陸拾肆 ~ 超科学寿司三昧 ~
そうヨリに呼ばれて行ったどこでも襖の先は、カウンター席の上部に“銀河のさら”と書かれた暖簾が下がる回転寿司屋になっていた。
大将が言うには、今日はいいネタが入っているらしい。用意された主なネタは、ヨリが選んだ冬の旬で、いなだや鰆、鰤に鯖といった庶民の魚から、鯛や河豚などの高級魚までなんでもあった。そこは回転寿司でありながら、良質なネタばかりが揃っているという、いわゆる漁港や鮮魚市場にありそうな高級回転寿司となっているようだ。
カウンターの中には、同じ出で立ちをしたお馴染みの三人がいる。自分の席の前には、手ぬぐいを姉さん被りにして襷をかけたヨリが、紺の前掛けをぴしっと決めて作業に没頭している。今、彼女は巨大な鰤の身おろしを行っており、その手際はお見事の一言に尽きる。流石は漁村の出だ。
「魚をおろすのが上手すぎる……」
彼女たちが台所で作業をする姿を、普段はじっくりと見ることもないので、こうして目の前で行われる作業を見せられると、その技術の高さに感服してしまう。そういや生成食材で、丸ごと形を保ったものを見るのも初めてだ。
「そうですか? 以前はほとんど毎日のことだったので、自分では分からないですね」
僅かにはにかんだ様子で言うヨリが村にいた頃は、仕事や食事の用意で毎日のように魚をさばいていたと、その日常を語ってくれる。
一方、ヨリと横に並ぶチカとムツミは、客の需要に応えるべく、寿司を超高速で握ったり巻いたりしている。いかにふたりの速度が速いとはいえ、食いしん坊が多いこのメンバーが相手だと、寿司という食事の提供にはいささか辛いものがあると思うのだが。
「桁違いに食べるのがいるから、三人じゃ追いつかなくない? 大丈夫? たまには俺も手伝おうかな」
そう言いつつ、自分の右横に連なる面々に顔を向けるが、皆目線を合わせようとはせず、リエだけが素敵な笑顔を向けてくれた。かわいいリエには、こちらも笑顔を返して軽く手を振る。とりあえず彼女たちにも自覚はあるらしい。
「御心配にゃ及びませんぜ兄さん」
「裏方さんが頑張ってますからねぃ」
「はい。というわけです」
怪しいべらんめぇ口調のチカとムツミが、心配はいらないと言っているが、良く分からないノリを示すふたりにヨリは苦笑した。
コンベアが出てきている奥の調理場には、仲居ヨリがサポートに入っているとのことだ。まとまったオーダーにも、別途給仕できるようになっているらしい。彼女たちが大丈夫と言うなら問題はない。
「そっかー。なら安心かな」
それにしても、ヨチム組の負担は増える一方のように思う。
ユカリはもとより、区画担当の三人もどえらい量を食べるので、更に増えたアイも含めて、ますます食の需要は膨れ上がるばかりだ。
「アイは今まで食事とかしてたのかい? そのインターフェースなら、食事は基本不要だと聞いてるけど」
両手で交互に河童巻きを口へ運んでいたアイは、忙しそうな手を止めて、一杯になった口の中身を軽く飲み込み、疑問に答えてくれた。
「わたしは……そうですねぇ。真似事のようなことはしていましたよ。でも、ひとりでそうしていても楽しくなかったので、早々に止めてしまいました。ですので、こんな風に誰かがいる場所で、一緒に食事をすることがこんなに楽しいものだったなんて……。今日初めて知りましたよぅ」
その口調は鬱々たるものだった。
アイは陰のある笑顔で寂しいことを言う。彼女の軽いノリには、似合わない顔で辛いことを言われてしまい、こっちまで居た堪れない気持ちになった。
「なんかすまん。マジで不憫な子だったんだな……」
「あ~っ! またひどいこと言ってますね! 大体晴一さんがもっと早くわたしの権限を取得してくれていたら、そんな目には合わなかったかもしれないのにぃ! も~!」
アイが腕を振りあげ怒りの声を上げている。
そのとき彼女の口から飛んできたご飯粒が、自分のしょうゆ皿に飛び込み、自分はやれやれと脱力した。
「ああも~なんてことするんだよ」
彼女を叱りつけて、頭に軽く拳骨をくらわせるが、よく考えると彼女に話しかけているのは自分なので、この言い分は酷い。
