表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/75

伍拾伍 ~ 雪見露天 ~

「明日の早朝から現場へ向かうので、皆も早く寝るように。ではおやすみなさい」


 寝室に続く襖を開き皆に告げ、早々に床に就こうとしたのだが。自分の半纏の裾をランがぎゅっと掴んできた。周囲へ目を向ければ、皆の視線を一身に浴びている。え~。またですか~。


「何か?」

「晴一くん、お風呂は?」


 おろした前髪で目を隠すように、伏し目がちのランがぽつりと言う。


(それがし)、本日すでに二回ほどシャワーを浴びておりますゆえ。然らば御免」


 とか言ってみたけど、全然離してくれないの。


「やはり浴槽には入らなければいけないと思いますよ?」


 今度は真顔のヨリが静かに言う。


「いや、しかしですな」

「今夜も冷えるわよ? ちゃんとお風呂に入って、温かくして寝た方が気持ちいいでしょ?」


 ユカリも真剣な顔でそう言い、心なし室内温度が下がった気もする。むしろ操作してないかこれ。


「「お風呂は毎日入りましょう」」


 いつも通りのチカとムツミは、ぼそぼそと言いながら超高速アルプス一万尺をしている。ひょうきんなる者達よ。


「大丈夫だよ。毎日入浴はしているからな。ふふふ」


 黙って笑っているリエは、自分と皆の顔を眺めてにこにこしている。

 色々誤魔化す手段を考えたものの、恐らく何を言ってもこの子らは納得しないだろう。なんかずっと注目してるし。若干名目力凄い人もいるし。


「あ~もう。お勧めって言うより絶対入れって空気じゃんかー」

「察しが悪いわね晴一」

「いや、だから理屈がおかしいでしょーがもう。わかったよ~」


 きっとこのままでは(らち)があかないので、観念した自分はうなだれるように肯定を返すしかなかった。

 まあ、たまには雪見風呂も風情があっていいだろうと思うことにして、広縁のガラス戸を開くも、濡れ縁の軒先はまだ雪の壁だった。戸を開くと同時に、冬の夕暮れ時の冷たい空気がサッと室内に流れ込み、つま先にはひんやりとした感覚を帯びる。陽が落ちたせいもあって、外はかなり寒い。これ風呂場も寒いんじゃないの。

 昼間は、濡れ縁まで被っていた雪のグラデーションが、今は奇麗に掃除され、滑って転ばないように配慮されていた。きっとこれはチカとムツミの心遣いだろう。寒々しい廊下を睨む自分の後ろには、半纏の裾を掴んだランが背中に密着するように立っており、そのさらに後ろには、五人が一列に並んで出待ち状態になっている。まるでRPGのフィールドモードみたいに、ぞろぞろと濡れ縁兼渡り廊下に皆が出て来ると、リエが駆けて来て自分の手を取り、にこりと笑う。

 背中に張り付き、ずっと裾を摘まんでいるランの手を、空いた方の手で掴んだ自分は、両手に花状態で濡れ縁の廊下を歩いて行く。すると、少し進んだところで背中にユカリが飛びついて来たため、家族サービスをするお父さんみたいな状態になってしまう。背中のユカリが異様に軽いので、何かしてるのかと聞けば、腕だけでしがみ付くのは大変だから、重力制御をしていると言う。そこまでして背中に乗らなくてもいいだろうに。

 無事風呂場へ着いたので、左右と背中の三人は、自分と横並びになるように脱衣籠を確保して、賑やかに入浴の準備をはじめる。浴場に入ると、竹垣の背を超えた雪壁が見える。低い気温のおかげで、いつにも増して浴槽からはもうもうと湯気が立ちのぼっている。夜の露天風呂は薄暗いため、猶更視界は狭い。

 浴槽上部にだけは屋根があるのだけれど、風呂場自体はまるきり外気に晒されているので、腰巻タオル一枚で我慢できるものではない。尋常じゃない寒さに()えかねた自分は、ざっと掛け湯だけをして、すぐさま浴槽へ浸かる。冷えた体に、熱い湯がピリピリと痛い。できるだけ少しずつ体を沈めていくと、ようやく隅の方で落ち着つくことができた。お年寄りなら、ヒートショックであの世行きの可能性が高いなあ。後から入ってきた皆も、低い外気温に「寒い」とか「痛い」などと口々に愚痴をこぼし、掛け湯もそこそこに湯船へと逃げ込んでくる。

 そんな中でヨリだけは、皆の様子に苦笑はするものの、寒さに対して文句を言うわけでもなく。洗い場まで行くと、あろうことか体を洗いはじめた。この寒さの中で真っ先に体を洗うなんて、とんでもない娘だ。今すぐ駆けつけて人肌で温めて差し上げたい。


