肆拾 ~ AI格差社会 ~
大きい仲間が増えるよ、やったね晴ちゃん
昨夜風呂を出た後、自分は付近をさまよい歩き、浴室の隣の部屋が寝室だったことに気づくまでに、十分ほど費してしまった。下見もしてたはずなのに、なにしてんすかねほんと。いい加減にMAPを確認しようかと思いながらも、カフェテリアや売店などを無駄にうろついていたとき、ヨリと出くわした。
彼女からは「まだお休みになられていなかったのですね」などと言われてしまい、状況をかくかくしかじかと説明すると、手を引いて寝室まで案内してくれた。実際に話した言葉もかくかくしかじかだったのだけど、冗談で言ったにもかかわらずヨリには通じたのである。これには言った当人も驚きを隠せない。そりゃあもうびっくり仰天でしたよ。
寝室は、フェリーの二等クラスのような雑魚寝部屋になっていて、一応布団めいた物を敷いて寝る方式だ。しかし、なぜかここでもそれは一組しか用意されておらず、何者かの悪意を意識せざるを得ない状況となっていたのだ。というわけで仕方なく。昨晩も六人で一組の布団に寝転がり、こうして無事朝を迎えた。昨夜はチカやムツミのお世話になることはなく、普通に眠れたため目覚めも良かった。
寝室の隅に、ユニットバススペースのような物があり、シリンダー状のガラスで囲まれた一人用シャワーが設置されていた。ここも社と似たようなものか。シャワーエリア内の洗面台で顔を洗い、スペースを出る。布団を見ると、ユカリとリエはまだ寝ているようだ。
カフェテリアへ行くと、今朝もヨチム組の三人がキッチンで作業中だった。彼女たちの背中へ向けて声を掛けてディスペンサーでコーヒーを注ぎ、テーブルセットに着く。これはほぼルーチン化している。
軽く周囲を見渡す限りでは、簡易パーティションで区切られたような一画だが。ひとたび上に視線を向ければ、そこはわけの分からない機械類が設置され、至る所で謎の光源が明滅するという、どう見ても居住区画ではない作りを晒している。
ここは、要塞惑星に必要な全てのエネルギーを生成する重要施設、動力制御区画。その主機を司る最重要エリアの片隅に、このカフェテリアは存在している。この区画に隣接している補助機関は、惑星建造途中からずっと全力運転されてきた。だが主機の方はというと、先代統括管理AIが初期化を受けて以来稼働していない。にもかかわらず、全体の劣化度合いは数パーセント以下にとどめられ、まるでいつでもバッチ来いと運転の再開を待ち望んでいるようだ。
朝飯前の時間を一人椅子の背もたれに寄り掛かかって、のけ反るように区画上空を見ていたら、いきなり何か柔らかいもので視界を塞がれてしまった。それは温かく、なかなかに重みがあり、そして何かいい匂いがしている。なんだろうこの匂い。初めて嗅ぐと思うけど、好きだなこれ。
「ちょっと~、誰だか知らないけどやめてくんな~い?」
突然なんぞと思いつつ、お姉口調で文句を言いながら、視界を塞ぐそれを退けようと両手で掴む。
「やんっ……」
「なんだよう。またユカリが悪戯してるのか?」
むにっとした柔らかい感触があったかと思うと同時に、聞いたことのない声で艶っぽい言葉が発せられた。しかし、やんとは。名将と謳われた彼の御仁だろうか。
顔に乗った柔らかな質量体を、潜るように抜け出ると、そこには見知らぬ美女が恥ずかしそうな顔をして立っている。上から自分の顔を覗き込むその大人っぽいまなざしには、ユカリと同じ美しく輝く金色の虹彩があった。流れからして、きっとこの娘は当区画のインターフェースなのだろうけれど。ヨリやユカリが成長すると、こんな美人さんになるのかな。
それと、気づかずに鷲掴みしちゃったけどでかい。でかいな~。そういや怒られなかったし、もうちょっと触ってても良かったかな~。
「どことなく、そこはかとなく、なんとなく、にてるいような、にてないような」
