肆拾壱 ~ エネルギー革命 ~
“余剰放射回収プラント”とは。その名が示す通り、投入されて転換利用できなかった余剰粒子を、回収して入力側に戻す処理を行うエリアである。
要塞惑星外殻に設置された、“粒子線コレクター”から炉心に取り込まれた各粒子は、エネルギーの高い順に段階的な変換処理を受け、そのほとんどは電力と運動エネルギーとして回収される。それ以外にもわずかに得られる熱があるが、これは変換の際に発生するものではなく、粒子の持つ運動量の一部を熱に変換して利用しているとのことだ。
転換炉へ投入される粒子は、全てが一度に捕獲されるわけではない。これは炉の仕様上、高エネルギーな粒子ほど積極的に取り込まれるようになっているためで、エネルギーの低い粒子は、ある程度炉外へ逃げるようになっている。そういった粒子を回収して、サイクルへ戻す役割を果たすのがこのエリアだ。ここが正常に機能していないと、せっかく取り込んだ粒子線が無駄に漏れ出てしまい、効率が大幅に落ちることになる。と、ランは説明していた。
「なるほどな~」
ここには天井や壁などの区切りもなく、音が通りやすい空間なようで。楽しそうに話すランの声は良く響いていた。
これは回収プラントが機能上の都合で巨大な螺旋構造になっているためだ。よって、中心部へ向かって周囲をぐるぐると回る自分の耳には、中心部にいるリエに対し、教鞭をとっているかのようなランの話し声が、ずっと聞こえていたのだ。
それは、作業のかたわらにかけているBGMのようなもので、ヨリとの会話も交えつつ、現場までの暇潰しにはちょうど良かった。何せ現場までの移動距離が長く、ここまで来るのに二十分近く時間を要したし。
そんなわけで。現場について開口一番発した言葉が先のそれだった。
「あら、晴一くん。早かったですわね。もう終わりましたの?」
「ああ。ランとヨリのおかげで早く済んだよ、ありがと。それと今の話も興味深かった。理論なんかはさっぱり分からんけど」
「どういたしまして~。なんでしたら、続きは床の中でお話しして――」
言いかけた所で、ユカリが睨みを利かせたため、彼女はてへぺろみたいな顔をして口を噤む。
にしても、そんな技術解説を布団の中で聞かされるのは色気がなくていやだな。
「はる様~♪」
自分たちに気づいたリエが、元気な声と共に駆け寄ってきて腰しがみつく。リエもユカリと共に例の透過コンソールを展開して、作業をしていたようだ。
そこで背中のヨリが降りてリエを愛ではじめると、自分はすかさずユカリに絡まれる。全く隙のない布陣だ。
「何で隙あらばおんぶしてるのよ」
ほらきたよ。
「出し抜けになんだよもう。ここから戻るときはユカリを背負っていくから勘弁してくれよ~」
「なっ、ならいいわ……」
いいらしい。ちゅーすんぞ。
強気で言う割に、快諾されると途端にしおらしくなってしまうかわいいユカリちゃん。ヨリに愛でられているリエからは、抱っこがいいと便乗意見が出る。いつでもウェルカム。とまあ、雑談ばかり進めていても仕事は進まない。一応自分は工程管理のような役割にあるようだし。そろそろお仕事の話に移ろう。
「どう? 終わりそう?」
ここに来た目的のひとつでもある進捗を見るため、誰とはなしに聞く。皆の衆教えてプリーズ。
「わたくしがお手伝いに来るまでもなく、姉さま方は驚異的な速さで作業を進めておりましたわ。ですので、すでにほとんどの作業は済んでおります」
「そいつは景気のいい話だな」
スゴイハヤイ。そういうユカリとリエがあまり忙しそうに見えないのは、自律機械を使って作業を代行させているからだった。ユカリの要求した仕様に沿って、リエが背嚢にある例の装置をつかい、そんな道具を作ったようだ。ずるーい。
「当然よ。私が妹たちに後れを取るなんてことあるわけないでしょ。それはこの子たちは優秀よ? だって私の自慢の妹たちだもの。でも残念だけど、この私を凌駕するにはまだまだ至らないのよね~」
ユカリは、リエとランに微妙な姉マウントを取りつつも、愛する妹たちを褒め千切る。彼女はふたりのことがかわいくて仕方ないのだ。
敢えてここで言われるまでもなく、姉妹の有能さは良くわかっている。けれど、言うほど凌駕出来てないと思うんだよね。このお姉ちゃんは。
