参拾玖 ~ うに ~
「俺が飲む要塞惑星のコーヒーは苦いな」
当初、社の作りとは異なるかと思われたカフェテリアなどのスペースは、意外にも自分の文明圏と大差ないものだった。
ドリンクバーエリアの壁に埋め込まれたディスペンサー類も、提供物の設定変更ができたため、到着早々女子たちが総出で飲料を選定していた。そのお陰で、今こうして自分はコーヒーを楽しむことができている。そもそも、直通車両内の設備がそうなのだから、ここへ来てまったく違ったものと遭遇するなどということは、あり得ない。
それはそうと。各生成系設備の初期設定値が消えていたことは気掛かりだ。これは列車の中でも思ったことだけど、もし以前の設定が残っていたなら、彼らが口にした飲食物を味わってみたかった。そこはちょっと残念。
ヨチム(ヨリ、チカ、ムツミ)組がご執心のキッチンスペースに至っては、それぞれが早速素材をオーダーし、設置されている調理器具を使易いようカスタマイズするなどして、自慢の腕を振るいはじめている。キッチンには、食材を調達できる冷蔵庫のような機材が存在し、任意の食材をその場で生成したり、料理を直接オーダーするといった使い方ができるようだ。それにしても、三人の驚異的な環境適応力よ。
「趣味や嗜好にもおおよそ対応ができるか。ある意味理想の施設だなこりゃ」
仲睦まじい三姉妹を眺め、すかした態度でコーヒーをキメるおじさんが呟く。
皆が忙しそうにしているのに、自分だけ一人悠長にしている。そりゃおじさんだって皆を手伝おうとしたのだ。けれど、五人全員から大人しくしているよう言われたら、それ以上食い下がれないもの。やっぱり役立たずなのかなあ……。
そんな自分の対面にはリエが座っている。この子は、先ほどから器に隠れるようにして、巨大なフルーツサンデーを突き崩しており、その大きさは高さだけでもゆうに五十センチは超えているように見える。隣にはユカリが座り、展開したコンソールを片手にまたオレンジジュースを飲んでいた。こうもオレンジジュースばかり飲んでいると、その内黄色くなってしまいやしないだろうか。きっと平気なのだろうけれど、おじさんは心配だ。
「本当に手伝わなくていいのかな。俺手持無沙汰だよ……」
「もう。またその話なの? 私たちがいいって言ってるんだから大人しくしてなさいよ」
ユカリはコンソールから目線を外さず言う。アホ毛もギザギザしてて機嫌がよくなさそう。ところで、そのアホ毛どうやって動かしてるの。
「いやでもさあ――」
「いいからじっとしてて! そもそもアンタはあの通路を突破してるのよ? あれで命を掛けてるんだから、今日はもう何もしなくたっていいじゃない。私たちにできることは任せておけばいいの。あまりしつこいと怒るからね!」
もう怒ってるじゃん。でもこれ言って本当に怒られるのは嫌だから、この話題はそろそろ止めよう。でもなあ。やっぱなんか落ち着かないんだよなあ……。
「へいへいわかりやした。ま、それはそれとして。社にもこんなスペースが欲しいな」
シャレオツなカフェとかあったらいいな。予想外に大きいサンドイッチとか、コーヒー頼んだだけなのにケーキが必ずついて来るとか。そういうスペースがいいなあ。
「それもいいわねぇ。この区画が復旧したらやりたい放題できるんだし。銀河団が健在な限りは、ほぼ無尽蔵にエネルギーが使えるもの。ちょっと考えておくわね」
何とはなしに発した自分の言葉に、ユカリが即反応した。やっぱイベント大好きだなユカリん。
「そうなんだ。そっれなら三人のために台所でも作ってくれんかね」
「それは当然かまわないけど。晴一自身には何か希望はないの?」
「うん。今のところさしたる希望はないんだよね。あでも、箱庭をもっと広くできないかというのは考えてた。海とか山とか空とかでもっと遊べるようになると嬉しいなってね」
現状の箱庭は、その全容を知って様々な機能が使えると分かってしまえば、やはり手狭だと感じてしまう。乗り物などを持ち込んだ場合、特に広さの面で不満が募りやすい。
