参拾肆 ~ 只今運転を見合わせております ~
思いのほか早く目が覚めた。今朝も誰かが密着しているので、床を抜け出すには両脇に引っ付いているふたりを起こさないよう、体勢を整える必要がある。
まず状況確認のために布団の中を覗く。左側にいるリエは大きく体勢を崩していて、ユカリの上に両足を乗せている。そのうえで頭を自分の腋に挟んでいる格好だ。これはアグレッシブすぎると思う。足を置かれているユカリの方は、小エビのように丸まっているため、表情はうかがえない。
右側のヨリは、側臥位状態でこちらを向き、相変わらず腕を抱き込んでいる。懐いてくれるのはとても嬉しく思うのだけど、この子は一晩中この体勢なのだろうか。辛くないのかな。おじさんは心配になるよ。
さて、そろそろ脱出せねばならない。まず知恵の輪を解くように、右手をゆっくりとヨリの腕の中から引き抜く。自由を取り戻した右腕を早速活用して、リエの寝相をやさしく直し、やっとの思いで布団を抜け出す。この時点でもう疲れた。
這う這うの体でバスルームへ直行し、顔を洗って朝の準備を終えた後。その足で部屋を抜け出して、隣室へ向かう。
数日前までは入口の前に控えていた仲居ヨリ達も、現在は室内の布団で寝ている。今朝は部屋の外でふたりに遭遇することはない。昨日のポンコツAIの言動や振る舞いを思いだしながら、引き戸をゆっくりと開き、鳳凰の間へ入る。まだ薄暗い部屋に明かりを点け、中央に置かれた保管容器の横に腰をおろす。多少緊張しながら、窓の上に載せておいた包装紙の残骸を取り除き、徐に中を覗き込んだ。中の光景は、昨日も見た通り衝撃的なものだ。そこには鋭利な切断面を晒す、痛々しい姿のヨリが横たわっている。
顔の右半分は各層に分けられ、徐々に深く内部を観察できるような形で段階的に組織が取り除かれている。深い部分では、脳や眼球、口腔内を晒す形となっていた。残りの半分は、今にも目を開けそうなほど生気に満ちた肌の色艶をしているため、安らかな寝顔のようにしか見えない。
血液などの付着はないため、一見すると遺体は人体標本模型のような、人工物めいた印象がある。生物的な生々しさはそれほど感じられない。窓から見えるのは肩甲骨辺りまでだが、断面は正中線に沿っているので、全身この状態なのだろう。蓋の窓が一部だけでよかったと思う。
悲痛な思いはあったが、悪心などは催さずに直視できている。それは生々しさがないためだけれど、何よりもヨリの遺体であることが大きいのだと思う。大事な人の遺体なら、生理的な嫌悪も薄れるのだろう。
昨日、何気なく保管容器の上に置いたピッケルも、そのままの状態でそこにあった。使い込まれたピッケルと、窓の中のヨリを対比しながら、ユカリが感情を獲得するきっかけを作ったであろう彼の人物に、しばし思いを馳せる。これの持ち主は、ユカリとの関係をどう思っていたのだろうか。
「それ――」
意識外から声を掛けられた。
びっくりして部屋の入り口を振り向くと、ユカリが立っていた。泣きだしそうな顔のユカリは、部屋に入るなり自分の背中に覆いかぶさる。布団を覗いたときには、もう起きていたのかな。
「そういうのって。弔いって言うのよね? 死者に対する敬意というか、残される側のけじめというか……」
彼女は自分の胸の前で細い腕を交差させ、肩越しに言う。声色から察するに、元気ではなさそうだ。そりゃあそうだろうな。
「ああ。こうしたときは深く考えてなかったけど、そんな感じかもな」
形式的に見ればそういうことになるだろう。ユカリはまだ、その辺りのことについては理解が及んでいないようだが。
「状況から判断して、そういうことなんだろうというのは解るのよ。でもそれは晴一の取った行動に対しての反応だから。私が人間の遺体を前にしても、同じような行動はとれないと思うの。だから、その……。どうすれば、理解できるのかな。どうすれば私は学ぶ事ができるのかな? 晴一は……私にそれを教えてくれる?」
