伍拾 ~ 長風呂 ~
ポンコツに対して強制的に権限を通す。そうユカリは言った。それについて詳しい話を聞こうと思ったところで、丁度昼食タイムとなってしまう。話の続きは社に帰ってからでも間に合うので、今は兵站区画へのルート確保に専念しよう。
さて、今日の昼食はかつ丼である。付け合わせには、漬物や三つ葉の澄まし汁が添えられ、丼の中には半熟のとき卵が掛けられた煮カツが鎮座し、ここにも大きな三つ葉がのっている。ヨリの説明では、卵は丼の蓋をする前に別途追い卵を掛け、余熱で固まるようにしてあると教えてくれた。ヨチム組のこういった工夫には毎度頭が下がる。
おかげで今回も、大変趣向を凝らした献立となっているのだが、AI三姉妹たちだけは相も変わらず量が多い。彼女らは、巨大なラーメンどんぶりのような丼の陰に隠れるようにして食べている。これでは盛り付けなどの目で楽しむ要素は台無しなのではないか。
「どうしてこの三人はいつもいつも……」
無心で丼の中身を腹の中へと落とし込んでいる面々を見て、ヨリとふたり、苦笑をしながら団欒の時は過ぎてゆく。
昼食後は、いつものようにコーヒーを飲んでいると、キッチンで片づけをしていたヨリがやって来たので、最近の彼女たちの動向を聞いてみた。
「このところ三人でずっと手料理を振る舞ってくれてるけど、オーダーボックスで生成する物じゃダメなのかい? 面倒だとかそういうのはない?」
せっかく便利な装置もあるんだし。
「私は食事を用意するのが面倒だと感じたことはございませんよ。それから生成食品についてですが……晴一さんは私達が作ったものと、生成したものとでしたら、どちらを召し上がりたいと思われますか?」
「それは聞くまでもなく、やっぱ三人が――」
特に考えもせず、自然と口をついた言葉に口籠ってしまい、聞くまでもないことだと気づく。
「そういうことだと思います。私達も、ぜひ手作りの物を皆に食べてもらいと思っているので、これが所謂“winwin”な関係というものではないでしょうか?」
屈託のない笑顔でそんなことを言われてしまったら、もう納得するほかない。
温かな愛情の籠った手作りの料理は、心も体も満たしてくれるものである。それを皆で囲む食卓は、家族の絆をより確かな物へと昇華させてくれる掛け替えのないひと時なのだ。こうして離れてみて分かる、家族というもののありがたさよ……。
ひとりで遠い目をしていると、片づけの終わったチカとムツミもやってきて、話に加わった。
「晴一様は私共の料理にご不満がおありでしょうか?」
「おやおや、それは聞き捨てなりませんが?」
チカとムツミが鼻息も荒く自分を問い詰め――ているわけではないが、自分の意見は気になるようだ。
「滅相もない。日々大変美味しい食事が頂けます事、小生感涙に咽び泣き……。いやまあ三人がいれば、たとえ無人島に漂着しても三食困ることはないと思うくらいには感謝してるよ、ホント。マジありがとうね」
真面目な話。この子達なら、生成食材などなくとも、独自の嗅覚や本能で食材を調達できそうだ。
最近はレパートリーを増やしたいと、人知れずチカとムツミが試食会をしているとかで。ヨリもたまに付き合うのだけれど、品数が多すぎて途中からついて行けなくなると嘆いている。無理はしなくてもと言いはするのだが、頑ななヨリは大丈夫と言って、限界まで付き合ってくれるのだとふたりは言う。自分の知らない所で涙ぐましい努力をしている三人に、気づけば自分は頭を垂れていた。
「ほんと毎日毎日ありがとうござーます!」
「うふふ。やっぱり晴一さんですね」
「恐縮してしまいますが?」
「主にわたくし共が?」
いやいや、恐縮するのはおじさんの方ですから。
「食事の用意っていうのは、毎日色々考えなきゃいけないし大変だよね。皆は暇を見てそんな努力をしてくれているのに、俺なんてゴロゴロしてばっかりで。ああ恥ずかしい……」
両手で顔を覆い、もじもじしているキモイおっさんは、日ごろの不精な行いを恥じた。恥じはしたものの、具体的な改善策は思いつかなかった。そう簡単に人の本質など変わるわけがあるものか。駄目な大人には、この子たちが眩し過ぎる。