そのため、動力が復帰してリソースに余裕が出るというのなら、そういった面を改善してもいいのではないかと考えている。いや。既に衣食住に関する環境が完璧に取り揃えられた社があるのだし。やっぱりこれ以上望むのは我が儘かなあ。
「別にいいんじゃない? 箱庭自体の目的も設計思想も実質消失したようなものなんだし。野放図とまでは言わないにしても、贅沢な仕様変更は私も望むところよ」
思っていた通りユカリは乗り気だ。ユカリのようなお祭り女子が、この提案に食いつかないわけがない。
「よし。じゃあ作業の合間に俺も構想を詰めておくよ。あと、三人には内緒のサプライズ的な要素なんかもあるといいね」
「私は晴一の希望通りでいいわよ? 何なら規模だけ拡張して、後から欲しいと思った機能を追加していくのも全然有りだと思うわ。それに、あの子たちを驚かせたいというなら、豪華な厨房機器でも用意すれば良さそうだし」
「それいいね。俺も何か考えてみるよ」
「うん。期待しないで待ってるわ」
素っ気ない風にユカリは言っていたが、コンソールに向き直った顔には、笑みが浮かんでいた。こういう些細なことにもまだ素直にりきれていないようで、自分は苦笑するしかない。
数日とはいえ、ここを生活の場とするのであれば、まずは案内図を元に生活空間の確認をしておきたい。などと偉そうに息巻いてはみたものの。施設はさほど広くもなく、ざっと見て回るだけで済んでしまった。しかし、不具合のあるような場所がなかったのは良かった。
あちこちへ顔を出したりしてぷらぷらしていると、時計は八時半過ぎになっていた。いよいよ作業開始だが、ここでの作業は、大まかに三つに分けた各区画を三組のペアで担当し、全体を収めていく方法をとることにした。この作業形式には、各ペアが別のペアをチェックし合い、ミスの低減を図るという意味もあったり無かったりするのだけれど、ここには完璧なチェックツールがあるので、その必要はない。
しかし、適度に作業範囲を区切ることで、各担当区画の進捗を確認し合うことはできるため、モチベーションを保つ目論みもある。転じて、自分が折れないための対策だったりする。それに手分けした方が確実に早いので、というかこれが主な目的だ。
「じゃあ俺とヨリでこの線種別収集装置のブロックをやりますので、ユカリとリエは余剰放射回収プラントを頼みます。そんでチカとムツミは、えーと、総合電力変換装置周りの方をお願いします。では、各員事故や怪我など無きよう常に注意を怠らず、マニュアルに沿って安全な作業を心がけましょう。以上です」
「「「「おーけー」」」」
チカとムツミが流行らせてしまったのだろうか。四人は何時ぞやのふたりと同じOKサインを同時に出し、それぞれの持ち場へ散って行く。
「晴一、ヨリに変なことするんじゃないわよ?」
自分がユカリ以外の子らと一緒にいると、ユカリは何かと目くじらを立てる。わざわざ振り返ってまで言うことはないと思うけどなあ。
「あいよ。その時は後でちゃ~んとユカリにもするから心配すんな~」
「な、ななによそれーっ!!」
自分から振っておいて狼狽えるユカリの豆腐メンタルよ。あと変なことってなんだい。具体的に言いなさい。
ユカリのヤジに平等である旨を返して、ふたりで歩く担当ブロックまでの道すがら。ヨリは何だかソワソワしていて落ち着かない様子だ。
◆ ◆ ◆ ◆
担当現場に到着すると、そこには壁の奥へ深く切り込むようにして、四角いトンネルのようなものが設けられていた。
中には、配管状の物が無数に接続された球体があって、ほぼトンネルの幅いっぱいに八基並んでいる。HUDの注釈によると、それら球体の直径は五・八メートルとなっており、トンネル内天井の高さは、床から九メートル程あるようだ。一見すると、ウニのように見えるそれらが並ぶ空間は、ずいぶんと奥行きが広くなっているようで、ずっと奥まで続いている。チェックリストによれば、奥へ向かう各列には、それぞれ五百基のウニが連なっているとある。それが横八列設置されることで、計四千基のウニがここにはあるようだ。