不安に満ちた弱々しいユカリの口調からは、いつもの勝気な様子はうかがえない。この子がこんなでは、こちらの調子もくるってしまう。
「うん、まあ、それはだな……。こう言ったら素っ気ない言い方になるけど、こういうのは自分が辛いからそうしたいと思うってだけでさ。実際は死んだ人間がどう思うとか、そういうことはあまり関係ないんじゃないかと思う。あ、これは俺の個人的な感覚で、一般論ではないよ?」
「うん……」
自分は無神論者だから、こういう場合でも基本的に生きている人のことしか考えない。自分は死人じゃないからな。
「こうして彼のピッケルを手向けるようなことをしたのも、ここにヨリの体をひとりで置いておくのは寂しいと思ったからだし。誰かが一緒にいてくれれば安心、みたいなさ。けどこれって自分の気持ちを庇う意味合いが強いんだよね」
実際このときは、痛々しい姿のヨリをひとり仲間外れにしてしまうようで辛かった。
「……じゃあ、死者に対するそういう気持ちは……。自分本位でも構わないっていういうこと?」
「ん~、そう言い切ったら極論になるかもだけど。それが自分の中だけでのみ納得できる形であっても、個人としてはそれで構わないと思ううんだよね。だって相手は死人だし。文句の言いようもないだろう? とはいえ、そこには世間体みたいなもんも関わってくるから、他の誰かを傷つけたりするような、奇抜な行動は取れないんだが……。それでも誰かが死ぬことはとても悲しいことだし、安らかに成仏してほしいっていう願いも間違いなくあるんだけど。ぶっちゃけ俺にも良く解らん。倫理に沿って振舞う必要はあっても、気持ちを論理的に解釈する必要は無いからなあ」
例えば世間体の悪い特殊な趣味を持った友人が死んだとしよう。その趣味を共通の物としていた自分が、死んだ友人の棺桶にその手のどぎつい関連グッズなどを放り込めば、恐らく遺族からは怒りの声をあげられるだろう。酷くすれば、葬儀場から叩き出されることになるかもしれない。それでも、友人と共に喜びを分かち合った、大切な思い出には違いないのだ。
だが、そういった事実は周囲の人間を傷つけることがある。どこまでが許されて、どこからは許されないのか。そういう分別は、社会生活の中で自然と学んでゆくものであり、今ここですべてを説明するのは簡単ではない。ここでそれに意味があるのかも、自分には分からない。端的に言えば、他人の気持ちを慮る、ということに尽きるだろうけれど。それを説明するのもやはり楽なことではない。人と人との関係は、ときに難しいものなのだ。
「差し当たって、ここにいるうちは自分本位でもいいんじゃないかな。皆がユカリの真心に気づかないなんてことはまずありえないんだし。世間みたいに面倒くさいしがらみもないしさ」
チラリと覗き見たユカリの横顔は、今一つ納得できていないように見える。
こればかりは、人生経験などが関わってくる問題でもあるため、AIだろうと人間だろうと、経験の浅いうちは如何ともしがたい。ただ、真剣に向き合い学ぼうとしているユカリなら、そう遠くないうちに答えは出せるだろう。そう自分は思う。
「そういやあ、ユカリって自信ないときは大体後ろからくるよな~」
「そ、んなことない……わよ……」
「うん。別に責めてるわけじゃないから。ユカリのそういう所はすごくかわいらしくていいなと思うんだ。これは真面目な話」
妙な唸りを上げてユカリはそっぽを向いてしまう。こういうところが実にかわいい。
しばらくユカリを弄っていると、入口の襖が開いて、今度はヨリが部屋に入って来る。自分たちの様子を見て彼女は軽く微笑んで、隣に座って容器の中を覗いた。