この場にいることが辛くなったおじさんは、逃げ出すように飲み物を取りに行こうとした。けれど、ムツミの素早い行動でその欲求は満たされてしまい、ますます一人勝手にバツが悪くなってゆく。ああ……。
「あ、ありがとムツミ」
「恐れ入ります……」
隣で静かに頭を下げている彼女が用意してくれた熱めのコーヒーを、そろりとすする。
へっぽこおじさんが凹んでいる間も、三人はずっと献立内容を話し合っていた。近頃この子たちが良く固まっているのは、こういうことだったのだな。もう少し状況が落ち着いたら、後で自分の知っている料理と、三人のレパートリーを突き合わせてみるのもいいかもしれない。でもおじさんなんて足元にも及ばなそう。
◆ ◆ ◆ ◆
ダイニングでヨチム組と軽く話をした後、操縦席の椅子で考えことをしていた自分は、そのまま眠ってしまったらしい。時計を見れば十六時を過ぎている。体には、タオルケットのような薄手の寝具が掛けられていたため、面倒見のいい誰かが掛けてくれたのだろう。その誰かに感謝して、寝具を畳みながらリビングへ向かう。
タイミング的に三時のおやつは逃してしまったようだ。少しだけ後悔してダイニングに差し掛かると、いつもの三人がホームと化したキッチンに詰めている。シートでは、こちらへ背を向けて座っているリエが、ひとり何かを食べているようだ。隣まで行くと、彼女は大きな器に入ったフルーツ蜜豆を食べていたことがわかった。
「あ、はる様~」
「お~、リエはまたでっかいのを食ってるな~」
通りすがりにリエの頭にポンと触れ、リビングエリアに入る。今度はランがユカリの膝枕の上で寝ていた。これは面白い絵面だ。
「あらま。こっちはでっかい子供が寝てるな」
寝ているランへ回収したタオルケットを掛ける。
「何だかねぇ……。最近逐一報告されるのよ。今日は昨日より十センチ近付いたけど怒られなかったとか。服を掴んでも大丈夫だったとか」
「なにそれ。すごい面白いんだけど」
その日あったことを親に報告する子供かな。
「笑ったら駄目だからね? この子は真剣なんだから」
「ああすまん、悪気はないんだ。しかしそうなると――具体的にこのくらいの距離感で、みたいな話をした方がいいのかね」
自分との距離感を確立するために、試行錯誤を繰り返して学ぼうとしているランの直向きさを感じ、助け舟を出したくなる。
「うん。でもその必要はないと思うわよ。この子もだいぶ分かってきてるようだし、このままで心配ないはずよ」
「そっか。ユカリがそう言うなら間違いないな」
姉のお墨付きだし大丈夫。
さほど時間もかけずに、自然な距離感を掴んでくれることを願い、暖かく見守ることにした。姉の膝元で寝こけるランの顔は、今は幼い子供のように見える。
結局この後もランは寝たままで、夕飯を運びはじめたヨリを見たユカリが揺り起こすまで、目を覚まさなかった。
夕食が終わってすぐ、夜中に到着する予定の現場に備えて仮眠をとるため、まずバスルームへ向かう。改修によって浴槽が追加され、全体的に細長くなった浴室内へ入り、洗い場の一番奥にあるシャワーを使って体を流す。すると、どやどやと後ろから他の皆がなだれ込んできた。またこの流れかと背後を振り返れば、そこにはちょっとした行列ができていた。順番待ちしている皆に気を使い、シャワーを早々に切り上げて浴室を退去しようとしたが、みっちりと後ろに続く行列に阻まれて、扉まで移動することができない。やむを得ず浴槽内を通って浴室を出ようと思ったが、心地よいお湯の誘惑で気が変わり、端まで進んだところでゆっくりお湯を楽しむことにした。
そんな風に出来上がった導線は、皆がコの字に移動して、ぞろぞろと流れ作業のように風呂を浴びるという、前代未聞の入浴スタイルを生み出した。なんともへんてこな状況を見て、可笑しくなってしまう。
「ははっ」
「急にどうしたのよ晴一?」
自分の笑い声を聞いたユカリに声を掛けられる。彼女はリエを泡塗れにしていて、リエは泡を吹いて飛ばすなどして遊んでいる。
「いや、何か工場のラインみたいな風呂だなと思ってさ」
あるいは何かの映画で見たような、刑務所の入浴シーンか。