「いやいやヨリ、寒くないの? それとも東北の人は寒さに強いの?」


 全裸なのにそんなことあるわけはないだろうが、冗談めかしに聞いてみる。


「いえ、普通に寒いですよ~。津軽の人間だって裸では寒いですから」


 足だけは湯を張った洗面器に浸けているが、細い腕で両肩を抱いて答えたヨリは、震えながら体を洗っている。彼女の様子を見ていると、こっちまで寒くなってしまう。ああ抱き締めたいその体。

 それでも手早く体を洗い終え、石鹸を流した彼女は、やはり逃げ込むようにして浴槽に入ってきた。ヨリも自分と同じように、熱い湯に体をさすりながら、ゆっくりと沈んで行く。


「はぁ~さむかった~」


 タオルで前を押さえながら、ヨリは浴槽の中を膝立ちで移動し、ユカリの隣にやってくる。そこでようやく人心地着いたというように、浴槽の縁へ背を預ける。


「少し温まってからでも良かったんじゃ?」

「いえいえ、お湯が汚れてしまうといけませんので」


 もの凄く生真面目である。


「もう、ヨリは真面目過ぎよ。ここのお湯が汚れないのは知っているでしょう?」

「ええ。でも、これは私がちゃんとしたいことだから。ね」


 双子のような姉妹は、仲睦まじく同じ顔で笑い合う。

 ふたりの尊いやりとりを眺めているうちに、いい具合に温まってきた。そこで自分も体を洗うために浴槽から出ると、ランとリエが一緒について出る。洗い場で三人並んで座り、まず自分は頭から洗いはじめる。シャンプーを洗い流し、ボディソープを取ろうと手を伸ばすと、先に体を洗っていたふたりが両側から自分を洗い始めた。助かるわ~。


「おおう、突然三助サービス始まったな」

「ぼくも頑張ってお手伝いしますね~」

「やった。リエありがとな~」


 リエは自分の腕を取り、タオルでごしごしと力強く洗ってくれている。

 体は一番小さいリエだけれど、こう見えてかなりの力持ちだ。以前、彼女がいつも背中に背負っている背嚢を、持ち上げようとしたことがあったのだが。それは尋常ではない重さがあり、自分程度の力ではビクともしなかった。あまりにも重すぎるので、リエにいつもどうしているのかと聞くと、さき程のユカリのように、普段は重量軽減していると教えてくれた。けれど、別に軽くしなくても持てるとも言っていた。小さいのに怪力すぎる。

 反対側では、ランがなぜか遠慮がちにもう片方の腕を洗っていて、やや伏せた顔でぎゅっと目を(つむ)っている。やれやれ、これまたおかわいらしい。後ろ髪を上げている彼女の顔を間近で見るのは新鮮で、普段とはまた違った魅力がある。こんな美人が小汚いおっさんと一緒に風呂に入っているなんて。ちょっと信じられない話だ。


「なんか悪いねラン。せっかく洗って貰ってるのに申し訳ない気分にさせちゃって」

「いえ、大丈夫ですわ。わたくしも頑張りますから!」


 なぜ頑張る必要があるのかは分からないけれど、ランが頑張っている様子は伝わっている。そんなにされるとこっちが照れちゃうじゃん。


「気持ちは嬉しいけど、あまり無理はしないでほしいな」

「が、がんばりますわ」

「え、いや。はい」


 この子の頑張りを黙って見届けよう。

 やがて目を固く閉じたまま、彼女は腕から背中へと場所を移動する。しかし、こうゆっくりしていては、湯冷めして寒くなってしまう。そこで、背中の方はランに任せて、自分はリエの背中を洗うのを手伝い、手早く泡を流して浴槽に送り出した。

 おじさんはさてとと振り返る。まだ目を閉じているランを半回転させて、彼女が巻いているタオルをえいやと毟る。今度は彼女の背中を流さねば。

 ハンドタオルで背中を擦っている間、ランは自分の肩を抱くように縮こまり「ひぃ」とか「ひゃぁ~」とか微妙な声を上げては、体をくねらせているのが面白かった。あと、時々はみ出る横乳がえちくてすき。

 最期にシャワーの湯で泡を流し、寒いから早く湯に浸かるように言って、自分も急いで体を流して湯船へ駆け込んだ。


「だ~もう寒すぎる! 年齢次第じゃ昇天していたかもしれないぞ」

「ふふ~ん。無理して洗いに行かないで、私のみたいにずっとお湯に浸かっていればよかったのよ~」


 身も蓋もないことを言っているユカリは、頭を風呂の縁に乗せて、体を浮かせるように大の字になりながら、溶けてしまいそうな表情で湯を堪能していた。そんなユカリの姿を見たら、またのぼせて自分に搬送されてしまうのではないかと、心配になってしまう。


「入って来た時からチカとムツミの姿を見てないんだけど、どこに行ったんだろう?」

「はる様、チカちゃんとムツミちゃんはあそこにいますのですよ~」


 そう言うリエの指さした方向にあった物は、湯船の端にある天然石を積み上げた出湯口(いでゆぐち)だった。

 湯気で視界が悪く、ぼんやりとしか見えなかったが、湯口を両側から挟むようにふたりの人影が見える。どうやら彼女らは頭にタオルを乗せているようで、じっとしているその姿は、さしずめ神社の境内で睨みを利かせる狛犬のようだ。まったくこのふたりは、いちいち意識外へ隠れるのが上手すぎる。

