肆拾弐 ~ スイーツAI ~
おんぶ談義をしているうちに、気づけばリエは椅子の上から夢の世界へ。テーブル上には、きれいさっぱり空になった巨大パフェグラスが一つ。自分の知らぬ間に終結していた激戦に思いを馳せて、椅子に深く座り背もたれに寄りかかる。
「はあ。なんだか肉体疲労よりも気疲れの方が多い気がする。こういう時はなんだっけ。いろいろどうでも良くなるというあのストロ――」
「ストロープワッフルですわね!」
「は? え? なにそれ」
突然聞いたこともない言葉がランの口から飛び出し、思考に水を差された。同時に自分の考えていたスなんとかは、樹状突起の先端から四方へと霧散するかの如く、掻き消えてしまう。なんて言おうとしたんだっけ。あ、ストローでングング飲む・ゼロカロリーコークハイだ。脳が破壊されて色々どうでも良くなると言われる謎のお酒。自分はあまり酒は飲まないから、詳しくは知らないけど。
「あら晴一くんたらご存じありませんの? 地球にあるオランダという国発祥の甘い御菓子ですわよ」
「いや知らんがな」
自分は別にスイーツ男子ではないんですけど~。
この子は、自分があらゆる甘味に精通している人材だとでも思っているのだろうか。しかしそれはそれ。気にはなるのでスマホを取り出し、検索してみる。程なくして画面に現れたそれは、煎餅のように丸く平たいワッフルに、キャラメルシロップがサンドされた菓子であった。このキャラメルは、牛乳と砂糖を煮詰めて作るミルクキャラメルではなく、砂糖などを使ったシロップらしい。
「はて、これどこかで」
そこでふと思いだす。以前、自宅のリビングに置いてあったこの菓子を、食べた記憶があることを。
確かあれは妹の勤務先で、海外旅行に行った人から、職場に配られた土産物だとかなんとか聞いたような……。
「あー、食ったことあったわ~。そういや海外土産のやつだったなアレ」
「まあ! やはりご存じなのですね! では早速その思い出を具現化するために、オーダーボックスの方へ!」
ランは一瞬で自分の背後に回り、軽々と座っている椅子ごと持ち上げられ、強引に移動させられてしまう。
到着した先では、壁面の機械と対峙するように椅子を配置され、ランから詳しい操作説明をレクチャーされた。甘味の強い誘惑に絆された彼女は、まるで目的を果たすためにはあらゆる努力を惜しまない、といった様子で自分に的確な指示を出す。何この熱意怖い。
コツとして、正確な記憶の再現を心掛けるように自分へ注意を促すと、全力でイメージングのバックアップに回った。彼女からは手取り足取り懇切丁寧に説明を受けたけれど、こんな付け焼刃のような学習じゃ、まともなものを出せる自信なんてない。
「つったってさ。一回しか食ったことないから正確に思い出せるか分からんよ? それにネット上にレシピもあるんだし、そっちから――」
「何をおっしゃいますか。そのようなマスプロダクションな味になど興味はございませんわ! わたくしは伝統に基づいて製造された本格的な味に価値を見出していますの!」
おおこわいこわい。言い終わらないうちに、ランは燃えるような眼光漲る双眸を自分へ向け、その提案を力いっぱい否定する。声を大にした彼女の甘味に対する熱の入れようは、生半可な物ではないようだ。もはや大量生産された製品などには、存在価値すらないと言わんばかりの勢いである。ほんと怖い。
しかし、まずは人類が興した偉大な変革、“産業革命”に謝ってほしい。でも、昔食べたやつって手作りだったのかな。困ったことに全然覚えてないんだよね。
「もーわかったよ~。できるだけ努力はしてみるけど、期待に沿えなくても怒らないでくれよな~」
「晴一くんなら大丈夫ですから大丈夫ですわ!」
何を根拠に大丈夫で大丈夫なのかはこれっぽっちも分からない。ま、それでもとりあえず。全力でランの期待に応えようと当時の記憶を探り、できるだけ詳細に味や風味を想起して、入力待ちになっているディスペンサーのパネルに触れる。
