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伍拾壱 ~ 一時帰宅 ~

 零時にアラームを掛けておいた腕時計が電子音を発し、目を覚ます。

 昨夜寝る前会議で決定されたメンバーは、自分、ユカリ、リエ、ランの四人となり、ヨチム組はゆっくり寝ていて欲しいと話を締めた。そのはずなのに。なぜか皆起きだしている。


「あるえ~? なんで全員起きちゃうかな。代わりに俺寝ててもいい?」

「何を言ってるの。晴一が言い出しっぺなのに、そんなの駄目に決まってるでしょ」


 決まっているらしかった。

 再びぱたりと横になった自分は、ユカリに腕をひっつかまれて引き起こされる。だが、逆に腕を引いて抱き寄せ、がっちり抱え込んだままベッドへ倒れ込む。


「いいじゃーん」

「ぎゃーっ! はなしなさいよもーっ!」


 おこなユカリに頭をぼかぼか叩かれる。仕方なく起き上がり、服を浴衣の寝間着セットをから普段着へ切り替えてベッドを降りた。

 近頃は、自分も着替えるのが面倒になっていて、全部ウエストポーチデバイスへ格納している。他の皆も基本的に着替えは手動では行わず、入浴前の脱衣のみ手作業でするようになっていた。それに(なら)うようにしたところ、思っていたよりも快適だったのだ。今後は、ずっとこのライフスタイルでいくことになるだろう。分解生成機能万歳である。きっと遠い地球の未来生活もこうなるに違いない。ならないかもしれない。

 こうして一旦起きてはみたものの。フラフラと二、三歩歩いたところでソファに座り、また横になる。なんかすごい眠いから誰か眠気覚ましでもくれないかな。

 すると今度はリエに起こされた。


「はる様だめなのですよ、起きてほしいのですよ~」

「でも眠いじゃん……。リエも一緒に寝ようよ~」

「え~、でも~……。う~仕方ないですね~。五分だけですよ?」


 いとも簡単にリエは懐柔され、自分の上によじ登ると、再びふたりは安らかな眠りへと――。


「いい加減にしなさいよ!」


 ここで激おこになったユカリに、ソファから引きずり降ろされた。


「ザカリテェッ!」


 背中や後頭部を床に打ち付けたおじさんは、衝撃と痛みにおかしな声を出してしまう。


「あわわわ晴一さんが大変な事に!!」


 星の舞う視界では、物音に気付いたヨリが振り返るのが見えていた。彼女はすぐさまこちらへ駆け寄ってきて、手を貸してくれる。これ幸いとお礼を言い、抱えていたリエの身柄を引き受けてもらう。


「なんだよもう痛いなあ。ちょっとした冗談だろ~? リエが落ちたらどうするんだよ」


 彼女を(かば)った時に打ち付けた肩甲骨が地味に痛いので、さすりながら文句を言う。


「冗談に見えないから怒ってるの! それとリエはあんたが落とさなきゃ平気でしょ」

「ったく……。ぷりぷり怒りやがって、ぷりユカめ」

「何よ!」

「べつにぃ~何でもないですぅ~。ぷりぷり~」

「あんたはあぁ……」


 おっといけねえ。

 これ以上バカ丸出しの変顔を続けては、ユカリがむきぃしてしまいかねない。そろそろ静かにしておこう。そんな(かたわ)らでヨリに抱き着いているリエは、自分の汚顔(おがん)を見て楽しそうにけたけた笑っていた。

 おふざけも程々に、準備を整えた我ら四人は車外へと繰りだす。ヨチム組の三人にはお茶の用意でもしておいて欲しいと伝え、予定通り車内で待機してもらう。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 ここも例のごとく。車両の先頭付近は、チャンバー内の光を反射した白い毒霧が立ち込める危険な領域になっていた。

 損壊して先の構造がなくなった開口部へ来ると、青色LEDのように真っ青な光を放つ断面の幻想的な光景が目に入る。しばしそれを眺めていたら、この青い光は活性化したナノマシンの修復による発光現象なのだと、リエが教えてくれた。光っている断面では構造体が盛り上がり、じわじわとチャンバーを再構成してゆく。それはまるで、成長する氷の結晶を早回しで見ているような、実に神秘的な光景だ。

 感心して見入っている間に、準備を整えたリエが道具を持ち出して来たため、邪魔にならないよう断面部から離れる。まず初めにリエは、こちら側の断面へ向けて満遍なく修復材を散布し、天井側からぐるりと一周させて作業を終えた。次に、背嚢から例の球状になった修復材を取り出し、近くを浮遊していた哨戒機を呼び寄せて、機体の周辺を囲うように配置する。哨戒機はチャンバー内には入れないので、車両の移動に合わせて外を随伴飛行しているようだ。