「うわぁ~……」
「えっ!? ヨリ平気なの? あまり無理はしないでほしいんだけど。ていうかうわぁって……」
ためらうことなく保管容器の遺体を覗くヨリを見て、こっちがうわぁとなってしまう。大丈夫なのかなほんとに。
「平気ですよ。私の村近くの街道筋では、行き倒れの旅人によく遭遇しましたし、大抵そういった亡骸を見つけた場合は、すでに動物などに荒らされた後でしたから。それに、私はクジラの解体も手伝ったことがありますので!」
「お、おう……」
当時の世情を反映した生々しい体験談と共に、謎の自信を示すヨリだったが、窓へ視線を戻した横顔は硬く沈痛なものになっている。彼女が覗く箱の中には、自分とまったく同じ姿の遺体があるのだから無理もない。
少しの間そうして窓の中を覗いていたヨリが、やがてぽつぽつと過去の記憶について語りはじめる。
「ユカリと記憶を共有したときに、それまではユカリがアクセスを禁止していた、当時の自分の記憶も見ることができました。その記憶の最後は、どこかの薄暗い部屋の中で意識を失う直前の場面で……。私は寝台のようなものに寝かされていました。ユカリは私の記憶抽出を行うとき、ほかの村の人とは違って麻酔処置をしてくれたんです」
「そ、それはっ! 苦痛で記憶にノイズが乗らないようにしたというだけで……」
突然ユカリが声を上げ、ヨリの背後に立つ。当時、自身がヨリへ行った行為への補足をするユカリの顔には、悲痛な色があり、見ている側も辛くなる。
「ユカリ。あのとき私は救われたと思っていたんですよ。当時の私はあちこちに怪我を負っていて、酷い痛みに耐えかねてましたから……」
津波による水圧やがれきに揉まれ、かなりの個所に重篤な骨折や打撲を負っていた事実をヨリは告げる。激痛によって訪れる失神と覚醒を短時間の内に何度も繰り返し、酷い苦しみを味わってそうだ。
自分は、当時が本当に地獄のような状況だったことを理解する。なぜこのようないい子が、短い生涯を閉じなければいけなかったのだろう。
「けどそれは! あなたを利用するための……合理的な判断でしかなかったのよ? 結局その後命を奪ったことには違いないもの!」
ヨリとユカリは、互いに当時の感情と論理の応酬を繰り返す。そんなふたりの様子を自分は静観する。この際だ。ふたりは納得するまで話した方がいいだろう。
「それでもね……。それでも私は、私の主観では、それは救いだったのですよ」
ヨリはユカリに暖かな笑みを浮かべ、穏やかな言葉をかける。
ひざを突き合わせて、ふたりでべそをかきながらするやりとりは、傍から見ればなんとも珍妙で愉快な物だ。しかし、当の本人たちは真剣そのもので議論を繰り広げている。その後もしばらく、禅問答のようなやりとりが続いたが、やがて互いに意見を言い尽くしたように、言葉数も減ってゆく。
一応、論議の収束を迎えた感もあったため、自分は腕時計を見る。そろそろ頃合いだろう。
「ひとまずは満足したかな? 蟠りもなくなったかね?」
「ええ……。そうね。ヨリは本気で私に助けられたと思っているようだし、確かに現状を鑑みれば理にかなっているのかもしれないわね。ヨリがそれでいいと言うなら、私もこれ以上思うことも言うこともないわ」
ずずっと鼻をひとすすりして、手の甲で涙をぬぐいながらユカリは言う。
「私が初めからずっとそういう気持ちでいたことは、感情や記憶の共有でよく解っていたはずなのに。ユカリは本当に意地っ張りです……」
ヨリの言う通り、ユカリは意地っ張りだ。しかし最近ではそれも改善しつつあるようなので、今後もいい方向へと転じてくれることを願うばかりである。
しかし。ふたりのやり取りを見ていて思ったけれど、ヨリも大概頑固だと思う。ユカリの意地っ張りな性格は、ヨリの頑固さが由来かもしれない。
