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陸拾伍 ~ 入浴会談 ~

 まるきりチワワのようにぷるぷると震えているアイを、ここに放置するわけにもゆかず。

 今日の日課は諦めて、彼女を抱えて客室まで連れて帰る。部屋に入ると、なぜかランとサクラが腕相撲をしていて、異様な盛り上がりを見せていた。


「なんだこれ」

「晴一さんおかえりなさい。今日はお早いですね」

「うん、ただいま。ちょっと問題が起きちゃって」


 小脇に抱えたしおしおのアイに軽く目配せすると、ヨリは何事があったのかと目を丸くする。しかし、すぐ何か思いついたように厨房に向かい、ホットチョコレートを用意して戻ってきた。


「アイさん。はい、これをどうぞ。落ち着きますから」

「うぅ、ありがとうございますぅ」


 どんよりとした顔のアイは、ホットチョコレートの注がれた猫顔マグカップを受け取り、背中を丸めてすすりはじめる。この猫顔を象ったマグカップは、最近ヨリのお気に入りになった物だ。


「悪いねヨリ。お世話を掛けて」

「うぅ。大変結構な御点前です」

「いえいえ、そんな。それで、一体何があったんですか?」


 そこで、先ほど海岸であった出来事を話す。

 道端に打ち捨てられた一斗缶のように、べっこりとひしゃげているアイだが、彼女がこうなっっている理由は、主に例の遺体のことだ。

 知らなかったとはいえ、皆を傷つけて多大な迷惑をかけてしまったことを悔やみ、消沈してしまったアイ。またそれについて、彼女は謝りたいと思っていることや、皆と仲良くなりたいと、強く思っていることも伝えた。

 そのうえで、ゆっくり話をできる場を設けてはくれまいかと、あらためてヨリに申し入れをする。


「そうですか。アイさんにも辛い思いをさせてしまったようですね。元はと言えば私とユカリの問題なのに。ごめんなさい」


 座布団の上で小さくなって、猫顔カップに吸い付いているアイの背中や頭を、優しく撫でてヨリは言う。

 アイが引っ張り出して来たヨリの遺体のおかげで、あの時はとんでもない騒動に発展したのも事実だ。けれど、ヨリはその件でアイを責めるようなことはせず、むしろ巻き込んでしまって申し訳ないと言っている。なんと尊過ぎるのだろうか大天使ヨリエル。ヨリ対応という言葉ができてもおかしくはないほど、この尊さは完成されている。


「そんなぁ。わたしが面白半分みたいにしでかしたことですよぅ? もっとお叱りを受けるべきだと思いますぅ……」


 両手でひしとマグカップを抱えて、消沈し過ぎて小豆(あずき)みたいになった目に涙を浮かべ、ぼそぼそと消え入りそうな声でアイは言った。


「は~あ。うじうじと鬱陶(うっとう)しいわね。もうそのことはいいのよ。私たちの間では解決してるんだから」


 こちらの話にずっと聞き耳を立てていたらしく、腕相撲大会のジャッジをしていたユカリが振り返り、苦言を呈す。

 リエ、ラン、サクラの三者間で唐突に始まったというこの試合。妹二人を軽く捻り倒したのはリエだそうで。ランとサクラのふたりは、二位の座を掛けて争っていたが、どうやら今しがた決着がついたようだ。

 二位の座はランの物になったけれど、意外にもサクラはパワー負けしたようだ。ぶっちゃけランは発電所の主だから、妥当と言えば妥当か。にしても、リエが一番力持ちなのはウケる。


「いいわ。じゃあ三人で納得のいくまでじっくり話しましょ。ヨリ、行くわよ~」

「やっぱり。ユカリならそう言うと思ってました」


 ユカリはそう言って、アイの口から猫顔マグカップを奪い取り、腕を掴んでヨリと共に露天風呂へ連行して行く。

 引っ張って行かれる間、アイは自分に救助要請を叫んでいたが、ユカリからは三人だけにしてと言われてしまったので、従うほかはない。そこは、()えて言われなくてもそのつもりだったし、異論もない。

 アイは「びぇ~ん」と泣いていたけれど、取って食われはしないからと、慰めにもならない言葉を掛け、にこやかな笑顔で見送った。

 時々ユカリからは、こういった男気みたいなものを垣間見ることができる。わりとぶっきら棒だけれど、面倒見は悪くないし。思いやりもあるので、任せても問題はないだろう。何より、ヨリも付いているし。戻ってきたらきっといい報告が聞けるはずだ。

 静かになった室内で、ゆっくり茶を飲もうかと思っているところへ、ランがずいっと寄ってきて、ぴたりと張り付く。すかさず彼女を見るが、体を密着させてはいるのに、顔だけは反対側を向いていた。なんでや。