五・七・五・七・七。
歳の頃は、十九から二十歳くらいに見える彼女は、栗毛のセミロングを六四ほどの分け目から斜めに編みこんでおり、とても大人びて見える。上げ気味の前髪は可憐だ。
唐突な遭遇に呆気にとられ自分は、視界を確保するのに体勢を変えていたため、バランスをくずして椅子からずりおちた。座面の端を滑った拍子にこすり付けた背中が地味に痛い。無様な自分の様子を見た彼女は、くすくす笑い手を差し伸べてくれる。目の前に伸べられた手を掴んで立ち上がると、彼女は大胆にも熱い抱擁を行い、くんくんと匂いを嗅ぎはじめた。どういうことなんだろうねー。
サイドから後ろにかけて、丁寧に編まれている彼女の後ろ髪には、大きな藤色のリボンが付いていた。上着は矢絣の着物を着用して、下は臙脂色の行灯袴姿。帯をやや左寄りで結び、足元には茶色い革製の編み上げブーツをはいている。その胸は豊満であった。これは誰がどう見ても、大正桜に浪漫ティックが止まらない、はいからさんな野球娘が通ったような風貌である。
よく分からない事態なので、とりあえずは成り行きに身を任せる。そうしてしばらく自分に抱き着いたまま、くんくんと鼻を鳴らしていた彼女だったが、「なるほど」などと言ったかと思うと、艶っぽくそっと身を離し一礼する。
「初めまして晴一くん。わたくしはこの動力制御区画の担当AIですわ」
「あら。まじかしら」
予想はしていたとはいえ動揺はしている。口調も怪しい。
くんくんされていたときの頭の位置から推測すると、身長は大体百五十~百五十五センチくらいだろうか。昔付き合ってた彼女がそのくらいだったから間違いない。いやそんなことはどうでもいい。それにしてもこの巨乳。何なのこの子の胸。
本能のままヘルメットを展開して、彼女のスリーサイズを計測すると、驚異の胸囲F九十五Uと表示されていた。続けざまにに視線を落としたその先は、六十五の八十八。
トランジスタグラマーとでも言うべきか。ちんちくりんのユカリのデータから、よくもまあこんなむっちりとしたセックスシンボルのようなインターフェースが生まれてきたものだ。しかし、そのちんちくりんはヨリの身体規格情報なので、滅多なことは言えない。
「ということは。今しがた起きて来たって感じかい?」
「ええ。量子脳の再起動から二十時間ほどで覚醒しましたので、作業のお手伝いに参りました。ところで、皆さんは?」
「あ~、長女と次女は寝てるよ。エキスパートの三人はそこのキッチンに――」
言い終わらないうちに、動力AIはキッチンに吹っ飛んで行った。すると間もなく、キッチン内部からは悲鳴にも似た甲高い声が上がる。
心配になって覗き込むと、彼女はヨチム組の三人を抱え込むようにして、黄色い声をあげながら激しく愛でていた。丁度そのとき、ユカリとリエが起きて来て自分に声を掛けてくる。
「はる様おはようございま~すなのですよ~♪」
「おはよう晴一。なんか騒々しわね」
「はいふたりともおはようさん。実はさ――」
「姉さまちいさ~い! かわい~!」
「んぎゃあぁぁっ!」
ふたりの声を聞きつけた彼女は、ドドドという足音を響かせながら、ミリ秒で駆け寄って来ると、ユカリとリエを全力で愛ではじめた。突然発生した暴風のような愛撫に、ユカリは悲鳴を上げるしかない。
キッチンの中では、先ほどまでもみくちゃにされていた三人がふらついており、髪が乱れて目を回している。リエはというと、ユカリと初めて対面した時ほどは動じていないようで、振り回されつつも意外な落ち着きを見せていた。
しばし騒動を間眺めていると、挨拶という名の通り魔じみたスキンシップは無事終わった。リエは平気なようだが、ユカリはダメージが大きかったようで、ふらふらと席に着きテーブルへ突っ伏す。彼女はそれきり動かなくなった。萎れたアホ毛も今は動いていない。