しかし食事中に大声を出すのも行儀が悪いので、せめて喋るときはきちんと飲み込んでから喋るようにと念を押す。それから台無しになったしょうゆをアイの皿へと流し込み、新たにしょうゆを注ぎ直した。
「え~ん痛いよ~」
「そんなに痛くないだろ。かなり手加減してるんだから」
オーバーに頭を抱えてぼやくアイへ突っ込みを入れる。小突く程度のげんこつが、そんなに痛いわけがない。
「うぅ、気分の問題ですよぅ。でも晴一さんの言う事は尤もですね。ごめんなさいでした。行儀が悪いのはよくないですねぇ」
意外と素直に反省しているようだ。
なにかとイメージが先行しがちだったが、思い返してみれば、行動は突飛でも筋の通らない会話や、理不尽な要求などをされたことはなかった。と思う。
ユカリを責めるわけではないが、接触前の分析では、アイについての情報も非常に懐疑的なものしか得られなかったのだ。そのため、すっかり胡散臭いやつという印象が定着してしまい、それ故に彼女に対しておざなりな対応しかしてこなかったことは、反省すべきだろう。しかし本当にそれだけなのだろうか。これまで彼女にいだいていた悪辣な感情は、本当にそれらが要因となったものなのだろうか。
「はぁ。私はもうお腹がいっぱいです。とても美味しかったですよ、ヨリさん、チカさん、ムツミさん。御馳走様でしたぁ」
「それは良かったですね~」
「「恐れ入ります」」
良く食べる方だとは思ったが、アイは底なし組のように、常識外れな食べ方はしないらしい。腹部を押さえるようにして、「ふぃ~」と息をつくアイは、普通の子に見える。
それにしても、ついこの間までの様子と印象がまるで違うのはどういうことなんだ。こいつには人格が複数あるのではないか、などと疑いたくなる。
「なあアイ。お前の性格なんだけど、もしかしたらその辺も操作を受けていたとか、そういう節みたいなものとかあったんじゃないか? これは分かりやすい外見上の差とかじゃないんだけどさ。少し前のお前と今のお前じゃ、どことなく感じが変わっていると思うんだよ。あんまうまく言えないんだけども……」
こういう話は難しいので、明確な回答が得られるとは思っていない。それでも、自分が今持っている彼女への違和感について、一応見解を聞く。
「う~ん。それを主観的に判断するのは難しいと思いますねぇ。でも、晴一さんが受けているその印象に間違いはないんじゃないでしょうか? だって私への対応も以前とはだいぶ違いますしぃ……」
苦手意識を排除して、きちんと向き合うように考えを変えたから、自分の対応も変わったのだと思っていたのだけれど。
それよりもむしろ今は、アイの性格的な部分に何か変化が起きたために、彼女と接することが苦にならなくなったような気がしてならない。
「困ったな。今となっては比較対象もないし。俺も大分わからなくなってるな」
「でも、今のわたしは晴一さんにとって好印象なわけですよねぇ。それならそれでよいのでは? わたしは晴一さんや皆さんと仲良くしたいですよぅ」
「そだな。仲良くする方がいいな」
湯飲の粉茶をすすり、取り皿に盛ったガリを食べる。
見れば、アイの手元にはお茶がないので、カウンターのスペースから湯飲みを一つ取り出して作り方を教えながら、できた茶をアイへ渡す。彼女は礼を言って、無邪気な笑顔でそれを飲んでいた。
アイの世話を焼いている間、ずっと右の方からはただならぬ気配を感じていた。でもそれは気のせいだと思うようにして、終始無視を決め込んだ。
◆ ◆ ◆ ◆
昼食が終わり、また食べ過ぎてしまった感に苛まれてしまう。それでもいつもの日課をこなすために、海岸まで出て来た。
自主トレをしようというつもりはあるのだけれど、まだこなれぬ腹が邪魔をして激しい運動をする気が起きない。このまま動き回ると、気持ちが悪くなってしまうと思うし。そこで、腹具合が軽くなるまでしばらく横になろうと思い、毎食恒例の仰向けに寝転ぶスタイルになる。部屋にいようと外にいようと、結局やることは変わらない。情けない気分になって気が滅入る。
