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肆拾陸 ~ 乱 ~

 部屋へ入ると、心配していた皆が笑顔で迎えてくれる。


「悩みは解消しましたか、ユカリ?」

「うん、もう大丈夫。ありがとうヨリ。でも、今日一晩はこのままで過ごすんだ~」


 やけに子供っぽい雰囲気になっている背中のユカリが、肩越しに回した腕にぎゅっと力を込めて来た。ユカリの元気な様子を見て、ランが自分にウインクを飛ばしてくるので、おじさんもキモイウインクを返した。きんめえ。

 一旦ユカリを降ろして空いている座椅子に座ると、今度はひざの上に収まり、まるきり人懐こい猫のような状態になる。

 お茶が飲みたくなり卓上に目を向けたとき、横からそっと熱いお茶が差し出された。見れば湯飲みを差し出してきたのは、今しがたまで座卓の端の方に座っていたはずのチカだ。彼女へ礼を言い、一口茶をすすって喉を落ち着けてから、皆に明日の行動予定について相談をはじめる。


「今夜は時間も遅いから、具体的な話は移動中にでもすればいいと思っているんだけど。明日は兵站区画直通連絡路の修復速度促進作業に向かいたい思います。と、意向だけ先に伝えておきたかったんだけど、皆はどうでせう」

「そういうのは聞くまでもないと思うけどな~」


 お膝元で大人しくしているユカリが、間髪入れずにそう言った。その後は全員がそれに続くように肯定を返し、いつものように満場一致で答えは決する。


「業務の一環みたいなもんだから一応ね。いつも話が早くて助かるよ。ではそういうことで、そろそろ風呂に入って寝る支度でもしようかね」


 一瞬で終わった会議を締めると、皆談笑しながら座卓を離れ、縁側を抜けて風呂へと向かって行く。今夜は新しく設置された露天風呂に入るらしい。

 その中に一人だけ、ヤバい視線を自分に向けている者がいた。しかもすぐ隣から密着するようにガン見しているのだ。その人物は言うまでもなく、動力制御区画担当AIのランに他ならない。恐ろしいくらい遠慮がなさ過ぎる。


「ラン。また何かスケベなこと考えてるだろ」

「まぁ、酷い言いがかりですわ晴一くん! 清楚な乙女に対してなんということを言うんですの!」


 清楚とは。


「清楚ってのは、ここにいるラン以外の女子全員のことを指す言葉だぞ? そういうことを毎回分かって言ってるだろ」


 大体こういう時のランは楽しそうな目つきをしている。つまりはそういうこと。


「わたくしはただ、皆と一緒に仲良くお風呂に入りたいと思っているだけですわよ~」


 鳴りもしない口笛を吹くようなベタなしぐさで、ランは(うそぶ)いた。


「今はまだ強制はしないけど、もし入浴中に過剰な接触を試みるようだったら、座卓会議を開く事になる。そして場合によっては、強権の発動も辞さない」

「そ、そんな、あんまりですわよ!」

「何があんまりなのかさっぱりわからん! とにかくダイレクトなスケベ行為は禁止! ダメぜったい!」


 強く拒絶されたランは、ものすごく悲しそうな顔をして、部屋の隅で三角座りになった。

 生き甲斐の大半を奪われたような濁った瞳で、虚空を見つめるランの姿はちょっと面白い。にしたってこの落ち込み様よ。


「そこまでか……」


 ま、これはきっと放っておいても大丈夫なやつだ。

 今夜はもう早いとこやることを済ませて寝てしまいたいので、ユカリオプションを背中に背負い、いそいそと新設された露天風呂へ向かう。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 縁側の障子を開き、すっかり日も落ちて薄暗くなっている濡れ縁兼渡り廊下を、露天風呂へと向かって歩いて行く。暗くはあるが、建物の壁面にフットライトが付いているので、真っ暗になっても足元が見えなくなることはない。

 長い廊下を歩いていると、時折自分の歩調とは違うタイミングで、微かに廊下がきしみを発していた。何度もきしみが聞こえるので、不思議に思って後ろを見る。すると薄暗がりの中で三角座りをするランがいて、壁にもたれ掛かかるようにぽつねんと佇んでいた。