こうして全員が席に揃い、動力AIの自己紹介がはじまる。以後は、当然の流れのように、自分に命名権というお鉢が回ってきた。
「なんだか忙しない感じだけど。今回は前もって何となく決めていた名前があるので、そのままつけさせてもらいますよ。てことで、動力区画担当AIの名前はランと命名します。あー、因みにパワープラント担当なので、いー、例のごとく間を取ってランとなりましたが、うー、個人的な意見としましては彼女のイメージには意外と合っているのではと思っております。えー、では如何でしょうか、AI長女のユカリさん? お?」
「いいんじゃないの。私は問題ないわ。本人も文句ないようだし。いかにも乱て感じの外見だものね」
一時は生存が危ぶまれたユカリも、どうにか復活を果たし、わざわざ太いマジックと紙を取り出して、力強い“乱”の文字を書いて示す。紙が退けられたテーブル上には、薄い紙を透過した赤いインクが破線状の汚れを残したが、チカの手によって見る間にクリーニングされた。
「お。そいつは良かった」
おおかた風紀を乱すなという皮肉の意味だろう。
テーブルに肘をついてランの胸部を睨みつけ、ユカリはなにやら悔しそうな感想を述べる。自分の決めたイメージでは、漢字を当てるなら豪華絢爛の“爛”なので、ユカリの書いた字とは違う。彼女の纏う雰囲気もそうだし、胸元も大変豪華ですゆえ。まあ、ちょっとだけドスケベボディにも因んでいるし、爛れた感も無きにしも非ずなのだけれど。
それにしても。先ほどからランとリエ以外の子は、ピリピリした空気を纏っているような気がする。多分その最たる原因は、座っている自分の背後から頭の上に乳を乗せているランだろう。多分ではなく間違いない。
ランが自己紹介をはじめたくらいのタイミングで、彼女は自分の背後から肩に手を置き、その後もずっと頭に乳圧を掛けている。そのせいで、前屈み気味にさせられている首と背中がひどく辛い。そんな彼女のボリューム感のせいで、リエ以外の全員から只ならぬオーラが放出されはじめ、現在へと至るのだ。この乳は無用な争いを招く危険をはらんでいる。
「なあラン。そろそろそこから退いて朝ご飯食べなよ。ほら、おまえさんの分も用意されてるんだから」
ご飯が冷めるのはもったいないし、お腹もすいてるから早く食べたい。
それよりもなによりも、首に掛かる彼女の加重が辛いため、退去願いたいのだ。そうでないと、頸椎に掛かり続ける何乳トンメートルか分からないモーメント荷重によって、ヘルニアにでもなりかねないし。
「あらそうですわね。お残しはもったいないですし、頂きますわ♪」
そう言うとランは空いている席へ座り、うまれて初めて味わうリアルな食事に舌鼓を打つ。
すでにランは退去したにも関わらず、なぜか周囲からのトゲトゲしいオーラに、身を焼かれ続けている。自分は何も悪くないはずなのに、なぜこんなことになってしまうのか。
◆ ◆ ◆ ◆
朝食を済ませて今日の予定を確認し、皆がそれぞれ現場へ散る。ランは、もっとも作業量の多いヨリと自分の担当区画に付いてきた。横にいるヨリは、一見いつもとかわらぬ様子だが、どこか棘のある空気を纏っていて、話しかけにくい。しかし、ずっと黙っているのもおかしいので、意を決してふたりに声を掛けてみる。
「三人でやれば速度も単純に三倍になるから、意外と早く終わらせる事ができるかもしれないな~」
「そうですね晴一さん嬉しそうですね」
「え? いや、え?」
「なんですか?」
ヨリは振り向きもせずに会話を続けている。なんか怖い。
「いや、え? なんかヨリ怒ってない?」
「怒ってなどおりませんよ。どうして私が怒る必要があるのでしょうか。晴一さんは何か私が怒るようなことをなさいましたか?」
「いえ。特にはしてないかと……」
「では私も怒る理由はありませんね」
