陸拾壱 ~ 出店II ~
午後になり、いつものように海上へ出ている自分の所には、なめ子とくろ子以外にもうひとりメンバーが増えている。今日は兵站区画担当AIのサクラがいっしょだ。
昨日の遭遇戦のとき、彼女に手合わせをお願いされた。その要望に応える形で、自分の訓練にも反映できると思い、この度ぜひにと言って引き受けたのだ。兵站AIである彼女が先生となるなら、これ以上心強い相手もないだろう。己の存在を暴力と豪語してもいるし。
初めての手合わせなので、一対一で対峙するようセッティングし、なるべくお手柔らかにお願いする。正直どんな感じになるかまったく分からないので、くろ子との訓練を思い出して、今回は六脚に対処するつもりでいくことにした。この子は相当な実力者のはずだから。
戦闘支援機能の設定を、比例制御へと切り替え。サクラの数値に対して、常に三割ほど上回るよう補正を掛けて、自分の力量差を力で補填するよう変更する。この状態で軽く組み手を行ったが、違和感なく対応できるようなので、とりあえずしばらくはこれで様子を見ることにした。そこから数十分ほど模擬戦闘を行っていると、サクラからお褒めの言葉をいただく。
「へー。晴兄いい感じじゃない? めっちゃ付いて来るじゃん」
「いや、コレはひとえにユカリのおかげだよ。この装備が恐ろしく優秀だから、俺の能力云々て話じゃないな」
ヘルメットを指先で小突いて言う。こいつのサポートがなければ、サクラの動きになんてついて行けるわけがない。ユカリセット様様。転じてユカリ様に感謝だ。
「え~。でもそれを使いこなしてるのは晴兄でしょ。仮に私の体に晴兄が入ってても同じことだと思うし~。それって晴兄がすごいってことじゃん?」
考えてみれば、サクラの言い分も一理ある。生身では肉体が追い付いていないだけで、そこが補完できているならば、後はセンスの問題になるだろうし。
「謙遜も度が過ぎれば自己否定になったりして、大事なものを見落としてしまう。なんてこともあるのかねえ」
「なにそれ~?」
サクラはけらけらと笑い、くろ子を抱きかかえていた。当のくろ子は、やや迷惑そうに足をバタつかせて、抗議をしているように見える。
この子との手合わせは、くろ子やなめ子のそれとは明らかに違う、体全体を使って攻防を行う人型特有の格闘スタイルだ。同じ機械知性であっても、くろ子やなめ子のように、テンプレートからランダムに選択した行動を行っているような印象はない。対してサクラは工夫を凝らし、絶妙な機動と攻撃を適宜繰り出していた。ヘルメットの戦闘支援AIも、これはなかなかパターン化ができないようで、指示提案の数が極端に少なくなっている。
彼女は打撃の威力以外、かなり本気で手合わせしてくれてる。かたや自分の方は、それに何とかついていけている程度なため、ここに遠距離攻撃なども交えられたら、勝てる見込みはまったくなくなるだろう。今の自分は、近接攻撃に限定している彼女の立ち回りに、やっと対処できているに過ぎないのだ。
「あ~すまん、少し休憩」
「ういうい~」
だいぶくたびれてきたので海岸に戻り、ヘルメットだけ解除して、砂浜へ大の字に寝転ぶ。普段のくろ子&なめ子とのじゃれ合いでは、感じたことのない疲労に見舞われぐったりしてしまった。心肺機能の補助が効いているため、息が上がることはないけれど。まるで持久走を行った後のように、全身がだるい。
「大丈夫晴兄?」
膝に手をついて前屈みになったサクラが、自分を心配して顔を覗き込んでくる。
見上げた視線の先で、均整の取れた顔とすらりと伸びた脚線美が目に入るが、スカートが短いために下着が丸見えになっていた。それにブラウスの胸元もかなり開けているため、角度的にいかがわしい絵面になっている。
でも嫌いじゃないんです、こういうの。
「ありがとう。ちと疲れただけだから心配要らんよ。それよりも、パンツ見えてる。女子なんだからもう少し配慮しようぜ」
再びパンツの話題。でもこれは不可抗力。あと、機械生命とは言っても女の子なんだからちゃんとしようよ。
「ん~、またパンツの話? 晴兄も好きだね~」
そう言いながら、短いスカートの裾を摘まんでひらひらさせる。これこれやめたまえ。おじさん喜んじゃうから。
「そういうことじゃないんだよなあ」
恥じらうことなくサクラは笑い、自分の隣へ移動して三角座りに腰を下ろす。