「ええ~。近くない? つってもランのこういうのも久しぶりか。出会った頃の調子が戻ったみたいで良かったよ」


 再起動直後の、ぐいぐい来ていたランの態度を思い出し、懐かしむように言うと、彼女は怒ったような顔を向けて文句を言う。


「んもう! そんな感想は嬉しくないですわ! もっとときめいたとか、ドキドキしたとか! わたくしはそういう言葉が聞きたいですのに!」


 やっぱり怒っていたランは尻をつねってくる。


「あいった! なんだよも~、尻をつねるとか古典的だなおい」

「むぅ~っ」


 いや、む~じゃないし、そんなフグの威嚇みたいに頬を膨らませて……。


「しかしだよ? こう常に周囲を奇麗所に囲まれていると、慣れるというか、感覚がおかしくなるというか。あんまりな言い方かもしれないけど、本当単なる家族のようにしか思えなくなってきてさ。異性としての意識も薄れがちになるんだよ」

「まーっ!! 言うに事欠いて慣れるだなんて! あんまりですわ!」


 ランは益々おかんむりと言った様子で、肩と言わず背中と言わず、ぼこぼこ駄々っ子パンチをと入れてくる。当然手加減はしているのだろうけど、アームレスリング社杯第二位の実力を持つ彼女の攻撃は重く、芯まで響くような衝撃があった。


「痛った。ちょ、マジで地味に痛いから……」

「もぉ~っ!」

「だって仕方ないだろう? お前さんたちはかわいすぎるんだよ。そりゃ感覚も振り切れっぱなしでおかしくなるってもんでしょーが!」


 暴れるランの両手を掴んでグイっと引き寄せ、そのまま彼女を抱き締める。超良い匂いびっくり。

 ランが暴走している時は、大体これでおとなしくできるので、申し訳ないが今回も前例に則って対処させてもらおう。しかし、これは諸刃の剣でもある。きちんとした凹凸のあるむっちりとしたランの体は柔らかく、とても抱き心地がいい。さらに大人の女性の色香に鼻腔をくすぐられ、理性を破壊されかねない威力を持つのだ。おじさんうっかり硬くなりそう。

 例の如く、大人しく固まったランをそっと引き離して隣へ置き、チカが新しく用意してくれたお茶をすする。これでようやく人心地つくことができた。しかし、今度は反対側に回って来たサクラにまとわりつかれてしまう。


「モテモテの晴兄(はるにい)はあたしにもモテてるんだかんね? 知ってた?」

「あ、うん。大体ユカリのせいだから良く知ってる」

「な~も~。そうじゃないっつの。ホントにそれだけだと思ってるんなら、マジやばたにえんなんですけど」


 なんかマジやばいらしく、自分がやばたにえんとか、マジやばくね。


「そいつは聞き捨てならないな。俺の何がどうヤバいって言うんだ」

「え~? だってさ~、組手とかしてると楽しいじゃん? あたしに合わせて動ける異性って晴兄(はるにい)くらいしかいないでしょ? そりゃモテるじゃん」

「なんだそれ。そんなんだったら男の格闘家がいたら超モテじゃないか」


 サクラは自分との手合わせがとても好きだと言う。

 それは自分に好意があるのとは違うじゃないかと言えば、仮にほかの異性と格闘しても、面白くはならないだろうと言った。その真意はよく分からないが、自分が思うほど単純な話でもなさそうだ。

 その後も続いた彼女の弁は、抽象的でつかみどころがなく、良く分からなかった。けれど、とりあえず楽しいという気持ちだけは、良く伝わってきた。


「ならいっちょやりに行くか? 今日はもう止めようかと思ってたんだけど」

「うん! いくいく! リエ(ねえ)とラン(ねえ)に負けてもやもやしてたとこだし、晴兄(はるにい)で憂さ晴らししたい!」


 憂さ晴らしとか。サクラはしれっととんでもないことを言っている。江戸の敵を長崎で討たれるようなとばっちりを受けるのはなんか嫌だな。

 話は決まったとばかりに、自分を急き立てるサクラに腕を引っ張られ、渋々立ち上がろうとしたとき。また反対側のランに腕を引かれてバランスを失い、立て膝に崩れてしまう。


「ちょ、ラン。あぶないだろ~」

「あら申し訳ありませんわ。すこし力を入れ過ぎました。それとサクラ、晴一くんを連れて行くのは許しませんわよ?」


 がっちりと自分の腕をホールドしたランが、サクラに断りを入れている。それと同時に、今日は大人しくしているようにと、自分にも強く要求してきた。どうしてなのさ。


「なんでよー! 晴兄(はるにい)貸してよ~。今日晴兄(はるにい)とはまだちょっとしか遊んでないんだからさー」

「だめですわ。大体サクラは私に負けたのだから、今日は何でも言うことを聞かなくてはいけないでしょう? 約束を反故にするのは感心しませんわよ」

「あ~んも~! 立場を利用した圧政だー! 職権乱用だー!」


 ふたりは、腕相撲の二位争いで負けた方は、今日一日勝った方の言うことを何でも聞くという約束をしていたらしい。

 また迂闊に何でもとか言っているふたりに、自分は渋い顔を向ける。そこで、ランの隣へサクラを座らせて、そういう無条件で言いなりになるような約束を軽々しくするのは良くないと、ふたりの美少女に口を酸っぱくして念を押す。怒られている間も、ふたりは互いにぶーぶー文句を言い合い口を尖らせていた。

