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伍拾陸 ~ 仮想現実舐めプ ~

 早朝。我々一同は直通車両停車位置までやって来た。

 昨日リエによって修復材の直接散布を受けた、全長四十二キロメートルに渡る崩壊部分は、二十四時間以上を経たことで修復が完了していた。車両内の路線ステータス表示も、間違いなくこの先約二千九百キロメートルまで、正常に機能していることを告げている。転送直後に降車した皆でチャンバー内を点検すると、目視でも破損部分が完全修復されていることを確認できた。

 先端がくねくねと曲がる棒を持ち、構造体を入念に検査していたリエからも、お墨付きが貰えた。であれば、もうここにいる必要は無い。皆で車両へ戻り、速やかに出発と相成る。ここからまた四時間五十分ほど、一切揺れない車両に揺られて、長い道のりを行くのだ。

 この移動時間も特にすることはなく、毎度毎度実に暇で、大体食べるか寝るかの二択になってしまう。けれども今日は、このスキマ時間を使い、なめ子とくろ子との自主トレデータにて、イメージトレーニングなんぞに励んでいる。

 ヘルメットを展開してソファに寝転び、シールドを降ろして完全遮光状態にしてHUDの映像のみが視覚へ投影されるよう環境設定を行う。このモードでは、ほぼVRヘッドセットを被っているような状態になる。でも、別途コントローラーの類は必要とせず、視線追従や脳波検出によって操作をすることができる。これは実際に体を動かしている時と同じ動作が実現可能で、五感が脳へ直接官能されるという、高度な仮想現実環境だ。

 視覚は網膜投影に頼る仕様なので、目を閉じればなにも見えなくなってしまうが、現実でもそれは同じだ。この仮想現実モードならば、脅威数の増減も自由に行える。つまり、無制限に様々なシチュエーションを想定することができるのだ。しかし、所詮はシミュレーションでしかなく、体幹操作を習得するには体を使って実践した方が、絶対的に感覚は掴みやすい。

 しばらく没頭していた所へ、ユカリから空間共有リクエストが入って来た。承認を通すと、すぐに現実世界と同じ彼女が視界へ出現する。


「どしたい?」

「何か一人で面白そうなことしてるなと思って。ちょっと覗きに来たのよ」

「そうかあ。期待させといて退屈させたらごめんな」


 またユカリのイベントセンサーが働いたのだろうけれど、こんなものを見て面白いのかね。

 この空間内でも、なめ子の射撃を()なしたり回収したりしつつ、くろ子を追い掛け回すという基本的な動きをしていた。すると、それまでうずうずしていたユカリが、唐突に「くろ子だけじゃなくて、私も追いかけてみなさい」と参加表明を行う。自分は「え~」とか言いながらしぶしぶ了承し、ユカリも組み込んだ訓練内容へ移行する。

 この間の雪合戦のリザルトを見る限り、ユカリはこういう駆け引きは苦手なはずなので、単純な作戦にもあっさり引っ掛かってくれそうだ。そこで一計を案じ、ユカリを罠に陥れてみようと画策する。

 手始めに、なめ子の射出する飛翔体を確保して、くろ子に牽制(けんせい)を加え、ユカリのいる方へそれとなく誘導する。その間も、なめ子と射撃の応酬を繰り返しながら、悟られないよう三者間の距離を徐々に詰めてゆく。やがてくろ子とユカリの距離が最接近したところで、くろ子に牽制(けんせい)射撃をして、更にユカリの方へ追い込むと、ユカリとくろ子はお互いの衝突を避けるため回避行動に出た。そこで、くろ子の回避予測地点へ再度射撃を行い、更にその先の予測地点へも偏差射撃を行う。こうしておけば、今までのパターン通りなら、くろ子はジャンプして回避行動をとるはずだ。

 自分の読み通り、くろ子はまんまと上方への回避体勢に入ったので、ジャンプの直前にくろ子へ近づき、ユカリと自分の間に入ったくろ子の体を利用して死角を作る。そこから思い切り加速して、飛び上がるくろ子をくぐるようにやり過ごし、目前に迫るユカリへ飛びかかる。こうしてあっさりとユカリは自分の手に落ち、まさかの結果に驚愕した彼女は、「ギャー」と悲鳴を上げた。


「こらユカリうるさいぞ」

「なんでよーっ! くろ子を狙ってたんじゃなかったの!?」

「ふっふっふっ……。狙いは初めからユカリだったんだぞ? まんまと疑いもせずにそう思い込んでくれたから、こうなってるんだがな」


 そう言って、自分はユカリの頬に連続で仮想現実チューを食らわせる。

 一気に赤面して、またギャーギャーと悲鳴を上げ暴れはじめるユカリに、「これから捕獲するたびにちゅーするから覚悟しろ」と言ってから捕縛を解いた。その途端、真っ赤になって暴れていた彼女は、殆ど見えなくなるほどまで距離を取り、訓練の趣旨(しゅし)を台無しにしてしまう。


