陸拾 ~ パンツと言う概念 ~
翌朝。自分はユカリを連れ出して休憩室まで出て来た。ポンコツの権限を奪取しようと言ったユカリの計画について、相談するためだ。本当は、昨夜部屋に帰って来てから話そうと思っていたのだけれど、部屋に着くなりサクラが突如ガールズトークをおっぱじめた。これには女子全員が巻き込まれてしまい、切り出せず仕舞いに終わったのだ。
しかし、怪我の功名とでも言うべきか。お陰でひとりゆっくりと風呂に浸かることができたので、悪い話ばかりでもなかった。けれど、朝目が覚めてみれば、ユカリは自分に背を向けて寝ていて、起きた後もなんだか機嫌が良くない。ヨリとリエ、サクラはそういうこともなかったが、ランとチカ&ムツミペアも、どこか穏やかでない様子。
そんな中ユカリの手を引いて、半ば強引にここまで連れて来てはみたものの、彼女は目線も合わせてはくれず。どうにも話しにくくて仕方がない。大事なお話なんだからたのむよまじで~。
「ユカリが怒っている理由は分かってる。そしてそれは尤もだと思う」
本当は尤もだなんて思ってはいない。だって、毎日必ず一緒に風呂に入らなければならない正当な理由なんてないのじゃよ。しかし、まだユカリはそっぽを向いて黙ったままなのだ。そんな怒ることじゃないでしょうよ。
「そうか。じゃあ仕方がない。今から部屋の狭いバスルームで密着して風呂へ入ろう。狭すぎてタオルの厚さも邪魔になるから無論全裸だ。さらなるスペース確保のために抱き合う必要もあるな。そうなると手を使うゆとりも無いだろうから、お互いに体をこすり合わせて洗わないと駄目だぞ。なんならユカリをタオル代わりに使わせてもらおう。さ~てどうやってあの狭さを克服してやろうかなあ!」
言うが早いか、自分は颯爽とユカリをお米様に肩へ抱え上げて休憩室出口へ向かう。その足取りは極めて速足だ。
「ちょあ! なんにゃあーっ!」
予想通り、ユカリは分かりやすく反応して、捕縛を逃れようと暴れはじめた。十分なので、廊下を少し進んだところで踵を返し、先ほどまで座っていたベンチシートへ彼女を下ろす。
「や、やることが極端すぎるでしょばかぁ!」
「そうか。ユカリは俺と風呂に入るのは嫌か。なら仕方ない。これからはユカリと一番遠くなる位置になるよう気を付けるよ……」
わざとらしくユカリの抗議を曲解して、今後の方針を明言する。
「べべ、別に嫌じゃないけど! 極端すぎるって言ってるだけでしょ!」
嫌じゃないらしい。知ってるけど。
ちびっ子はぷっくりと頬を膨らませて自分を睨むも、チラチラと視線を外して眉を顰めている。あまりからかい過ぎるのも悪いので、この辺で本題に入ろう。
「具体的にはどうやって権限を奪取するのか。何かいい方法があるのかね?」
「な、もー。脈絡もなく話を切り替えるわね!」
まだ私の話は済んでないとばかりにユカリは不平を言うが、こちらとしても一度出してしまった話は引っ込めようがない。彼女の側が引っ込んでくれることを願い話を進めた。初めからちゃんと話してくれていれば面倒は無かったのに。そもそも論ですよ。
「暴力に訴えるのは俺の主義に反するし。穏便に済ませられる方法があれば、ぜひともそうしたいとは思うんだが……。だけど」
ひとの話を全く聞かず、横紙破りと言った具合で話を進める自分に対し、彼女はしばらく鼻息を荒くして、フーフーと威嚇めいた音を発していた。それもやがて諦めがついたようで。ひとつ深いため息をつき、プランニングの内容を話してくれた。わーい。
「……社へおびき出して、社システムの認証機能経由で、気づかれないうちに権限を奪おうと思っているわ。でも保険は欲しいからダミーの社の方でね」
AI側から譲渡があればこの限りではないが。通常、区画管理AIの管理者権限を得るためには、格納プール室のコンソールを使用するか、同意の上での直接接触によるイメージ伝達ないし、相手の同意を得ながらの音声コマンド入力でしか実行できない。