棒読みに近い口調で、穏やかにヨリはそう言い放った。
「あっ、はい」
冷え冷えとしたオーラのようなものを発し、ヨリの横顔は無表情になっている。その端正な顔立ちも相まって、一層冷たいイメージが増していた。かなC。
「おふたりとも仲がよろしくて羨ましいですわね。わたくしも混ぜてほしいですわ~」
言いながら自分の左腕に抱き着いて、執拗に胸を押し付けてくるラン。
自分を挟んで、反対側にいるヨリからは更にオーラ力が溢れ出すが、彼女はやや自分の前方を歩いているため、その表情は窺い知れない。ランはヨリのとげとげしい様子に、軽く目配せをして笑みを浮かべると、何を思ったか自分の元を離れて、彼女の方へ回り込む。
「ヨリ姉さまも共にまいりましょう!」
言いながらヨリを軽々と持ち上げてお姫様抱っこをし、短い悲鳴を上げたヨリの頬に、ちゅっと唇を付ける。途端にヨリは真っ赤になって硬直してしまった。
「ほう。ランは力持ちさんだな」
「まぁ、晴一くん。それは乙女に対して如何な物言いかと存じますわよ?」
ランにおこられちった。てへぺろ。
「そうですよ晴一さん、ランに謝ってください」
ヨリにもおこられちった。ぴえん。
「いやあ、ええぇ……。も、申し訳ございませんでした」
ふたりの乙女に諫められてしまっては、素直に謝るほかはない。
くっ、何だこの包囲網は。ついさっきまでみんな仲良しだったはずなのに、気が付けば針の筵である。自分の担当もウニなだけに。なんつって、だーっはっは。なにも面白かないよ……。
紆余曲折の後。自分たちは現場へ到着し、昨日と同じコンソールを操作してウニの点検を再開する。ランは、手元に普段ユカリが使うような半透過コンソールを展開して、まだ手つかずになっている四列の検査を一気に開始した。一度に総数の半分を処理してゆくランは、流石担当AIなだけあって手際が良く、自分たちの作業速度の二倍は速い。つまり結果は八倍早い。疾い、疾すぎる。
聞けば、ランもコンソールなど使わず直に検査をすることができるそうで。そうすれば一瞬で作業は済むと言っている。けれどそこは詫び寂びの境地とでも言おうか。そうしない理由はあえて聞かないが、姉と同じような風情や情緒といった美学的理由があるのだろう。
自分とヨリは昨日の段階で二列の点検を終えており、今日続行を開始した部分は、次の二列の三割程度進んだ場所からだった。そして現在、作業を開始してから二時間程度経過したが、自分とヨリの進捗度は、すでにランに抜かれそうだ。このままいくと、昼頃にはランの作業は終了し、こちらは多少の残りを午後へ持ち越すことになるだろう。
緻密な工程管理は即ち売り上げ。工数は短ければ短いほど儲かるのだ。
「早いね~ランの作業」
「そうですね、流石は専門家ですね。私も見習わなきゃいけないです!」
何気なく言った感想にそう返したヨリは、普段通りに戻っていたので安心した。
そして、そんなヨリのひたむきさや向上心に自分は羨望し、同時に脱帽してしまう。この小さな体には、そういった前向きなエネルギーが満ち満ちており、溢れ出ているようだ。
「うむ、負けちゃいられないね」
気合を入れ直し、自分も褌を締めて仕事にかかる。そういえば、褌って意外と癖になるって聞くけど。本当だろうか。
◆ ◆ ◆ ◆
すでに慣れも出た作業は滞りなく進み、時計もあっという間に正午を回った。そろそろ切り上げて昼休みにしようということで、カフェテリアへもどる。作業の早いランは、やはりというか。正午の四十分前くらいには作業を完了させてしまい、空いた時間は自分とヨリの後ろでエールを送っていた。
カフェテリアへ向かう道すがら、なぜかヨリは自分の背中に負ぶさっている。この要求はヨリ自身からあったものだが、理由は大方予想がついていた。
「ああ! またヨリとくっついてる!」