沖から吹き寄せる風が砂を巻き上げるため、時折それが寝転がる自分の上へ降って来る。しかし、それらは物理保護領域によって弾き飛ばされ、すぐに視界から消えて行く。打ち寄せる波の音は心地よく、疲労感も手伝って、ついウトウトしてしまいそうだ。少し気合を込め、眠気を振り払って意識を戻すと、座っていたはずのサクラは、仰向けに寝転がって寝息を立てていた。
「え~。なんでお前さんが寝ちゃうんだよ」
吹き寄せる海風に艶のいい髪を靡かせて、彼女はゆっくりと胸を上下させている。ブラウスの裾に近い部分のボタンは留めていないので、かわいいへそが見えている。
まったりと過ぎてゆくひとときの中で、自分はすっかり気がそがれてしまった。こうなると、もうモチベーションを維持するのは難しい。
「おい起きろ~。今日はもう戻るぞ」
社へ戻るため、寝ている彼女に声を掛けて揺り起こそうと強めに肩をゆすってみるけれど。うんうんと唸りながら、もう食べられないみたいな寝言を言うばかりで、彼女は目を覚まそうとしない。
「漫画かな……」
今時漫画の登場人物でも、もう食べられないなどというベタな寝言を発することはないと思う。何度も揺らして声を掛けるが、サクラが目を覚ます様子はない。仕方なく彼女を引き起こして、小さな子供を抱くような縦抱きへ体勢を変え、服についた砂を払って社へ足を向けた。
やれやれ。でかい子供が増えたみたいだ。
「何でサクラが寝てんのよ」
部屋に入った所で、ユカリから開口一番文句を言われた。そんなことを自分に言われても困る。
リエはでっかい赤ちゃんだとはしゃいでいて、彼女を膝に乗せているランからは、鋭い視線を向けられてしまった。君たちの大事な妹を丁重に運んできたというのに。姉たちの理不尽且つつれない態度が、遣る瀬ない気持ちにさせる。おじさんは悲しいよ。
「あんまりだぞ。ちゃんとここまで面倒見て連れて来たのに。お前さんたちのかわいい妹じゃないか」
そう抗議はするものの、ユカリとランからはずるいとか、いやらしいなどのクレームしか返ってこない。まったくもう。
そんな中ヨリだけはきちんと気遣ってくれて、「お布団を用意したので」と、サクラを寝室へ寝かせるよう優しく促してくれる。
「ほらお前ら。お前らに足りないのはこういう部分だぞ。ちゃんと見習え。このスカタンズめ」
毒づきながら、サクラを隣室に寝かせてヨリに礼を言う。
それから再度、ユカリとランにぴしゃりと言いつけ、こたつに入ってムツミが用意してくれたお茶をありがたく受け取り、やっと一息つく。ずずーっ。
「そんで首尾の方は?」
朝の話で、今日の夕か明日の朝になると言っていたユカリの仕込みが気に掛り、進捗を尋ねる。思い返せば、首尾なんて言葉を実際に使ったのはこれが初めてな気がする。まず言わないよなあ首尾とか。
「明日の朝以降にしましょう。今日はもう遅くなりそうだから」
「わかった」
どうやらもう少し準備に時間が掛るようなので、当日は見送りということになった。
◆ ◆ ◆ ◆
夕方になり、晩御飯も済んだところで、ランの要望により三度目の出店めぐりが始まる。
他にまったく娯楽がないというわけでもないのだけれど、なぜか皆この出店の列が気に入っているようで。折を見ては嬉々として出かけて行くのだ。
「あ、娯楽で思い出した。ユカリ、カフェテリアとか欲しいって話だけど覚えてる?」
どういう理由かは知らないが、また背中に乗っかっているユカリに、動力制御区画で話した件についてうかがいを立ててみた。
「もちろん。予定地は客室前廊下の突き当りを考えてるわ。それから、社前の広場とつないで、屋外スペースも作るつもりよ」
流石というべきか。ユカリの計画に抜かりはないようだ。彼女は大きな窓で壁を抜いて、ネットの画像で見たようなおしゃれな施設にすると言っている。
「ああそれと、売店スペースを拡張してショッピングモールにしたいと思ってるの。こっちはずっと先のことになると思うけど」
「まじか。ワクワクだなそれは」
当初の計画よりも、大幅に規模が大きくなっている気もするが、ユカリがそうしたいなら止める理由はない。台所預かりの子らも、大量陳列の食材を眺めたら楽しいかもしれないし。インスピレーションを刺激されて、新しい料理を考案する手助けになる。なんてこともあるかもしれない。
「毎日献立を考えるのは大変だからな。ヨリとチカとムツミが少しでも楽になればいいな」
するとそこで、リエと何か話していたヨリが引き合いに出されたことに気づき、自分の隣へやって来る。というより、全員が話に乗って来たために密集隊形になり、歩きにくくなってしまった。