「そのユカリのお姉ちゃんは、このヨリなんだけどな」
「む、何よ晴一の癖に。確かにそれは否定しないわ。だって事実ヨリは私なんかよりずっとしっかりしてるもの」
こういうとこの自覚はあるようで、ちゃんと自己分析ができている。それをもう少し満遍なく多方面へ向けてくれると、もっとしっかり者になれるのに。実に惜しい。
「そだな~。あとは、チカとムツミにも置いてかれないようにしないとな」
「どういう意味よそれ!」
近頃頭角を現しつつあるふたりを引き合いに出されて、ユカリはぷりぷりした。
「え? だってリエの復帰操作の時とかさ」
「あっ、あれはちゃんと謝ったでしょう!!」
赤面し、慌てたように文句を言うユカリを見て、皆は笑う。あの時のことも当然共有されているので、ここにいる全員が知っている。
「ぐむむ。記憶共有も考えものね……。この辺りはちょっと見直そうかしら」
新たに浮き彫りとなった問題点に、ふくれ面のユカリは対応策を考えはじめたようだ。でもそうなると面白みが減ってしまうな。
「そいで、あとどのくらいで終わる見込みかね?」
「はい。ユカリねえ様が自動処理化してくれたので、もうすぐ終わりますですよ~」
隣でヨリに引っ付いているリエが、そう元気に教えてくれた。リエは本当にかわいいなあ。
「そんじゃあここが終わったら、皆でチカとムツミの方へ行ってみるかね~」
間もなくこのエリアも完了すると言うので、やる事ことがない自分は、とりあえず目についた椅子に座る。
コンソール周辺には、事務椅子のような回転式の椅子が方々に置かれていた。自分が座ると同時に、手すきな各自も思い思いの場所に着席し、雑談をはじめた。そんな中、ヨリだけは空いた椅子に座ることもなく、なぜか自分の膝元へやってきている。あなうれし。
「昨日からヨリはずっとベッタリだね」
単純にグループ分けのせいで、四六時中随伴していたのかと思っていたけれど。どうやらそれだけが理由でもないらしい。
「近頃あまりご一緒できていないので、不足分を補いたいと……」
何か思う所がある様子のヨリは、素直に心中を語る。
まるで口にする事が憚られるとでもいうように、控えめな感じでそんなことを言う。遠慮しなくてもええんじゃよ。
「それはユカリやリエに対する気遣いとかな。あ、ここ最近はチカとムツミも頭数に入ってる気もするけど」
「えへへ……」
苦笑して言葉に詰まるヨリは図星のようだけど、今更遠慮し合うような仲でもないだろうに。自分のことよりも、つい人のことを優先してしまう気持ちが、あまり良くない方へ働いているように思う。
「ヨリらしいよねそういう所。誰でも好きな時にがんがん来てくれた方が、俺としても気兼ねなく接することができるし、その辺は皆同じ考えだと思うよ。まあ精神的にも物理的にもやけに圧が高いのが増えたけれど」
少し離れた位置から、チラリとこちらを窺う話題の子がいる。おっぱイヤーは地獄耳らしい。気を付けねばな。
「そうですね。分かってはいるのですが、これも性分と言いますか。昔、共に過ごした家族の……姉妹弟に対する感覚を引きずっているんだと思います」
ヨリは言いながら困ったような笑みを見せる。自分などが考えるよりも、この子の心境は複雑なようだ。
「無理にお姉ちゃんしてた部分もあるってことかな。信念というか。ある意味意地みたいな」
もしかしたら、ヨリのそういう部分に強く影響されて、ユカリも意地っ張りになっているのかもしれない。無駄に自身を責めてしまったり、かなり強い責任感を持っているところとか。そう考えると辻褄が合う気がしなくもないし。
「自分では良く分かりませんが、お祖母様や両親からは、頑固だとよく言われておりました。でもそういう所は姉様には割と買っていただけていたようで、よく褒めてくださいました」
現在となっては遠い過去となった情景へ、思いを馳せるように目を閉じて背中を預けるヨリ。つい最近その家族が亡くなったことを知ったのに。悲しくはないのだろうか。あるいはその寂しさを解消する意味もあって、甘えてくれているのかもしれない。
「ヨリ姉さまが遠慮なさるいわれはありませんわよ?」