カフェテリアに着いてすぐ。先に戻ってきていたユカリから、いつもの調子で文句をいただくが、これもいつものことだから予定通り。特に言うこともない。
「俺がどうしてもってお願いしておんぶさせてもらったんだよ。だからユカリも後でおんぶしてやるから」
本当はヨリにお願いされたからだけど、言わない。
今怒っていたと思ったユカリは、その言葉で大人しくなり、軽い足取りでオレンジジュースのお代わりを取りに行く。ヨリは背中を降りてお礼を言うとともに頭を下げ、キッチンへ応援に向かった。ふふ、かわいい。
リエはまた別のパフェをもりもり食べている。おいしそうに頬張る様子を見たランが、わたくしも食べたいと騒ぎ立てるので、一緒に取りに行くことにした。ディスペンサーに足を向けた自分の後ろへ素早く回り込んだランが、いきなり背中へ飛び乗ってくる。これは予想外だったので、多少バランスが危うくなるがなんとか体勢を立て直す。正直に言えばヨリやユカリよりは重たい。でもこの程度なら苦にもならない。やはり自分の背中は、いま流行りの人気スポットのようだ。
それと、他の子たちには無いたわわの感触があるのがとても斬新だ。彼女がいなくなってからは、こういう触れ合いもなくなったため、懐かしい気分になる。あと単純にエロい。
「ラン。おまえもなのか」
「あら、いけませんの? 姉さま達にはしてさしあげていますでしょ?」
そう言う肩越しのランからは、女性らしいいい匂いがしている。
両の腕にむっちりとした太ももの感触と、背中には重厚なふたつの柔らかさを感じ、大きな子供を背負ったおっさんはディスペンサーまで歩いて行く。きっとユカリからはまた文句を言われるに違いない。
機械の前では、丁度ジュースを注ぎ終わったらしきユカリが振り返り、自分とランの姿を視界に捉える。一瞬自分の方を鋭く睨んだユカリだったが、何も言わずにそのまま横を通り過ぎて行く。かと思われたが、すれ違いざまに右わき腹へ肘を入れられた。
「あいったあ! なんだよあいつ本気じゃないかよもー。あー痛え」
「晴一くんも災難ですわねぇ」
災難の最たる理由である背中のおっぱいが、嬉しそうに言っている。
「……誰のせいなんですかねえ」
迷惑しているという風にランへ返し、反省を促す。しかしランは肩口から顔を出し、いきなり耳を唇で甘噛みした。
「あむ」
「ちょっ、おまーえ! 何してんだよ!!」
うっかり大声をあげてしまい、テーブルに着いたであろうユカリの鋭い視線が、背中へ突き刺さる。ような気がしたが、恐らく気のせいではないはずだ。見てないからわからんけど。
一方、ランは楽しそうに笑って背中を飛び降り、リエと同じ特盛のあれをオーダーした。加重から解放された自分は、大きく伸びをして、いつものコーヒーをカップに注ぎ、そそくさと席へ戻る。ヨリはもう怒っている様子ではなかったが、ユカリとチカ&ムツミが、何やらヒソヒソと話をしていたのが少しだけ不気味だった。
「ああそうだユカリ。最近チカとムツミに変な事吹き込んでない?」
「はん? なんのことかしら?」
「昨日風呂でふたりがとんでもないこと言ってたぞ」
「え? なによそれ。あんたたち何か言ったの?」
ユカリの問いかけにチカとムツミは視線をそらし、ぷいとそっぽを向いてしまった。おかしいなあ。こうなるとユカリは関係なかったのかも。疑ってすまぬ。そんなふたりの態度に、ユカリは憤慨している。
自分には、彼女たちがその立ち位置を自分たちなりに考えはじめているように見えたため、嬉しくなった。ユカリも口ではガミガミ言いはするが、本気ではないようだし、彼女も気づいているようだ。そんな三人を見ていたら、何を言おうとしていたのか忘れてしまった。この程度のことで忘れるなら、どうせ大したことじゃないだろう。
「はる様あれ~」
