伍拾漆 ~ 24時間便利店 ~
昼過ぎになり、ようやく直通車両は三ヶ所目の崩壊現場に到着する。
最初の崩壊個所と同じように、リエは手前の断面へ修復材を散布し、対岸へは修復材を射出する。そうして瞬く間にここの処置も数分で完了した。
その後はまた、修復が終わるのをじっと待つひまひまタイムを迎えるわけだが。そんな自分は今、リエと一緒にダイニングでケーキを食べている。これはデータベースから生成した、新鮮ないちごをふんだんに使っているごく普通のケーキである。しかし、ここでもリエだけはひと味違った。目の前に座るちびっ子はナイフとフォークを使い、デコレーションケーキを一ホール丸ごと食べているのだ。小さな口を懸命に動かして、巨大な相手と対峙する様は、ある意味勇ましい。
その直径は恐らく三十センチ近いだろうか。号数で言えば十号に匹敵すると思われる。ケーキのサイズは、一号一寸換算としていると昔何かで読んだ記憶がある。一寸は約三センチ。つまり十号は直径三十センチくらいになるはずだ。
「リエも食べたものはやっぱりリサイクルされて素材へ還るんだよね?」
「はいです。ユカリねえ様もランちゃんも同じですね~」
笑顔の頬に生クリームを付けて彼女答える。
備え付けの紙おしぼりを一つ取り出して、リエの頬についているそれを拭ってやると、彼女はくすぐったそうに笑う。いつもニコニコしていてはきはきと喋るリエは、元気な子供の見本のようで非常に愛らしい。
花で例えるなら、さしずめひまわりといったところだろうか。あるいは金盞花やマリーゴールドかもしれない。自分の母親は明るい花が好きで、実家の小さな花壇によくこの手の花を植えていたっけ。
「リエは小さいのに本当によく食べますね」
いつの間にか隣に来ていたヨリが、自分のカップへコーヒーのお代わりを注ぎながら言う。びっくりした。
「う、ありがとう。もしかして、ヨリもチカやムツミの特技を習得したの?」
全然気配が感じられなかったので。
「それはどういった意味でしょうか?」
苦笑しながらヨリは言う。うん、藪から棒に何だよってかんじだよねえ。
「いやね、彼女らと一緒にいる時間が長いから、案外自然と身についているのかもしれないと思って」
「あの、先ほどから何を……?」
自分の言葉の真意を探れず、ヨリは困惑してしまっている。もっとちゃんと言わねば。
「ごめんね。あのね、チカとムツミは気配を消すのが上手いから、ヨリもそういうのが上手くなったのかなと思ってさ。ヨリが来たのに全然気づかなかったんだ」
「え~そうですか? 私は普通に歩いてきたつもりなのですけど」
「うん。だから自覚なく上手くなってるのかな~って。そんな感じです」
ヨリは自覚がないらしく、全く分からないというように首を傾げてしまっている。
彼女と話をしている間も、リエは無心にケーキを食べていて、頬にはまたもクリームが付着していた。そこで、今度はヨリが袂から自分の手ぬぐいを取り出して、リエの頬を拭う。
リエに対して世話を焼くヨリは、いつもとは違う特別な思いを秘めたような表情をしている。そんな彼女見るたびに、妹や弟のことを思い出しているのかと思うと、寂しい気持ちになる。実時間では約百八十年前の話になるが、彼女の主観時間では、ほんの半月ほど前まで共に暮らしていた家族達なのだ。
「ヨリの妹さんや弟さんはどんな感じの子だったの? あ、って聞いても大丈夫?」
「はい、大丈夫ですよ。ん~、そうですねえ。妹の名ナギと言いまして……あの子はとても聞き分けが良くて、家の手伝いもよくする子でしたね。それから弟はカイと言って、母様にずっとベッタリで、甘えん坊でよく泣く子でした」
少し考えるような仕草を見せ、ヨリはひとつずつ確かめるように家族のことを語る。
「姉様と私は二つ歳が離れていましたが、私と下のふたりは年子だったので、妹は十一で弟は十になったばかりでした。村の近くには天然温泉があったので、良くふたりを連れて入りに行ったのですが……ふふふ」
話の途中でヨリは思い出し笑いのように笑った。楽しい思い出でもあったのだろうか。