「私はあまりお買い物をしたことがないので良くは分かりませんが、以前拝見した写真にはすごく興味を惹かれました」
「あのように大量の食材を陳列されてしまいますと、自我を保てないかもしれません」
「飽食は罪などという言葉があるようで御座いますが、実に余計なお世話で御座います」
三人は三様に、計画へ多大な興味を持ったようだ。特にチカとムツミは、瞳の奥に光を湛えて怪しい笑みを浮かべている。この目力。
「一般的なモールの中には生鮮食品以外にも衣類とか日用雑貨とか、あとフードコートなんかもあるから。ある意味一日中いられるかもしれないね」
かもしれないけれど、ショッピングモールで一日過ごすのは少し嫌だなとも思ったりする。しかしこの子達と行くならば、その限りではないかもしれない。
今後の展望について、思いを馳せてワイワイ話をしていたらあら不思議。あっと言う間に現地へ到着し、早速皆は方々へ散りはじめる。
午前中も気になってはいたけど、ここを訪れるたびに出店の種類は微妙に変わっている。なかったものが出現し、あったものが消え、または場所を変えているのだ。方々を見回しながら参道を練り歩き、「あれ~」とか「う~ん」とか言っていると、背中にくっ付いているユカリからお声が掛かる。
「無くなって困るお店でもあった?」
「ああ、いや。そういうわけじゃないんだ。ただ消えたなとか、新しいなとか思っていただけで」
「そう。もし希望があるなら遠慮なく言ってね。それか自由に追加しちゃってもいいわよ」
そんなことを言っているユカリは、またいつの間にかベビーカステラなぞを食べている。背中からは一度も降りていないのに、どうなっているのやら。
折角だから一つ寄こせと言うと、あーんと言われ、口の中へカステラを放り込んでくれた。いかにもホットケーキミックスといったこの安い味わいに、きゅんとした懐かしさを覚え、甘酸っぱい思い出がよみがえる。確か、あれは中学の頃の夏休――いややっぱりやめておこう。
昨日、お面を売っていた出店の場所を通りかかると、入れ替わるようにしてフランクフルト屋ができていた。これはいい物を見つけたと子供のように駆け寄って、担当の仲居ヨリへふたり分焼いてもらえるようお願いする。数秒の後。礼を述べて物を受け取った自分は、備え付けのマスタードをたっぷりかける。子供舌のユカリはケチャップだけをドバドバかけて、安普請な発泡トレイを手に店を後にした。参道の中ほどには自販機スペースがあり、縁台も設置されている。丁度いいから、休憩がてら腰をおろすことにした。
「よっこら石膏細工っと。さて、残りあと一区画か~」
「そうね。やっとここまで来れたわ」
ユカリはフランクフルトから目を離さずに言い、獲物にトレイのケチャップを満遍なく塗りたくっている。
情報収集解析区画の量子脳を再起動すれば、この要塞惑星は完全に復旧し、本来の能力を取り戻す。しかし今のままだと、それは銀河団の崩壊を意味し、ユカリの目的とは違ったものとなってしまう。ユカリは銀河団の維持を願い、ひいては地球の存続を切望しているのだ。当然自分も思いは同じなので、ポンコツの言うような結果だけは、絶対に回避しなければならない。
「ぐぬ~。ちっと掛け過ぎたか。鼻がつらい~」
マスタードかと思ったら、実はただの練りからしだったようだ。罠が過ぎる。
粉わさびと同様の暴力的な刺激が鼻を抜けて、おじさんは激しく涙目になる。これはひどい。大体にして、粒入りでない時点で疑うべきだった。ああもうにっちもさっちもいかない。
「もう。なんなのよ緊張感のない。真面目なお話しをしてたんじゃないの?」
トレイのケチャップをフランクフルトに付けては舐めしているユカリが、あきれ顔で言う。 意図してこういう目に遭っているわけではないので困っているのだけれど。
「いやしてますよう。でも鼻が辛いのは事実だし、俺だって好きでこんな地雷踏んだわけじゃないんだから勘弁してよ。いやしかしまいったなこりゃ。ああ~。あ゛あ゛~っ!」
「晴一はどうするの……」
「何が?」
手の甲で涙を拭いながらユカリに返す。鼻水も酷いし。
「復旧が……完全に済んだ後の話」
「ん~? ああ、そうだなあ。とりあえず地球に帰るかな」
何気なくそう言った途端、はっとしたようにユカリはこちらを振り向き、みるみる涙を浮かべはじめる。これは早とちり娘の悪い癖なのか、あるいは自分の言葉足らずのせいなのか。満水となったそれは程なく決壊し、ぽろぽろこぼれだす。ユカリには申し訳ないが、徐々に泣き顔に変わる表情も、とてもかわいらしいと思ってしまった。