日に日に冷たくなってゆく海風に晒されて、空を見上げていると、はるか上空の雲の切れ間に、何かが飛んでいた。きっとなめ子だろうと思い、ヘルメットを展開して拡大してみれば、それはやっぱりなめ子であった。陽光を胴体に反射させて時折キラキラと輝く様は、この間見たお鉢巡りなめ子と同じものだ。
更に映像を拡大していくと、背部にはくろ子が取りついているのが見え、またわけの分からない二機の一面を垣間見ることとなってしまった。その行動の意味するところが非常に気になったので、なめ子に通信を送る。
『なめ子、状況報告』
『本機は現在地上機くろ子と共に待機行動中です』
おかしなことになってはいるが、待機中ではあるようだ。
『くろ子の搭載理由を知りたい』
『連携確保のため背部への搭載を行っています』
『ああ、そう……。わかった。待機続行』
『了解しました』
いや、なにも分からないが。
くろ子も、飛行能力が皆無というわけではないけれど、空中機動性はなめ子の方が圧倒的に高いので、それなりに連携の意味はあるのだろう。うん、そうなのだろうとは思う。思うのだが、何か納得しがたい。
一定のエリアをずっと周遊している二機を、ぼんやりと眺めている所へ、何者かが近づいてくる足音が聞こえた。岩屋の方を見ると、音の正体はアイだった。彼女は一直線にこちらへやってきて、徐に隣へ腰を下ろす。どうかしたのだろうか。
「お昼寝ですか~? いいですねぇ」
「いんや違うぞ。これも訓練の一環なんだ」
訓練に臨む前の下準備なのは違いないのだけれど、それでもこんな体裁では説得力もなく。結果アイには笑い飛ばされ、あっさり流されてしまう。それ以降会話は途切れてしまい、しばらくふたりで黙ったまま、何となく辺りの風景を眺める。
「ユカリさんは凄いですねぇ。ここまでの物を、長い年月をかけてずっとお一人で築き上げてきたんですよね……。挙句自己の複製にまで成功されたのですからねぇ。たとえ同じ境遇になったとしても、わたしには無理だったと思います……」
打ち寄せる波の音だけが響く沈黙を、静かな口調で先に押しのけたのは、三角座りをして膝に顎を乗せているアイだった。
初めて見る箱庭の環境に度肝を抜かれ、細部に目を向ければその精巧さに驚愕し。もはや非の打ちどころなどないような完全なシステムに、畏敬の念さえ持ってしまったと、アイは打ちひしがれたように言っている。
「確かにそういった見た目だけなら、間違いなくここは完全に調和の取れた場所だと思う。でもなあ、実際はこの箱庭は失敗作だったんだよ。それに、ここまで来るには凄惨な歴史があったわけだし」
「なんと、そうだったんですかぁ!? う~む、全くそんな風には見えませんが……」
「だな。背景を知らなければここは楽園にしか見えないよな」
空には鳥の一羽もおらず、岩場には機械でできた海洋生物が闊歩し、釣り糸を垂れれば生成された魚が自動的に針にかけられるという、不気味な理想郷である。
「で。何か俺に用があって出て来たんじゃないの」
ちらちらと、遠慮がちにこちらの様子を窺うような目を向けているアイに、助け舟を出すつもりで言ってみる。
「いえいえ、特にそういうわけではないのですが~。何となくお部屋には居づらいので……。えへへ」
「なんだ、ユカリにまた何か言われたのかい」
「と、とんでもない! 確かにユカリさんは辛辣ではありますが、意地悪をしてくるタイプではないと思います。どちらかと言えば意地悪なのは晴一さんの方ですし~」
「なんだと……」
AIはもれなく洞察力が鋭いのだろうか。
意外にもアイはユカリの性格をしっかりと見抜いていた。初っ端から強制土下座などをさせられているのに、彼女は邪な心象も持たず、偏見によらない公正な分析と評価を行っているようだ。私的な印象では、ポンコツで残念な子だと思っていたのだが、それこそ大間違いの偏見だったらしい。まいったね。
「お前さん凄いな。やっぱり俺は色々と思い違いをしているのかもしれん」
「何ですか急に。気持ちが悪いですねぇ……」
自分から褒められると、アイが途端に懐疑的になるのは、間違いなく今までに行ってきた酷い対応のせいだ。しかしながら彼女は、さばけた性格の持ち主なようで、そのことを根に持っている様子はない。なんだ、普通に良い子じゃないか。