 すると、ユカリからローカル通信で戦術リンクへのリンクアップ要求がきたので、承認した。これにより随時情報共有が開始され、哨戒機からの映像を直接確認できるようになる。視界の隅で別枠表示となった哨戒機のセンサー映像には、チャンバー内に立つ自分たちの姿が映っていた。チャンバー内は中間層よりも照度が低いため、外にいる哨戒機からは日陰になっているように見える。

 外殻で密閉されているはずの中間層が明るい理由は、粒子線コレクターから分流した光子を、外殻の内面から照射しているためだ。これは、光触媒を使った大気成分の維持機能に関わる措置らしい。層内を巡る気流も同じ理由からくるもので、濃度が均一となるよう常に撹拌されている。金属水素燃料も、ここのアンモニアが原料になってると言うし。


『ユカリねえ様~、準備できました~』


 リエの間延びした声で同時通信が入ると、ユカリが了解を返す。断絶部分に近いこの場所では、低温と塩基性雰囲気を物理保護領域で遮断する必要があるため、会話はすべて音声通信となる。

 連絡と同時に哨戒機が方向転換して、四十キロメートル以上も彼方にある、見えない対岸へ狙いを定める。直後、同機は一瞬で音速を大幅に超える速度まで加速し、機体中央付近に液体アンモニアの傘を纏いながら、爆音を残して一直線に飛んで行く。哨戒機が飛び去った後には、筒状に流動する霧のトンネルが一瞬だけ出現し、やがて気流に呑まれて消えた。

 

『やっぱり光学望遠じゃ雲海に阻まれてまったく見えないわね』

『そうですわね。この距離では、最低でも電波走査を使う必要がありますわ』


 HUDから彼方にある緑の枠へ望遠を掛けてみるが、可視光域では真っ白になるばかりで対岸は確認できない。また雲海の密度が高く、熱画像が得られる距離も長くない。吹っ飛んで行った哨戒機の姿も、出発早々に見えなくなったし。


『あと五秒ほどで到着するわよ』

『え? すごいはやい!』


 ユカリに言われてHUDを見れば、二万キロメートル毎時近くの速度で哨戒機は飛行していた。中間層には大気があるというのに、この速度は凄い。物理保護って超凄い。

 哨戒機は見る間に現場へ到着すると、ユカリの操作によって、機体周囲に固定されていた修復材を断面部へ向けて射出した。修復材は着弾と同時に仕事をはじめ、散布作業は無事完了。

 HUDに映し出された哨戒機からの映像には、一定周期で律動を繰り返して、みるみる体積を増やす修復材の様子が映っている。なんだかタイムラプスで見た粘菌の動きみたいだ。

 しばらくするとその映像も、ゆっくりとこちらへ帰還する模様に変わる。おつかれちゃん。


『ねえリエ、このむにゅむにゅの修復速度ってどのくらいなん?』

『え~と~、ですね~。この構造体ならば、最速で千五百メートル毎時くらいかと思いますですよ』

『まじで!? 赤ん坊の這う速度くらいだと思ってたけど、こっちも恐ろしく速いな。シールドマシーンだって、速くても一日十メートルくらいの掘削速度なのに』


 見るからにものすごい勢いで増えて伸びあがってるしなあ……。


『ナノな人たちが沢山働いてくれていますですから、はやいはや~いなのでございますよ~』


 そんなリエの言葉に、大量の小人の群れが、蟻のような群体を作って働いている情景が浮かぶが、その模様は少し怖い。しかしなるほど。それなら数時間で張りぼて富士も出来上がるな。

 チャンバーがつながるまでには、二十八時間程度かかるはず。という事は、またしても丸々一日は時間が空いてしまう。


『ユカリ~。一旦社へ帰らない? 帰りたくない?』


 自分は通信でユカリにおうかがいを立てて、乗降口に向かう。


『そうね。皆に聞いてから決めましょ』

『そりゃもちろん』


 話しながら少し歩くと、環境維持された空間に入ったため、ユカリセットを解除する。と、後ろにくっついてたランが、またシャツをつまんで来た。遠慮がちなその手を取り、皆で横一列に繋がって車両内へ戻る。

 車内ではヨチム組の手厚い出迎えを受け、テーブルにお茶と茶請けが用意されていた。それぞれ席に着くと、ユカリが修復にかかる時間を示し、帰還の是非を問う小会議が始まる。実際には、会議とは言えない一言二言の相談ではあったが、断る理由はないので、満場一致で帰宅することに決まった。