ヨリの気持ちにできるだけ寄り添いたいと思って、あれこれと考えを巡らせていたら、いつの間にか背後に立っていたランが、またもや頭に乳圧を掛けて会話に加わる。ヨリに怒られちゃうかもしれないから、乳乗せは勘弁してほしいんだよね。嫌いではないんですが。
「わたくしは常に晴一くんとべたべたしたいですもの。姉さま方に遠慮されたりしたら申し訳ない気分になってしまいますわよ? とはいえ、思っていても止めませんけれど」
その言葉と共に頭にかかる乳圧が更に増した。首がイカレそうだからもう少しお手柔らかに頼む。この場合乳柔らかか。いや、いつでも乳は柔らかいだろう。
「ランのそれは首にダメージが蓄積するから止めてほしいんだが。身長も縮むかもしれんし」
文句を言いつつ首を前に傾け、背中側に重量を逃がすと、彼女の胸はヘッドレストのようにベクトルが変化する。
背後の様子を見上げたヨリは、ランの胸と自分の胸を見比べ、手を当てて心配そうな顔をした。そこへ狙いすましたように、ユカリがガミガミと声を荒げてやって来た。ユカリは背中のランを引き離し、間へ入って説教をはじめる。この子達ホント面白い。
「こら、ラン! 晴一のとこへ来る度にいちいち胸を押し付けてんじゃあないわよ! まったく何をどうしたらそんな……。まった……くっ」
ユカリと一緒にやって来たリエは、ランの胸をぺたぺた触りながら「ランちゃんでっかい」と率直な感想を漏らす。
そんなリエの様子にカチンと来たのか、ユカリのランに対する語気が勢いを増した。対して飄々として言い返すランの口調に、更なる拍車を掛けられたユカリは、絶好調といった様子でヒートアップする。
度量は胸量に比例して大きくなるものなのか。仮にそうだとすれば、ユカリには端から勝ち目などないだろう。
「そんなに気になるものかね……」
「晴一さん。それはデリカシーがないと思います」
男目線から発した何気ない一言に、膝元からヨリの素早い反応が返って来た。見れば、膝上のヨリは頬を膨らませている。あらやだ、怒った顔も最高にかわいい。好き。でもごめんなさいしなきゃね。
「う……はい。ごめんなさい」
ヨリが怒るということは、それは大それたことという無条件の認識があるため、つい陳謝してしまう。
実際ヨリはウチの良心的存在だから、ここではヨリが法律だ。豊乳は富であり、絶対。胸ある者は幸福也。昔そんな言葉があったようなかったような。時と場所は違っても、女子は常に胸囲の格差社会の中で恐々としているらしい。しらんけど。
そうこうしている間に、優秀なユカリとリエの対応力(と言う名の自動作業)で、このエリアの作業もあっという間に終了した。次はいよいよ、チカとムツミが担当している“総合電力変換装置”のある場所へ向かう。
◆ ◆ ◆ ◆
余剰放射回収プラントの渦巻構造を逆に辿り、そこからさらに百メートルほど歩いて、やっと総合電力変換装置のある区画に到着する。
直線距離では百メートルちょいの距離なのだが、渦巻きの道のりが長いので、やたらと遠くに感じる。ユカリセットを使えばよかった気もするけれど、皆と雑談しながら徒歩移動するのも悪くない。
この場所は、早い話が変電所に当たるエリアで、要塞惑星の各需要へ向けて、調整された電力を送り出す設備が置かれている場所だ。
転換炉から取り出される電力は直流であるため、変圧器のような受動設備はないのだが、どうやら半導体らしきデバイスを用いた能動設備があるようだ。それは超大規模なスイッチング電源装置のような物らしく、ユニット化されたエリアの各所に所狭しと並んでいる。
各所に設置された装置のあちこちをパカパカしたり、もぐったり覗いたりしている自分に付いて回り、執拗に乳圧を掛け続けてくるランの説明によれば。これらの設備は、前述の解釈と似た物であることは、間違いないようだ。試しにどのくらいの電力を制御できるのか聞いたけれど、単位がでかすぎてよくわからなかった。天文学的数字のはるか上をゆくようなものであることは、何となく理解できたけど。恐ろしいねえ。
ここで調整を受けた電力は、超空間リンクを用いた送電網を経由して、惑星全域へと送られるようになっている。そんな各所へのリンクの生成と、分配や調整を司る制御部分にチカとムツミのふたりはいた。
