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参拾参 ~ 暇日多忙 ~

 謎が謎を呼び、ますます謎は深まるばかりの謎空間。

 このような酷い状況を放置するわけにはいかないと思い立ち、おじさんはポケットからスマホを取りだして、謎空間を背景にイェーイとばかりに自撮りを開始する。撮れた画像を確認すると、奥で茶を飲んでいた仲居ヨリ達が、英語圏で言うところの“I Love You”の手話サインを澄まし顔で胸の前に交差させていた。それは世にいうウィッシュポーズというやつである。普段から気が利く分、空気を読むのが得意な仲居ヨリたちは、目聡いというかノリがいいというか。意外なところでその才能を発揮しているようだ。成長期到来。


「これも成長の一環なのか……。まあ、ユカリの変更したルーチンが地道な成果をあげている気はする」


 そんな感想をひとり呟く。今後も彼女たちの成長には大いに期待したい、じゃなくて。

 巨大な背嚢に収まった、リエの専用ツールたちがもたらす驚異の効果には、ユカリの解析も及ばなかった。それは、もうこれ以上の進展は望めないという意味であるため、座卓会議はお開きとなる。

 そこから彼女たちはトークタイムへと雪崩込み、流行りの菓子や飲み物を楽しみつつ、女子会さながらと言った調子で話に花を咲かせている。三人寄れば(かしま)しいとは、よく言ったものだ。昔の人はすごい。

 ごろりと畳の上に寝転がって、テレビをぼーっと眺めていると、久方ぶりに目にするL技研事故関連の続報が目に入る。自然と耳を傾けたニュースによれば、事故原因はいまだ判明しておらず、行方不明になっている自分の捜索が今週末で打ち切られることなどを伝えていた。これは大方予想していた通りの展開だ。たかがひとりの人間が消えた程度で、いつまでも貴重なリソースを割いてはいられない。

 捜索も打ち切りとなれば、そこから先はもう報道もなくなるだろう。そうなれば、そのまま事故の記憶と共に、社会からも忘れ去られてゆくはずだ。まあ、それについては特に思う所もないのだが。


「明日からまた作業開始だけども。次はどの区画へ行くのかねえ」


 その後は特に目を引く番組もなく、テレビを消して天井を見上げ、今後の予定を考える。やがて足音の振動と衣擦れの音が聞こえたかと思うと、視界の端からヨリが現れた。かわいい。しかしどうしたことか。頭側から自分を覗き込む彼女は、何やら心配顔だ。心配かわいい。


「どったの?」


 気の抜けた声をヨリにかける。するとなぜか、ヨリの膝枕が展開されてしまう。あらまあどうして。けどでも。


「あ、これはありがたい。いえ、ありがとう」

「いいえ、どういたしまして」


 ヨリの笑顔は天使の微笑み。転じてヨリは天使。つまり、天使という文字にはヨリとルビを振るのが世の掟。


「そいや俺が寝転んでいると、ヨリはよく膝枕してくれるよね」

「ご、御迷惑でしたでしょうか?」

「いえいえ、そんな。むしろこちらといたしましては毎日でもお願いしたいくらいですよ~」


 ほんとにほんとに。いつでもどこでも。


「うふふ。私は毎日でも一向に構いませんよ?」


 柔らかな笑顔でヨリはそんなことを言う。エブリデイ美少女膝枕。ノー膝枕、ノーライフ。夢のような生活。


「それはすごく嬉しいなあ」


 暗示システムも消失し、幾分か砕けた感じになったヨリの雰囲気は、自分が神様と崇められていた頃と比べてぐっと親近感が増している。今の彼女は、まるで良く出来た妹といったような存在感を纏っているのだ。今後は増々大事にしなければ。丁重に愛でなければ。


「妹に膝枕してもらったことなんてないけどね」

「妹様ですか?」

「うん。あいや、こっちのこと。気にしないでね~」

「はあ」


 他愛のない話をしながら、自分は笑顔でヨリの目を覗き込みつづける。

 ヨリは徐々に赤面し、居心地悪そうに目線を()らしてしまったけれど、この辺りの仕草は、出会ったときからさほど変化はないように思う。彼女の変わらぬ真心に、ほっと安心した気持ちになる。やっぱりヨリはかわいい。


「こら晴一っ! なに私の大事なヨリと勝手にイチャイチャしてんのよ!」

「はる様ぼくも~!」


 ここでまたしてもリエがダイブしてくる。


「ぐふぬっ!」

「あああ晴一さん!」


 ユカリから理不尽な怒声を浴びせられ。リエには毎時フライングボディプレスを喰らい。その様子を見ていたヨリは、またあたふたしている。大丈夫だよヨリ、そんなに心配しなくても。おじさんこう見えて割かし頑丈だから……。いまや死にかけだけど。

 そこで、いつの間にか(かたわ)らにやってきていた仲居ヨリが、腹の上できゃっきゃとはしゃぐリエを持ち上げる。彼女は、そのままリエを抱え込むようにして撫で繰り回し、もうひとりがリエの撤去された腹部を優しく撫でてくれた。あれ、久々にモテ期到来かな。女子に構ってもらうのなんて小学生以来だぞ。