「あ、すみません。ええと、ふたりは湯の中ではしゃぐので、すぐにのぼせてしまって……。私が落ち着いて入ることができたのは、運よく家族皆で行けたときだけでした。村の大人たちは皆忙しくしてましたから」
「そうなんだ……。やっぱりヨリはしっかり者のお姉ちゃんなんだね」
小まめにリエの面倒を見ながら、自分と話をしているヨリは、楽しそうに思い出を語って聞かせてくれた。けれど、ヨリの置かれた立場を思うと、どうしても頭を過ぎるのは、里心や家族に関する想いだ。辛くはないのか。寂しいことはないのか。と、そんな考えばかりが脳裏を掠めてしまう。
しかし、自身の過去について、ヨリは懐かしそうな顔はするが、悲しそうな表情は見せてはいない。もしかしたら、とうにそんな思いとは決別できているのかもしれない。
「晴一~、この間の話わかったわよ。私だけどうしてお風呂でのぼせてしまうのか」
少しばかりしんみりしているところへ、ユカリが元気な声を上げてランと共にやって来る。
「お、まじで? やっぱヨリと共有――」
言いかけて、自分は言葉を切る。そういえば今話していたヨリの話でも、下の子達が良くのぼせていたと言っていた。
「どしたの? 急に黙って」
「晴一さん?」
ヨリとユカリが怪訝な顔で自分を覗く。
「ああごめん、なんでもないよ」
もしかしたらという予感もあったが、ここはユカリの調査結果を黙って聞くことにした。
「ええと、それでね。晴一が言っていたように、ヨリと体を共有しているのが原因だったんだけれど。それは生理機能によるものではなくて、ヨリの記憶や認識に影響を受けていたのよ」
詳しい話を聞いてみれば、ユカリの語った内容は、先のヨリの話と同じようなものだった。それはヨリが、妹や弟との思い出や記憶をユカリへ無意識に投影していたおかげで、彼女の特性にも大きく影響を与えてしまったということだった。ユカリを通して、妹や弟の記憶を見ていたということである。
「やっぱりか。何となくそんな気はしてたんだ。今ヨリとそんな話してたところだったから」
「そう……私のせいだったんですね。ごめんなさいユカリ」
申し訳なさそうにヨリはユカリへ、ぺこりと頭を下げる。
「い、いいのよそんな。も~、ヨリは気にしたらだめ! むしろ本当に血の繋がった家族みたいで私は嬉しいわ!!」
そう言ったユカリは、ヨリへひしと抱き着いた。
「てことは、ユカリの甘えん坊なところとか、割と泣き虫なところもそういうことだったんだな。さらに言えば、それを受け継いだリエやランも影響は受けていると」
見た目よりも、てんで子供のランと、見た目通り幼いができのいいリエ。皆頼りになるけれど、どこか頼りない部分も持ち合わせている理由は、そういうことなのかもしれない。
「そうね。やっぱり私たちが持つ特性の原点はヨリなのね」
姉妹の視線がヨリへ集中し、彼女は苦笑してしまう。
「言われてみれば……。そういう仕草は皆似ているかもしれないですね。何となく妹や弟の気配のようなものを感じていたのも、そういうことだったのかな……」
目じりに涙をにじませたヨリはそう言って笑い、そんな彼女をユカリとランが強く抱きしめていた。姉妹達を眺めていたリエは、最後の一切れとなったケーキを口の中へ放り込んで、ますますにこにこ顔になっていた。
「なんだろな、このかわいい娘達は」
尊い……。尊過ぎて目が潰れてしまいそうだ。
自分は残りのケーキを一気に口へ運び、温くなったコーヒーでそれを流し込んで席を立つ。空いた席へ尊い姉妹達を押し込んで、彼女たちに新たな茶を振る舞う。彼女たちの尊みオーラに当てられてしまったため、長くここに留まると泣いてしまいかねない。
色々照れ臭いおじさんは、みっともない姿を見せてしまう前に、急いで場を後にした。
◆ ◆ ◆ ◆
「晴一くん、到着しましたわよ」
「ふぁっ!?」
ランに揺り起こされて目を覚ます。
車両はいつの間にか兵站区画のプラットホームに到着していた。乗降口も解放されていたので、誰かがもう車外へ降りているようだ。
