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陸拾捌 ~ 2P対戦 ~

「にゃ~。にゃ~」


 チビの声で目が覚める。随分と久しぶりに聞く声に、寂しさを覚えて目を開けた。

 目の前には、艶のいいキジトラの毛並みを湛えた丸顔の猫がいて、ゴロゴロと喉を鳴らしながら自分の頬に頭を擦りつけていた。


「んお? おう、おはようチビ。今日もありがとな~」


 ごしごしと擦りつけられる頭を撫でると、チビは布団の中へもぐりこんで、右腋に挟まるようにして落ち着く。そこでまたゴロゴロ喉を鳴らしながら、ポジションが決まったとばかりに目を閉じた。枕元の携帯を開いて日付を見ると、今日は土曜日なので会社は休み。道理でチビも布団に潜り込んでくるわけだ。ぺたんと伏せた状態で、チビは肩に顎を乗せながら、ずっと喉を鳴らしている。

 まだ六時前なので、このまま二度寝を決め込もうと、右へ寝返って横向きに体勢を変え、チビの体を頭から背中にかけて撫でつける。すると、ゴロゴロは一層勢いを増し、気持ちよさそうに首を伸ばす。

 そこで自分はふと気づく。そういえば、チビはずいぶん前に天に召されているはずだと。


「ああ。これは夢なのか。でも夢にしてはやけにはっきりとしてるなあ。そうか、明晰夢なんだな~。夢でもかわいいな~チビ~」

「はるちゃん、ありがとね」


 まどろむようにして、柔らかな毛並みを撫でていたとき、やにわに目を閉じているチビから声が聞こえた。まさかの出来事に驚いたけれど、まあ夢の中だし。チビとお話をしようじゃないか。


「チビは賢い子だと思っていたけど、まさか喋れるとはな。驚いたよ」


 ずっとゴロゴロ言ったままの頭を、優しくなでる。


「そだね。ふつうネコはしゃべらないものね。びっくりするよね」

「ま、少しはね。んでも最近はもっと驚くことが沢山あったから、実際はあまり驚いてないのかも」

「うん。ありがとうはるちゃん。もうすこし……すこしじゃないかもだけど、がんばってね」


 夢の中に出てきたかつての飼い猫に、自分は現状を励まされてしまったようだ。

 この星では、仕事の延長のような作業をしているせいもあって、頑張れと言われるほど頑張るようなことでもない気持ちもある。けれど、その応援には素直に感謝をしておきたい。


「おう、ありがとなチビ。じきに落ち着きそうだから、もうひと踏ん張りしてみるよ」

「うん……。じゃ、そろそろじかんみたいだから、ネコはいくね。またね」

「おう、元気でな。つっても元気も何もないか。……またいつか、な」


 夢の中で眠りに落ちたと思ったとき、胸に息苦しさを感じて、首や胸周りの重量物をまさぐりつつ目を開ける。

 そこにはリエが覆いかぶさるように乗っていて、投げ出された足は隣のランの顔を下敷きにしている。ヨリは朝が早いこともあり、彼女が寝ていたスペースへ、ランが移動してくることは日常だ。それと同時にリエにも近付くこととなるので、カオスな寝相災害に巻き込まれることもしばしばだった。

 片や、右の方で寝ているユカリは、大体いつも布団に潜り込んでいるので、直接的な被害を受けることはない。さらに寝ながらも、器用に展開している物理保護領域の斥力場で、リエの襲来をやんわりと予防している所も流石だ。

 変わらぬ朝の日常風景を見回して、布団を出ようとしたとき、ふと、夢のことを思いだす。しかし、内容はもう忘れてしまっていて、何やら懐かしい感覚だけが胸の片隅に残るばかりだ。腑に落ちない気持ちでのそりと這い出して、リエを自分のいた場所へ収納してから、顔を洗ってダイニングへ向かう。