そこで今回は社システムを使い、それらの方法を使わずに、ハッキングを用いて権限を奪取してしまおうということだった。このような強引な方法も、自分という管理者権限保持者がいてこそ成立するものであって、外部からの侵入などで実現できるものではないそうな。ガバガバセキュリティじゃなくてよかった。
社内部に入ったユカリ以外のAIは、基本的に社システムの制御下に置かれる仕組みになっているそうだ。各区画管理AIの本体である量子脳から張られた超空間リンクは、社システムによって常時監視され、必要とあればバイパスを行い、リンク自体もオーバーライドできるようになっている。また、社システム側からの許可がなければ、内外のリンク構築は不可能であり、任意に断続が可能な治外法権エリアになっているという話だ。
「社内部だと権限の優先順位は、筆頭が晴一、第二位がヨリと私、そして区画担当AIの子達が第三位。チカとムツミは社システムと同位で、仲居ヨリシリーズの最上位存在となってるわ。そして社システムの判定基準は変えてあるから、社に入った時点で、アイツは仲居ヨリにさえこき使われる最低位の存在になるのよ。飛んで火に入る何とやらね。むふふ」
笑うユカリは、ものすごく悪い顔をしている。これから罠に嵌められて、酷いことをされてしまいそうなポン子に、少し同情してしまった。
「ポンコツは馬鹿だけど……いや、馬鹿っぽいだけなのか? 多分悪者ではないとは思うから、程々にしてやってくれ」
言わずもがな。ユカリも皆もいい子ばかりなので、本当に酷いことにはならないだろうとは思う。先の愚行に対しても、精々罰ゲーム程度の憂さ晴らしで勘弁してくれるに違いない。多分ね。
「じゃあ、ユカリの準備はできているってことでいいかね。俺の方はいつでもいいし、ユカリのタイミングでお願いするよ」
「わかったわ。大体は用意できているから、もう少しだけ待ってて。今日の午後か明日の朝くらいには実行できると思うから」
「んー」
◆ ◆ ◆ ◆
準備にはもう少々時間が掛るそうなので、とりあえずここでの会議はお開きとする。
さて、自分はイカ焼きを食べに行かねばならないので、庭園へのガラス戸を開く。同時にユカリが背中に飛びついてきたが、こうなることは分かっているので、当たり前のように背負いなおし、出店の並ぶ石段下へ向かった。
中央通りを歩いていると、休憩室の方から誰かが走って来る足音が聞こえ、振り返る。足音の主はサクラだった。彼女は裸足で玉砂利を蹴散らし、こちらへ爆走してくる。やがてサイドスライドのように滑って自分の横へ止まり、強引に腕を絡めて「あたしも連れてけ~!」と言った。元気爆発だなこの子は……。
「お前は野生児か。ちゃんと靴を履け靴を~」
「あ~、縁側で降りる時に雪駄がなくてさ~。そのまま来ちゃったよ~」
悪びれる様子もなく、サクラはけらけらと笑って腕にぶら下るように体重を掛けてきた。
「まったくもう。ほら、これでも履きなさい」
背中のユカリが、どこからかピンク色のクロックス風サンダルを取り出して、サクラに差し出す。なんか売店で見た気もするな。
「おお、ユカリ姉サンキュ。マジ助かる~。ところでパンツまる見えだけどいいの?」
背負われたユカリの尻の辺りを撫でているらしいサクラが、笑いながらそんな苦言を呈した。どうやら短い着物の裾がおんぶでずり上がり、パンツが丸出しになっているようだ。
「え……ほんとに?」
「うん、めっちゃ見えてる。あはは」
なおも笑い、サクラは姉の尻を撫でているようだ。
「こら、撫でるんじゃないの! でも、知らない誰かに見られるわけじゃないから……ねぇ晴一?」
「おう何で俺に振んだよ。それにどういう意図があんだよ」
「なに? 晴兄パンツが見たいの? あたしが見せたげよっか?」
痴女かな。
まったくこいつらは揃いも揃って羞恥の境界がさっぱり分からない。照れる場面では普通に照れたりする癖に、時々こうやって恥を意に介さない場合もある。一体どこを基準にして赤くなったり青くなったりしているのか。まじで理解に苦しむ。
「ここで俺がユカリの尻を撫でたら、ユカリは赤くなるだろ?」
「なっ! あたりまえでしょう! 変態晴一!」
そろそろユカリの罵倒が気持ち良くなってきた。とか、そんなことは決して思ってはいない。