ウニの列の間には、それぞれ四本のリニアレールが走っており、レールには台車が付いた多関節のロボットアームのような装置が乗っている。また天井付近にもレールがあって、クレーンのようなものが四基設置されている。整備マニュアルを呼びだすと、ロボットアームは、重篤な物理的故障に対応するためのメンテナンス機構のひとつのようだ。クレーンの方は重整備などに使われるそうだが、設備には自己修復機能が備わっている。双方ともよほどのことがない限り出番はないだろう。どのみちこのチェック作業には無用の物だ。
「最初に見て萎えた四千八百ヶ所中の四千ヶ所は、ここのことだったんだね」
「そのようですね~。もっと分散されているのかと思っていましたけど、纏まっていて良かったですね」
「だね。あちこち歩き回る羽目にならなくて良かった。さてさて、宇宙のウニは俺のウニ。仕事にかかりますかね」
「頑張りましょう!」
ウニを一通り眺めた後は、ふたりでマニュアルを確認し、チェック作業に取り掛かる。
大まかな手順としては、点検用コンソールから、一列毎に五百のウニを一つずつ手動でモニターしてゆき、そこで何らかの不備が見つかれば、ロボットアームが問題個所まで自動走行して、対処するようになっているようだ。現在の区画ステータス上では、故障表示も出ていないので、運転前検査だけで済みそうではある。たとえ壊れていたとしても、自分たちが直接修理するようなこともないようだし。
直通車両で見たようなコンソールから点検ヶ所を呼び出して、手始めに一番近くの列からモニター情報を閲覧し、ウニの動作を一機ずつ確認してゆく。ウニに投入された検査用定量化粒子の数と、それによって得られるエネルギーの予測値が転換炉主機の出力と合致し、既定値に達しているかどうかを確認するのが主な内容だ。その主要動作ができていれば、必然的に周辺装置も正常動作しているということになる。
作業は途中で複雑化することもなく、単調な内容を淡々とこなしてゆけば、いずれ終わりはやって来る。といった感じなので割と気楽だ。数だけは多いものの、ウニ一基あたりに要する作業時間は約一分弱。大体八時間もあれば、一列の作業は終わる計算となる。これをふたりでやるのだから、最低でも一日で千基ほどは点検を終えることができる見込みだ。
「思ってたより作業が簡素化されてて良かったね」
冗長で退屈極まりない手作業ではあるが、簡略化されて良い形に纏められている作業用インターフェースは、とても快適に操作できている。ここは設計者に感謝したい。
「そうですね~。私ももっと手間がかかると思っていました」
ヨリも似たような気負いがあったようで。実際の現場作業を目にして、ほっとしている。
画面を確認して、既定の操作を繰り返すヨリを見ていると、感慨深いものがある。少し前のヨリは、中世の日本文化の概念に生きていたはずなのに。今では先進的な超技術に触れて、その一端を取り扱っているのだ。
ふと、そこにどのくらいの年代の差があるのかと一瞬考えてみたが、それは大して意味の無ことだと気づく。現代日本を生きる自分とヨリの年代の差を比較すると、約二百年近くの隔たりがある。それは、人の感覚で見ればかなり大きな差であるといえる。しかし、ここは要塞惑星という特殊な場所だ。これらを生み出した彼らの億年単位に及ぶ繁栄のスケールで見れば、彼女と自分の間にある時差など、誤差程度のものでしかない。まったく次元が違い過ぎて笑えてしまう。
「何か楽しいことがあったのですか?」
自嘲するようにクスッとしたら、ヨリに気づかれてしまった。
「いやね。この前までなにかと怯えていた小さな女の子が、なんとも立派になったものだなって。しみじみ思ってしまったのですよ……ううっ」
片手で涙をぬぐうようなふりをするウソ泣きおじさん。
「あ、それは私も同感です! 些細なことで一喜一憂していたころの自分が懐かしいような。そんな気がしますね」
照れた笑いを浮かべてヨリはそう言った。かわいい。
「ほんと言うとね。ヨリと初めて会ったときには何となく思ってたんだ」
「と、おっしゃいますと?」
「うん。酷く怯えている割にはなんか芯の強さみたいなものがあるなって」
「芯の強さ、ですか……?」