「車内の転送ビーコンをリンク状態にして帰れば、ここまで転送で来られるから。また明日戻って来て運転の再開をするわよ」


 最後にユカリが締め、皆と連れ立って工作室へ集まる。ここの装置は部屋の隅にあり、かなり狭い。その狭い装置前に並び、ひとりずつ順番に虹の間へ帰還した。感覚的には、トンネルを抜けるようなものだろうか。少し広めのロッカーめいた場所へ、ぞろぞろ人が入って行く絵面がかなりシュールだ。

 車内に転送できるなら、到着するまで社にいて、車両が現場へ着いてから転送で移動すればいいのにと思ったこともある。しかし、そう単純なものではない。セキュリティクリアランスの関係上、権限保持者の搭乗がない場合、車両は走行できない。これは、統括管理AIの権限でも覆らない。仕様上必ず生身の人間が必要になるのだ。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 息苦しさを感じる重量感に苛まれて目を覚ますと、見慣れた木目の天井が目に入った。そこで寝る前の記憶がよみがえり、社に帰っていることを思い出す。にしても何だろうか、この重量感は。

 特に胸の上が重いので顎を引くと、かぶっている布団に異様な盛り上がりがあることに気づく。う~む、明らかに自分の上に誰かが乗っている。布団をめくろうとしたが、両側にヨリとユカリが陣取っていて、腕が動かせない。毎度のことだけど、それでもなんとか両の手を開放し、盛り上がった布団をちらりとめくる。

 そこにいたのは、栗毛のセミロングを湛えたランで、うつ伏せの恰好ですやすやと寝息を立てている。なんだこれは。この子も寝相が悪いのか。いいや寝相がどうこうの距離じゃない。元々彼女が寝ていた位置は、左の端っこだったはずだ。寝相の悪さ如きで、こんなマウントポジションになるとはとても思えない。そこで腕時計を確認すると、すでに七時を回っていた。

 昨晩は中途半端な時間で寝起きしたためか、ヨチム組の三人もまだ起きてはいない。一方自分は、早朝から事件に巻き込まれたおかげで目が冴えてしまい、二度寝できそうにない。このまま起きるべきか、皆が起きだすまで待つべきか。小閑の処遇に悩みながら、手持無沙汰ついでにランの頭を撫でたり、頬を引っ張ったりと悪戯する。

 こうしてじっくり見ると、ユカリの膝枕で寝ていたときのように、あどけなさの残る顔立ちをしているのがわかる。しげしげと寝顔を見つめながら髪を撫でていたら、彼女が小さく(うな)って目を覚ました。そこで「おはよう」と小声で言う。


「よく寝てたようだけど、どういう寝相を取れば俺の上に乗っかって寝られるんだろうな」

「ふへぇ……。ぬぁっ!」

「しーっ」


 大声をあげて逃げ出しそうなランの口を慌てて塞ぎ、皆が寝ているから静かにするように促す。すると彼女は、ゆっくりと頭から布団を被って隠れてしまった。う~ん、かわいい。


「まだ眠いかい」


 布団の中で彼女は小刻みに首を左右に振っている


「俺は起きようと思うんだけど」


 今度は二度ほど頷いた。

 布団を大きくめくらないように、ランを乗せたまま枕側へ少しずつずれて、えっちらおっちら床を抜け出す。露になったランの浴衣は大胆に寝乱れていた。宿泊先の浴衣あるあるに苦笑して、近くにあった羽織を取って背中から被せ、着付けを直させた後。そっとふたりで寝室を抜け出す。座卓に座布団を二つ並べて、とりあえず隣に彼女を座らせる。自分は茶器を引っ張り出し、朝の熱いお茶を勧めた。


「端っこで寝てたのに。一体何があったんだい」


 朝から元気がないランに先ほどの出来事をたずねる。


「それが、わたくしにも良く分かりませんの……。確かに昨晩は一番端に寝たはずですのに」

「そっか。人には睡眠時遊行症っていう、所謂(いわゆる)夢遊病と言われてる睡眠障害があるけど。まさか量子脳で構成されたAIに、そんなもんがあるわけもないだろうし……。いや、逆に高度過ぎるシステムのせいでそういうこともありうるのかね」