「ちょいと。それじゃ観客と変わらないじゃないか。なら次は捕まえる側になってみたらどうだ? そしたら俺にチューしてくれて構わないぞ?」

「ば、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! 変態晴一!」


 頬にちゅーをすることは、ユカリにとって変態行為に当たるらしい。そんなー。


「そっか……。じゃあ、変態な晴一おじさんは、ユカリの唇を奪うために全力を出します。どうせ仮想現実なんだし、ノーカンでいいだろう? うへへ」


 移動速度を引き上げて、ユカリへ一気に詰め寄る。卑劣な毒牙の標的となった彼女は、三度目の悲鳴を上げて一心不乱に逃げ回った。ユカリとの相対速度を常に二割ほど上回るように設定して、徐々に距離が詰まるよう追跡を掛け、変態おじさんは哀れなAI少女を精神的にも追い詰めていく。

 この空間を構成しているホストは自分だから、主導権は常にこちら側にある。やる気になれば、いつでも捕縛することは可能なのだ。けれど、ここはあえてじりじりといやらしい演出を絡めて、追い込んでゆくことにした。大体、本気で嫌ならば、今すぐにでも共有を切って退去すればいいだけなのだ。しかし意地になっているユカリはそうせず、必死で逃げ回っている。

 仮想空間であるここでは走る必要もないため、寝転がったり四つん這いになったりと、滑るように面白おかしくユカリを追い掛け回す。するとその都度、彼女は「キモイィィィ!」と悲鳴のような悪態をつくのだった。こうしている間にも、互いの距離はどんどん縮まって行き、やがて手を伸ばせば届く程のところまで近づいた。

 エクソシストのワンシーンのように、ブリッジ状態で真後ろに肉薄する自分の姿を見て、盛大に絶叫する彼女を、いよいよとばかりに蟹ばさみで捕らえる。その上で、ゆらりと上体を起こした自分は、獲物に食らいつくようにユカリへと抱き着いた。

 その瞬間彼女との接続は切られてしまう。残念。現実世界へ逃げられてしまったようだ。


「なんだよ自分から誘っといて。つれないやつめ」


 そうつぶやいたと同時に、現実の腹部に対して衝撃が走る。


「モヘアッ!」


 突如何者かの凶行を受け、腹を押さえてヘルメットを格納する。目を向けた服上では、ユカリがエルボードロップをキメていた。


「くおら! この悪ガキめ!」


 自分が飛び起きたせいで体勢を崩し、逃げ遅れたユカリを担ぎ上げて、ペシペシと尻を叩く。お米様(こめさま)抱っこ状態のユカリはじたばた暴れているが、この程度ではおじさんの捕縛から逃れることはできない。


「ぎゃー!! 止めなさいよ! 変態助平人でなしー!」

「なにを言うか! 物理攻撃は卑怯だろこいつめっ!」


 (わめ)いて暴れるちびっ子の尻を、(つづみ)のように叩き続けるも、彼女は尚悪態をついて暴れる。そこでもみもみダメージに切り替えたとき、騒ぎを聞きつけたヨリがダイニングからやってきて、繰り広げられていた惨劇に言葉を失った。

 ヨリと目が合い、自分に一瞬隙ができたのを見計らって、ユカリは脱出に成功。早速ヨリに泣きつく。こんな姿はちょっと妹たちには見せられないよ。


「あぁぁんヨリ~。晴一がスケベで変態で意地悪な人でなしなのよ~」


 嘘泣きをして、ヨリの陰からチラリとこちらを見たユカリが、あかんべーをしている。まったくブレないクソガキムーブだ。いやメスガキだろうか。

 泣き付かれているヨリは、ユカリと自分を見比べて困ったように笑っていたが、彼女もこういう場合は大抵ユカリが悪いと知っている。よって、必然的にユカリは(たしな)められてしまう。


「ユカリ、今度は何をやったの? ちゃんと謝りましたか?」

「ひどい! ヨリまで私が悪いって言うの!? この世には神も仏もないのね……」


 少し前まで人を散々神様だ何だと持ち上げていたのに。今更何を言う。

 ユカリが悪いことは確定しているので、スパンキング行為に至った経緯を説明をすると、ヨリは少し厳しい顔になり「怪我をしたらどうするの? 危ないでしょう?」と、いつまでも子供な妹を叱りつけた。その後は、意気消沈しているユカリを後目(しりめ)に、自分の心配までしてくれる。なんてよくできたお姉ちゃんなんだろう。片や、なんて駄目でへっぽこな妹なんだろう。