「ふむ、言われてみれば……。ふふふ、そうね。おかしいわ」
そう言ってユカリも笑い、皆も状況を見回して納得したためか、くすくす笑いだす。
昨日は夕食の後、半端な時間にソファで寝てしまい、途中で目が覚めたときはもう夜中だった。それから軽くシャワーを浴びた後、本格的にベッドに潜り込んだので、今日のような賑やかな入浴とはならなかったのだ。
浴槽の湯が溢れないよう慎重に端まで来ると、扉の近くには最後に浴室に入って来たランがいて、ちょうど自分と横並びとなる。
「あそうだ。ランありがとう。俺が椅子で寝てるとき、ランが掛け布してくれたって、ユカリから聞いたよ」
「え? あ、い、いえどういたしまして」
ダイニングのシートに押し込められたときのように、少しだけ彼女はそわそわしている。それでも昨日よりはましかと、浴槽に寄り掛かり足を延ばして脱力した。
口の付近まで湯に浸かっていたら、体を洗い終えたリエが向こう岸で飛び込んだため、幅の狭い浴槽に発生した津波に、顔面が飲み込まれる。さらに、そのまま魚雷のように水中を直進してきた彼女から二度目の津波被害を受け、浴室の床には大量の湯があふれ出た。
やれやれと思っていると、無邪気に腿の上にやって来たリエが、背中でもたれかかりご機嫌な笑顔を振りまき始める。その様子をじっと見ていたランは、そわそわ感が増したようにみえる。
「駄目だぞリエ。お風呂は静かに入らないと……」
頭からびしょ濡れになりながら、リエのやんちゃ振りをやんわりと窘める。
しばらくすると、今度はユカリが湯に浸かり、こちらまでやってきて速やかにリエを取り上げる。そうして自分の膝にリエを確保して、入れ替わるように寄り掛かった。
「皆でそうするのは構わないんだけど~。あえて言うなら、タオル越しに――」
「い、言わなくても分かってるわよ! もう私は慣れたから気にしないわ!」
言い終える前に、ユカリが真っ赤になって言う。この子は慣れてしまったらしい。
「そうですか」
今更自分も気にはしていないが、彼女たちがどう思っているのかは気になっていたので。
空いたふたり分、前方へ移動したランの背中が、まだ湯も使っていないのに不自然に赤い気もしたけれど。きっとそれは気温のせいだろう。ここには浴室乾燥機もついているし。
「さてと、俺は温まって来たからそろそろ出るかな」
「何言ってるの、まだ皆が入ってないでしょ?」
「いやその理屈はおかしい」
困ったことに、全員が湯に浸かるまで出てはならぬと、ユカリは怒る。挙句振り返ってまで睨むので、たまには付き合ってやることにした。
今しがた体を洗っていたヨリが入り、続いてチカとムツミが同時に入り。ようやく最後にランが湯に浸かるかというところで、残念なユカリが茹で上がってしまい、望みが果たされる前に救急搬送となってしまう。どうせこうなると思ってたよ。
皆にはゆっくり入るよう言い、タオル巻きにしたユカリを小脇に抱えてリビングへ出る。一旦ソファへ彼女を置いてから、自分だけ先に着替えを済ます。彼女の元へ戻ると、テーブルにはお誂え向きに、団扇が置かれていた。これはチカ&ムツミの慧眼に違いないため、ありがたく使わせてもらう。
団扇でしばらくあおいでいると、目を回していたユカリが復活したので、テーブルから冷水をオーダーして飲ませる。まったく、世話の焼ける長姉だよ。
「言わんこっちゃないですよユカリ姉さん」
「はぁ。また面倒を掛けてしまったわね。それにしたって、なんで私だけのぼせるのよ……」
「もうそれ面白機能だよな」
「む~」
不満げにグラスの水を一気に飲み干して、ユカリはお代わりを追加注文する。
テーブルから新たな冷水が提供されると、またもユカリはグラスを一気に煽り、喉を鳴らして中身を流し込む。口の横から溢れたしずくが肌を滑り落ち、首を伝って胸元に巻かれたバスタオルへ吸収される。
空になったグラスをテーブルへ置くと、ユカリは大きなため息をついた。なんだか居酒屋で冷酒飲んでくだを巻くおっさんみたいだ。
「なんかオヤジ臭いぞ」
「うるさいわね……」
真っ赤な顔でジト目を向けるユカリ。