 それはそれで興味深いけれど。


「自分の意識領域がどういうプロセスで動作しているかなんて、理解できるAIはいないと思いますわよ」

「そういうもんなのか」

「そういうものですわ」


 言われてみれば、人間でも自分のことを完全に理解している人などはまずいない。量子脳を持つAIも、あるいは同じようなものなのか。

 しょげたような顔で肩を落とし、彼女は両手で持った湯飲みから小さくお茶をすすっている。試しにランの頭を軽く撫でてみると、その顔は若干赤面した。


「ユカリの言った通りかな」

「もう、何ですの? わたくしの知らない所で……」


 そう言って口を尖らせる。

 ランを(なだ)め、直通車両の中でユカリから聞いた成長についての話を聞かせる。初めのうちは拗ねていたが、ユカリがランを心配している気持ちや、自分の希望などを伝えると、俯きつつも嬉しそうに口元を緩めた。この微妙な距離感が早く解消すればいいと思いながら、彼女を撫でたりつついたりする。


「ランも寝る時は髪を解くんだな」

「ええ……。それがなにか?」

「いや、髪おろしてるのもかわいいなと思って。お世辞じゃなくてね」


 それは(はた)から見れば、高校生か大学生ほどの婦女子を、おっさんが口説いているようにしか見えないだろう。すなわち自分はパパ活おじさん。んだよパパ活って。


「お……そっ……うぅ……」


 姉譲りの奇麗な栗色をしたストレートヘアを眺め、思ったままの感想を言うと、ランは何かを言いかけて固まってしまう。攻めにはめっぽう弱いと肘でつつけば、スッっと向こうへ顔をそむけてしまい、すっかり乙女チックモードだ。

 しばらくちちくりあっていると、寝室の方から人の気配がすることに気づく。振り返れば数センチ開いた襖の隙間から、縦に重なった視線がこちらに向けられていた。


「うお……。新種の妖怪か何かかな」


 観察対象に気付かれてしまったため、覗いていた面々が何食わぬ顔でぞろぞろと居間へ這い出てくる。しかし、ひとり足らない。そこで皆が退去した寝室をのぞき込むと、リエだけはまだ布団で丸まっていた。納得してそっと襖を閉じ、元いた席へ座る。


「はい。皆おはようございます」

「おはよう晴一」

「「「おはよう御座います」」」


 自分の挨拶にユカリが最初に返し、続いてヨチム組が綺麗にハモる。


「ずいぶん熱心に観察していたようだけど。何かわかったかい」

「晴一がスケベだってことが良く分かったわ」

「いやそれは今更だよ」


 身も蓋もないが。いいさ、自分はスケベだし否定もしない。

 スケベがスケベと言われたところでどうなるものでもない。言われた方は、自身のスケベさ加減を再認識するだけで、損も得もありゃしない。つまり痛くもかゆくもない。スケベばんざーい。えぇ~い、うぇ~い。


「ええと、晴一さんは助平さんなのですか?」

「ぐっ! う……うん、まぁね……。僕もいちおう男の子だから……」


 これは痛い、痛すぎて死んでしまいそう。

 ユカリからスケベと言われるのと、ヨリに言われるのとでは言葉の重みが全く違う。同じ言葉のはずなのに、こちらはやけに深々と突き刺さる。まったくユカリめ、とんでもないことを言いやがって。


「あのとき手込めにはなさいませんでしたが?」

「不能なものと猜疑の目を向けた次第ですが?」


 とにかくわけが分からないよ。


「ここで動力制御風呂場のことを引き合いに出すのは止めて! ……大体あの時はそういう話じゃなかったじゃん。あと不能じゃないし。可能だし」


 この子らは坂道を転がるブレーキが壊れた車か何かなのか。あるいは、鞘を失った抜身の剣であるとか。とにかく。その辺に置いておくと、思わぬ怪我を生みそうな雰囲気がある。警戒を怠るなと自分の中の何とかが囁いているし。


「あーもうお腹すいた! お腹すいたから暴れちゃうぞ! ほら暴れちゃった!」


 迷惑なクソガキおじさんは、席を離れて畳の上で駄々をこね、逆さになった甲虫の如く暴れて回転する。これは、チカとムツミの口から更なる風説が流布される前に、話の方向を変えたかったがゆえの暴挙だ。しかし、空腹だったのもまた事実。早くヨチム組のご飯が食べたいという気持ちは、至極正直なものである。


「このままでは、休憩所のコンビニ食材を食べてしまいかねない」


 荒ぶる奇怪な動作をぴたりと止め、クソガキおじさんは腕を交差させたミイラポーズで呟く。何度でも蘇る強い意志、古代エジプトスタイル。すると、チカとムツミは風のような速度で厨房へと消えて行き、残されたヨリは「今ご用意しますから」と言い残して、また厨房の中へと駈け込んで行くのだった。