「じゃあ、ひと段落ついたら、また後日きちんとした遺体の弔いをしようってことで。いい?」
ふたりの意思確認を行うと納得したように頷き、自分たちは鳳凰の間を後にした。
ポンコツがもたらした災厄ともいうべき事件が、最終的に良い結果をもたらしたことは意外だ。しかし、今回はたまたまそうなっただけだろう。これは怪我の功名と言うやつだ。
今後はあまり派手な行動に出ないよう、あいつには後で釘を刺しに行かねばならない。率先して会いたくはないが、これ以上かき回される方がよほど辛いので、やむをえまい。
ひよこの間に戻ると皆の準備はとっくに済んでいたらしく、自分たちが戻ってくるのを待ちわびていたようだ。急いで身支度を整え、足早に虹の間へと赴きプラットホームへ向かう。
◆ ◆ ◆ ◆
この空間はどことなく地下鉄臭いような、エスカレーターのような匂いがする。ここへ来るたびに毎回思う。
つまり、グリスやマシンオイルのような臭気を感じるのだ。直通車両や周辺設備には駆動部分などないというのに。不思議だなあ。
「駆け込み乗車は~ご遠慮ください~」
「何を言ってるかわからないけど、そこまで急いで乗る必要はないわよ」
「独り言だぞ。さてと、メットメット……」
ぶつくさ言いながらポーチに触れて、ヘルメットを展開する。
それをひっかぶって左から二番目の乗降口へ向かう。トンネル上部には“動管四”と行き先表示があり、路線に間違いがないことを確認してわいわい乗り込む。主にわいわいしているのはヨリとリエだけど。
車内に入り乗降扉が閉まると、数秒で車両は発車する。こうして再び片道二十四時間を要する、長い長い遠距離通勤タイムが始まった。
「あーもう。何もしてないのに疲れた気がするぞ」
前回も同じようなことを言っていた気もするが、気のせいに違いない。
「そうですね。朝から少し重い空気を味わいましたし」
珍しくヨリまでもが弱音を吐いている。
何かと気丈な子ではあるが、自分の遺体との対面や、ユカリとの問答がこたえているのかもしれないな。
「でも貴重な体験だったし、得る物もあったわ。ヨリには感謝しないと……」
随分と嬉しそうなユカリが、ヨリの背中に抱き着いてそんなことを言う。
すると、ふたりの様子をじっと眺めていたリエが背嚢を近くの椅子に置いて、自分の背中に飛びついてきた。
「えへへぇ」
「ほい、いらっしゃい。ユカリ姉ちゃんの真似かな?」
ユカリよりも軽くて小さい体を後ろ手に支え、背中に引っ付いているちびっ子にそう声をかける。もし荷物諸共来られていたら、ちょっと大変なことになっていたかもしれない。
「はいですよ。ぼくもおんぶして欲しかったのございますです」
「そっかそっか。じゃあいつでも自由に飛び乗るといいぞ~」
「わ~いなのですよ~♪」
きもおじはでれでれ状態でリエを背負い、朝食を取るためにダイニングエリアへ向かう。キモくはない。
すでにキッチンでは、仲居ヨリたちが朝食の準備をしていた。てきぱき働くふたりの背中に向けて、自分は感謝の念をむむむ~んと送る。むむむ~ん。
いよいよ二足歩行型リエキャリアーはドリンクバーへ到達し、いつものようにコーヒーを出す。背中のリエにも希望を聞こうとしたところ、先方から先にメロンソーダのオーダーが飛び込む。
快諾してベンダーを操作しようとしたとき、新たにソフトクリームディスペンサーが追加されていることに気づく。これはしたり。折角の機会だし、アイスも食べたいので、今日は少し気分を変えてコーヒーにソフトクリームを練り出してみよう。
「あ~! はる様、ぼくもアイスほしいです!」
すると、理娃が超反応でソフトクリームの追加オーダーを入れる。ハイヨロコンデー。
「かしこまりー。じゃあクリームソーダにしようかね~」