「うわぁ! ホラー映画かよ!」

「もー。大きな声出さないで。びっくりするから」


 背中のユカリから控えめの意見が述べられる。


「ああごめん。けど文句はランへ頼む」

「あら、バレてしまいました?」


 このドスケベボディはまたてへぺろみたいな顔して。


「べつに風呂に入るなとは言っていないんだから、普通について来ればいいだろ。あと脅かすようなことはしないでくれ。うっかり死んじゃうかもしれないし。漏らすかと思ったわ」

「漏らしたの晴一?」

「いや漏らしてねえし、ものの例えだし」

「お漏らしプレイですの? そういうのもありなのです?」

「お前はもう喋るな……」


 適当に話を切り上げて、再び歩みを進める。ストーキングがばれた彼女は、大胆さを取り戻して腕に絡みついた。

 その後は、背中のユカリと小競り合いが始まるも、なんとか脱衣場まで辿り着くことができた。風呂に入ったら後は寝るだけなんだから、もう少し落ちつきなさいと言いたい。


「はる様おそ~い!」


 脱衣場へ着くなりリエからタックルを喰らう。場内を見れば、皆は自分たちが到着するのをずっと待っていたようだ。


「悪いね待たせちゃって。途中にドスケベな痴女がいて難儀してたんだよ~」

「まーっ! ひどいですわ晴一くん!」

「もう。騒がしいわよラン」


 ユカリとランが、視線を合わせ再び火花を飛ばしている。もう夜も遅いし、明日の朝も早起きしなきゃいけないんだから勘弁して。

 適当な場所を見繕ってユカリを降ろし、服を脱ごうとすると、隣にランがやってきて猛烈な速度で脱衣をはじめる。こいつはいけないとユカリを抱き上げ、自分は他の場所を探して脱衣場をうろうろする。とそこで、チカとムツミが壁際のスペースを空けて手招きをしていたので、これ幸いと飛び込んだ。 そこで後を追ってきたランだったが、すでに自分は周囲を固められていることに気づいて声を上げる。


「あー!」

「何が『あー!』だ。なんでわざわざ隣に来てガン見しながら脱ぐんだよ。どこだって脱げるだろ」

「わたくしがどこで脱ごうといいじゃありませんの!」

「ああもう、俺の隣以外でならどこでも好きにしていいから、そこいらで脱げ」

「むむむ~」


 ランは憤然(ふんぜん)としていたが、構わず風呂の準備に入る自分を見て諦めたらしく、渋々近くの籠の前で脱衣の続きをはじめた。遠くの彼女は、脱いでいる最中もこちらをちらちら見ており、その視線は主に自分の腰回りに集中しているようだった。

 野獣のような眼光を湛える金色の双眸(そうぼう)に怯えつつ、腰回りを中心にタオルによる厳重な隠ぺいを行い、浴室へ移動する。洗い場に目をやると、またチカとムツミが二席開けて場所を確保してくれていた。すかさずユカリとふたりでそこへ収まり、ひとまず体を流す。


「ふたりとも悪いね。手間掛けちゃって」

「「平穏な住環境の維持も私たちの務めで御座いますので」」


 このふたりの有能さには毎度頭が下がる。

 一方。やや遅れて浴場へとやって来たランは、案の定一糸纏わぬ全裸だった。鏡越しに背後のそれを見ていると、彼女は自分の姿を見つけるや否や、迷う事なく一直線に駆けてきて抱き着こうとする。しかし、寸でのところで隣のユカリが物理保護領域を展開して、それを阻止した。発生した斥力場に阻まれ、ランが足を止めたタイミングで、自分はランを(たしな)める。意地悪をしているようで可哀そうだけど、ルールはちゃんと守ってもらわないと。色々困ったことになりかねないからなあ。