 いつも物静かに控えて場の空気をよみ、あらゆる状況に対応するその能力は、スニークスキルとしても活用可能なようだ。侮りがたいそんなふたりのシルエットが、今自慢げなオーラを放って見えるのは、濃い湯気が作り出す幻像だろうか。

 皆と雑談しながら肩までゆっくり浸かったおかげで、体の芯まで十分温まった。そろそろ湯舟を出ようと思ったとき、タオルのような浮遊物が湯面を漂っていることに気づく。よく見ると、それはのぼせたユカリの姿で、彼女は(あお)向けの格好で湯船を漂流していた。やっぱりな~。


「し、死んでる!」

「まだ……いきてる……わ……」


 ユカリはまだ辛うじて生きていた。

 のぼせ芸人と化しているユカリを回収し、皆へ声を掛けて一足先に脱衣場へ出る。完全に慣れた手つきで、ユカリをタオルでぐるぐる巻きにして椅子に座らせ、扇風機を後ろに背負わせる構図は、もはや社風呂場の原風景とも言えよう。

 ユカリを冷却している間に、自分は着替えを済ませて様子を見に戻る。彼女はまだふらついてはいたけれど、回復しつつあるので心配ない。本当になにゆえユカリだけは簡単にのぼせてしまうのか。


「考えたんだけどさ」

「ふぁ~。なにを?」


 脱力してフワフワしたままのユカリは、へろへろの返事をする。


「もしかしてユカリがのぼせる理由って、ヨリと脳機能を共有しているからとか、そういう理由じゃないのかな。ほら、ヨリは生体だし、生理機能の誤認とかでさ」

「あ~。そういうのも有り得るかもしれないわねぇ。少し調べてみる価値はありそうね……」


 本当のところは分からないけれど、ヨリとユカリ以外の子達の差異と言えばそのくらいなので、一つの着眼点くらいにはなるのではないだろうか。

 ユカリの完全回復にはもう少し掛りそうなので、硬く絞った濡れタオルを彼女の首に巻いてやり、こちらは頭を乾かしはじめる。粗方髪を乾かし終わる頃、浴場からヨリが出て来るのが見えた。彼女にユカリのことを頼もうかと思っていたら、彼女までもが若干ふらついていたため、苦笑してしまう。

 彼女の安否を気遣って声を掛けると、力のない笑みを浮かべて「大丈夫です」と返事をしていた。正直まったく大丈夫そうには見えないので、足取りが危ういヨリを迎えに行く。肩を支えてユカリの隣に座らせると、完全に回復したユカリがヨリの面倒を見ると言うので、ここはユカリに任せて自分は部屋へ戻る。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 部屋に戻り、居間を素通りして売店へ直行し、ケースから目当てのアイスを取りだす。いつものベンチに腰を掛け、メロンの形をした入れ物のメロン風味シャーベットを、木匙でちまちまと食べはじめた。アイスを食べる手を止めて視線を落とし、しばし今後の身の振り方を考える。いつでも地球には戻れるし、連絡を取ることもできる。適当な嘘をでっちあげれば、今まで行方不明だった理由だって、きっとなんとかなるだろう。

 現時点で、要塞惑星の自動修復機能は完全動作しているので、超銀河団崩壊の危機は今のところ去ったと言えるだろう。そういう意味では、目的は達成できたとも言えるのだが。ユカリの希望を考えてしまうと、このままでいいというわけにもいかない。

 彼女は家族に憧れていると言っていた。それは即ち、残り二基のAIの起動が、主目標になったと言い換えることができる。そして、自分が言い続けている最後まで付き合うという言葉は、彼女の希望を全て叶えるまでは、引かないという意味だ。今は、その気持ちが地球に戻ることで揺らいでしまうのが、何よりも怖かった。実際に帰ってみなければ、本当のところは分からない。しかし、志半ばで一時帰還などをするよりも、一種のけじめとして完結を迎えるまでは、帰還はしないと決めておく方が、自分にとっても都合がいいのは確かだ。


「すべて片付くまで家には帰らない。残された家族や関係者には迷惑が掛かるだろうけど。いずれは帰れるからそれまでは……」


 地球の関係者に対しては申し訳ないが、この星で彼女たちの力になれるのは、今のところ自分しかいないのだ。それを途中で放り出すようなことなどできはしない。自分が大切に思っている皆が、一様に幸せになれなければ意味がないのだから。

 我に返ると、結構な時間考え込んでいたようで、アイスは手の熱ですっかり融けていた。液体になったメロンシャーベットを飲み干し、容器をごみ箱へ放る。空いた両手で頬を張って気合を入れ直し、皆の待つ部屋へ戻った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