ヨリは良く分からないというような顔をしている。
「うんうん。まあ早い話、ヨリは凄い子だってことだよ」
「えーっ!」
脈絡なく変なことを言いだすおじさんに、彼女は困惑するばかりだ。
その後、詳しい説明を求められもしたが、自分は言葉を濁して話を切り上げる。そしてイマイチ納得していないヨリを抱き上げて、昼休憩のためにカフェテリアへ足を向けた。過剰接触は大罪である。
◆ ◆ ◆ ◆
途中お昼を挟んだり。立ったり座ったり。伸びたり縮んだり踊ったりしながら作業を進めてきたことで、後半戦に割り当てられた時間も、あっという間に十七時近くになっていた。
定時が近い頃合いなので、ヨリと共に作業を切り上げて、仲良く手を繋いで居住施設が有るエリアへ戻る。カフェテリアにはもう四人が戻っていて、ユカリは何やらテーブルの上でだらりとのびていた。
「あー! 晴一のくせに私のヨリと手なんか繋いで!」
自分たちの足音に気づいたユカリは、起き上がると同時に文句を言った。ヨリと仲良く手を繋いで帰って来たことが、よほど気に入らないらしい。昼にヨリを抱いて戻ったときも怒っていたし。
「はる様~。おかえりなさいなのですよ~」
一方リエは元気な声で出迎えてくれたので、こちらもただいまと返事をした。リエはしっかり者だ。姉のユカリはただ怒ってるだけなのに。
「ユカリはお帰りも無しかよう。いいじゃん手くらい繋いだって。ね~」
「ふふふ。そうですね」
「だってずるいじゃない! あ、これはヨリと繋ぎたいっていう意味で……」
ヨリの嬉しそうな様子に、ユカリはうっかり口を滑らせ、慌てて訂正する。そこをヨリによって追及されると素直に認め、本当は自分に構われたいみたいなことを言った。かわいい。この子らのこういうやりとりは見ていて飽きない。
「もう……。ちょっと晴一っ! 明日は私とペア組をみなさいよ?」
「えー? でもまだ一ブロックも終わってないぞ? そしたら引き継ぎもしなきゃならないし、中途半端で切りが悪いと思うんだけど」
「うう、言われてみれば確かにそうね……。わかったわ、精々私のヨリを大事にすることね!」
また勢いに任せて、ユカリはそんなことを言ってしまう。困ったちゃんめ。
ユカリの自分と一緒にいたいという気持ちはよくわかっているし、そう思ってもらえることも嬉しい。当然自分だって、可能な限りそういう思いには応えてあげたい。
こういうとき、彼女は大抵場を取り繕うためにヨリを引き合いに出してしまうが、そこも又かわいい。もしユカリが素直になってしまったら、そういった魅力も減ってしまうのだろうか。などとつまらないことを考えたが、そうはならないだろうと思う。他も色々かわいいしなあ。
「また晴一がいやらしい顔をしてるわ……」
ヨリのこれまでの変化や、ユカリのこれからの成長を思って想像を膨らませていると、案の定といった感じで悪口を言われてしまった。このユカリめが。ユカリみたいな顔しやがって。かわいい。
「もう。ユカリもすぐにそういうことを言わないの。晴一さんは、私たちのことをいつも真剣に考えてくれているでしょう?」
「んむー。私だってそういうのはわかるわよ。でも……やっぱり照れくさいというか……」
ユカリもヨリやリエの前では本当に素直なのだが、それも最近では徐々に変化しつつある。
そんなユカリの隣で、午前中と同じサイズのフルーツサンデーを平らげつつあるリエが、そっと手招きをしていた。呼ばれた自分はリエの隣へ回り、リエの横に屈む。リエ越しにチラッと見た席の向こう側では、いまだユカリが言い訳じみた愚痴をヨリにこぼし続けている。
するとリエが顔を近づけ、傍で屈んだ自分に「大丈夫ですよ」と耳打ちした。リエの優しい気遣いに、自分も同意を返す。ついでに、ほっぺについたクリームを備え付けの紙おしぼりで拭ってやると、照れたように笑った。
かわいいリエの頭や顔ををひとしきり撫でてから、自分もディスペンサーへ向かい、仕事の後のコーヒーをカップへそそぐ。すると間もなくリエがやって来て、サンデーの入っていた器を返却口へ入れた。そしてすかさず、ディスペンサーの並びにあるオーダーボックスへ移動し、再び別の超特盛フルーツサンデーを注文する。チェインスモーカーならぬチェインスウィーター(スイーツイーター)だろうか。