「それそれ、そこだよ。今ユカリはパンツ丸出しだけど、特に恥ずかしがってもいないし。サクラに至っては、前室で押さえつけた時はセクハラとか言ってたくせに、今はパンツ見せようかとか、とんでもないことを言ってるだろ。それに、撫でちゃいないが、おんぶしてるってことは、ユカリの尻は俺の腕に接触はしているじゃないか。マジでどういう基準なんだよお前ら」
そう言った途端、背中のユカリが身を固くするのがわかった。片や、隣で腕を絡めてるサクラは「そういやそだね~」などと笑っている始末。他人事か。
「晴一だって嬉しいんでしょ……」
一瞬静かになっていたユカリだが、ここでまた引き合いに出される。自分の名前は免罪符か何かなのか。
「違うぞユカリ。俺がどうこうじゃなくて、ユカリはどうなんだって話だ。話を逸らすのはいかんな」
ついでにユカリの尻をぺんぺんと叩くと、「ギャー」と声を上た。けれど、特に手などは出してこない。
「う~。こんなこと言うと言い訳みたいで嫌なんだけど……。習慣としての羞恥は、ヨリの記憶や当時の文化がベースになってるから、もともとパンツがどうこうっていう意識自体が薄い気はするのよ。ヨリだって晴一に言われるまではノーパンだったでしょ? だから直接お尻が見えなくなった分、パンツ自体は見えても恥ずかしくはないのよ……。きっとね」
「ほう。なるほどな。そういう考察もあるのか」
サクラなどはスタイルとして装着しているだけで、意識などの根っこの部分は、ユカリのそれと変わらないということか。ならば、大っぴらに見せても恥ずかしくはないというのも納得できる。
たかがパンツ一枚だが、使用者側の認識が違えば、ここまで価値も変化するものか。パンツに対する新たな見識が得られたような気がして、心の靄は晴れ、どこかすっきりした気分になれた。なれたのかな。パンツだけど恥ずかしくないもん、じゃなくて、パンツだから恥ずかしくないもん、だっけな。そんなアニメがあったような無かったような。なんか違うな……。
変態のようにパンツの話をしていたら、いつの間にか石段の下まで到着していた。そこで我に返り、焼きイカの出店へ行って、仲居ヨリにいいところを選んで貰う。サクラは瞬間移動でもするように、右へ左へと甘味巡りをはじめていた。気づけばユカリも、いつの間にか綿あめを手にしていて、抜かりなく二日目の出店を楽しんでいるようだ。
焼きイカで思い出したが、地元にはスルメを丸ごと出汁で煮た、煮イカなるものの出店が出ることが多かった。やけに赤い謎出汁で満たされたガス炊飯器のような鍋の中に、干物のスルメを入れて煮戻したという、地元では比較的ポピュラーな食べ物だ。以前県外の友人に聞いたところ、知らない人間が大多数を占めた。一部の噂では海なし県では多いのではないか、という考察もあるようだが、実際は海あり県でも売っているという、謎多き食べ物だ。あ、発祥は茨城らしい。
肝心の味の方はと言えば、コレといった捻りもなく、煮て戻されただけのスルメの味がするのだが、いかんせん硬い。もちろんお年寄りには不向き。自分は焼きイカの方が好きなので、煮イカは滅多に買うものではない。けど、たまに食べると割と美味いので、気が向いたときには買って食べていた。あと炒め物にアレンジするのも割といい感じ。
「晴一、あそこに煮イカっていうのがあるわよ?」
「え~あんのかよ~。びっくりだわ~」
昨日は気づかなかったが、ユカリの指さす方へ行ってみれば、人工芝のような緑のシートの上に半身を重ねるようにして、魚肉ソーセージのケーシングみたいな色をしたスルメが並べられていた。身の端の部分には、縮んで全体が反り返らないよう、等間隔で切れ目が入っている。
イカ焼き店の前は、香ばしいしょうゆが焦げた匂いで充満するのだが、この煮イカの店が近くにあると、辺りが非常にイカ臭くなるのもまた風情があってよい。
「イカ臭いわね」
「ええ~……」
「何? どうしたの?」
「いや。俺の心が汚れているのが悪いんだ」
