またサクラと二時間ほど手合わせをしてからひよこの間へ帰った。
◆ ◆ ◆ ◆
「ただいま」
「はる様~。サクラちゃ~ん。おかえりなさ~いですよ~」
襖を開けて声を掛けるなり、リエの突進に迎えられた。抱き上げて部屋へ入ると、後から入って来たサクラもただいまを言い、リエの頬をつつき始める。時計を見れば、十七時四十分ほどになっていたので、焼き菓子を食べていたユカリへ声を掛ける。
「ユカリ。そろそろいい時間じゃないかと思うんだけど」
「あらそうね。行ってみましょう」
ユカリはのんびりと炬燵でくつろぎ、うなぎパイを食べていた。しかし、声をかけるとすぐさま立ち上がり、急に皆を急かしはじめて、どこでも襖へ足を向ける。皆は自分たちが帰るのを心待ちにしていたようだ。遊んでないでとっとと帰ってくればよかったな。
さて、情報収集解析区画の格納プール前室へとやって来たけれど。室内では黒髪の女の子がひとり――だけではなく、一匹の猫が共にいる。女の子は、猫じゃらしのようなおもちゃを振って遊んでいた。やや大きめのその猫は、キジトラの見事な毛並みを湛え、前足で捕らえたおもちゃを寝ころびながら齧っている。
やがて、女の子が自分たちに気づいて立ち上がると、彼女の元にいた猫もこちらに小走りに近付いてきて、自分の足元にすり寄る。ひとしきり体を擦りつけた猫は、前足で寄り掛かかりながら立ち上がり、にゃーにゃー鳴き始めた。屈んで手を出そうとすると、猫は素早く肩の上に飛び乗り、今度は頭を頬に擦りつける。この猫の仕草には懐かしさを感じた。
部屋からずっと自分に抱かれているリエは、肩の上の猫にこわごわ手を出していた。けれど、猫の方から手にすり寄ったため、満面の笑みになった。するとそこで黒髪の女の子が近づいてきて、頭を下げる。
「皆様初めまして。私は情報収集解析区画担当AIです」
艶のいい黒髪のショートボブに、姉妹共通の特徴でもある、輝かんばかりの金色の虹彩を持つ少女。ノースリーブのニット製カーディガンから覗く、白いブラウスの襟には、赤くて細いリボンが結ばれている。ボトムは、紺と白のチェックが入った暗赤色のプリーツスカートで、膝下までの紺のソックスに、茶色の革靴履き。
HUDへ表示された数値によれば、身長百四十四センチと表示されていた。一見、中学生のクラス委員長のような印象を受けるのは、やや鋭い眼光を放つ切れ長の目せいだろうか。ともかく、美少女であることは間違いない。
「今回はJCスタイルなのか」
「そうね! 私に似て利発そうでかわいいわ!」
そう言いながら、ユカリはダッシュで彼女に抱き着きに行く。
自分よりも小さな姉に対して、情報収集解析区画担当AIが向けた表情は、ずいぶんと照れを含んでいるように見えた。やがて女性陣に取り囲まれると、各々が思い思いに愛で始め、ますます恥じらいの色は強まってゆく。あ~てぇてぇんじゃ~。
「女子が仲良くしている姿は、いつ見てもいいものだな」
「はいです。家族が増えるのは嬉しいことなのですよ~」
猫を愛でるリエとは対照的に、薄汚い感想をひり出していたら、ユカリから恒例の依頼が飛んでくる。さて、この子にはどんなお名前が良いかな~。
「はいはい晴一。命名、お願いするわね」
「あいよ」
ユカリに軽くを返して情報AIに近付き、自己紹介をする。
「どうも。はじめまして、堤 晴一です」
「初めまして堤さん。早速ですがよろしくお願いします」
彼女は前に手をそろえてぺこりと頭を下げた。
「はい、謹んで。今回は少し悩んだけれど。情報収集をして解析し、物事を明らかにする担当だから……。明と名付けたいと思う。安直かな?」
情報AIの彼女と、ユカリの顔を交互に見て意思の確認をする。
「では。私、情報収集解析区画担当AIは、今より固有名称をメイと固定します」
ユカリの意見を待つまでもなく、彼女は名前を受け入れて、すぐに設定してしまった。
「あ、早い。で、ユカリはよかったの?」
「いいも悪いも、いつも言っているでしょう? 本人がいいなら私は構わないわよ。それに、名は体を表すって言うし。これまであなたが付けてくれた名前には、ちゃんと思いも込められているでしょう?」
普段あまり見ることができないたおやかな笑みを浮かべて、ユカリは同意してくれる。確かに彼女の言うように、外見を表すような名付けをしてきた。それには自分なりの思いもあるし。なんだかんだいいながらも、ユカリは細かいところを見ているようだ。
今回も滞りなく、新たな家族を迎え入れることができて嬉しく思う。再起動作業最後の締めに、恒例の権限固定を行った後は、皆で社の客室へと帰還する。これでヨリとユカリの妹たちは、めでたく四人が揃い踏みと相成った。しかしこの権限固定。このまま続けて良いものだろうか。元はといえば、以前のアイが無茶をしないようにとられた対策なんだけど。