といってもこのグラスはさほど大きくない。内容物が溢れないようにするには、機械を丁寧に操作しなければいけないだろう。なので、背中でテンションを爆上げているリエを落ち着かせて、機械の操作に入る。
少なめにソーダを注いだグラスへ、慎重にソフトクリームを盛ってゆく。落ち着いて作業を進めた結果、グラスへ蓋をするような形でうまく盛ることができた。見栄えも悪くはないし、初めてやったにしては上出来だろう。
「うん、悪くない」
「わ~い悪くないので~すよ~♪」
肩越しに身を乗り出すリエと共に、軽くガッツポーズをしてからダイニングテーブルへ行き、先にリエを座らせる。
期待に目を輝かせ、辛抱堪らんといった様子のリエへグラスを渡すと、仲居ヨリがやってきて缶詰のサクランボと、パフェスプーンを添えてくれた。毎時毎分、彼女たちが施してくれる細やかな気遣いには、感謝しかない。
「わあ~っ! わあ~っ! すごいのでございますよ~っ!」
華やかになった彩と共に、完璧無比となったメロンクリームソーダを見たリエは、感嘆の声をあげる。
彼女は余程うれしかったらしく、グラスを大事そうに抱えてリビングへ行き、ふたりの姉にその出来栄えを披露していた。正直ここまで受けが良いとは思っていなかったため、おじさんも自分のことのように嬉しくなる。
共にリエの様子を見届ける傍ら、仲居ヨリへ助力のお礼を言って丸い頭をくりくり撫でる。彼女は「恐れ入ります」とクールに言い残し、キッチンへ戻って行った。仲居ヨリの背中を見届け、自分はひとり、ダイニングのシートでウインナーコーヒーのようになったブラックコーヒーを飲む。
するとしばらくして、ドタバタとヨリとユカリが現れ、ソフトクリームはどこだだの炭酸は苦手だだのと言いながら、賑々しくディスペンサー前に集りはじめる。ややあって。目的の物を完成させた娘子達は、はしゃぎながらリビングへ戻っていった。ここの女子たちも一様に甘いものは大好物らしい。
ドタバタを眺めて、アイスを入れたことで温くなってしまったコーヒーを飲む。やっぱ失敗したかと思っているところへ、お待ちかねの朝食が運ばれてきた。自分はリビングの三人を呼びに行き、戻り際にもう一杯熱いお代わりを注いでから席へ向かう。戻ったときには、もう仲居ヨリを含む皆が揃っていた。
今朝の朝食は、種類の豊富なサンドイッチだ。具材には卵や魚、肉類に野菜、そしてチーズと様々なものがある。さらにパンの種類も多く、食パンからライ麦パン、フランスパンやらバンズやらがよりどりみどりだ。はてはベーグルまであって、多様な品々が大きな一枚皿の上に用意されている。また当然のように、これらはタワーと化していた。
塔の高さは一メートルくらいありそうだが、バランスを崩して倒れる様子はない。ジェンガのように、積載構造の途中から引き抜いても、摩擦や荷重移動が生じないのだ。これはおかしな状況なので仲居ヨリへ聞こうとしたら、聞くまでもなく「お皿に重力制御機能が御座います」と教えてくれた。この間の揚げ物タワーの時もそうだったが、もういろいろな意味ですごい。
「にしても。これは主にユカリとリエのための量だよな……」
「そうよ? 私が頼んでおいたの♪」
最早敢えて聞くことでもない。
今朝も皆で“いただきます”をしてから、あれこれと一通り試す。まあ、当然すぐに腹がきつくなってしまい、自分は早々にリタイヤした。それはヨリも似たようなものだったらしく、割と早い段階でタワーへ伸ばす手を止めていた。
仲居ヨリたちは、自分たちの分は別の皿に用意していて、それらを平らげてからは、お茶を飲んで一息ついている。残ったサンドは次々とユカリとリエの腹へ消えて行き、全てのサンドがなくなるまで、ふたりはひたすら食べ続けた。そんなふたりを横目で見やりながら、自分とヨリは仲居ヨリたちが用意してくれた緑茶をすする。