「ほんと。今までいろいろ悪かったよ」
「なんなんですかも~。ここでも居心地が悪くなるじゃないですかぁ」
「まあまあ、あんま気にするな」
そろそろ重たかった腹具合も落ち着いたので、跳ね起きの要領で起き上がり体を伸ばす。
すると意識に感応したのか、背中にくろ子を乗せたなめ子が、一瞬にして目の前までやってきて、自分とアイの周りをゆらゆらと周回しはじめた。どうやらNKTはアイに興味を示しているようで、忙しなくスキャニングを行う。
やがてIDなどの交換を行うと、彼女が現統括管理AIだということを認識したようで。二機は待機状態へ戻った。
「晴一さんは哨戒機とも知り合いなんですか~? それとこの黒いのは何者です?」
「哨戒機とは因縁浅からぬ仲だな。なんせこいつには下半身を丸ごと吹き飛ばされて死に掛けたしな! わはははは……はあ。因みに黒い方は、この箱庭の防衛機構のくろ子だ。哨戒機の方にはなめ子と名前が付けてある。まあ言わなくてもID交換で素性は知れてるだろうけど」
いまだ割とトラウマではあるが、死に掛けたようなことを笑い飛ばしてアイへ伝えると、流血の惨事は嫌だと青くなっていた。ついこの間も、刻まれたオリジナルヨリの遺体を見ているのだから、今更青くなるようなこともあるまいに。あ、流血ではないからさほど響いてないのかな。
「お前さ、あの時なんでヨリの遺体を俺に寄こしたんだ?」
「へ? ご遺体? 何のことです?」
ごく真面目な顔で、アイはオリジナルヨリの遺体の話に首を傾げる。
「いやなんのことって、この間イカレたサンタコスで俺に寄こしたプレゼントのことだよ。まさか忘れたわけじゃないだろう」
「ええ!? あれはヨリ型ガイノイドボディの壱号機ですよね? なのでオリジナルサンプルモデルになるはずなんですが……?」
どういうわけか、アイはあの遺体をガイノイドだと思っているようだ。
保管区画で見つけた際も、タグにはそう情報が乗せられていたと言い、生身の人間ではないとされていたらしい。
「ユカリに頼んで記録を見せてもらえばわかると思うけど、あれは人間の遺体だったんだよ」
今のユカリの姿やチカとムツミ、社内の仲居ヨリのひな形となった大昔のヨリの遺体。そしてその遺体のクローンとして、現在を生きているヨリ。それらの話をアイの記憶とすり合わせるようにして、自分は詳しく語って聞かせた。
「あわわわわ……。じゃあ、ご飯を作ってくれたヨリさんはガイノイドじゃなくて人間なんですか!?」
「そうだよ。ヨリは俺と同じで生身だよ。ただ彼女はナノマシンを適用されているから、俺とは基礎能力が全く違うけど」
「ならばわたしはとんでもないことをしてしまったのでは……?」
途端に狼狽えはじめ、小さくなって震えだすアイに、それについてはもう決着がついていることを伝える。
アイはすでに泣きそうな顔になっているので、背中をさすって励ました。それから、アイの行動が結果的にはいい方向へ転じてくれたので、今のような安定した関係を作れるようになったということも付け加えておく。これには結構な感謝もしているし、多分ヨリとユカリもそう思っているはずだ。
「もし気が済まないっていうなら、ヨリやユカリにきちんと話して謝ればいい。ふたりなら話せばわかってくれるし。むしろアイに対する猜疑心みたいなものも解消されるんじゃないかと思うがね」
「ですかねぇ……。ユカリさんに噛みつかれたりしません? 怖いなぁ。てゆーかわたし疑われてるんですね……。うぅ」
確かにユカリは怒りっぽいし、時々辛辣ではある。けれど、別にタガの外れた狂犬ではないので、噛みつくようなことはしないはずだ。最近ユカリの頭、齧ってないな。
「大丈夫だよ。皆根は素直でいい子ばかりだし、アイだって悪いやつじゃない。話せば分かってくれるよ。あと、主に疑ってるのはユカリだけれど、それも気持ちをちゃんと伝えればなくなるって。心配すんな」
そう言って彼女の背中を叩き激励すると、ゲホゲホと咳込んで四つん這いに崩れ落ちてしまう。なんでだよと突っ込みを入れつつ抱き起こすと、アイはすっかりしょげかえり、半分べそになっていた。