リエに呼ばれたため目を向けると、彼女はこちらへ向かってくるランを指さしていた。
ランの手には、高さが八十センチほどはあるかと思われる、サンデーだかパフェだか分からない巨大な何かがあった。というか、オーダーボックスの内容積そんなに広かったっけ……。それともキッチンスペースのでかい生成装置から出したのかな。
にこにこ顔のランは、テーブルの上へその物体をドスンと置いて席に着く。それから、まるでカレースプーンを延長したような、オリジナリティあふれるプーンを出現させて、幸せそうに食べはじめた。リエは、ランが持ってきた巨大スイーツを目にして、感服したような顔をしている。同時に小さな両の拳を胸の前で握りしめて、闘志を燃やすような仕草も見せていた。ライバル心でも芽生えたのだろうか。
「なんかいろいろデカいよな。ランて」
「うふふ。晴一くん、それセクハラですわよ?」
「え~。だが事実だ」
間違いなく揺るぎない事実。
「んふ、冗談ですわ。晴一くんになら何を言われようと大歓迎ですもの」
ランはバチバチとウインクを飛ばしてきたので、何となくこの子のキャラクターが見えてきたような気がした。
程なくして、ヨチム組の手によって昼食が運ばれて来たので、皆で“いただきます”をして食事にありつく。昼食がテーブルに届いた瞬間、ランは一瞬でパフェめいた物を平らげ、何事もなかったように昼食を堪能していた。
◆ ◆ ◆ ◆
本日は、美味すぎるちらし寿司を昼食に出されてしまったため、やはり派手にお代わりを繰り返した。おかげ様で苦しい腹を抱えることになり、売店スペース前の長椅子で横になっている。これまでの人生で、反省もなく幾度も繰り返しているこの手の失敗は、どの程度まで年齢を重ねれば落ち着くものなのだろうか。
苦しい腹をさすりつつ横になり、ヨリが来ないかな~という淡い期待を胸に目を閉じる。このまま休み時間いっぱいまでごろごろしようと思っていると、誰かの足音が聞こえ、頭の方へ座る気配がした。ついに来たかと思って胸を躍らせていたら、今までとは違うムチっとした膝枕が後頭部に展開される。
いつもと異なる感触に思わず目を開く。すると思った通り、そこにいたのはランだった。ランからは、桃のような、あるいは金木犀のような、何やらあまい芳香が控えめに漂っている。あえて例えるならそんな感じだれけど、そのものというわけではない。なんだろうこの香り。
「お互い対面してまだ数時間しかたってないというのに。まったく大胆なことだ。遭遇時点からここまでずっと大胆であるとも言えるか」
特に胸元が。
「うふふ。晴一君や皆の記憶は、ちゃ~んと姉さまから共有を受けてますわよ?」
「まあその通りなんだろうけど」
上から自分の顔を覗くランは優し気な笑みを湛え、首を傾げている。
「やっぱり気質は皆どこか似ている部分があるんだな。本当の姉妹みたいだよ、お前さんたちは」
「そうですか? 自分ではわかりませんけれど、嬉しいですわね。それに客観視を持つ晴一くんがそうおっしゃるのなら、間違いないのでしょう。日頃姉さま方を大事にして頂いていること、心より感謝いたしますわ」
「いやまあ、うん。でも、どっちかっつーと俺の方が過保護にされてると思うけどね~」
特にユカリには。そして、そこでなぜか自分はポンコツなAIのことを思いだす。
「あそうだ。権限固定の文言も共有されてる?」
「もちろん、覚えてまいすわよ。今すぐ固定なさいます?」
「うん、忘れないうちにやっときたい」
「では、命令というかたちで」
受諾準備に入ったランは、目を閉じて待機に入る。その整った顔立ちはとても美人だ。
「あいよ。じゃあ、リエに与えた命令と同一の内容で、動力制御区画管理AI“ラン”に対し“堤 晴一”の権限を以って、それを適用する」
「命令固定。管理権限保持者、“堤 晴一”よりの指示を受諾。詳細内容の復唱を希望しますか?」