しばしの沈黙の後。ピーという電子音と共に、オーダーボックス内で生成されたそれは、自分の記憶にある物と全く同じ外見をしていた。自信はなかったけれど、この生成物からは、なんとも言えない甘い芳香が放たれている。見た目と匂いは良いけど、ほんとに大丈夫かなこれ。
「さぁ晴一くん、その記憶と味を比較して判定を!!」
「うぅ、うん……」
こんがりとして、できたてほやほやであるにもかかわらず、何故か常温。そんな不可思議ギャップを抱えるストロープワッフルを、恐る恐る一口齧ってみる。
すると、焼き菓子特有の香ばしさと、シナモンやほのかなバニラの香りが鼻腔を満たす。また口腔内にも、頭の芯に抜けるような強烈な甘みが広がる。それと共に、キャラメルシロップが放つ、焦がし砂糖の濃厚な風味もたっぷり味わうことができた。
意外にも美味しいものができてしまったではないか。全然自信なかったのになあ。
「おお、これはこれで……。う~ん、多分同じ味じゃないかな。ちゃんと美味いよ」
「きゃ~っ! やりましたわ~っ! 大成功ですわね~♪」
ランに正面から抱擁を受けた顔面に乳圧が加わり、息苦しくなる。けれど、彼女の心底嬉しそうな様子を見ていると、そんなことはどうでも良くなってしまった。だって自分もいろいろ嬉しいいい匂いするし気持ちいいしはあ~。
AI姉妹の中では、今のところ最も大人びているランではあるが。こういう時ばかりは、ごく普通の女性と同じように、はしゃぐ姿を見せてくれるようだ。
「ランがこんなに喜んでくれるなら頑張った甲斐があったかな。俺も嬉しいよ」
早速同じ物を山盛りでオーダーしているランの背中声を掛けると、彼女は満面の笑みで振り返り、深々と頭を下げた。色々と行動に難はあるけれど、端々に見るこういったランの所作は、その口調に違わず育ちのいいお嬢様といった雰囲気があった。
「ありがとうございます晴一くん。もし他にもおすすめの甘味などがございましたら、ぜひまた教えてほしいですわ♪」
にこやかに、なおも甘味を求めてやまないスイーツ女子。自分は危険なスイーツモンスターを解き放ってしまったのかもしれない。
「ああうん。それなんだけど、少し考えがあってね。ランもリエも、まあユカリもだけど良く食べるだろう? だから菓子や食事なんかの食べ物を、自分なりに精査してみようと思っててさ。皆には世話になりっぱなしだし、返礼の意味も含めて……って、ラン聞いてるか~?」
甘い提案のせいか。ランの瞳にはすっかりハートマークが浮かび、目くるめくスイーツの脳内祭典に妄想全開といった様子だ。実際に瞳がハートになるなんて。インターフェースボディは凄い。ああ涎が滝のように……。
まあいいや。この子たちのことだから、意識が向いていようといまいと会話はログに残るだろう。
自分は一方的に話を進めて、椅子を抱えてテーブルへ戻る。元の位置に椅子を置いてから、コーヒーを持ってきていないことに気づいた。悲しい気持ちでディスペンサーへ取って返し、コーヒーをカップへそそぐ。オーダーボックスの前では、いまだにランが固まったままだったけれど、このまま放置しても勝手に帰ってくるだろう。
相変わらず周辺からは、シュワシュワと気体の漏れるような稼働音が響き、そんな中にずっと身を置いていると眠くなってしまう。テーブルセットに突っ伏して、襲い来る眠気との勝てそうにない戦を繰り広げていたとき。キッチンの方から足音が近づいてきて、テーブルの上に何かが置かれる。
「晴一さん? こんなところで寝てはだめですよ? そろそろリエも起きましょう?」
寝入り掛けていたところをヨリに揺り起こされ、伸びをしながら上体を起こす。
テーブルには、さっき自分がオーダーボックスで生成したものと同じ、ストロープワッフルが盛られていた。え~。
「ヨリ。これは一体……」
「先ほどキッチンでレシピを見ていたら、ユカリがどうしてもと言うので。ストロープワッフルという物を作ってみたんです」
盆を持ったままにこにこしているヨリが経緯を語る。
「そ、そう……。なるほどね」
恐るべきシンクロニシティ。意図せず考えが似通ってしまうのは、姉妹ゆえのさがなのだろうか。