「こらこら。まだ話の途中じゃないか。勘違いをしてはいかんな。エンディングまで泣くんじゃないというありがた~いお言葉だってあるだろうに」
自分の目を見て、この世の終わりのような顔で涙を流しているユカリの頭をぽんぽんして話を続ける。しかし、自分の涙と鼻水もなかなか止まらんな。この練りからしいい加減にしてほしい。
「生存報告もしなきゃならんし、向こうの生活基盤だって放って置くわけにもいかないだろ。そういう面倒事をちゃんと片付けてから、またどういう生き方にするか考えなきゃいけないと思ってるんだよ。だから、ここから出て行ったきりそのまま帰って来ないとか、そういうことは絶対にないから。たとえユカリが嫌だと言っても、無理やり押しかけてお触りしまくりだ」
涙でぬれるユカリの目尻を親指で軽く拭う。誰かおじさんの涙も拭ってくれないかな。
ユカリは、食べかけのフランクが入ったトレイを突きつけ、濡れた顔を着物の袖でぐしぐし拭うと、頭突きをするような勢いで抱き着いてきた。その衝撃で、両手のトレイを頭上へ落としそうになる。しかしどうにかバランスの保持に成功し、小さな頭が赤や黄色に調味されてしまうような惨事は、ひとまず回避された。トレイが浅いから、中身が転げ落ちる可能性はまだ残っているが。
「危ないな。コントじゃあるまいし、ケチャップやからしなんか被るものじゃないって」
「そんなの……晴一がちゃんとガードしてくれれば大丈夫でしょ……」
ユカリは顔を胸に押し付けたまま、もごもごと憎まれ口を言う。
「へいへい、しょーがねーな。ユカリちゃんはおこちゃまだからなー」
売り言葉に買い言葉。そう反撃すると、彼女は胸に軽く頭突きをした。その痛くもないか弱い衝撃に、トレイの上でフランクフルトが転がる。落ちるからやめれ。
「まあそんなわけだから、ユカリが心配するようなことはなんもないよ。面倒なことになるのはまた俺だけだ。トホホだよまったく」
トホホとか、最近めっきり聞かないセリフだな。
三面六臂でもあるまいし。阿修羅像の日輪月輪のように、両手のひらにトレイを乗せて固まっている所へ、散っていた皆が集まって来る。正面からタックルのように抱き着いているユカリの姿を見たランが、またもやズルイと文句を言って、反対側から同じように腕を回して来た。そんなことするくらいなら、片方の手から危ういトレイをよけてほしいと文句を言いたい。
だが、代わりに気配りの利くヨチム組の三人が、トレイを預かってくれた上に、手に付着したケチャップまできれいに拭いてくれる。しかし、肝心な彼女たちの細やかな気配りのシーンを、ランは全く見ちゃいない。この子は本当にもう。
「ほら、ラン。三人みたいになれとは言わないけど、ほんの少しでいいから周りにも気を配れるようになってくれると俺も嬉しいんだがな」
「何ですの? 晴一くんを喜ばせられるなら、わたくしは何でもいたしましてよ?」
「女子が軽々しく何でもするなんて言うんじゃないよまったく。そうじゃなくて、もっと気を使えるようになりなさいって言ってるんだ」
迂闊になんでもなんて言うと、ここぞとばかりに付け込まれてしまいかねない。
「何でもするのは私共の役目で御座いますれば」
「なれば、せめてランさまもヨリ様や私共を見習われるべきかと」
的確な代弁ありがとう御座います。
棘のあるチカとムツミの言葉に、ランは「失礼ですわねと」頬を膨らませて、ぷいとそっぽを向いてしまう。
賑やかな時間はあっという間に過ぎ、気づけばすっかり日は落ちている。各店舗の店先にも、裸電球の明かりが灯りはじめていた。今どきフィラメント球も珍しい。あるいはそれっぽい何かかも知れないけど。
「さてと。もう皆満足したようだし、時間も時間だし。社に帰って風呂入って寝よ~」
くっ付いてるユカリとランの背中をぽんと叩いて、そろそろ離れるように促し、大きく伸びをした。
もうちょっとと食い下がるランへ、「またひとりで風呂に入っちゃうぞ」と言うと、彼女は即座に立ち上がり、腕を取って自分を引きずるように社を目指して歩きだす。その反対側にはユカリがくっ付いて、同じように腕を取り、ランに負けじと自分を引っ張って行こうとしていた。大岡裁きみたいなのやだー。
他の皆は、先行する自分たちの後に続き、朱塗りの灯篭に照らし出された幻想的な石段をゆっくり登りはじめる。しかしながら、この段数を登るのはちと時間が掛かりすぎるな。途中から飛んで帰ろう。