作業に従事するふたりの姿は、いつもの仲居スタイルではなく、スタイリッシュな作業着へ着替え、頭に装着したヘルメットには“YDH”とかいう、どこかで見たようなロゴまで入っている。ふたりは黙々と作業をこなし、チェックリストを中空に展開したコンソールに表示させながら、直立している制御盤の前を飛んだり跳ねたりして、縦横無尽に行き来していた。
ここにある盤は恐ろしく巨大で、ビルのような高さがあり、三段階にわたって備え付けられたキャットウォーク型昇降機を使い、大きな高低差を移動するようになっている。それはまるで幅の広くなった窓清掃用ゴンドラだ。昇降機の動きはさほど速くもなく、高速で作業をする者にとっては、間怠こしいのだろう。ふたりは直接飛び上がったり飛び降りたりして階層間を移動し、立体的な動作で各所をチェックしている。時折盤面に直立するなどしている忍者めいた動きに、童心を呼び覚まされた自分は、彼女たちの作業へつい加わりたくなってしまった。
「あの動きは間違いなく忍者。俺は詳しいんだ」
「なんですの晴一くん?」
忍者に詳しいおじさんのたわ言に、優しいランがのってくれた。
「うん。よく言うだろう? 素早い動きのことを例える言葉で電工石火と」
「それは存じていますけれど。多分、いま晴一くんが思ってるのとは字が違うと思いますわよ?」
驚くべきことに、ランは脳内誤植を察知して校正を入れた。何この謎スキル。
そんなすっとこどっこいな話をしている間、ユカリはふたりを呼んで進捗の度合いを聞いていた。自分たちも三人の元へ向かい、仲間へ加わることにする。
「「進捗度は七十七パーセントといったところで御座います」」
そう言いつつ、チカとムツミはコンソールから作業状況の共有を行う。
「やっぱり早いわね、流石だわ。これなら今日中に動力制御区画を立ち上げられるでしょう」
「そうですわね。ふたりともすばらしいですわ」
チカとムツミが生み出す高い業績を見て、ユカリとランは嬉しそうに賞賛の言葉を掛ける。まるでどこぞの企業の営業部役員のようだ。
「して、ふたりのその恰好は?」
絶縁手袋やブーツといった、しっかりした装備で固められたふたりの格好に、思わずそんな突っ込みを入れてしまった。
それらは自分の携わる業種的に現場でよく目にする物のため、とてもなじみ深い。と言っても、他業者の人が使ってるのを見るだけで、弱電業務がメインの自分は使ったことないんだよね。
「まずは形から入るのが肝要かと」
「古事記にもそう記されておりますれば」
いつものボソボソとした調子で、またぞろ適当なことを言い散らかすふたり。そういうのどこで仕入れてくるの。
「流石の古事記にもそんな記述はないとおもうけど。形からっていうのも一概に悪いことではないし、そこは自由だけどね」
「因みにこれは」
「要塞電気保安協会という組織のロゴで御座いまして」
「「現在会員数はふたりとなっております」」
「そうなんだ。会員数増えるといいな」
チカとムツミが銘々ロゴの由来を解説し、同時に会員規模数まで教えてくれる。社に帰れば、候補はあと五十人くらいいるだろうから、上手く勧誘して増やすといいんじゃないかなと思う。心の中で応援しておこう。かたわらでは、リエがランの背中へよじ登り、ふたりのヘルメットを物欲しそうに見ていた。
作業を全員で進めれば、一時間ほどで終了するとのランの見積もりもあり、残りは皆で手分けして一気に追い込む話でまとまった。しかし、ここでも出番のない自分は、認証に備えるため、一足先に手動制御室へ向かうことにする。真面目な話。こういった作業は、ここの管理機構でもある彼女たちに任せる方が圧倒的に早い。といっても、ユカリセットを活用すれば、自分にも同等かそれ以上の作業は可能だ。けれど、残作業をこなすには人数が過密すぎる。なので今回は、邪魔にならないよう退避させてもらった。
別にサボりたかったわけじゃないよ。
◆ ◆ ◆ ◆
先ほど見たチカとムツミの動きに感化されて、あんな動きがしてみたいと思っていた矢先。単独行動の機会に恵まれたおじさんは、ユカリセットの身体機能強化を適用して、主観時間を適当に十倍ほどまで伸長する。それにともなって、周囲の設備が発するインジケーター類の点滅が遅くなった。相対的な時の流れが、感覚的に変化したことを理解した自分は、飛ぶように目的の部屋まで移動をはじめる。