ユカリの口から発せられた単語に、どこかクリミナルなものを感じてしまうのは、やはり自分に何らかの悪意があるためだろう。こういう所は直していかないといかんな。イカだけに。
「あれ晴兄、まだここにいたの? もっと色々回ろ~よ~」
白いビニール袋に、大量の菓子類を詰め込んだサクラが戻ってきて、自分の腕を掴み一緒に行こうと急かす。
「なんだかここ凄いイカ臭くない?」
「……イカが売っているから仕方なイカな」
担当の仲居ヨリに七本ほど見繕ってもらい、イカの詰まった薄青いビニール袋を受け取る。その後はサクラに引きずられるようにして、朝の出店めぐりは続く。昨夜の風呂の腹いせか、結局部屋に帰るまでユカリは背中に乗ったままだった。
◆ ◆ ◆ ◆
三人で回った出店めぐりの旅は、お昼頃まで続いた。何やかやと食べ歩いてしまったので、昼食が食べられるか不安になってしまう。自分は最後にかき氷を貰って部屋へ帰ったのだが、部屋は真冬設定になっているので、こたつに入ってそれを食べる羽目になった。つらーい。
「んもう、晴一くん! ひと声いただければ御一緒しましたのに!」
「ごめんて。ちょっとのっぴきならない状況だったんだ。あとで皆と一緒に行こうよ」
背中を丸めてかき氷を処理している自分に、ランが不服を漏らしていたので、代案を提示して溜飲を下げてもらう。
それでも彼女は口を尖らせているので、頭を撫でてやることで、ようやく納得してくれた。情報収集解析区画を再起動する前に、ポンコツの方を押さえておきたいので、忙しかったのだよ。もうユカリとの話も済んで暇だから、午後あたりにでも付き合ってあげよう。
そんなランとリエに煮イカを渡して、かき氷の処理を再開する。急いで掻き込んで頭が痛くなっては、喉を茶で温め、また氷へ戻るというサイクルを繰り返し、やっとの思いで食べきった。もうやだ。
「うう、かき氷を貰うのは控えよう」
水物で満たされて、重くなってしまった腹をさすりつつ、もくもくと煮イカを食べているリエを何となく眺める。そうしていると、彼女が自分の視線に気づいて、にこりと微笑んだ。つられてこちらも笑顔を返し、味の感想を聞いてみる。
「美味しい?」
「はい、とても美味しいのですよ~。山盛り食べたいのでございます~」
「それはよかった。でももうすぐ昼御飯だから、程々にね」
「はいなのですよ~♪」
やんわりと宥めると、今食べている物を最後にして、御飯が来るのを大人しく待ちはじめた。リエは素直でいい子だ。
ほのぼのしている所へ、お待ちかねの昼食が運ばれて来たので、皆でこたつの上を片付けて場所を確保する。今日の献立は、山菜釜めしだった。
蕨、筍、ゼンマイ、松茸、舞茸etc。山菜がてんこ盛りで入った釜めしは、飯が見えないほど具が盛られている。付け合わせには、山菜の天ぷら、鶏と三つ葉と松茸の吸い物、そしてナスとキュウリのぬか漬がラインナップされていた。今回は小さな釜が用意され、食いしん坊組にも同じものが配膳されていたのが引っ掛かったが、とにかく“いただきます”をして美味しいご飯にありついた。
「ちょいとヨリさんや。あの子たちのご飯小さいけど大丈夫かね。痩せちゃわない?」
ご飯を食べつつ、目の前にある懸念材料をヨリにたずねてみた。
「それはですね。今回から超空間リンクされた食器で、ご飯を提供できるようになりまして」
「あっ……」
その一言で、自分はすべてを理解した。
どうやら釜の本体は厨房にあって、こっちは窓口となる小さな釜が置かれているということらしい。これなら場所を取らずに超超大盛の食事提供が可能となる。なるほどなあ。
「って、納得できるけど、なんか納得したくないね」
「あはは……」
隣でヨリは苦笑している。
食べ物が無駄になることはないのでいいのだが、無駄になるものがあるとすれば、それは調理を行った彼女たちの労力、ということになるのかもしれない。ヨチム組はいつも楽しそうに食事を作っているから、皆が幸せならそれに越したことはないけど。
やや潔癖で、面倒なところがある自分を納得させるのは苦労する。などと自嘲しながら、一気に掻き込み過ぎたご飯を、吸い物で流し込んだ。今日もおいちぃ。