リビングに逃れてすぐ睡魔に襲われ、仮眠のつもりで横になったまでは覚えているのだけれど。どうやらあのまま熟睡してしまったらしい。
ランと共に車外へ出て、ユカリセットを展開して周辺環境を調べる。先に車両を降りていたのはユカリで、何やらプラットホーム内を調べているようだ。
「ユカリどしたの?」
「あらおはよう晴一。動力区画が復旧しているから、非常電源の起動の必要もないみたいだし、すぐに格納プールまで行けそうだなと思って」
「あ~確かにここは明るいな。リエとランの時は非常灯だけで薄暗かったけど」
辺りを見回せば、転送装置も起動している様子。これならすぐにでも作業に取り掛かれそうだ。時間の方は十八時を少し過ぎているが、このくらいの時間なら、再起動だけかけて社へ帰ってもいいいだろう。
「どうする? って多分聞くまでもないだろうけど、俺は再起動だけして帰りたい」
「いいわよ。どうせ手順は同じだし。それ自体には時間もかからないでしょうから、やっちゃいましょう」
とんとん拍子で話が決まると、丁度残りのメンバーも降りて来たので、一同は転送装置に乗り込んだ。瞬きをするほどの時間で転送は完了し、兵站区画内部の転送室へ到着した。何度目かの見慣れた風景を辿り、格納プール前室まで来るが、当然ここにもインターフェースの姿はない。一行は前室を素通りして、量子脳格納プール室まで移動する。
部屋の中央には他の区画と同じように、障壁で蓋をされたプールが設えられている。早速自分は傍らのパネルを操作し、皆と手分けをして作業に入った。今回はユカリセットの機能を活用して、上層にあるキャットウォークへ飛び上がる。もし、こんなことを仕事の現場でやったら、確実に始末書ものだけど、幸いここは会社でも出張先でもない。となれば当然、内規による安全配慮義務なども存在しないため、自由にやらせてもらう。そもそも、この装備を展開している自分に危害が及ぶようなことがあれば、それは安全配慮も何もないわけで。気を付ければどうにかなるレベルの話でもない。
「ね、ねえ晴一……。肩車して」
自分と同じ方向に移動して、復帰操作をしようとしているユカリが、突如意味不明な要望を口にする。
「え、どゆこと? この前も思ったけど高さは自分で空中に固定できるでしょ。俺でもできるんだし」
「できるけれど……それよりも別の簡易な手段があるなら、そっちを選ぶのは普通じゃない?」
その普通は全然普通じゃないと思った。
こちらはユカリを上に乗せなくても、全ての操作をひとりでこなせる。ゆえに、ユカリの提案は支離滅裂なものと言わざるを得ない。そして彼女は、目線をまったく合わせようとしない。かわいい。
「ユカリ。それはちょっと苦しくないかい」
「なによう。駄目なの……?」
周囲を見回して全体の進捗度を確認すると、人数が増えたこともあって順調に進んでいるようだ。この分なら、ユカリが引っ付いていても作業の進捗に影響はない。しゃーないので渋々了承を返す。すると、してやったりといった顔でユカリは飛び上がり、キャットウォークの手すりをひと蹴りして、肩の上に収まった。まったくも~。
「こら。そう言うとこだぞ。その機動を使えばい――」
「も~っ。いいでしょー」
話の途中で文句を言うと、ユカリは口を尖らせて目の前の操作盤を弄りはじめる。これ以上追及してもかわいそうなので、諦めて作業を進めた。仕方のない甘えん坊さんだ。
「ISO 45001とか」
「ん? 何の話?」
頭の上からユカリの嬉しそうな声が響く。じつは自分としても、ふともみゃがもみゃもみゃして嬉しい。
「管理職になると色々責任も伴うことがあったりしてだな……。あっちではこんな風に作業してると色々と問題になるのだよ」
取引先との定期報告会合のことを思い出し、陰鬱な気持ちになったので、ユカリの太ももに頬ずりする。
「ひゃ!? やだ! 何すんのよ!」
逃げようにも逃げられない微妙な範囲で体をくねらせて、ユカリは自分の悪戯を回避しようとしている。