「おはよう諸君。散々な朝だね」


 今朝も勤勉な四人に向けて、爽やかとは程遠い挨拶をする。


「「おはようございます晴一様」」

「「おはようございます晴一さん」」

「どうしたんですかぁぼーっとして~? まだおねむでしょうか~?」

「気分がすぐれないようでしたら、お休みになられていた方がよろしいのでは……」


 気持ちがもやもやしていると、やはり顔ももやもやしてしまうようで。ヨリとアイから心配のお声がけを(たまわ)ってしまう。


「だいじょぶだいじょぶ。なんか飲めば目も覚めるから」


 朝の日課のホットドリンクを取りに、ディスペンサーの前に行き、今日も紅茶をチョイスする。今朝は気分的にコーヒーの後味は避けたいので、お茶系でさっぱりしたい。

 テーブルに着いて熱い紅茶を飲み、シートへ深く寄り掛かる。ほっこりとした気分で(ほう)けていたところへ、珍しく早起きのユカリがやってきた。ユカリは皆に挨拶の声を掛け、隣へ座って寄り掛かってくる。こんな朝からなんだい。


「おはよう。まだ眠そうだな。何か飲み物でも持ってこようか?」

「おはよう晴一。飲み物ならほら、頼んだから大丈夫」


 ユカリの元にやって来たチカが、グラスに注がれたオレンジジュースをテーブルに置き、軽く会釈をして静々戻って行く。ユカリは背中に向けて礼を言い、グラスに挿さったストローを口に含んだ。


「珍しく早いじゃん」


 いつもは朝食の用意ができる頃に起きてくるユカリが、まだそんなタイミングではないのにダイニングにいる。どういう風の吹き回しだろう。


「ん~。前に晴一に見せてもらったネコの写真があったでしょ? あの猫が出てくる夢を見たのよ」


 ユカリの口から出た話に、自分は軽いめまいのような感覚を覚え、今朝見た夢の記憶がすべて蘇る。

 忘れてしまったと思っていたが、何かきっかけがあれば、芋づる式に記憶が呼び覚まされるというのはこういうことか。なるほどな。


「奇遇だな、俺も見たぞ。チビの夢」

「え? それって自分が猫になってたりした?」

「いや、俺は俺だったよ。週末の朝で、布団に潜り込んでくるチビの夢だった。あいつはいつも休みの日の朝は二度寝に付き合ってくれたんだ。そんで面白いんだよ。夢のチビは喋ってたんだ。頭のいい猫だとは思っていたけど、まさか喋るとは思ってなくてさ」

「それって……猫が脇に収まって晴一と話してたりした?」

「あ、ああ。確かにその通りだけど……」


 ユカリの見た夢と、自分の見た夢は全く状況が同じだったらしく、それぞれの視点が異なるだけで、会話の内容も一緒だった。

 なぜか感謝と激励の言葉をやりとりする短い夢だったが、お互いの記憶は寸分違(すんぶんたが)わないものだったため、なにゆえと仲良く首を傾げる。


「う~ん。ヨリもユカリもよく右腕に絡んで寝てると思ったら、正体はチビだったのか。道理で小さいと思ってたんだよ」


 アホ毛を“?”にして渋い顔をしているユカリへ、かるく冗談を言う。しかしアホ毛の駆動方法が気になる。


「ちがうわよ! けど何で晴一と同じ夢を見たのかしら。晴一はヘルメット付けてたわけでもないのに、媒体のない生身じゃ記憶共有なんてできないはずなんだけど」

「さあね。あ、ユカリが見てたってことは、ヨリも見てるのかなこの夢」

「それがそうでもないのよ。ログのタイムスタンプを見ると、この夢が始まったのは晴一が目を覚ます一分前くらいのことだから。ヨリはその時すでにこっちにいたはずよ」

「そっか。感覚では十分以上見てた気がするけど、意外と短かったんだな」


 自分やヨリの意識レベルは、常にモニターして記録しているので、間違いないとユカリは言っている。

 その後全員起きて来て朝食となったので、皆にも同じことを聞いてみた。けれど、夢を見ていたのは自分とユカリだけだったため、それ以上進展はなかった。

 食事の最中、自分はアイの診療台の中でも、夢を見ていたような気がしていたことを思い出していた。内容までは思い出せなかったが、その記憶には、今朝見たチビの夢と似たような感覚があったはずだ。