そしてこれもまた予定通り。食事が終わると早速やることがなくなってしまい、こうなると移動時間が長いことを非常に恨めしく思ってしまう。そういえば、昨夜は寝る前に暇潰しを用意しようと思っていたはずなのだが……。いざ目覚めて見れば、そんなことは完全に失念していた。結局今回も手持無沙汰な移動となってしまったことには、悔恨の念を禁じ得ない。あ~も~っ。
「はあ。まいったなあ」
「どうしました? 晴一さん」
愚痴と共に自分の口からはみ出た魂を目撃した――わけではないだろうけど、不満そうな自分を隣のヨリが心配し、声を掛けてくれる。
「ちょいとヨリさんや、聞いてくださいよう。この暇な時間を利用して何かみんなでできるゲームとか考えてたんですけどね、朝起きたらすっかり忘れちゃってたんですよ~」
なーにーっ、とかは言ってはくれないだろうなあ。
「ゲーム……ですか」
おや、ヨリの様子が……じゃなくて。ヨリは、ゲームという単語に過剰反応し、ジト目に変わる。そこでふと我に返り、以前ユカリへ問い正そうとしていたことを思い出した。
「ユカリー!」
リビングでリエと遊んでいるユカリを呼ぶと、ふたりは仲良く手を繋いでダイニングへやってくる。
「な~に晴一」
「あの~、あれよ、ゲーセン。なんでふたりはゲームに対してこんなに嫌悪感を持っているの? ゲームが親の仇とかなの? マジでなんなん?」
前々からずーっと思っていたことを、やっとふたりに聞くことができた気がする。
なにゆえこんなにも自分をゲームに近付けたがらないのか。なぜ、匂いを嗅いだだけでヨリに三十分はお説教されてしまうのか。その理由について、今日こそは明確な回答を得たいところだ。
「だってねぇ」
「ですよねぇ」
もじもじしながらユカリとヨリが口をとがらせ、ふたりだけで納得する。だってもですよもないんです。おじさんわかんない。
「いやいやいやいや、それじゃ分からんでしょ? つかなんでもじもじしてんのさ」
「だって、ゲームって基本一人でやるものでしょう? それって晴一だけ楽しいってことになるわよね?」
「まあ、確かにゲーセンだと一人でやるゲームの方が多い気はするけど。俺だけ楽しむのがズルいとかそういうこと?」
「いえ、そうではなくてですね。ずるいというか、その……」
なんかふたりが煮え切らないんだよなあ。なんなんですかね。
「あーもう! 晴一が遊んでる間は私たちが暇になるでしょ! 普通気づくでしょそういうところに!」
「んんん?」
そう言ったユカリの良くわからない理由について、すこし考え込んでしまう。
別に自分がいなくても、他の皆と過ごすことはできるだろうし。昨日だって女子会みたいなことをしていたではないか。ならば、常時自分がいることは必須ではないはずだ。現在ユカリとヨリは、ほぼ別行動をとっているようなものだし。リエも迎えて人数も増えているのだから。それでも何か問題があるのかな。う~ん。
「ねえ様達は、はる様がいないと寂しいのですね? リエもいつでも皆と一緒がいいと思いますですよ」
延々と考えていたら、ユカリの膝の上にいるリエが言う。
「ちょ~っとリエ!」
「あ~。あはは……」
リエの言葉を聞き、バツが悪そうに目を泳がせる姉二人。意外にも理由は単純だったようだ。
考えてみれば、以前ユカリが言っていた言葉の通りなのだ。つまるところ彼女たちは、自分も含めて皆で過ごせないのが寂しいのである。多少記憶が操作されていたとはいえ、かつてのヨリも、家族とは離れ離れになってしまったという身の上であったわけだし。ユカリに至っては、リエが現れるまでは自身と同じ存在はいなかったのだ。
まあ現統括管理AIという存在はあったが、現状ユカリとポンコツは犬猿の仲だから、この関係は除外すべきだろう。そう考えると、意識的であれ無意識的であれ、ふたりがどこか寂しいという気持ちを心の内に抱えていたであろうことは、ずいぶんと前から明らかだったわけだ。