「体への心配はないだろうからからいいけれど、もしかしてリエは甘いもの大好き?」
「はい、はる様。ぼくは甘いものが大好きなのです。甘い甘いデザートで満たされたお風呂に入るのが夢でもありますです~。でもですね、そうするとデザートたちがもったいないので、永遠にかなわない夢でもあるのですよ……」
そう言うとちょっぴり消沈してしまうリエ。
夢では望んでも、現実では食べ物を大事にしたいと思う彼女の信条は、とても尊いと思う。偉かわいい。
「リエはえらいな。やっぱり食べ物は大事にしなきゃだな」
「えへへ~」
彼女の信念を褒めてあげると、花のような笑みが戻った。
ふたりで席へ帰ると、先に帰還していたチカとムツミが、夕食の用意を整えてくれていたため、すぐに夕飯タイムとなる。
自分と共に帰りが遅れたヨリは、チカとムツミへ手伝えなかったことに謝っていたが、ふたりは無言で首を横に振り、気にしないよう意思表示する。そんな皆のやりとりを見ていたら、自然とニヤけてしまった。すると必然的に、ユカリからはグサグサと突き刺さる視線を浴びせられる羽目になる。
しかしそれも、ヨリのフォローによって反省させられてしまう。そうして真に反省がないユカリは何度も怒られる。もはや無限ループ。
「そーゆーとこも含めて、俺はユカリの事が大好きだからな」
自業自得と言えばそれまでだが、何度も叱られているユカリが少し不憫になってしまう。そのため、励ましの意味をこめて、自分の率直な気持ちを伝えた。
ユカリは、わかりやすく食事の手を止めて固まってしまうが、ヨリにお世話をされて、再び夕飯を食べはじめた。近頃は叱られても褒められても、何かとヨリの世話になっているユカリである。
なぜだかわからないが、チカとムツミはヨリとユカリへ向けて、謎のサムズアップをしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
食事の後。女子たちが甘味に夢中になっている隙を見計らい、自分はひとりだけ内緒で風呂場にやって来た。
ここの脱衣場はロッカールームのようになっていて、床はカーペット敷きのような感触だ。壁際にある樹脂製と思しき四角いロッカーを開くと、タオルなどが入っている。ここではそれらを持ち出し、脱いだ着衣を中へしまって浴室へ向かう方式のようだ。
これにはスーパー銭湯のようなカギはなく、生体認証によってその都度利用者を自動登録、あるいは抹消し施錠管理するらしい。
入口から右の壁面は、全て窓になっている。窓の向こうには洞窟内のような風景があり、遥か奥の方に橙色の暗い光を放つ、巨大な球体と思しきものの一部が見える。HUDの情報を見ると、そこには“粒子転換炉主機本体”という注釈が表示されており、球体の直径は……なんと驚きの約六千三百キロメートル。
HUDの数値で見ると、中心核となっている岩石惑星の四割ほどの体積があるようだ。また、球体までの距離は数百キロメートルあるそうだが、巨大すぎるため距離感が掴めない。自分が担当しているウニなどよりも、遥かに巨大な金属製の球体には、やはり無数の配管のようなものが方々から繋がっているらしい。
奥の風景をもっとよく見たいと思って窓へ近付くと、それまで透明だった窓は鏡に変化し、向こう側が見えなくなった。鏡は、自分の全身を一回りくらい大きく囲った長方形の範囲を持ち、こちらの動きに追従して鏡像を結んでいる。この窓には座鏡スペースと同じ役割もあるようだ。さらに、近くに用意された椅子に座れば、透明な窓から手前に向けて洗面台も生えてくる。凄い。未来。でも言うほど驚いてもいない。だってこれ、ほんとは窓じゃなくてスクリーンだもの。外の景色は映像なのだ。
こうなると浴室の方も気になるので、風呂場の入口へ足を向ける。入口には、物理保護領域を応用した障壁でも張られていたのか、自分が近づくと同時に遮光性を持つ乳白色のフィールドが消失した。それと共に、浴室内が見通せるようになり、水音と湯気がこちらへ流れ込んでくる。凄い。未来。