「お腹の方は大丈夫ですか?」


 うちのユカリが本当にすみませんみたいな顔をして、ヨリは本気で心配していた。


「あ~うん。ユカリもそんなに本気じゃなかったから。何ともないと思うよ」


 そう言いつつシャツをめくって腹部を見ると、へその上の方が結構な赤みを帯びていることに気づいた。これは多分衝撃よりも、へたくそなエルボーで擦られたせいだろう。


「あれ、意外と赤くなってる。ま痛くはないから大丈夫だけど」

「あああ、何か冷やすものをお持ちしますね」


 そう言ってヨリはダイニングの方へぱたぱたと走って行った。

 そんなに気にする程のことでもないとは思うけれど、ヨリの気遣いを無下にはできないので、無理に引き留めることもしなかった。

 残されたユカリは、ばつが悪そうに心配の視線をちらちらと向けていて、落ち着かない様子だ。彼女は、勢いでやらかしてしまったことを悔いてはいるけれど、素直に謝れずに狼狽(ろうばい)しているらしい。ほんとかわいい。

 ウチのユカリは、本当は根が優しい良い子なんです。彼女にお母さんがいたらそう言いそう。むしろ自分がそう喧伝したい。実際優しい子だからなあ。


「あ、いててて、やっぱ駄目だ……いてて……」


 煮え切らない彼女の様子を見て、少しいたずら心が芽生えた。

 そこで大げさに声を上げてソファへ倒れ込み、気づかれないように横目で彼女の様子をうかがう。するとユカリは大慌てで駆け寄って来て、自分の名を呼びながら何度も謝った。

 綺麗に罠にはまった半べそのユカリを抱き込んで、冗談であることを告げてくりくりと撫でまわす。ユカリは安心して気が抜けたのか、今度は本気で泣き出してしまった。え~。


「うぁあああああん」

「あ、いや、おかしいでしょ? 何でそんなに泣くんだよ。子供か~」

「ひ~ん」


 子供である。少なくとも外見は間違いなく。


「まったく、赤ちゃん返りでもあるまいし。お前さんたちには幼児退行ブームでも来てるのかい。んとにユカリといいランといい。リエなんて一番小っちゃいのに、今まで一回しか泣いたとこ見たことないぞ?」


 ユカリ直系のAI姉妹の中でも、リエはかなりしっかりしている子だ。食べこぼしとかはよくしているけれど。


「だってごめんなざいって言いだかったのにいえながっだんだもの~」


 鼻をずびずび言わせながら、ユカリが幼児のようなことを言いはじめる。


「まったくもう。意地を張るのはよくないとは教えたけどさ。そういうのは、徐々にできるようになっていけばいいって言ったじゃないか。思い通りにならなくて悔しいのは俺も分かるよ。だからって小さな子供でもあるまいし、こんなに泣くこたないだろう。こっちが面白悲しくなってくるよ」


 何でこんなに面白いことになっているのかは分からない。まあ分からなくとも、今のユカリがとても面白いのは確かだ。


「なんでわらってんのよばか~」

「だって面白いじゃないか。普通笑うでしょこんなん」


 面白おかしいユカリを抱きしめて、後ろ髪や背中をなでなでする。


「うぇええんばかぁあああ」


 ギュッとしがみ付いたユカリは、自分に笑われて馬鹿と悪態をつくも、怒ってる様子ではなかった。凄い泣いてるけど。

 やがて戻って来たヨリも、再びおかしなことになっている状況に目を丸くする。ついさっきまでは、ヨリに嘘泣きで泣付いていたユカリが、少し目を離した隙に、今度は自分へ本気で泣き付いているのだ。そりゃそうなるよね。

 困った顔で立っているヨリへ隣に座るように勧めて、このユカリを何とかしてほしいと目で訴える。けれど、慰めに入ってくれるものと思っていたヨリも、これには耐えられず笑い出してしまう。


「ごめんなさいユカリ。でも可笑しくて……ごめんなさい、ふふっ」

「ふたりして酷いよう!」


 ふたり掛かりで笑われてしまえば、さしものユカリもようやく怒りへシフトしたようで。いつもの彼女へと戻りつつあった。


「もう気は済んだかい? あ~もうシャツがえらいことになってるよ。べっちょべちょだぞ」


 涙やら鼻水やら、はたまた(よだれ)やらのユカリ汁にまみれて、シャツの胸元はじっとりと濡れている。


「愉快なユカリ様がまた粗相をなされたとうかがいました」

「面白主人の失態は部下の失態。何卒ご容赦を」


 降って湧いたように、チカとムツミが現れてそんなことを言うと、自分のシャツは一瞬で奪い取られ、次の瞬間には新しいシャツを着せられていた。隙あらば、いつもいつの間にかいるこのふたり。


「面白くも愉快でもないわ! それにまたとか粗相とかどういうことよ!」


 ユカリはぷんぷんに怒っているけれど、言われたことは事実なので。

 超空間ゲートの件からこっち、どうにもユカリは不安定に見える。これ以上こじれるようなことはないとは思いたいけど、気を付けておくに越したことはない。

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