もう大丈夫そうなので、髪を乾かすために洗面台まで行く。すると、ついてきたユカリから「私のもやって」とねだられた。やむを得ず、先に彼女を鏡の前へ座らせてみれば、何も聞いてないのに「ヨリはまだお風呂なんだから仕方ないでしょ」と、もっともらしい理由を付けた挙句、早くと急かしてくる。自分は投げやりな返事を吐き出し、彼女の髪をタオルで丁寧に拭いはじめた。
「ヨリの記憶や話で知ってはいたけど、ほんと色々と器用にこなすわよね。晴一って」
「ん~? あ~。実家暮らしでユカリくらいの子もいたからさ。こういうのは割と慣れっこだ」
「姪御さんよね。かわいい子なの?」
「おう、かわいいぞ。あの子は妹に似てるから美人になるはずだ」
「へぇ、妹さんて美人なんだ」
「うむ。身内贔屓無しで見ても、ルックスはいい方だと思う。残念ながら身長は小さいが」
うちの妹は、小さいころからかわいい子だったため、親類の間でもことあるごとに蝶よ花よと持て囃されていた。それは中高大と進学してからも同様で、男子からはずっとモテモテだったらしい。しかし、親父が厳しかったので非常に身持ちは硬く、在学中に男友達の気配を感じることはなかった。
そんな自慢の妹も、やがて就職先で出会ったイケメンでやり手な同僚と結婚し、幸せな家庭を築くものと思われた。だが、義理の弟となった彼は、海外出張の渡航先で事故に見舞われ亡くなった。それは、結婚後僅か二年目での出来事だった。
当時一歳になったばかりの姪を抱え、夫に先立たれてしまった妹は、一週間ほど塞ぎ込んでしまっていたが、あっという間に自力で立ち直り、子供は一人で育てるなどと言いだしたのだ。誰にも頼らず、ひとりで仕事と育児を両立させるのは現実的ではないと、両親や自分は地元で暮らすよう言った。しかし、頑固な妹は頑なにそれを拒否し、義弟との思い出が詰まったマンションに、住み続けると言って聞かなかった。
マンションは都内にあるため、妹が仕事に出ている間は、姪を託児所などへ預けるしかない。そうなると色々と心配なため、両親は否が応でもこっちへ帰ってくるようにと、ずっと説得を続けていた。連日のように説得を続ける両親の思いを受け、流石に折れた妹は、マンションを引き払って都内の会社も退職。実家の近所にあるアパートへ引っ越した。そして、地元企業へ再就職し、新たな人生を歩みはじめることとなったのだ。
意地になって一時はああ言ったものの、実際に生活をしてみれば困難なことだらけだとわかり、参ってしまったのだろう。
そこでしばらく生活をした妹だったが、実家の建て替え話が持ち上がり、再婚する気がないならば、これを機に一緒に住もうという両親の提案を受け入れ、現在に至っている。しかし、ローンの成約と、土地建物の名義は自分の物となっているため、ただで住むのは納得できないと言って、ローンの四割ほどを負担してくれた。
妹は割と高給取りなので、金銭面で困窮するようなことはなかった。また前の会社から出た彼の保険金等もあり、それなりに小金持ちなのだ。そのため、半分以上持ってもいいと言ってくれたのだが、姪の教育にはこれからまだまだ金が掛かるからと、自分はその申し出を断り、四割負担という落としどころで話がついたのだ。
父親似の妹には頑固な気質があり、比較的大らかな母親に似た自分としては、妹のそういう男前みたいな所が割と苦手だった。まあそれも学生時代までで、社会人になってからは、徐々に尊敬に変わっていったものだが。
「そう。素敵なご家族ね」
「だな。それは間違いない。そしてユカリも皆も最高だし、そんな家族に恵まれた俺はとても幸せ者だよ」
ほんのちょっとだけ、寂しそうな顔をしてしまったユカリの頭を乱暴に拭きあげ、乾燥はドライヤーでのブロー作業に移る。耳回りの髪を掬って乾かすとき、こそばゆいためか、時々首をすくめる仕草がかわいらしい。
「はいおわり。結うのは自分でできるだろ?」
「うん、大丈夫」
ようやく解放されたので、今度は自分の面倒を見はじめる。
ユカリを世話している間に髪は粗方乾いてしまっていて、ドライヤーをあてるとすぐに乾燥は終わる。場所を片付けるころには皆も風呂を出たので、スペースが狭くなる前に退散した。