 そこへ、チカとムツミがおやつを運んできたため、機嫌は一瞬で直り、仲良く群がって行く。説教は無かったことになったらしい。

 こたつを挟んだ反対側では、リエが潜り込むように寝ていたので、おやつが来たと起こしてあげた。すぐにがばっと身を起した彼女は、こたつの中を通りぬけ、寝ぼけた顔を自分の胡坐(あぐら)の上に出す。


「えへへ~洞窟探検なのですよ~」

「はいお疲れさん。あ~髪がぼさぼさじゃないか」


 こたつトンネルを匍匐前進(ほふくぜんしん)してきたリエは、結った髪の片方がほどけてしまっていた。

 炬燵(こたつ)洞窟の中では、さぞ大冒険があったのだろうと思いながら、上に巻かれたリボンを解き、ヘアゴムを抜いて髪を束ねなおす。とそこで、ムツミが櫛を寄こしてくれる。これは有難い。


「お、ありがとうムツミ。毎度毎度細やかなお気遣いに感謝ですよ」

「恐れ入ります」


 彼女はいつものぼそぼそ口調で言うと、自分とリエの分のおやつを置いてくれる。今日のおやつは水まんじゅうだ。

 リエの皿には案の定、沢山の饅頭がピラミッド状に盛られていて、それはランとサクラの皿も同様だ。てっきり巨大なドーム状の物体が出てくると思っていたけれど、そうなると自重に耐えられそうにないので、この形なのだろう。

 自分の皿には、竹へらが添えられた水まんじゅうが一つ、笹の葉の上に載せられ、彼女たちの皿には大き目の木匙と箸が添えられている。本来これは、上品にへらで刻むように食べるスタイルのはずだが、彼女たちは風情などとは無縁とばかりに、むしゃむしゃ食べていた。

 そしていつもの如く、チカとムツミのふたりは、目を閉じるようにしてひっそり饅頭と口へ運び、お茶をすすっている。

 リエがおとなしく饅頭を食べている隙に、乱れた髪を手早くまとめて結いなおし、自分も饅頭を食べてお茶を楽しんだ。

 その後しばらくすると、風呂に行っていた三人が帰ってきたが、残念なことにユカリがまた茹で上がり、今回はアイの背中におんぶされる格好となっている。出がけにあれだけ息巻いておいて、結局これでは格好がつかない。

 目を回すユカリを、後ろから団扇(うちわ)であおいでいるヨリも、苦笑しながらアイに謝辞を述べていた。


「ほんと外さないよなユカリは。んでアイの方はどう? 仲良くなれたかい?」

「いえいえ、中々急には無理ですよぅ。でもお互いの行き違いは解消できました。おふたりとも優しい方ですからね……」

「アイには、もう他人行儀なのもよしましょうとも言ったのですが、遠慮してしまって。もう少し時間をかけたいと言われてしまいました」

「そうは言ってもですよヨリさん、まだ一日も経っていないわけですしぃ。わたしも心の準備がありますので……」


 座布団の上にユカリを慎重に降ろしながら、アイは照れくさそうに言う。

 ふたりの様子を見るに、この会談は上手くいったようだ。アイの態度も少しは砕けた感じになってるし、丸く収まったと言って良いだろう。元より彼女たちは激しく敵対していたわけではないのだから、当然と言えば当然の結果ではある。


「アイ。さん付けなんてとっとと止めなさいよ? 私はそういうのめんどくさいし嫌いだから。それと、ありがとう……。面倒をかけたわね」


 復活を果たしたユカリが起き上がって、アイへダメ出しをはじめる。

 面倒を掛けておきながら、随分と偉そうだなとは思ったが、そこはユカリ。アイへ礼を述べると、湯当たり以上に真っ赤になってしまった。またアイの方も、やはり赤面しながらぺこぺことユカリに頭を下げている。

 その後は、頃合いを見計らったチカとムツミにより追加のおやつがもたらされ、皆で水饅頭をつつくお茶会が再開された。静かだった室内には、いつもより少しだけ賑やかになった空気が満ちていた。

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