「晴一さんはお紅茶とコーヒーどちらにいたしますか? 緑茶もございますよ」
ああ。かわいい笑顔が眩しいぜ。
「ん~そだね。じゃあ緑茶でお願いしようかな」
丁度コーヒーもなくなる頃合いだったので。ヨリの申し出を快く受け入れる。
「はい、すぐお持ちしますね」
ヨリはそう言うと、放置されていた巨大なパフェグラスなどを回収して、駆けるようにキッチンへ戻って行く。
話し声で目覚めたらしいリエは、自分におはようを言い、間髪入れず積まれたストロープワッフルをもしゃもしゃ食べはじめる。この子の寝ぼけまなこはまだ開ききっていないが、サーチ&イートスキルに影響はないようだ。
「あまぁ~いのでございますですよ~」
とろんとした表情で、幸せそうな笑みを浮かべるリエ。小さな口を一生懸命動かして、無心でワッフルを頬張り続けている。癒しである。
すると間もなく、緑茶を持って来てくれたヨリと一緒に他の三人もやってくる。この時点で、ワッフルは粗方リエのお腹の中に消えていた。シロップでべたべたしているリエの口周りを、備え付けの紙おしぼりで拭き、テーブルに散らばった破片を掌で寄せていたら、湯呑を手にしてやってきたユカリがやって来た。彼女は、だいぶ減ってしまったストロープワッフルを見て、ものすごく悲しそうな顔をしてしまう。そんなところへ、大量の追いワッフルタワーを抱えたランが、ようやく戻って来る。ここで無事ユカリは瞬く間に元気を取り戻し、当区画最後のお茶会が始まった。
一方自分は、チカとムツミが用意してくれた三色団子や、茶饅頭などを食べつつ茶をすする。皆もお菓子を口にして落ち着いた頃合なので、次の区画の話を切りだす。
「お次はどっちの区画に行くのだね。この前言ってた兵站? それとも、もう一つの方かな?」
目が合うと、ユカリの表情はスッと曇る。どうやらまた問題があるようだけれど、落ち込んでいるようでもないし。ここは話してくれるのを待とう。
「……動力が復旧したことで、リエの保守管理機能も万全なものになったから、当面の問題はこれでほぼ解決となったのだけれど。問題は兵站区画への直通連絡路が完全に途絶していることなのよね」
「えー」
いよいよ重大な損壊ヶ所が出てきた。
自分の怪我は別にしても、これまでがイージー過ぎたため、次の作業がより心配になる。ここでいきなり難易度が爆上がりしたら嫌だな。おじさん不安。
「具体的な場所は、外殻の内側を通っている部分なのだけど。途中の三ヶ所が崩壊してて、計約六十八キロメートルに渡って断絶してるの。今全力で修復してるけど、保全機能による修復では完全復旧するのに一ヶ月はかかるのよね」
あんな大規模な空中建造物が、たかだかひと月程度で完全に直るとは。流石は彼らのテクノロジー。ただただ驚嘆するばかりだ。
「そっか。にしてもひと月はちと長いな」
「うん。でも待ってるだけで勝手に修復されるのは間違いないわ」
一ヶ月もの間ただ待つのは私的に気が引けてしまうが、確実にノーリスクでと考えるならば、それは待つ方が絶対にいい。現状時間には余裕があるし、無駄に急ぐことはないのも事実だ。自分もあとひと月くらい行方不明でも大丈夫だろう。恐らく大丈夫だろう。大丈夫かな。
「じゃもう一か所の方は?」
「そっちの進入条件には、兵站AIの起動というのが含まれているわ。これも時間が解決してくれるとはいえ、面倒なことよね」
時間が解決してくれるのは間違いないけれど、黙って待つのも癪だ。
ダメもとで何か他の手段はないものかと、ユカリに問うてはみたものの。彼女の口から妙案が語られることはなかった。そのとき、無心にストロープワッフルを齧っていたリエが口を開いく。
「修復速度の高速化ならば、ぼくの装備でなんとかなるのですよ? 今は電力も豊富にありますから」
何と言うことでしょう。リエの口からまさかの言葉が飛び出した。修復速度の加速ができるという提案に、場の空気がざわつく。ざわざわ。
「リエの言うそれは、単純に時間短縮ができるっていうことだよね?」
