肆拾漆 ~ だがしかし ~
風呂から上がった後も、ユカリとランは脱衣場でずっと話続けていたようだ。
皆で部屋へ戻って来てからも、しばらくふたりは帰ってこなかった。二十三時を過ぎる頃まで皆と待っていたら、のぼせて目を回したユカリがランに背負われて戻って来る。聞けばふたりは、話が終わったあとまた風呂に入り直して、どちらが長湯できるか勝負をはじめたらしい。
彼女たちは生身の肉体ではないし、風呂の湯程度では耐久も何もない。それ自体まったく無意味の行為なのだ。だがなぜか、またしてもユカリは早々にのぼせてしまったため、競技は即終了。介抱しながら戻って来たというわけだ。
「ヨリ本人ならまだしも。今のユカリの体は仲居ヨリの物で、本体はいまだヨリの中にいるんだよね。リエもランもインターフェースはリモートのガイノイド体でしょ? なんでのぼせる必要があるの……」
「さあ、なぜでしょうねえ?」
隣にいたヨリに問いかけてみるが、答えが得られることはなく。これには全員首を傾げるしかない。
程なくして目を覚ましたユカリは、ランに世話を掛けたと礼を言った。また、皆からはどうしてのぼせる理由があるのかと問われていたが、本人にもその理由は分らないという。ステータス監視は相互で行われているはずだけど、それでもこの謎症状は解決しないようだ。
「不思議なこともあるもんだあねえ。さてと。ふたりも無事に戻って来たから、俺はもう寝ますよ?」
それまでめいめいに過ごしていた皆だったが。自分の言葉を聞くと号令にでも反応したかのように、一斉に立ち上がって寝室へなだれ込む。一団の後を追って入った寝室には、また少し長くなったように見える横長のふーとんが、床面積の半分近くを埋めていた。
「チカさんツミさん。この布団、寝る場所をキルティングみたいに個別に区切ったらどうなるのかな」
何となく思ったことをふたりへ聞いてみた。
「「その場合世は乱れ、地獄と化す事で御座いましょう」」
「えっ?」
それ以上ふたりからは詳しい話は聞けなかったので、大人しく布団に入ることにした。なんか目が怖いし。
今晩は右側にユカリが寝たいと言うので、左側の争奪戦としてじゃんけん大会が始まる。寝る前だというのに元気なことで。
自分とユカリは先に布団へ入り、寝転がりながら成り行きを見守る。長いあいこ勝負の末にヨリが権利を獲得すると、三位決定戦まで試合は進み、最終的にはランとムツミが一番端と決まったようだ。ランは項垂れつつ布団へ入り、遠いところから再び野獣のような眼光を飛ばしていた。けれど、風呂場で向けられたときほどの目力は感じられない。
チカとムツミは相変わらずで、目を閉じるとすぐに熟睡モードへ切り替わる。ヨリは獲得したポジションにリエを寝かせて、自身はその向こうへ収まった。いつもいつもヨリは自分のことを二の次にしてしまうため、腕枕を伸ばし、ヨリとリエが頭を乗せたのを見て眠りについた。
覚悟はしていたことだが、この後しばらくしてから強烈な腕の痺れに襲われ、目を覚ますことになった。
◆ ◆ ◆ ◆
翌朝。朝食をとった後自分は海岸へ出て来た。
今回の拡張工事で、新規に設置された太陽も眩しいこの箱庭は、他の箱庭の領域を合計したものではない。ここはユカリが新たにスペースを用意したもので、従来通りの円柱構造を保ちつつ、最高高度は海抜五千メートル、直径が四十キロメートルの空間になったと言っていた。
周囲の風景も以前とはがらりと変わり、今や島の周囲は全て海原となった。漁村うらがあった対岸の風景もきれいさっぱり消えてしまい、心境は複雑だ。社入り口の岩屋は残っているけれど、その背後に続いていた岩山と雑木林は消失し、今は鬱蒼とした樹海に変貌している。
そしてその樹海の向こうには、どこかで見た感じの山が聳え立っていた。シャープな稜線を持つ、美しい山体を見上げて突っ立っていると、社からユカリが出て来て話しかけられる。
「こうして実際目にすると大きいわね」
「ああ、でかいな……。標高はどれくらい?」
「三千七百七十六メートルあるわね。裾野の最長点距離は約十九・四キロメートルほどあるから、大体この島の外周と同じよ。因みにこの島の直径は二十キロメートルの真円にしておいたわ。外周は全部砂浜だから、乗り物で簡単に周回できるわよ。樹海の中にも散策道を通してあるし。山体を含んだ周囲の環境は、ほぼ現地を再現しておいたから」