「ラン、風呂での過度の接触は座卓会議と言ったはずだぞ。それ以外の場では特に制限はしないが、ここでちゃんと言うことを聞いてくれないなら、分かるよな?」

「んもーっ! どうしていけないんですのっ? 姉さま達ばかりくっついて、わたくしだけのけ者なんて酷いですわよ!」


 よく見れば、ランはぽろぽろと涙をながしていた。

 そのただならぬ様子に違和感を感じ、洗い場の三人に声を掛けて、全裸のランの手を取り脱衣場へ戻る。入り口で、リエとヨリが入れ違いになり、何事かと声を掛けられたため、ふたりへ軽く事情を説明して入浴するように促し、脱衣場へ出た。

 手近な籠からバスタオルを取ってランへ差し出すが、彼女は膨れ面の涙目で自分を睨んだまま、それを受け取ろうとしない。仕方ないので強引にそれを巻き付け、椅子に座らせる。

 まったく、こんな間近でうら若き乙女の裸体を見せられるのは、本当に目の毒だ。一人息子も反応しかけててまじでヤバかったし。まあそこはおじさん、そんなに肉食系じゃないし。かつての恋人との思い出も抑止力になるし。


「まさかとは思うんだが。もしかしてランの精神年齢は見た目より低いのかい? 外見や態度を見る限り、俺はそこそこ大人だと思っていたんだけどなあ」

「そんなの……自分ではわかりませんわ……。晴一くんの権限で、わたくしの仕様でも確認したらよろしいでしょう!」


 ぐしぐしと鼻をすすり、涙目のランは怒ったように答える。

 泣いている女子というのはなぜこうも魅力的に見えてしまうのか。思わず抱き締めて唇を奪ってしまいたくなるじゃあないか~も~。絶対やんないけど。


「いやそこまでする気はないよ。ひとつ聞くけどランはさ、外見が他の皆とは違って大人のものだっていう自覚はあるかい?」

「それは分かってますわ……。中身も姉さま達よりもちゃんと大人ですわよ……」

「そしたらなんであんな駄々をこねるようなことをするんだい。いや、どうして君たち姉妹は無条件で俺なんかに好意を寄せるの。そりゃヨリとユカリに関しては、これまで色々あったから分からなくはないよ? でもさ、いくら記憶の共有があるとはいっても、ランとは出会ってまだ一日も経ってないじゃないか……」


 自分は全ての発端となったであろう、ユカリの暗示や神様設定のことを思い出す。

 結局、あれらはヨリに対して行った処理であるにもかかわらず、ヨリからのフィードバックを受け続けたユカリ当人も、多大な影響を受けてしまう羽目になった。その結果、意図せずしてふたりは自分(晴一)ラブなコースに放り込まれたのだ。それでもふたりは、それは切っ掛けに過ぎず、自分の人間性に惹かれたと言ってくれはしたが。ものすごい照れ臭いんだよねコレ。


「それはわたくし達が……姉さまから生まれた存在だからだと思いますわ……。ユカリ(ねえ)さまから受け継いだ人格と感情の一部には……ヨリ(ねえ)さまや晴一くんに対する強い思いが織り込まれていたはずですもの。わたくしたちが姉さまの大切な思いを受け継がずに生まれて来るはずがありませんわ……」


 めそめそと手の甲で涙をぬぐいながら、ランは思いの丈をぶちまける。

 ユカリの意図したことと結果はこれで正解だったのだろうか。大事にしたい存在と好意を向ける相手は、必ずしもイコールではないだろうに。


「じゃあ……ラン自身は俺のことをどう思ってるの。ユカリの思いに引きずられていないランの正直な気持ちなら、俺とどうなりたいと思うんだい?」

「わたくしは……」


 ランはしばし黙考して自分の気持ちを分析しているようだった。


「わたくしは……良くわかりません。衝動的に晴一くんへくっ付いてしまったり、自然な気持ちでそうしたいと思う場面もあったり……。そうかと思えば本能に流されるままに、その――男女の関係にという意味での行動に出そうになってしまったり。特に先ほどのお風呂では気持ちがごちゃごちゃになってしまって。混乱するばかりでしたし。わたくしにはもうどうしたらいいのか分かりません……」