「はいですよ~。具体的にはですね、ナノマシンの追加で超空間ビーコンを増強して、材料の供給速度を向上させるという方法なのでございますですよ。現在はランちゃんがいますから、電力も豊富にありますので。でもこれは、現場へ直接行く必要があるので、そのときにまた哨戒機による攻撃を受ける可能性があるのですよ……」
先の事故を思い出したらしいリエが、表情を曇らせる。
浮かない様子のリエを、隣席のユカリが膝上へ移動させ、慰めるよう無駄に撫でまわす。そうして撫でまわすユカリ自身の表情も、やや沈んだものだった。そこで自分はユカリの後ろに回り、もろとも抱き締める。うひひ。
「これこれ、お嬢さんたち。一番の被災者を差し置いて、また暗い顔になってるぞ。済んだことを悔やんでもしゃーないって、もう何回も言ったでしょうに」
一番近くにあるユカリの頭にぐりぐりと頬ずりをして、重くなってしまった空気を振り払う。
やがて萎びたユカリのアホ毛も通常状態へ復帰し、大体いつもの調子を取り戻してくれた。近くで見てもアホ毛の仕組みはわからないけど。
こういうときのユカリは、大人しくされるがままになってくれる。そのユカリが元気になると、リエも笑ってくれた。
「晴一も無理してるんじゃないの? このまま黙って待っていれば、時間が確実に解決してくれる問題でもあるのよ?」
そこはユカリの言う通り。まったく反論の余地はない。けれど、あんな目に遭っているにもかかわらず、あの哨戒機とまた対峙してみたいという気持ちもあるのだ。
「晴一くんはMなんですの?」
今度は思わぬ所から砲火が飛んできた。その射手は、テーブルに頬杖をついて薄く笑みを浮かべ、嬉しそうにこちらを見ている。
「とんでもねえ、あたしゃノーマルだよ!」
「本当ですの? 見ていると、自ら危険に飛び込みたいという衝動に駆られているようにも見受けられますわよ?」
衝動とまではいわないが、ランの言うそれは遠からず当たっていた。この子らの観察眼ときたら、時々本当に的確過ぎてどぎまぎさせられてしまう。
「まいったなあ。それ割と当たってるんだ。でも、これはただ無茶がしたいとか、そういうのじゃなくて。一度負けた相手にリベンジしたいというか。俺の意地みたいな物かもしれないけど……」
負けん気と言うべきか。このまま引き下がるのは悔しいと思う気持ちがあるのは確かだ。
折角ユカリが改良してくれた装備があるのに、ただ手を拱いているというのは性に合わない。冷静に考えれば馬鹿な話ではあるのだが。しかし、リスクに囚われてばかりでは、人間、進歩は得られない。絶対安全でもないけれど、絶対危険でもない。つまりやってみなけりゃ分からない。
「わたくしは晴一くんのそういう所好きですわ。男の子らしくて、強引で……ぞくぞくしますわ……」
「はあ。やれやれね……」
ひとり肩を抱いて、またくねくねしているランへ、冷ややかな視線を送るユカリ。
男は全員強引なやつばかり。みたいな風説が流されそうだが、自分にも多少は強引なところがあるというのは、恐らく間違いではない。つかいちいちくねくねすんな。
「リベンジっていう意味なら……。そうねぇ。私も賛成ね。負けっぱなしはやっぱり嫌だもの」
冷たい目でランを睨んでいたユカリが、こちらに向き直って賛同する。
「話が分かるじゃないかユカリ。俺はてっきり引き留めにくると思ってたよ」
「私に負けず嫌いな所があるのも、もう分かってることでしょ。解決策があるのに、失敗を失敗したまま放置するのはいやなの。でもこれは私情だし、作業にはあまり関係ないけど……」
ユカリの語尾は、言いにくいことを口にするように小さくなった。
一方で、心配そうな表情を崩さないヨリだったが、ユカリの言葉を受けて、諦めたように同意してくれた。但し、無茶はしないようにと強く念は押されたが。
というわけで、攻める方向で話はまとまった。お茶会もひと段落ついたし、もうここには用はないし。ならもう社へ帰ろうじゃないか。
席を立つと、すぐにユカリが背中に取り付いて、「とっとと帰るわよ」と手綱を引く。自分は適当に返し、意気揚々と転送装置まで足を進めた。