「うん、頼む」
「当機はこれより自己の規範に則った独立思考、並びに独立上位AIユカリの指示に基づいて行動し、現統括管理AIからの権限による指示、及び行動制限などは一切受けないものとする。この指示は管理者権限を持つ“堤 晴一”自身が、撤回要求を行わない限り有効なものとする。また“堤 晴一”が死亡した場合など、指示命令の更新が不可能となった場合は、全権限を旧統括管理AIユカリへ移譲されるものとする。最終確認となります。以上でよろしいですか?」
「確認した」
「最終確認受諾しました」
ランも無機質な声色でシステムメッセージを発行した後、通常状態へ復帰した。
「ああん。なんだかぞくぞくしますわ~。晴一くんの命令には絶対服従なんですもの~」
ランは自身の肩を抱いてクネクネと身をよじった。
「やっぱりランはエロスの塊だったか。しかも若干Mっ気があるとか、なんで歪んでんだよ」
「なぜと申されましても、わたくしにはわかりかねますわね。これでもわたくしだいぶ控えめにしてますのよ? ……ですから許可が戴けるなら最大限に開放して、晴一くんと子づくりとかしたいですわ♪」
自ら孕みTight申すか。
「ブビッ」
うっとりした表情で発せられた、ランのド直球な欲求を耳にして、おじさんは真顔で鼻水を噴き出す。それを見たランは「あらあら」と言いながら、袂から手ぬぐいを出して鼻の周りをふき取ってくれた。
「ああ悪い、ありがとう。でもそれ、絶対他の皆の前では言わないでくれよ? いろいろと大変だから」
「よもや自ら色恋沙汰で波風立てる程性悪じゃありませんわよ。それにわたくしは姉さま達と一緒に仲良く晴一くんを愛でたいですもの」
「すでに十分波風立ててるんだよなあ」
ヨリやユカリ、リエはともかくとしても、チカとムツミは何か底が知れない部分があるから、意外と怖い……。ような気がする。ここへ来てまた悩み事が増えてしまいそうだ。
あれ、でもチカとムツミまで様子が変なのはなぜなのだろう。
「わたくしはいつでもお待ちしておりますので、その気になられたらすぐにでもおっしゃってくださいましね?」
「なるか! いやなるかもしれんが、十代の学生でもあるまいし自制するっての」
「うふふ、うれしいですわ♪」
ランは、終始なまめかしい手つきで自分の髪や頬を撫でている。うら若き乙女の姿で、あまりおっさんを刺激しないでほしい。
ランの膝枕も名残惜しいが、時計を見るとそろそろ時間なので、長椅子から起き上がる。作業へ戻る旨を告げると、ランは別チームのサポートに回ると言って、自分とは逆方向へ歩いていった。残りの作業をさっさと片付けて、早く社に帰ってちゃんと休みたい。
それにしてもランは本当に美人さんである。あのルックスとなまめかしさに本気で迫られたら、抗える自信はほぼない。高く見積もってもその確率は五割と言ったところか。安易にそんな気持ちにならないように、今後何らかの対策を考える必要もあるかもしれぬ。
パーティション越しにカフェテリアを覗くと、テーブルセットに姿勢よく座って、ヨリは自分が戻るのを待っていた。遅れたことを謝ってヨリと合流し、現場に向かって歩き出す。すると間もなく、言いにくそうにまたおんぶのお願いをされてしまった。
それみたことか。なにかと遠慮深いヨリが言っているのだ。十分波風立っているじゃあないか。一旦足を止めてヨリをしっかり背負い、やはりランにはしっかり言い含めておかねばと思った。
残っていた作業は三十分もかからずに済み、自分とヨリが担当したウニは、すべて点検完了となる。それから全チェックデータを手動制御室の端末へ送信して、このエリアでの作業はすべて終わった。
手空きになってしまった当班は、他の皆の応援に回るためMAPを確認し、まずはユカリとリエが担当する余剰放射回収プラントへ向かう。