むしろそこに気づくことができず、文句しか言ってこなかった自分が野暮天野郎だったのだ。にぶちんだよこのちんちんは。
「そっか。こんな単純なことに気づかなかったなんて……。これは申し訳ない」
素直に自分の至らなさを認めると同時に、自然と謝意の言葉が口をついて、気づけば自分はふたりに頭を下げていた。
「ちが、べ、別にそういうんじゃないわよ! もうっ! またキモイ顔してるわね!」
「ユカリ、それはさすがにどうかと思いますよ」
ユカリの照れ隠しが炸裂するが、毎度の酷い物言いはヨリに咎められてしまう。
いつもは適当に言い返すけど、今回はヨリが言ってくれたからいいや。別に自分も言われるたびに怒ってるわけじゃないし。
「あ……うん。そうよね、ごめんなさい。言い過ぎたわ、晴一」
「いいよ。ユカリのそれが本心じゃないことは知ってる。じゃあ、皆でできるゲームであればいいってことだよね?」
確かゲームコーナーには、エレメカ系の皆で遊べるものやレースゲームなど、対戦要素のあるタイトルも多数置いてあったはず。他にもプライズとかメダル機だってあるわけだし。何なら携帯ゲーム機や据え置き機を部屋に用意して、パーティー系のタイトルを遊ぶのもいいかもしれない。
「そうですね、皆で楽しめるものなら私も賛成です」
「晴一がひとりでどハマりして、帰って来なくなるようなことにならないって約束できるなら構わないわ」
「ぼくもはる様やねえ様達と一緒に遊びたいですよ~」
どうやら無事、三人仲良く意見が一致したようだ。
許可が下りる条件がわかったので、諸々落ち着いた頃にでも、皆でゲームコーナーに乗り込んでやろう。しかしそうなると、なぜユカリはゲームコーナーを作ったのか。頑なに進入を拒むくらいなら、そもそもあんなものを作らなければいいと思うのだが。
「考えてみりゃさ、入ってはいけないゲームコーナーをなんでまたユカリは用意したのさ」
そうたずねると、ユカリは渋い顔をしつつ答えてくれた。
「ここへ連れて来られる人間との関係が、今みたいなものになるなんて当時は予想してなかったから。とりあえず単純に遊べる場所さえあれば管理者候補は喜ぶだろうと思っていたのよね。それに、もともとゲームコーナーではなかった場所が、今みたいな物になったのは晴一の希望によるところもあるのよ。あれは社のシステムで、候補者の時世に合わせて自動構築されるものだから。そのために社は惑星の保持情報……ええと、地球のネットワークをクロールして蓄積した情報を、片っ端から閲覧していたようだし」
「はあ道理で。ピンポイントなラインナップになるわけだ。それにしても凄いな社システム。俺っちのニーズ汲みまくりじゃん。本体を拝んでみたくなったぞ」
「そのうち案内できる機会もあるかもね。あ、一応人工知能ではあるけれど、私達のような人格はないわよ?」
いつの日か時間ができたら、要塞惑星の設備見学みたいなものができるといいなと思った。
そのとき、車両内にチャイムのようなアラーム音と、聞きなれない言語でのアナウンスが流れた。すぐにヘルメットを展開して壁のパネルへ目を向ける。
“走行チャンバーに異常を検知したため緊急停車しました”
パネルにはそう表示されていた。
ユカリが車外環境を調べた結果。車両の少し前方で与圧が消失しているらしく、チャンバー内の一部が惑星の大気層に暴露されていることが判明する。
想定外の事態に遭遇し、車内の緊張は嫌でも高まった。修復作業初のトラブルに見舞われた皆の間には緊張が走り、自分は背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。