◆ ◆ ◆ ◆


 朝食を終えてから、リビングのソファに寝転んで、暇つぶしに仮想現実モードを起動する。

 仮想空間に入ると、すぐにVR(ニュー)さき島を呼び出してATVを乗り回す。今回はあまりハードな動きをせず、ぼーっと外周を周回しながら、今朝の夢のことを考える。

 はじめは自分の記憶が生み出した、単なる思い出のリプレイだと思っていたのに。何故かユカリも全く同じ夢を見ていたというし。食事中に話し合った結果、これは外部からの干渉によって、引き起こされた事象だろうということで意見は一致している。

 では、干渉があったことが間違いないとしたうえで、それを引き起こした存在は何者なのか、ということになるが。その時点でユカリは、アイの中にもうひとり人格がいる可能性があり、それが主犯なのではと考えていたようだ。しかしそれは、アイと遭遇して現在に至るまでの経緯から推察したものに過ぎないので、確証はない。

 むしろ、そう考えてくれと言わんばかりに状況が整えられた節もあり、明らかに不自然だ。本人も、ハメめられてる気がすると憤慨(ふんがい)し、「とっちめてやりますよ!」などと息巻いていたし。

 そこでふたりは、共同で量子脳の診断を行った。けれど、アイの自己診断の結果では、疑わしいプロセスは発見できず、同時に行ったユカリのシステム走査でも、やはり結果は変わらなかった。


「結局また何も分からず仕舞いか。問題が起こっても大抵勝手に解決してる気もするし。ああもうやきもきするな~」


 ひとり愚痴をこぼしていたとき。ノックの音と共に、視界の隅にヨリの顔アイコンが点滅したので、そちらをメインウインドウに切り替える。


「は~い晴一おじさんです~」

「あ、こんな感じでいいのかな。えとすみません晴一さん。私もそちらへお邪魔していいですか?」

「もちろん大歓迎~」 


 ヨリの希望に従い、仮想共有空間への招待を彼女へ送る。しかし、しばらく待っても音沙汰がない。招待を再送した方がいいかなと逡巡していると、数秒後無事ヨリがやって来た。


「すみません。操作に手間取ってしまいまして……。まだ慣れていないもので」

「うんうん。お互い生身の人間なんだし、元々なかった機能なんだから仕方ないよ。俺もまだ全然このセット使いこなせてないし」


 人間場離れした機能拡張にふたりで苦笑した。


「そいで、何か御用?」

「ええ。晴一さんが何をなさっているのか興味がありまして」

「そっか~。いまは特に何も考えないでATVを乗り回していたんだけど……。そうだヨリ、軽くレースでもしてみない?」

「え!? レースですか」


 唐突な思い付きで、ATVでさき島を周回するレースを提案する。

 車の挙動や環境などは本物と変わらず、それでいて怪我の心配がないということを説明して、ATVを二台呼び出し、スタートシグナルタワーを設置した。

 彼女の意見もそこそこに流し、準備を進める自分の様子にヨリは戸惑っていたが、どんどん場が整えられてゆくうちに、次第にやる気がわいて来たようだ。最終的に彼女はオブジェクトを弄り、シートやハンドルといった操作系を自分の体形に合わせはじめた。この子ったら本気度がすごい。

 ヨリは、なにかと遠慮しがちな傾向があるので、最近はちょっと強引な誘いをかけた方が良いと思っている。箱庭設定があった頃の不安定さは、もう過去の物だし。この子が嫌がらなければ、今後とも積極的に巻き込んで行こう。でゅふふ。


「意外と距離が長いから今回は島を一周して、先にこのスタートラインを越えた方が勝ちね。とにかく早くゴールするのが目的の単純な競争だから、速く走るための工夫に尽力しよう。それじゃ、準備はいいかな?」