そう言ったユカリは、潮風になびいて乱れた髪を耳にかけた。細めた目で沖の方を眺める。横顔は、とても大人びて見える。
「ひょっとして、これコレ富士山じゃね?」
「そうよ?」
ひょっとしなくても富士山だったのだけれど、そこをあえて確認してみれば、やっぱり富士山だったようだ。
「そっかー。……しかし、こんなデカい物を瞬時に構成できるのに、なんで連絡路は修復が遅いんだ」
「それは当然よ。あの連絡路は複雑で高強度な特殊構造体と、高度なシステムを内包しているんだもの。こんな岩と土を盛っただけの張りぼてとはわけが違うのよ。それにこの山体は空洞だし。見た目ほどの質量はないわ」
何その特撮セットみたいなの……。
「張りぼてとな。それって登っても大丈夫?」
「ええ。登山はできるし天候も変わるし。各所には山小屋もあるし、ルートも複数用意してあるわよ。今改修からは箱庭に四季を導入したから、これからいろいろ楽しみも増えるわね?」
「ほう。ばっちり作り込まれた等倍のジオラマみたいだな……」
見上げていた視線を戻し、再び周囲を見回す。
島の風景は変わったが、相変わらず謎の四角錐がちらほらと海岸上に顔を出している。前々から気になっていたそれに近付いて手を触れると、独特の感触も相変わらずだ。
「結局これって何なんだい?」
白に近い淡い青色のような。一見すると大理石めいたそれをぺちぺちと叩き、ユカリにたずねる。
「それは箱庭の防衛機構のひとつね。戦争は終わっているみたいだけど、自律兵器群はいまだ小競り合いをしているようだし、万一の備えみたいな物よ。普段は環境維持なんかの役目を担っているけど、起動するとこうなるわ」
少し離れるようにユカリに促され、四角錐から距離を取る。
すると、キセノンフラッシュの充電音めいた音が一瞬発せられ、即座に色と形を変える。四角錐は、アニメで見るような六脚を備える高機動兵器のような物へと変形した。
「おおすげー! なんだこれ!」
白色だった四角錐は、輪郭に燐光を持つような漆黒の艶消しへと変化していた。
楕円形で先細りになっている六本の脚には、目立った関節はないようだが、全体が滑らかに曲がるようにできているらしい。よく見ると、表面にはウロコのような積層構造が見てとれる。ユカリによれば、それらは外骨格と装甲を形成しているそうだ。目測ではあるが、自分の腰より低い全高は、〇・九メートルほどだろうか。全幅は一メートルほどあり、全長は一・五メートル程度に見える。
起動した多脚ユニットがこちらに近づいてきたので、試しに傾斜装甲のような形をした胴体を掴んで重さを確認してみると、意外にも軽々と持てるほど軽量だった。
「なんかおもちゃみたいだなこれ」
不意に持ち上げられ、わちゃわちゃと足を動かしているそれを見て、ユカリに感想を述べる。
「なかなかかわいげがあるでしょ? でも能力は凄いわよ。有機無機問わず、取り付いたら同化して浸食破壊したりね」
「へ、へぇ……」
それを聞いてちょっと怖くなり、丁寧に多脚のそれを砂浜へ置いた。こんな小さな機体なのになんて恐ろしいの……。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。私たちは敵じゃないもの。たとえ破壊に至るほどの攻撃を加えても、絶対に反撃はしてこないわ。なにせ上位権限保持者だし?」
こちらから攻撃を加える意図はまったくないが、それを聞いて少し安心した。それにしても。そこらへんに埋まってるもんが、こんな物騒なものだったとは。
積年の謎は解消した。多脚のそれと戯れるユカリに朝の散歩を切り上げる旨を告げ、岩屋へ向かって歩きだす。その際彼女は背中に飛びつき、おぶって帰ることになる。いつもの。
「べったりは昨夜までじゃなかったのかい」
「ん~。空いてるんだからいいでしょ~」
甘えん坊は、立っている者は晴一でも使えだのと横柄なことを言っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
部屋に入ったと同時に皆の注目を一斉に浴びる。とうに準備はできているようなので、早速虹の間へ向かう。
畳敷きの廊下を歩いて、虹の間とある木札が掲げられた襖をくぐる。こうして本日も、自分たちは機械油っぽい匂いがするプラットホームへやって来た。