◆ ◆ ◆ ◆
「さて、それはそれでいいのだけれど……。ときにメイ。この猫はどうしたのかな?」
膝の上に乗ったリエと共に猫は遊んでおり、されるがままに手を取られたり、撫でられたりと弄ばれていた。猫の方は全く意に介しておらず、横からはユカリやラン、サクラまでもがちょっかいを掛けている。
「それがですね。私が目を覚ましたときには、すでに目の前におりまして。とても懐こい子でしたので、皆が迎えに来てくれるまで一緒に遊んでいました」
メイはそう言い、手の中に例のじゃらしを出現させて、ふたたび猫を構いはじめる。
皆一様にこの猫へ興味を示しているが、特にユカリがご執心のようで、やたらと撫で回している。
それにしてもこの猫。見れば見る程昔飼っていたチビにそっくりだ。丸い顔と金色の虹彩。しなやかで艶のいいキジトラの毛並み。そして普通よりも一回り大きな体と、しましまの長いしっぽは、どう見てもチビにしか見えない。
何より人懐こく、何をされても嫌がるそぶりを見せない穏やかな性格は、その内面さえも生き写しのように見えた。
「多分さ、ユカリも気づいてると思うけど」
「うん、分かってる。これは似ているというよりも、そのものって感じよね」
ユカリは、以前見せたチビの写真と画像照合を掛けてみたらしく、その特徴は九割以上合致していたようだ。しかし、解像度の低い画像なため、確証を得るまでには至らなかったらしい。なんだかなーほんと。
やがて遊び疲れたのか、猫は仰向けにひっくり返った格好で、すぴすぴと寝息を立てはじめる。もうじき夕飯だというのにリエまで寝てしまい、自分は座椅子に深く寄り掛かって、体重を受けやすいよう体勢を整えた。
珍しくランが用意してくれたお茶を飲みながら、左手でひっくり返っている猫の腹を撫でて、右手でリエの頬をぷにぷにと摘まむ。ひとりといっぴきのかわいい寝顔を眺めていると、とても幸せで満ち足りた気分になった。最高だなこれ。
「どさくさに紛れてリエに悪戯してるんじゃないわよ?」
折角和やかな気分に浸っていたのに。隣でいっしょに猫を撫でていたユカリが、自分を睨み付けてくる。
「どさくさにって。べつにいいじゃないか。普段リエはユカリに遠慮してるようだし、こんなときくらい愛でたい」
抱えているリエの頭に頬ずりをして、怖い顔のユカリに抗議する。リエの頭は温かくて気持ちいい。
寝ているリエに気を使う分、大きな声を出すわけにもゆかず。大胆な行動にも出られないユカリは、突如背後に回り込んでチョークスリーパーを仕掛けてきた。対して自分は、素早く腕を差し入れて、技が決まるのを防ぐ。
それとともに空いた手を後ろへ回して、小さな尻の片方を鷲掴みにしてやった。すると彼女は即座に腕を開放し、飛び退いたようだ。しかし、去り際にぽかぽかと人の頭を叩くという反撃は忘れず、満足そうにこたつの反対側へ逃げ込んで舌を出す。まったくかわいいやつめ。
「お猫様のお食事は如何いたしましょう」
「うわっ!」
いつの間に隣に来ていたの。
チカが夕食の配膳をしつつ、耳元でそんなことを聞いてくる。突然の出来事に、うっかり声を出してしまい、そっと膝元の小さな眠り姫の様子をうかがう。でもリエが目を覚ました様子はない。よかった。
「これこれ、チカさんや。あまり驚かされると、儂は寿命が縮んでしまうんじゃよ」
「左様で御座いますか。ですが、その場合はわたくし共が全力で延命措置を施しますので、御安心くださいませ」
「ひぇっ」
今度は反対側からムツミに驚かされ、またも変な声を出してしまう。こたつの向こう側でそれを見ていたユカリは、ニヤニヤ顔をしていた。これはあまりかわいくない。
続けざまにサプライズを受け、落ち着きのなくなった鼓動を鎮めようと、リエの頭アロマを深く吸い込む。こうしてようやく平静を取り戻した自分は、気を取り直して猫飯について相談に乗る。
「ともかく。地球の市販品が用意できるなら、それでもいいと思う。ああいうフードは理論的な整合性に基づいて開発されてるし、ペット好きの研究員たちの思いが詰まっているからね。でも、チカとムツミなら猫の食性を考えて、完璧な物を用意できちゃうからなあ。なので、ここはお任せします。ふたりならどうあっても完璧なお仕事をしてくれるからね」
膝の上に盆を置いて、正座の格好で話を聞いているチカの頭を撫でると、ムツミもスッと並んで座る。自分は両方の頭を撫で、ふたりに任せる旨を伝えた。自分が下手に意見するよりも、ふたりを信じて任せる方が良い仕事をしてくれるはずだ。まったく相談に乗ってない気もするけど。
「「恐れ入ります」」
チカとムツミは目を閉じて微笑み、ぺこりと頭を下げると厨房へ戻って行く。しかしふたりは一瞬で取って返し、残りの食事を運んできた。