「はい、いつでもどうぞ!」


 否応なく引っ張り込まれたヨリだが、いまやその表情はやる気に満ちている。彼女は適応力が高く努力家なため、手ごわい相手になるかもしれない。


「よし。じゃああの信号が消えたらスタートだよ」


 しっかり保護具も着けて準備万端。

 ということで、カウントダウンは開始され、信号は赤から全消灯へ変わり、ふたりだけのレースが始まった。

野太いエンジン音を上げた二台はコース上へ飛び出して行く。ユカリが改良した電気式ATVとは違い、こちらのデータはディーゼルのままだ。スタートと加速はほぼ同時で、現実では腰が引けてしまうヨリも、仮想現実では躊躇なくアクセルをベタ踏みにして突っ込んで行く。二台は加速を続け、直線の砂浜を颯爽と駆け抜ける。

 直径十キロメートルの新さき島は、円周が約三十一キロメートルほどあるが、全周コースには岩場や雑木林などの障害物が存在し、だいぶ内側を走る部分もある。そのため、実際の走行距離は二十四キロメートル程となっている。

 スタート地点から数百メートル走った所には、まず洗い越しになっている小さな川があり、二台はそこへ全速で突っ込んだ。川底は二十センチほど窪んでいるため、車体は派手にバウンドして水しぶきを上げ、運転席はびしょびしょになる。お互いそれでもお構いなしで走り抜け、コースは平たい磯場へと差し掛かった。

 磯場は比較的平坦な巨岩の上にある。走行に支障はないが、海水の浸食によって形成された細かな凹凸が激しく車体を揺らし、忙しいハンドル操作を余儀なくされる。更には海草などのぬめりも手伝い、トラクションが抜け、ひどく姿勢を乱されそうになることもしばしばだ。だが、そんなものはレースを盛り上げるためのスパイスでしかなく、微妙なアクセルワークとステアリング操作で、このエリアも一気に駆け抜ける。ほぼ横に並ぶように走るヨリも、忙しく車体を操作しているようだが、驚いたことに顔には笑みを浮かべていた。なんとも男前ではないか。惚れてまうやろ。とっくに惚れてるけど。

 そうこうしているうちに、コースは深い砂地に変わっていた。乾いた細かい砂に足を取られ、車速はぐんと落ちる。アクセルを開けても砂が舞い上がるばかりで、なかなか車体は前に進まない。しかし、完全に埋もれて亀の子状態になるわけではないので、何とか効率よく進めるよう車体を制御し、場を切り抜けて行く。

 右へ左へと斜めになりながらも、どうにか前へ進み、近道となる林道地帯へ入ったのは、自分が先だった。海岸をまっすぐ進めば、平坦な外周コースを楽に走破できるのだが、いかんせん距離が延びるので、今回は()えて厳しいこの道を選んだ。バックビューウインドウに映し出されたヨリの車体も、迷うことなく自分を追走しているようで、コースマップの座標アイコンを見ると、彼女との距離は約百四十メートル離れていた。

 林道コースは、この島で随一の起伏が激しい(バンピー)エリアになっている。あちこちに木の根が張り出し、窪んだ土の地面には、深く大きな泥の水溜りがいくつも点在していて、高速走行などは到底望めない。ほとんどフィールドアスレチックのような地形を持つ難所だ。当然、下手なラインを選べば容易(たやす)くスタックし、ウインチを使うなどしなければ脱出できなくなる。また、ヘルメットのシールドに泥が付けば視界も悪くなるし、何かと苦労の絶えないルートだ。

 こんな上級コースにヨリを誘ったのは不味かったかと思い、バックビューを確認する。それでも彼女はかなり健闘しており、泥だらけになってだいぶ速度も落ちていたが、地道に距離を稼いでいるようだ。


「なんてこった。ヨリ逞しい……」


 やがて林道はくねくねと入り組むようになり、起伏はさらに激しさを増して、岩なども転がるようになってくる。この辺りでヨリの車体は見えなくなってしまったが、彼女なら乗り切れるはずだと思い、ようやく見えはじめた難所の出口へと車を進めた。