行き先表示にならうなら、兵站区画への路線は右から二番目となるようだ。乗車後、乗降口のハッチが閉じられると、ユカリは何事かリエに指示を出した。はきはきとした口調で快諾を返したリエは、リビングエリアとダイニングエリアの境目まで歩いて行く。そこで背嚢から、例のとろろが出るツールを取り出して、連結部分へ一周吹きかけた。
みる間にとろろは連結部の隙間に浸透し、その幅を筒状に大きく伸ばしはじめる。同時に、リビングから見えるダイニングの景色が、どんどんと奥へ離れて行き、大体二両分程の距離まで進んだところで伸長は止まる。それまでぶよぶよと律動していた周辺の構造体は、元からそうであったかのように車両の内装へと姿を変え、やがて平穏が戻った。
「ユカリねえ様~。できましたのですよ~♪」
にこにこ顔で言いながら、リエは軽快な足音と共に駆け戻って来る。かわいい。
「ありがとうリエ。七人もいると手狭に感じるでしょからね」
小さな妹に頬ずりをしながら、ユカリはリビングとダイニングのスペースをそれぞれ二倍にしたと言っていた。
自宅にしても職場にしても、または通勤手段にしても、環境がいいに越したことはない。こういうのは自分も皆も大歓迎だ。装備がどう変化したのかが気になり、早速各々は車内見学に動きだす。同時に車両が目的地へ向けて出発した。
まずダイニングエリアを覗くと、先行していたヨチム組が、キッチンが広くなったことを喜んでいた。三人は輪になってマイムマイムのような動きをしている。喜びのダンスだろうか。
その傍ら、オーダーボックスが追加されたディスペンサースペースでは、リエとランが狂喜乱舞していた。皆の様子を見たいたらユカリが寄って来て、自分の手を取りバスルームの方へ引っ張って行く。彼女は浴室の扉を開いて、広くなった容積を自慢げに披露した。
「どや~!」
「おお~。いやでも……面積が増えたのはいいんだけど、やっぱり長いんだな」
浴槽に合わせて奥行きが伸長された浴室は、一般的な二畳型ユニットバスをただ引き延ばしたような形をとり、幅が狭い長い湯船と長い洗い場になっている。ニーズには沿ってるかもしれないけど、理想ではないよなあ。
「ま、まあそこは車両の幅を変えるわけにはいかないから……。仕方がないのよね。でも、これで皆一緒にお風呂に入れるわ!」
「別に無理してまで皆で入らなくてもいいのよ」
渋い顔でユカリへ具申する。
「もう、またその話? 皆一緒の方が楽しいでしょう?」
「あ、うん。そうだけど、そうだね……」
これはもう諦めていることなので、社交辞令のような文句を言ったまで。
内装のチェックに余念がないユカリとバスルームを後にして、日課のようになったコーヒーを飲むためダイニングへ向かう。キッチンでは、同じ話題で盛り上がる五人の姿があった。ヨチム組&リエとランは、スイーツな話題で持ちきりのようで、和菓子もいいがもっと他の国の素敵な甘味が食べてみたいなどと、菓子談議に興じているようだ。
彼女たちの話題に聞き耳を立ててコーヒーを取り、近くの壁に寄り掛かりながら皆の様子を眺める。と、そのとき。
「うおあっ、なんだよもう」
不意にランがこちらを振り返り、縮地のような動きで間合いを詰めた。予想外の動きを目にして、おじさんはおかしな声を出してしまう。怖いって。
それと共に、彼女の動きに引きずられた空気が遅れて到達し、おじさんは束の間良い匂いに包まれる。ああいいにほい……。
「晴一くん。この間食べ物について考えて下さるって、おっしゃってましたわよね?」
「ん? ああ、言ったね。国内外の名物とか料理とか。あくまでも知ってる範囲でな~」
「でしたら、わたくしたちにも何か新たな意見がほしいですわ♪」
「ええ~」
お題はスイーツに限定されているようだったが、自分としては、ヨチム組のスペシャルスキルに期待して、いろいろな料理を注文してみたい。だがここは、間を取って別の方から攻めてみようと思う。
とりあえず、一見スイーツと見せかけたヤバい食べ物もあると、オーダーボックスからリコリス系のお菓子を生成し、ランやリエに渡してみる。結果リエは、即「まずーい!」と大きな声で感想を言った。意外にもランには好評らしく、「これはこれで」と形容しがたいあの味を受け入れている。ヨリにも勧めてみたが、彼女は卒倒しそうになってすぐ手に吐き出し、チカとムツミはじっくりと味わった後、不可と言って胸の前で腕を×字に交差させていた。思った通り、これはおおよそ不人気なようだ。