その辺に点在する足場の間を、わくわく気分でひょいと飛び越え、目的地を目指す。往路のときとは打って変わって距離は詰まり、あっという間に目的の場所へ到着することができた。高機動を取る度に有効となる慣性制御は、手動操作室前の踊り場部分へそっと自分を着地させる。きっとこれは猫の忍び足よりも静かだろう。
主観時間を実時間へ戻しながら、室内に並ぶコンソールの確認に入る。各コンソールには、個々の進捗状態が表示されており、総合電力変換装置のあるエリア以外は、すべて稼働可能な待機表示に変わっていた。メインとなるコンソールの表示パネルから、区画起動操作の項目を開いて操作表示へ切り替えると、まだ総合ステータスは起動条件不備となっている。認証操作項目についても暗転したままで、操作不可状態だ。
作業の様子を伝えるために、ユカリがHUD上へ視界を寄こしてくれているので、ウインドウを縮小し、隅のほうへ移動させた。横目で配信映像を確認しながら、制御室内にある子機飲料ディスペンサーを操作し、カフェテリアからコーヒーを取り寄せる。
この手動制御室は、動力制御区画全体を見下ろせるように窓が張り出している。そのため、遠くで作業を続ける皆の姿を見ることもできる。HUDから呼び出せば、区画内監視映像も取得できるだろう。
窓際に並ぶコンソールの隙間に立ち、航空管制塔のような窓の外に視線を向けてカップを口へ運ぶ。ウニの点検が済んでから、区画内全体の空調制御が有効化したため、室温が落ちはじめている。セットの耐環境モードが起動するほどではないが、肌寒さを覚える室温のおかげもあって、熱いコーヒーがうまい。
しばらく作業を眺めていると、ユカリセットの胸ポケットに入れておいたスマホが、短く震えた。スマホを取り出して通知を開くと、ポンコツからSMSが着信していた。まったく気は進まないが、今回も仕方なく開いてみる。
『はろ~晴一さん。動力制御区画の量子脳も起動できたようですね♪あとは動力供給が本格的に始まればそちらでの作業も完了でしょう。一人でいるのは寂し』
ポンコツのメッセージは途中で切れていた。どうやら文字数制限に引っかかったまま送信したらしい。やはりやつは本物のポンコツなのだろうか。
釈然とせずにコーヒーをすすっていたら、HUDにユカリから作業完了のメッセージがポップした。彼女の視界映像の中では、リエがぴょこぴょこ跳ねながら、皆とハイタッチして回る様子が表示されている。かわいい。
急いでメインコンソールの前に行き、先ほど表示しておいた起動操作画面を確認する。画面内では、起動可という表示とともに、暗転していた認証操作の項目が明るくなっている。画面の端には、“エリア内人員の要退避”という警告が出ていたため、ユカリへ手動制御室まで皆を連れて来るよう伝え、全員が揃うのを待つことにした。
とここで、HUDに表示してあったユカリの視界が、何やら慌ただしくなった。隅に寄せていたウインドウを引き寄せて拡大してみる。するとそこには、ランが物理保護領域を展開して皆を絡めとり、ジャンプをする模様が映し出されていた。そして数秒後。部屋の入り口前にズシンという振動と共に、降ってきた全員が着地を決め、慌ただしく室内へ入って来きた。なんか災難だな。
「まったくもう。成りも大胆だけど、やることも大胆ていうか。ちょっと大雑把じゃないの?」
移動時間の短縮には貢献しているが、雑な扱いにユカリはご立腹だ。
「ぼくは楽しかったですよ~」
その一方でリエはそうとう喜んでいる。ヨリは、胸に手を当てて息をつき、肝をつぶしたといった様子。チカとムツミはいつもと変わらずケロッとしており、いつの間にか服装も仲居スタイルに戻っていた。騒動の張本人のランは、相変わらず飄々とユカリを往なし、たおやかに笑っていた。
手動の作業は完了し、賑やかな仲間たちも揃い踏みとなった。後は動力制御区画の起動認証と、担当AIランへの引き継ぎ承認を行うだけだ。
「さて。全員そろったので、いよいよ主機転換炉の起動を開始したいと思います」
自分の宣言に対して、皆各々に声をあげ拍手が沸き起こる。わーわーどんどんぱふぱふ。
