陸拾玖 ~ 最終起動作業 ~
リビングのソファでゴロゴロして、スマホで電子書籍を読んでいたとき。ヨリが午後のお茶へ誘いにやってきた。すかさず飛び起き、手を繋いでダイニングまで行く。テーブルには皆が揃っていて、談笑しながらドーナツを食べていた。
席につくと、ヨリが飲み物の注文を聞いてきた。しかし、チカに促されたヨリは自分の隣に詰め込まれ、コーヒーを置いて対面の空席に収まる。飲みたいと思っただけで、お望みの物を出されてしまうとは。チカ、やはり恐ろしい子。隣では、なぜ座らされてしまったのかよく分からない感じのヨリが、チカと話をしている。チカの言い分では、今日一日ヨリは休み扱いになっていると言った。
どうやら、午前中の話の流れからそういうことになったようで、チカとムツミとアイの三人が、気兼ねなく休むようにとヨリに持ちかけている。三人と自分を見て苦笑しているヨリに、気にする必要はないとユカリも言っている。当然、それを咎めるような者は、ひとりとしているはずもなく。最後はヨリも遠慮がちに受け入れていた。
自分としては、他の子たちも定休日を設けて、たまにはゆっくりして欲しいのだけれど。特にチカとムツミが、社という自動的至れり尽くせりな環境下で、如何にマニュアルなおもてなしができるかを探求したとか何とか言っちゃって。あまりおじさんの話を聞いてくれないの。それはそれとして、このドーナツよ。
「ただのドーナツかと思ったけど。これVDドーナツじゃん……」
「やはり分かりますわね晴一くん」
自分の言葉に目をキラキラさせて、ランが身を乗り出す。やはりといわれるほどでもないけれど、コイツはたまたま知ってるドーナツなので。
勢いづくランの様子を見て、これが彼女の発案だということが容易に理解できた。茶請けとしてテーブルに置かれている、サイケデリックカラーのドーナツが詰まった箱には、シルクハットの魔術師がデザインされたロゴが印刷されていた。
「うん、まあ。コレ一回で良いから食べてみたかったんだよね。日本にもいつかチェーン店ができてくれるといいんだけど」
そう言って、ピンクのストロベリーチョコでコーティングされた、シリアルトッピングつきのドーナツをひとつ取り、がぶりと噛みつく。口内には見た目通りのドーナツの味が広がり、小さなドーナツ状のシリアルが、サクサクと軽い音を立てる。
しかしこれは恐ろしく甘い。甘さが過ぎる。ひとつ食べればいいと思うくらいには甘く、持っている分を食べた後は、それ以上手を出さずに静観を決め込むほどに。ヨリも同じように、一つ食べた後は食指があまり動かなかったようだ。ユカリはブードゥー人形型のドーナツに頭からかぶりつき、惨たらしくも上半身を喰い千切っていた。いとかはゆし。
「ねえヨリ、今朝レースしたじゃん?」
「え? はい。楽しかったですね! 次は皆で走りたいですね~」
よほど楽しかったのか、ヨリはホワンとした顔で、今朝行われたレースの情景を思い出しているようだ。ハマってしまったのだろうか。よきですね。
世の中には、車に乗ると性格が変わる人間が一定数いるが、もしかするとヨリはその性格が変わる人種に含まれるのかもしれない。仮に、そういう面を持ち合わせているとしても、それを発現させるのはサーキットだけにして欲しい。彼女に限ってそんなことはないと思うけど。
「でね、あのレースなんだけど、実は……ゲームコーナーにあるレースゲームは、皆大体あんな感じの物なんだよね」
「ええーっ!!」
「ですよねー。そうなんだよ。ゲームっていうのはああいう楽しいものなんだ」
今までヨリが厳しい目で見ていたゲームについての誤解を解くべく、今朝のレースを例に熱い思いをここぞとばかりに語って聞かせる。
対戦形式のものだけでなく、協力プレイできるものとか、プライズや写真シール機などなど。ファミリー層や、女子受けなどもいいジャンルについても、細かく説明した。話の内容に興味を持ったのか、気づけばユカリがじりじりとこちらに近付いている。そんなユカリには構わず話を続けていると、ついには自分の背中に乗って、肩越しに首を出して聞くまでになった。
最終的には皆も輪に加わって、質疑応答のような状態になってしまい、一人では手に負えなくなってしまう。そこで、ネット上の情報源をいくつか提供しながらの補足解説に切り替えた。
「ゲーセンでバイトしてた頃は、家族連れも結構きてたし。カップル客なんかはよく写真シール機で盛り上がってたな~」
「その、写真がシールになる機械ですけど、撮った写真はどうするんですの?」
カップルで撮ると言った写真シール機の話に、ひと際反応して食いついたランは、出てきたシールの処遇をいやに気にしている。
「そうだな……。俺が働いてた頃だと、女子は皆シール帳みたいなの持ち歩いててさ。その場でハサミで切り抜いたりして、デコレーション風に貼ったりとか。そんな感じのことをしていたかな」
「では、その手帳はどうするんですか?」
今度はヨリが手帳のその後について質問してくる。
「多分、学校とか女子会みたいな場で友達同士で見せ合ったり、交換したりするんじゃないのかな。良くわからないけど、多分ね。でも今のはネットに繋がってるようだし、スマホに送ったりして交換するのかね」
自分は、丁度写真シール機の黎明期に働いていたので、当時はものすごい数の機械が毎月のように登場していたものだ。