 当面の危機は去ったので、今しがたの出来事に対する見解をユカリに求めてみる。ユカリは、自分たちが起き出した直後くらいから覗いていたようで、顛末を話すまでもなく即座に意見を述べてくれた。


「ただ寝惚けてただけでしょう?」

「えっ!? 寝惚けるの? AIも? AIは寝惚けると人の上に乗っかって寝るの?」


 と、ランに聞いてみる。


「もーっ! 分かりませんわよ!」


 半ばからかったような質問に対して腹を立てたのか、ランは拗ねてしまった。でもやっぱりかわいかった。

 しかし、この子たちが寝惚けるということは実際にあるようだ。仕様上では、睡眠は無用のものとなってはいるが、忠実に人の脳をエミュレートしていると思われる量子脳は、その思考や記憶処理といったプロセスも、人の脳とほぼ同一だ。

 睡眠を行えば夢を見るし、睡眠深度も周期的に変化する。なので、夢を見ているような半覚醒状態の時に、強い感情が作用した場合には、寝ぼけた状態が発生することも十分に有り得る。と、量子脳研究の第一人者であらせられるユカリ先生がおっしゃっている。


「ここまで分かりやすい結果もないと思わない? ランが晴一にくっ付いて寝てたのよ? 私に言わせれば、そんなの当たり前ということになるけど」


 ユカリは嬉しそうな顔をして、意味深な視線をランへ向ける。するとランは、「もう!」と言って赤くなって下を向いてしまった。でゅふぉ。


「ランはかわいいわよねぇ」

「そうだな。間違いなくかわいいよ、本当」

「も~。またふたりでからかって」


 羽織の袖で顔を隠して目だけを出したランは、小さく不満を口にする。

 自分としてはからかっているつもりはなく、ランがかわいいのは事実でしかない。であれば、ユカリと共にランを挟み込んで両側から()でたとしても、何らおかしくはない。

 しばらくふたり掛かりでランとちちくりあっていると、寝室の襖が開き、お寝坊さんのリエが枕を抱えて出てきた。ようやくお目覚めだ。


「もふぁようおばいまふ」


 怪しげな挨拶をしているリエは、抱えた枕の端っこを咀嚼(そしゃく)している。お腹空いたんだね。


「こりゃリエ。それは食べられません。ぺっしなさい」


 言いつつ枕を取り上げ、寝室へ放り込む。

 リエの浴衣は寝起きのラン以上に寝乱れていて、片方の襟は二の腕辺りまでずり落ちていた。ゆらゆらと立つ彼女の着崩れを直し、緩んでいる帯も結び直す。寝る前に解いた髪もぼさぼさだけど、いつもこれを結うのは顔を洗ってから。そしてそれをするのはユカリの仕事。

 定位置に座り、ふらついて寝ぼけたままもたれ掛かって来るリエを胡坐(あぐら)の上に迎えて、あらためておはようの声を掛ける。しかし二度寝に入ってしまったようで、再び寝息を立てはじめた。ランはあらあらと笑っていたが、ユカリはなぜか自分を見てムッとしている。ユカリは、自分がリエを抱っこしていたりすると、いちいち機嫌が悪くなる。解せぬのである。


「さあ晴一さん、お待ちかねの朝ご飯ができましたよ~」


 ユカリとガンの飛ばし合いをしていたら、例のどこでも襖が開いて、ヨリの声が聞こえてきた。皆急いで座卓の上を片付けて、膳の受け入れ態勢を整える。

 リエを起こして隣の座椅子へ座らせ、ちゃんと起きなさいと頬っぺたを摘まんで軽く引っ張った。その拍子に、リエはこちら側へ倒れ込んできそうになるが、寸での所で立て直す。それでも、グロッキーな状態は続いている。昨日寝た時刻が悪いからなのか、今朝のリエはいつもより寝覚めが悪そうだ。

 ここでふと気づく。今のリエは寝ぼけている状態で、この状態のリエは以前から目撃している。先ほど話していたAIも寝惚ける云々(うんぬん)の話は、ランがどうこうというよりも、だいぶ前からリエが体現していたのだ。

 そんな今更な事実に気づいた自分は、「ああ」と頭を抱えてしまう。これまでも散々目撃していたのに、どうして気づかなかったのか。いや、正しくは気づいてはいたのに、極自然に受け流してしまっていたのだ。


「そういうことか。自然すぎるんだな。皆の振る舞いは」


 今朝は突然の出来事に泡を食いはしたけれど。実際には特別なことなどではなかったのだ。そう考えると、彼女たちを人とは違った特別な存在として見るのも、そろそろ止めるべきなのかもしれない。

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