皆の期待を一身に受けてコンソールへ向き直り、表示パネルの起動ボタンに軽く触れた。すると、どこからかディーゼルハンマめいた断続的な衝撃音が数回響き、足元が揺らぐような低周波振動が生じる。しかしそれもすぐに止み、それまで静かだった区画内には、シュワシュワという気体が洩れ出るような音が響きだす。それと共にメインコンソールには、主機起動中という文字が現れた。
転換炉の運転状況が、メーター風の目盛りと円グラフで表示され、通常運転状態へ向けて徐々に出力を上昇させてゆく。炉の出力が一定数を超えるごとに、総合電力変換装置の回路が閉じて、各部への主電力供給も順次開始された。
張り出し窓上部の大型モニタに表示されていた要塞惑星の区画別縮小表示が、徐々に緑色に塗りつぶされてゆく。同時にウニの稼働率もみるみる上昇し、余剰放射回収プラントの回路から、ウニへの再投入状況を示すグラフィカルなモニター内容も、大幅に変化し続けている。
出力が問題なく安定したため、各部の運転状況を再度皆で確認を行う。それからパネルの項目を切り替え、ランへ運転制御の引き継ぎを指示した。引き継ぎ操作表示上の了承ボタンに触れると、彼女は受諾メッセージを発し、当区画の全制御は動力制御区画担当AIランへ引き渡された。こうして、動力制御区画の管理業務の引き継ぎは、すべてが無事完了した。
「はぁ~っ。やれやれ。これでやっと半分だな」
「ええ、やっとね。ここまで問題がなかったわけではないけど、順調に進んでいるのは間違いないわ」
「そうですね、割とすんなり終わって良かったです」
「わ~いなのですよ~♪」
ユカリとヨリとリエの三人が、手を取り合って輪になり、スキップで回りながら喜びを分かち合う。自分の後ろにいたランがまた背中から抱き着き、ぐいぐいと胸を押し当てている。あまり晴一おじさんを刺激するのはやめてほしい。息子さんが反応しかねないのでね。
「これで今後の作業がまた楽になりますわね♪」
「そだな。そうだと助かるよ。それと、無用な乳圧は控えめにしてくれると尚助かるんだけどな。まあ気持ちはいいんだけど……」
「過剰にならざるを得ないアピールは兎も角として。わたくしもサポートに加わるのですから、期待はしてほしいですわ」
「いやそこはちっとも兎も角じゃないが」
艶めかしく纏わりつくように、ランは耳元にふぅと息を吹きかけそんなことを言っている。それを見ていたチカとムツミが、黙って両側から自分の腕を取り、無表情で見上げた。
「なんだい? どしたい?」
「「いぇーい」」
「おう、いぇーい?」
両側から自分を挟んで、ふたりは空いている手の方で、ラッパーのようなDAP(手の込んだ握手)をしている。キャラは控えめなのに、ノリがいいというのは知っていたが。果たしてこの子達は、こういった知識をどこから仕入れて来るのか。
そんなふたりは、どこのプロラッパーだよと言いたくなるほど慣れた調子で、複雑な手の動きを超高速で繰り返している。恐らく、彼女たちなりに喜びを表現しているのだろう。それぞれの頭を両手でくしゃくしゃと撫でると、チカとムツミは目を閉じて口元を緩ませた。かわいい。
予定はつつがなく済み、手動制御室を後にした一行は、お疲れ気味だ。なので、社へ帰る前にカフェテリアでお茶を飲んで帰ることにした。
カフェへテリアへ向かう途中、思い出したようにユカリが「約束よ!」と背中に飛び乗って来たので、「しょうがないにゃー」と言いつつ素直に彼女を受け入れる。ついでに小さな尻をもみもみすると、彼女は「ギャー」と声をあげて、ヘルメット越しに頭をぽかぽか叩いてきた。運賃だよ。
手動制御室とカフェテリアは大して離れていない距離なので、おんぶタイムもそこそこに到着してしまう。おかげでユカリはとても不満げだ。名残惜しそうに背中から降りた彼女へ「満足するまでいつでもどうぞ」と声をかけると、ヨチム組を伴って嬉しそうにキッチンへ消えてゆく。
「当番制というか、チケット制にして発行条件などを設けるのもよろしいかもしれませんわね」
自分とリエに向けて、ランが論争の火種となりそうな提案をする。そういうのやめてよー。
「因みに俺の中の優先度は、リエが一番になってるぞ。他の皆は平等で」
「む~、ずるいですわリエ姉さま」
不承なラン姉さんはかわいく不満をこぼす。だってリエは小さいんだし、しょうがないじゃん。
しかし、おんぶ一つでここまで話がこじれるのも困りものだ。