「これはサービスの対価。いわば運賃」
おちんぎん発生。
「もう、変態」
ぎゅっと閉じた太ももで頸動脈を圧迫しながら、ユカリは悪態をつく。これはこれでけっこうでございます。
あまりじゃれていては、真面目に作業をしている他のメンバーに申し訳ない。気を取り直して仕事に集中し、淡々と作業をこなしてゆく。肩の上にいる甘えん坊将軍なユカリは、ずっとご機嫌な様子だ。何やら鼻歌なぞを歌いつつ、マイペースに作業を進めている。
ヒューマンリソースとでも言うべきか。有能な人員を多数投入した作業は、あっという間に終わり、この区画も無事再起動プロセスが開始される。兵站区画には、動力区画のときのような付随設備に対する作業も必要ない。それについては、手間は少ない方がいいと皆の意見も一致していた。
量子脳のステータス確認のため、コンソール付近でユカリを降ろし、表示パネルの項目をめくって各進捗をみる。この操作も三回目ともなれば慣れたものだ。ややあって、いつも通りプラグイン導入の可否を求められるので、今回も自分が了承ボタンへ触れて、ユカリがデータの転送を行った。
◆ ◆ ◆ ◆
社へ戻って来ると、二十一時近くになっていた。今日は時間も遅いので、軽めに食事をとって寝ようという話になり、皆で休憩所へ行って今回初のコンビニ飯を食べることにした。自分は冷蔵庫からカロリーゼロコーラを取り、総菜棚からサンドイッチを一つ持ち出して、ベンチでそれを食べる。うむ。見た目に違わず極めて安定化された、紛うことなきコンビニサンドの味だ。
咀嚼しながら封切りテープと共に破れた商品ラベルを見たとき、製造年月日が目に入った。何気なしに文字を確認すると、このサンドイッチが作られた日時は、自分がここへやって来た当時の日付になっていた。えー。
「ちょっとユカリん。この日付ってぇ……」
ご飯ものや麺類の弁当を、数個積み上げて持ち出していたユカリへ、消費期限に関する不安を述べる。
「あ、それなら大丈夫よ。ここの陳列棚とか売店の食べ物類も、全部時間軸停止領域が設定されているから。元の場所から動かさなければ劣化することはないわ」
「なんだ、そうなのか。それでも微妙な気分だな……」
見なきゃよかった日付を気にしながら、サンドイッチをまた齧る。やはり一口目と同じように、瑞々しいレタスの歯ごたえと、食べなれたマヨネーズ類の味がする。ユカリの言った通り、このサンドイッチは、生成された日のままで鮮度を保っているようだ。
弁当タワーを手にしたユカリは、自分の隣に座って上から順にそれらをを消費してゆく。他の面々も、各々に食べ物を選んではベンチシートへ着き、談笑しつつ食事をはじめた。棚から取り出された弁当は、加熱された状態で保持されているようで、蓋をあけるとそれらは途端に湯気をあげる。
感心して眺めていると、自分を挟んでユカリと反対側に座ったランが、同じように簡易テーブルに積み上げた弁当を食べはじめた。しかし彼女は、なぜかいやに自分へ密着していて食べにくそうにしている。なんでや。
「ちょいとラン姉さん。そっちも空いてるんだから、ここまでぎゅうぎゅうにならなくても良いじゃないか」
ちょっとばかり、ではなく、かなりの窮屈さを感じた自分は、ランの奇行に苦言を呈す。
「ユカリ姉さまばかりはズルいので嫌ですわ」
もそもそとから揚げ弁当を食べて、ランはユカリへの愚痴をこぼしている。
どういうことかと聞けば、先の作業で不必要に肩車をされていたユカリはズルいとランは言い、頬を膨らませているのだ。彼女が食べ難くてもいいと言うなら、自分はこのままでも構わないので、ランの頭に軽く手を置いて残りのサンドイッチを頬張る。
この子達の頭は皆一様に丸くて触り心地がいいので、つい手を持って行ってしまう。手を頭に置かれたランは、首をすくめてふたつ目の弁当に手を伸ばしていた。
そうして一部がっつりの簡易的食事が済むと、皆は隣の大浴場になだれ込む。毎度のように賑やかな入浴を済ませて、ようやく床に就くころには、二十三時をとうに過ぎていた。