 膝の上でこぶしを握り締め、下を向いてしまったランは、また大粒の涙をぽろぽろとこぼしはじめた。

 近くにあった椅子を隣へ置いて座り、脱衣籠からハンドタオルを一枚取り出して、声を殺して泣いているランの涙をそっと拭う。するとランは体を預けて来たので、女性らしい華奢な肩を小脇に抱え、どうしたもんかと天井を(あお)ぐ。

 しばらくそうしていると、棚の陰からユカリが姿を現す。彼女は、途中で椅子を取って自分たちの前に座り、ランの頭を優しく撫でた。


「この子はまだ分別がついていないみたいね……。だから心のままに行動してしまうの。でも、全く自制心がないわけではないから、その葛藤にストレスを感じて、さらに過激な行動に出てしまうみたい。要するに子供なのね、ランは」


 そう語る今のユカリには、なにやら姉の威厳のようなものがあった。

 かつての自分もそうであったというように、達観した余裕のようなものを湛え、普段の直情的な態度を取る彼女からは考えられないある種のオーラさえ纏って見える。世紀末覇者か何かかな。


「俺も何となく癇癪みたいなもんかなとは思っていたけど。しかし、なんかユカリっぽくないな」

「はぁ……。晴一、今私は大事なお話をしてるところでしょう?」

「ええ、はい、ごめんなさい」


 いつものユカリならば、もっとこう牙をむいて食って掛かってくるはずなのに。やはり今のユカリはひと味もふた味も違うらしい。それにしても、今のユカリは本当にお姉ちゃんしている。


「ごめんねラン……。私の余計な感情のせいで、あなたを苦しませるような結果になっちゃったわね」

「おねえちゃああああん」


 今まで静かに泣いているだけだったランは、ユカリの言葉を切っ掛けに小さな体へ縋りつき、声を上げて泣きだしてしまう。


「ごめんね……。でもねラン、私はあなたが生まれてきてくれて本当に嬉しいのよ」


 あ~いかん。この場に留まるともらい泣きをしてしまう。

 涙もろいおじさんは危機感を覚え、そっぽを向いて努めてふたりを見ないようにする。でもやっぱり我慢できなくて涙が溢れてしまった。ひ~ん。


「ふふ、ありがとう晴一。あなたまだお風呂に入れてないでしょう? ここはもう大丈夫だから入って来ちゃいなさいよ」


 優しい口調で掛けてくれたユカリの気遣いは、とても暖かく慈愛に満ちていた。それに、ここは姉妹水入らずの場面でもあるため、お言葉に甘えて浴場へ逃げ込むことにしよう。汚いおじさんが本気泣きしてしまう前に。


「ああ、サンキュ、ユカリ」


 手近な籠から毟り取ったハンドタオルで顔を覆い、鼻を啜りながらおじさんは答える。最近だらしねえなあ。


「いえいえ、こちらこそ」


 終始優しい口調のユカリは、大事な宝物でも()でるように、胸に縋るランの頭を撫で続けている。

 浴場の入り口を目指して衝立の向こうへ回ると、そこにはふたりの様子を固唾をのんで見守る、小さな四人娘が隠れていた。


「おや、覗きかな」

「しぃ~」


 声を掛けると、口に指をあてたリエに注意されてしまった。この子達もランのことが心配でたまらないのだ。


「ははは。皆優しいな……」


 そう言い残して一人浴場へ入り、微妙な気分を払拭するつもりで、誰もいなくなった浴槽目掛け飛び込む。保護者がいたら激おこ案件だ。


「あぢゃぢゃぢゃぢゃおあちゃーっ!」


 露天のお湯は結構熱めだった。飛び込むと同時に自分は無様に声を上げ、ピリピリとした刺激と痒みに悶絶してくねくねと全身を撫でまわす。

 そんなことを数回繰り返すうちにやっと体も慣れたため、肩までゆっくりと湯に浸かり、おっさんじみた汚い声で深いため息をついた。おっさんじみたじゃなくておっさんだけど。

 これまでのランの行動は、全てが理解の上で意図的に行っていたというわけではなかったが、今後の成長を望むという意味では、大いに期待が持てると思う。

 そして、量子脳の再起動によってロールアウトされる人格は、そこが完成形ではないということも良くわかった。彼女たちは、これからもずっと成長し続けるのだ。

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