半年に一回程度は、バージョンアップキットが出ていたような状態で、非常に活気があった。また、ブームに乗って機械を出していたメーカーも、およそゲームとは関係のないお堅いソフトメーカーなどもあったし。当時の遊技機器市場やロケーションは、割と混沌としたものだったように思う。ある程度業界を知る者の視点ではね。
「懐かしいな。音ゲーとかも近い時期で出たきた頃だったし、格ゲー以外でもゲーセンに活気が戻って来たようでね。割といい時代だったと思うよ」
「晴一ってゲームセンターでも働いていたのね。初耳だわ」
「あれ、言ってなかったっけ?」
ゲーセンではバイトもしていたし、正社員をやっていた時期もある。今では友人だが、当時のメーカー営業だった人間との交流も、いまだあったりするし。
「うん、今初めて聞いたわ。だからあんなにゲームを推していたのね」
「いや、それだからというわけではないけどさ。これは自分が好きだっていうのが一番の理由だよ。あと、良く分からないままで拒絶されるのは悲しいから。ひとまず話だけでも聞いてほしかったってのもあるんだよね。よく言うだろ、食わず嫌いって」
苦笑を交えてそう言うと、ヨリとユカリはバツが悪そうな顔をして、ごめんなさいと謝っていた。
「ああ、気にしなくても大丈夫だよ。慣れてるからな~」
趣味というのは、深くはまればはまるほど、理解を得られない人間との価値観の乖離が大きくなる。またそういった人からは、奇異の目を向けられることもままある。こんなものはたかだか趣向の差でしかないのだから、くだらない肩意地を張らずに、お互いをもっと尊重し合えればいいのになあ。
「それは良くないですねぇ。迫害を受けることに慣れてしまうなんて、不健全ですよぅ晴一さんは」
呆れたような仕草で、アイが尤もな苦言を呈してくる。
「そうだな。リアルに迫害を受けていたアイが言うと言葉の重みが全く違うよな」
「あーっ! またですか!? またですね! わたしは真剣に話をしてるのにぃも~っ!」
少しからかい含みな自分の言い草に、アイは憤慨して手を振り回す。
こういったアイの大げさな仕草が、最近かわいいと感じるようになった心境の変化に、得も言われぬ感覚を覚える。とは言え、それは嫌な気分ではない。
「悪い悪い。ま~なんだ、ありがとうアイ。アイの言うことは正しいよ」
「う、なんだか素直な晴一さんは気持ち悪いですねぇ……」
なぜかドン引きしている失礼なポンコツAI。
それにしても、自分はどれだけ酷いやつと見られているのだろう。まあ、一度ついたイメージっていうのは払拭するのが難しい。今後もしばらくはこんな感じが続くのかもしれない。
「しょうがないよな。印象最悪だっただろうから」
「それは確かに。ひとりでいたときは寂しかったうえに、晴一さんに追い打ちを掛けられていましたからねぇ。でも、今は割と優しいですよね」
腰に手を当てた彼女は、目を閉じて納得するように頷いた。
◆ ◆ ◆ ◆
時計も十八時を過ぎ、やっと車両は情報収集解析区画プラットホームへ到着する。
いつものように車外環境をチェックし、目立った危険のないことを確認した後、車両を降りて転送装置の所まで移動した。しかし、ここの転送装置の扉には障壁が展開されていて、このまま中に入ることはできないようだ。HUDの注釈を見て、障壁の解除方法はすぐ判明したが、その内容に皆は強い疑問をいだくこととなる。解除法自体は何も問題なく、今すぐにでもそれは可能なのだけれど。要求された認証条件が、納得のいかないものになっていたのだ。
提示されている条件は、各担当AIの存在と、自分の保持する権限の要求だった。注釈に羅列された条件のひとつ目は、兵站区画担当AIだ。これはサクラのことなので、ユカリによってすでに周知されている。次は統括管理AIとなっていて、これはアイがいるので条件は満たされている。三つ目には管理者権限保持者が指示されており、これも自分が担当することなので、どうということはない。しかし問題は四つ目の部分だ。
そこには“旧統括管理AI”という表記がなされていたのだ。
「ユカリ……」
「ええ。ここでもなのね。納得はいかないけど、罠なんかもないようだし。まずは再起動作業を進めちゃいましょ。いちいち考えていても時間の無駄だから」
「そうだな」
彼女はもっと考え込んでしまうかと思ったが、もう慣れたようで、反応はあっさりとしたものだった。むしろ自分の方が混乱している。
「いやはや。こうして目の当たりにすると不気味ですねぇ……」
アイが薄ら寒そうに両腕をさすってそんな感想を言う。まったくだ。
認証方法は、全員で障壁に触れればよいという操作なので、悩むこともなく皆で障壁に触れ、情報収集解析区画の転送室まで跳んだ。
そこからはまた例に漏れず、先の三ヶ所と同様に復旧作業を進める。作業内容はいつも通りなので小一時間程度で終わり、ステータス監視コンソールへ向かう。起動状態の進捗を確認しつつ、ユカリが各プラグインをダウンロードすると、最後の作業も終了となり、すべての復旧作業は完遂された。だが感慨のようなものはない。今の自分には、そんなものを感じられる余裕はない。
「はあ。さて、あとはいつも通りまた明日だな」
「復旧作業ってこんな感じなんですねぇ。ボタン一個押すとかぁ、もっと簡単に済むものだと思ってましたよ~」
これでもアイは統括管理AIのはずなんだけど。なんで知らないのかな。
「作業としてはその方が楽でいいんだけどな。でもそれだと、インターロックとしてはほぼ役に立たないんだよなあ」
帰りがけにアイとそんな話をしながら、格納プール室を後にする。最後のAIはどんなインターフェースボディを生成し、どんな人格を持って生れて来るのだろうか。