そこからは子供の頃に食べた駄菓子の類や、販売終了になってしまった菓子、アイスなどを思い出しては生成して、振る舞ってみた。この辺りはまあまあの評判で、量産品は嫌だと言っていたランもそれなりに喜んでくれた。
「駄菓子の話をしに来たわけでもないけど、方向性は悪くなかったっぽいね。真面目に考えるなら行き当たりばったりじゃなくて、ちゃんと候補を絞ってから参加した方がよかったかな」
「そうですね。初めにいただいたお菓子は、厳しいと思いましたが、駄菓子ならば私も懐かしい感じがして良かったです」
ヨリにとっては、未来のお菓子に当たるものであるが、駄菓子にはノスタルジーを呼び覚ますような効果があるらしいことがわかった。これは大きな発見のような気がする。
◆ ◆ ◆ ◆
午後になり、全行程は二割弱ほどの進行を見せていた。ユカリの話では、初めの断絶ポイントまで、もう四時間ほど掛かるらしい。
今日も今日とて、リビングのソファーでひたすらごろごろしていても、なかなか時間は進まない。ちらりと視線を向けると、リエとユカリは現場での作業プランを練っている様子だった。自分もテーブル席の方へ移動して天板を二回タップし、音声入力でお茶をオーダーする。熱い茶をすすって、残りの時間をどうやって過ごそうか考えていたら、ヨリが茶請けを持って来てくれた。
「あれえ。なんでわかったの?」
「はい。こちらのテーブルでオーダーされた物は、キッチンのステータスモニターに表示が出ますので。お茶請けが必要かと思いまして」
「あ、そうなんだ。いつも気を遣わせてしまって申し訳ないね」
「いえいえ」
ヨリに頭を下げて謝辞を述べ、早速持って来てくれた梅ジャムとソースせんべいに手を伸ばす。
オーダーボックスには、一度生成させたものが勝手に登録される。特に削除をしない限りは、片っ端からリスト化されて、社や惑星のデーターベースに取り込まれる仕組みになっていのだ。なので、オーダーボックスでなくても、原子配列転換操作が可能な機材なら、基本的にはどこからでも呼び出すことができる。自分の下半身を再生させた出力装置でもね。
しかし、各機材には使用目的が明確に差別化されているので、安全基準のクラスによっては、出力制限を受ける。食品生成機材では、食品以外の物は生成できず、工業用機材では、各生成機の規模などに適合しているものであれば、大抵のものが生成可能だ。但し、機材が損傷を受けるような物は生成できない。更に実験室レベルや、軍事関連設備の機材に至っては、危険物などを含む幅広い物体や物質を、生成出力することができる。少し前にリエから聞いた設備の概要説明によれば、そんな感じであるようだ。
「ヨリも食べよう? ほらほら座って。あ、今忙しい?」
そう言いつつソファの奥へ移動し、場所を作る。まったくこのおじさんは。仕事の邪魔をするんじゃあないよ。
「いえ、大丈夫ですよ。では、お言葉に甘えてご相伴にあずかります」
テーブルに盆を置いて、ヨリも隣に座ってお茶を取り寄せる。幸い手隙なタイミングだったようだ。自分は、新たなソースせんべいを二つに割って梅ジャムを挟み、ヨリへ渡す。彼女はいつぞやの最中のように、行儀よく端から食べ始める。煎餅は彼女の小さなお口によって、みる間に面積を削られて行く。所詮駄菓子のぺらい煎餅である。耐久値も最中ほど高くはない。
「超空間ゲートのお話、ユカリから聞きました」
「あ~……そうなんだ。ヨリに言われるまで忘れてたよ。はは……」
本当に忘れてた。昨夜あんなに衝撃を受けたはずなのに、不思議と頭から抜け落ちていたのだ。
少し前までは、夜ごと家に帰りたいと枕を濡らすほど――ではなかったけど、とにかく帰りたかったのは確かだ。近頃では、すっかり長期出張中のような気分になってしまっていて、ここでの生活を普通に満喫している。人は衣食住が保証されてしまうと危機感が薄れ、あらゆることを楽観視してしまうものらしい。
「晴一さんが神様だったころ――」
「ぶふーっ」
「あああ晴一さんどうなさいましたか!?」
これは決して自分のせいではないのだが。自分が神様だったという設定を思い出すと無性に恥ずかしくなり、ついお茶を吹き出してしまう。まったく、ユカリはとんでもない黒歴史を作ってくれたものだ。
隣では、ヨリが袂から取り出した手ぬぐいを使って、自分の口元を拭てくれている。自分もハンカチを取り出して、手元や卓上に散った茶を拭いた。