石造りのようなセラミックのような、あるいは樹脂のような。とにかく滑らかな素材で統一された空間には、床に埋設された浴槽がなみなみと湯を湛えており、家族風呂程度の広さがある。このスペースなら、皆が突入してきても余裕をもって収容できると納得し、ロッカーの前へ舞い戻る。自分のロッカーを確保したおじさんは、一瞬のうちに脱衣し、浴室へ駆け込んだ。あまり時間を浪費して、他の子らに気取られてしまっては元も子もないからな。
入口の左わきに、三ヶ所設置された洗い場を発見するが、壁面に蛇口などはない。ただ、ホースが繋がったシャワーへッドノズルのようなものが、三本掛けられているだけだった。そして棚のような張り出し部分には、謎の金属製と思しきボトルが三つ並んで置かれている。裸眼だとラベルらしき部分の文字がまったく読めない。
仕方ないのでポンプノズルめいた部分を嗅ぐと、それぞれが爽やかな芳香を放っていたため、シャンプーや石鹸の類であることが辛うじて分かる。
「そろそろこういう簡単な文字も読めるようにしとかなきゃダメかな。でもやっぱり二次元コードっぽくて全然読める気がしない……」
独り呟く自分の眼前にある三つのボトルは、どれが何だかぜんぜん分からない。もう泡が出る物なら何でもいいや。
ということで、適当に一番右のボトルを取り、キャップらしき部分をつまむ。すると、自動的にどろりとした液体が出てくる。液体を手で受けて両手を擦れば、水なしでも大量の泡が立ったので、これで頭も髪も洗ってしまおう。
手始めに、顔周りから洗いはじめた。続いて壁に装備されているシャワーヘッドノズルと思しきものを手探りで掴み、ヘッド部にある突起に触れる。すると勢いよく湯が出た。使い方がイマイチ分からないため、顔についた泡を流してノズルの操作部をよく確認する。
いろいろ弄ってみた結果。どうやらこの突起は、ゲームパッドの十字キーのように操作をする方式らしく、十字の突起全体を軽く押し込むと、吐水と止水を切り替えることができた。水温は上下方向の押し込み操作で調節し、最低では冷水が出る。左右の押し込み操作ではノズルの形状が変わるため、水流の種類が変更ができるようだ。これは単体販売のお高いシャワーヘッドみたいなものか。吐水量は十字キーを上下に擦ると変更される。今回は運よく丁度良いお湯が出てくれたが、顔を洗う前に確認しておいた方が良かったなあ。
次に同じ液体を使って髪を洗う。シャンプーだかボディソープだかは知らないが、泡立ちは悪くない。そのまま洗い続けていると、突如背後から「失礼します」と声が掛かり、何やら背中を流す感触が生じた。ひえっ。
「ちょ、びっくりするから!! ええとこの声は……どっち? チカ? ムツミ?」
「「無論、両方で御座います」」
「両方か! そらそうだ! じゃないんですよ!」
両方だった。
「晴一様が、私どもに断りもなく勝手にお風呂に入ってしまわれたので、少々サプライズで御座います」
「まったくもって、油断も隙もあったものでは御座いません。このような暴挙は、今後お控え願いたく存じます」
暴挙の定義とは。
声はステレオで聞こえるため、珍しく別々なことを言っているらしい。そういうことではなくて、なんで一人で入ったらダメなの。
「いやあ、たまにはひとりでさ」
「そうで御座いますね。私どもの目をかいくぐれました暁には」
「そのような機会は今後も訪れることはないかと存じますが」
「えー。やだやだー」
泡で視界を塞がれたまま、ふたりとやりとりを続け、頃合いを見計らって頭や顔の泡を流し去る。ようやく視界が回復し、周囲の様子がわかるようになったとき。髪を纏めあげたふたりの裸体が両脇にあることに気づく。全裸はご法度だって言ってあるのにな~も~。
「ちょいとお嬢さん方。タオルを巻きましょうや」
「これは異なことを申されます」
「私達のこの体は女児型をした単なる作り物。いわばお人形さんと同じで御座います」
「「まさか、特殊な晴一様はお人形――」」
「ちがうぞ」