 全身泥だらけになりながら林道を抜けると、コースは打って変わって、硬く締まった砂の地面に変わる。しかしそこには、あちこちに高さ数メートルはある岩が突き出ており、安易に直進することはできない。当然激突すれば車体は壊れるし、致命的な破壊を受ければ即リタイヤだ。そこはリアルと変わらない。そのため必然的にハンドル操作は激しくなり、岩の間をすり抜けながら、常時直線ドリフトしているような状態で走行せざるを得ない状態になった。

 これはこれで非常に楽しいのだが、前方の視界が悪く先のラインが読めないため、突然目の前に現れる岩にうっかり激突しそうになる。おかげでなかなか速度を上げられないため、ライバルとの位置関係が気になるエリアでもあった。

 コース全体としては、林道区間でだいぶショートカットされる作りになっているため、この岩場を過ぎて外周の砂浜に出れば、あとは社前まで平坦な一直線となる。故に、ここはとっとと抜けてしまいたい区間だ。だが、コースマップ上では、まだ岩場が続くことになっているため、もう少しこの忙しい状況と付き合うことになりそうである。

 地形の対応にも慣れがではじめ、のらりくらりと岩を避ける腑抜けた走りをしていると、後方からエンジン音が聞こえてきた。まさかと思いコースマップを確認してみれば、とんでもない勢いでヨリが追い上げて来ているではないか。明らかにこれはまずいので、アクセルを踏み込んで派手にドリフトを決めつつ岩を避け、バックビューを再度確認した。すると、岩陰を直ドリで行ったり来たりしているヨリの姿が見え、自分は戦慄する。

 必死に岩をよけて速度を保ち、やっと区間を抜けたときには、ヨリの車体は自分とほぼ並んでおり、最後は小さな岩の点在する直線区間でのデッドヒート展開へ持ち込まれてしまった。ひえ~っ。


「なんだこれー! ウサギと亀かよー!!」


 勝負の途中で気を抜いていた自分へ、怨嗟の言葉を吐きかけ、シビアな路面状況を見ながらの最高速バトルに、年甲斐もなく熱くなってしまう。

 正直、ヨリのことを見くびっていたと反省するも、最終局面で本気にさせられたことを嬉しく思い、ここからは全力で挑もうとアクセルをベタ踏みで固定する。以降は一切減速するつもりはないので、後はハンドリングと運に任せて、酷いラインにあたらないように祈りつつ、路面状況の判断に集中した。

 結果、多少小さな凹凸を踏んづけて、バランスを崩しそうになりながらも、何とか先にゴールを決めることができた。一瞬間をおいて、HUDにはリザルトが表示され、自分とヨリの着順が並ぶ。しかし、ヨリとの差はコンマ三秒程度しかなかったため、真っ当な勝負としては完全な負けと見るべきだろう。みっともねえなあ。


「あーっもう少しだったのに~っ! でも晴一さん! 途中で手を抜いてませんでしたか!?」

「あ~。いや~、手を抜くつもりだったわけじゃないんだよ、ホント。これは単純に油断していた結果で。早い話、ヨリを舐めてたんだよね……。すんませんでした」


 正直にそう言って頭を下げる。アイのことでも誠意ある対応をなどと言っておいて、全く反省がないこの駄目おじさん。


「ええーっ! 油断していらしたんですか!? 不真面目じゃないですか~! ひどいです!」


 案の定ヨリを怒らせてしまったようで、彼女は両手を胸の前でグーにしてぷんぷんしている。軽くひねるつもりで舐めプをした結果、逆にひねられそうになり、(あまつさ)え相手を怒らせるなど愚の骨頂。ヨリには、こういうどうしようもない大人にはなって欲しくないね……。


「面目次第も御座いません。何卒お許し下され」


 言いつつ自分はその場に土下座をする。一応試合には勝っているけれど、おじさんはなぜか無様にひれ伏していた。マゾかな。


「ごめんなさい。ヨリ様の(おっしゃ)ることなら如何(いか)様にでもお申し付けいただいて結構ですので。何卒お慈悲を」


 これは別に、「ヨリに言われる事なら何でも受け入れる覚悟はある!」というかっこいい覚悟などではなく。ヨリの言うことならば、無茶な要求は絶対にないから、なんでもと言っても差し支えはない、と言い換えることができる情けないセリフである。