「突然ごめんね。あとありがとう。なんか神様時代の話に辛くなって……」
自分がそう言うと、ヨリは一瞬考えてから苦笑を返した。
「落ち着かれましたか? お話、続けて平気でしょうか?」
「あ、はい。ほんとごめんね。どうぞおねがいします」
「はい。晴一さんと初めてお風呂に入った日に、私は晴一さんに帰りたいですかとおうかがいしたと思います。そのお気持ちは今でもお変わりないですか?」
そういえばそんなこともあったな。と、当時のことを思いだす。あれは、ヨリと初めて出会った日の出来事で、今から半月ほど前の話になる。
大浴場の脱衣場で、ヨリの髪を拭ていたとき。彼女の口からその質問が発せられ、自分も連れて行ってほしいと不安そうな顔で言われたのだ。あのときのことは、決して忘れてはいけない大事な約束であり、大切な思い出だ。
「うん。覚えてるよ。その時は日本へ連れて行くって約束したことも。ちゃんとね」
「あ……やっぱり覚えていてくださったのですね……」
ヨリは口元を両手で覆い、涙を浮かべていた。
「え~っ! ちょいとヨリさん、泣かないでおくれよ。そんな当たり前じゃないか、約束なんだから。おじさんに二言は無いのだよ」
「ふぁい」
手ぬぐいで顔を覆って涙をこらえているヨリは、布越しに返事をする。
「まあ、ゆっくりお話ししよう。落ち着くまで待ってるからさ」
「すびばせん……」
鼻声の彼女の頭をなでなでして、ソース煎餅を手に取る。
彼女が落ち着くまで、またせんべいで間を繋ぐことにし、今度は二枚のせんべいに梅ジャムを挟む。それを半分に割って、ちょっとだけ大きい方をヨリに渡す。ヨリは、手拭いで涙を拭きながら煎餅を口に運ぶ。自分も無言で煎餅を齧る。超高速走行を続ける直通車両内の静かなリビングに、めりめりというせんべいの咀嚼音が良く響いた。
「もう大丈夫です、すみません」
「うん、気にしない気にしない。ほんとヨリはかわいいなあ」
そう言って頭を撫でると、またヨリはかわいく赤面する。
「もしかしてあれかな。今すぐにでも帰りたいかどうかって」
「はい……」
デリケートな質問に、せんべいからはみ出て指についた梅ジャムをなめつつ、しばし考えを巡らせる。
「う~ん。それもね~、正直良く分からないんだよね。復旧作業が全部が済んだら帰れるんだろうなーとか、漠然と考えてはいたんだけど。どうもそういうわけにもいかないようでね。これはユカリにはまだ話してないんだけど、現統括管理AIの考えでは、ここが復旧したら攻撃に移ろうと思っているらしいんだ」
「まあ……。それはまたなぜですか?」
ヨリが首を傾げるのも当然だ。ポンコツの所へ行ってたことは、まだ誰にも言ってないし。
「うん。実はね、昨日ヨリの体を弔った後に、ポンコツの所に行って色々聞いてきたんだ。そしたらそういう意向らしくて。でも、それについて詳しい話とかは聞けなくてさ、理由は分からないんだ。そんなもんでね。場合によっては、あいつと対峙しないといけなくなるかもしれないんだよね……」
少し話をしようと思っていただけなのに、まさかの展開になってしまう。そしてヨリは、とんでもないことを聞いてしまったというような顔をしている。
「本当は皆がいる時に話そうと思ってたんだけど、今日の作業とか考えてたら忘れちゃっててさ」
というのは、場の空気を変えたい思いから出た嘘。ポンコツのことについては、言うタイミングをうかがっていたのだ。
「地球がなくなってしまうかもしれないんですか?」
神妙な面持ちになったヨリが核心をついてくる。彼女もユカリと記憶を共有しているのだから、その答えに行きつくのが自然だろう。
「うん。そうならないようにしたいね。できれば穏便に」
メリメリとソースせんべいを齧りながら自分の正直な気持ちを吐露する。
「はぁ。次から次へと。このような場所にいると飽きませんね」
「本当にね。まったく、参っちゃうよねえ」
「仕方ないですね。ふふふ」
微笑んで緊張を緩めたヨリに対して、こちらも苦笑を返し、諦念めいた言葉を吐き出した。
拉致被害仲間であるヨリと共に、ため息交じりで笑い合う小さなお茶会。議題は、自分たちの住まう巨大銀河の未来にかかわる大問題だ。本来ならば、おっさんと子供がお茶を片手に語らうようなものではないはずだ。そのはずなのだが。苦笑を交わす自分とヨリの間には、和やかな空気が流れている。なんかもうスケールがでかすぎて色々分かんないよ。わっかんないわ~。