ぼそぼそとした口調のふたりから、不穏なことを言われてしまう前に、とっとと否定する。以前はこんなことを言う子達じゃなかったのに。何が原因でこんなことになってしまったのか。
「本当にふたりはユカリに何もされてないの? 何か変なこと吹きこまれてない?」
「決してそのようなことは」
「決して御座いません」
ふたりとも自分とは目を合わせず、そっぽを向いたままそんなことを言っている。
「本当に? もし俺がここで管理者権限を使って――」
「「手込めになさいますか?」」
もうわけが分からないよ。
「うん、あのね。晴一おじさんの話を聞いてほしい。権限を使って正直に言えと命令をしたら、ふたりは本当のことを言ってくれるだろう? でもそういうのは俺の矜持に反するから、ふたりの自主性を尊重して絶対にしないよ。それを踏まえて、ふたりにもう一度聞くけれど、ユカリに何か吹き込まれてるよね?」
「「……」」
ふたりは目を閉じで口を噤んでしまった。沈黙は金とも言うが、しかしこの場合はきっと黒。なんじゃないかなあ……。
「わかった。もう無理には聞かないよ。その代わりユカリを問い詰めることにしよう。恐らくそっちの方が陥落は早いはずだし」
最後にわしゃわしゃと体を擦りまくり、あちこちを丸っと洗い終えた自分は、浴槽に逃げ込んで深く息をつく。チカとムツミはまだ頭を洗っており、その後交互に背中を洗い合って、それから浴槽へやってきた。
「「晴一様は気分を害されたのでしょうか?」」
自分を挟むようにじっと湯につかっていたふたりが、突然同時にそんなことを言ってくる。
ここで初めてふたりの不安そうな表情を目にしたため、ドキッとしてしまった。そんな貴重な機会を得られた自分は、矯めつ眇めつというように、ふたりの表情を観察し、話を続けた。別に裸を眺めていたわけじゃないんだからね。
「いんや、別に怒ってはいないよ。それとも、ふたりは俺に何か悪いことをしたのかい?」
「「よくわかりません」」
「そっか、わからないか~。ならどうしてふたりは俺が怒ったと思ったのかな?」
「「私たちは、最上位権限保持者である晴一様の意に反する行動を選択いたしましたので」」
自分は独裁者か何かなのだろうか。
冗談はさておき。チカとムツミは若干沈んだ顔をしているため、急速に成長しているようだ。今やふたりは、ユカリやリエと同様完璧な自律行動をとるまでになり、感情の片鱗のような物も見せはじめている。これは成長目覚ましいと言わざるを得ない。
「真面目だねえ。まあ場合にもよるけど、俺はふたりが言うことを聞かなかったからといって怒ったりしないよ。それに、ふたりが気にしているその辺のさじ加減も、近いうちに理解できるようになるだろうから。とくに心配もしてないし」
ふたりにはまだ自覚がないようだが、自分には確信めいたものがあった。葛藤のようなものも垣間見える彼女たちなら、そう時間もかからずに人と見分けがつかないほど進化成長をすることだろう。間違いなくね。
「それと。俺が風呂にいる時は、やっぱりタオルを巻いて入ってほしいな。そうじゃないとさ――あ~、ほら来た」
嫌な予感がして出入り口の方を見ていたら、案の定ユカリが速足で突入してくる。
自分が黙って姿を消してから、十五分くらいは経っているはずだし。そろそろ来る頃合いだと思ってたところだ。
「こらーっ晴一っ!! チカとムツミの裸見て喜んでんじゃないわよ!!」
「ね。いわんこっちゃない」
やいのやいの言いながら、大股でずかずかと浴室に入ってきたユカリは、開口一番酷い言いがかりを付けてくる。
あまりにも綺麗に予想通りの展開になったため、自分が笑いはじめると、チカとムツミのふたりも、同様にくすくすと声をあげて笑った。ここでまた、ふたりの成長結果が披露されることとなり、今しがたやって来た三人は驚いたり首を傾げたりしている。
「じゃ俺は先に上がるから。ごゆっくり皆の衆。ふはははは」
「何よそれぇ!? ちょっと待ちなさいよ~っ!」
背後では納得がいかない様子のユカリが、ギャーギャー文句を言っていたけれど、自分は尚高らかに笑って浴室を後にした。
後発組に付き合ってたら茹で上がっちゃうよ。