 こいつは、単に調子の良いことを言って、彼女の許しを請おうとしているせこいおじさんだ。やっすい土下座だよまったく。


「うふふ。晴一さん? なにもそこまで言われなくても、もう怒っていませんよ。でも~、何でもと(おっしゃ)るのであれば……今日一日、ずっと甘えてもいいですか?」

「え? そんなことならいつでも毎時毎秒ウェルカム毎日エブリデイだけど……。ほんとに?」


 よろこんでんじゃねーよ。


「それは分かっているのですけど、それでは節操がないといいますか。自分に対する戒めとして、許可を得るような形でありたいと、常々私は思っていますので……」


 ほんのりと頬を染めた俯き加減のヨリは、そんなことを言う。

 ヨリのこういう所は、ユカリとは本当に対照的だと思う。こんなに遠慮などしなくてもいいのに……。しかしそれがヨリの美徳だと言うのなら、そこは尊重するべきだ。あとおじさんはもっと節操を持つべき。


「むしろこれはご褒美では……じゃなくて、はい。わかりました。ヨリの好きなようにしてね。俺は何でも受け入れる覚悟はあるから!」


 ほんとどうしようもねえよなあ晴一とかゆーへっぽこ俺野郎はよう。

 自分はヨリを見て、口の端に舌を出しながら、ウインクしつつサムズアップを返す。控えめに言って相当キモイ。口内炎でもできればいいのに。


「ではお言葉に甘えて……」


 彼女がそう言うと、ソファで寝転がる実体の方に荷重が加わる。同時にヨリが仮想共有空間の接続を切ったので、自分もヘルメットをしまって意識を戻した。思った通り、胸の上にはヨリが被さるようにうつ伏せに寝ていた。むっひょ~かわいい~。


「ヨリもユカリみたいにもっとくっ付いてくれていいのに」

「いいえ~。私はユカリのお姉ちゃんポジションなので、節度を持った行動に努める責務がありますから。それにユカリのお姉ちゃんということは、皆のお姉ちゃんでもありますし」

「確かにそういう解釈もできるね。けどねえ」


 ただでさえしっかり者で、更に長女のような立ち位置となると、あの人数の妹がいる場合、相当な責任を感じるのではないだろうか。

 そこで、皆のヒエラルキーのようなものを考えてみる。ヨリと並ぶのは間違いなくチカとムツミで、少し下がってリエ、そしてその下にユカリとラン、という形になるだろうか。サクラは出会って日が浅く、本質を掴み切れていないため、この区分けから外させてもらった。これはアイに関しても同様。

 リエは外見こそ小さいが、ああ見えて実際しっかりしている。ランは見た目に反して子供っぽいところがあり、ユカリは大人ぶっている生意気な子供のような存在だ。やっぱりヨリは筆頭取締――いや、筆頭取姉妹(・・)役長女じゃないか。独立取姉妹(・・)役のユカリを主に取り締まるっていう。

 しかし取締役ならぬ取姉妹役(とりしまいやく)って新しい役職だな。


「それでも日ごろから皆の世話をしているヨリが、自分に多少甘えていたところで誰も文句は言わないと思うよ。あ~、ユカリはすごい文句言うかな。俺に」


 ユカリの(くだり)では、ヨリも確かにその通りだと笑った。

 それからしばらくそうしていたが、不思議なことに、誰もリビングに現れることはなかった。

 後で聞いてみれば、ありがたいことにチカとムツミが気を利かせて、皆をダイニングに釘付けにしてくれていたそうな。そんな話を聞いた後、ユカリが謎のグラフを示して、「この余剰分は後で私もだからね!」と腰に手を当てて文句を言っていた。プレゼンするならもっとわかりやすくしてよ。

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