 仏頂面のユカリは、ヨリの背後から抱き着いて、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、自分の鼻をつまむなどのちょっかいを出している。納得のいかない雑な扱いに、無表情でされるがままになりつつも、こんな平和な時間がずっと続いてくれればいいなと思った。しかしながら、賑やかすぎて騒がしい現状を見ると、あまり平和とも言い難い。


「ううう……。ときにユカリ。明日の予定は?」


 自分の腹さすってくれている仲居ヨリの頭をなでなでして、次の仕事の話を切りだす。


「なあに? いきなり真面目モード? どうしたのよ急に。晴一らしくもない」


 こっちは至って真面目に話しているのに。

 すぐに話へ乗るかと思いきや、またしてもユカリは酷いことを言う。というか、らしくないってなんだ。こいつは一体自分の何を知っているというのだ。彼女の態度があんまりなので、おじさんは顔を両手で覆い、よよとヨリに泣き付く。もちろん、ユカリにいじめられたことを告げ口しながら。格好悪い。でも楽しい。


「ユカリ、真面目なお話だからきちんと聞きましょうね?」

「あ、うん、そうね……。ごめんなさいヨリ」


 そこでなぜヨリに謝罪するのか。堪えがたい(いきどお)りを感じ、おじさんはすぐさまユカリへ抗議する。


「ユカリよ。謝る相手が違うとは思わんかね?」

「あらどして? ヨリに怒られたんだからヨリに謝るのが筋でしょ?」


 くっそ。やっぱりコイツわざとじゃないか。そんなじゃれ合いも程々に。

 再度真面目に、ユカリへ今後の予定について話を振ると、真剣な表情に変わった彼女は、次回の作業内容についての大まかな段取りを語りはじめた。初めからそうしてよ。まったくもうちゅーするぞ。


「次の現場も初日と同じように出発して、復旧作業に取り掛かる予定よ。今回は動力制御区画へ行くつもりだけど、幸いなことにここの連絡も無事ね。ついてるわね晴一」


 確かに、彼女の言うようについてはいると思う。様々な懸念があったのに、ここまではとんとん拍子なのだ。


「幸運の女神の私達がついているのだから、当然と言えば当然だけど」

「は?」

「なによう?」

「いや。なんでもない」


 後半は無茶苦茶だが、とりあえず今回も目立った危険はないようだし。本当に良かったと思う。誰だって痛い目に合うのは嫌だからな。


「それを聞いてまずは一安心と言うべきか。ま~確かに運は良かったとは思うけど。ヨリも正式に作業メンバーとなったことだし」

「はい。私も一生懸命頑張ります!」


 頭上のヨリが元気に言い、胸の前に小さなガッツポーズを作る。やっべかわいい。


「お~。かわいいやる気に満ち満ちてるねえ。頼りにしてるね。したら出発は明日の朝ってことでいいかね」


 ヨリに笑顔で返し、ユカリへ続きを振り直す。


「ええ。これからは幸せな日常を送りながら出勤できるわよ?」

「幸せなのは否定しないけどさ。なんつーか出勤と言われるのはちと辛いものがあるな」


 別に労働が嫌いなのではない。暇なよりはむしろ働いていた方が気分がいいし、有意義に違いない。

 自分は田舎のマイカー通勤会社員だったが、今後も幾度かは二十四時間電車のようなものに揺られて現場まで通うことになる。これは、そんじょそこらの遠距離通勤者などより、遥かにエクストリームな通勤距離だ。

 学生時代からの友人には、二時間から三時間もかけて、毎日都心部まで通う猛者もいる。彼らには少しだけ同情できるような気がした。車内環境には天と地ほどの差があるけれどね。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 十七時くらいになり、割と早めの夕飯を済ませた後。自分は売店で見かけた花火セットを持ち出す。今夜は入浴前に皆で花火をするため、社前の広場に繰り出してきたのだ。

 ユカリが早めに陽を落とし、仲居ヨリのふたりがバケツと火種を用意してくれたので、何の心配もなくわくわく気分でセットの袋を開ける。点火用のろうそくを一つたてて火を灯すと、各々が持ちだした手持ち花火が、光の宴を演出しはじめた。花火セットは、水着を入れておくようなビニールバッグ入りのもので、中には打ち上げ花火やロケット花火といった過激な物も含まれている。

 各々が手持ち花火を持ち出した後。自分はバッグの中をまさぐって、地面に置いて回転させる独楽(こま)状の花火を手に取る。周囲が暗いため、売店から拝借した小型LEDライトを照らして、説明文に目を通す。花火をやるときは、良い子も悪い子もちゃんと説明書は読んでおこうね。


 “どらか線に火をつけて、じぬんに置キ、5〆ートルほど離れて下さり。炎を吹きながらじぬんをぐろぐろまわります”


「……こういうのも再現しているのか」


 某国製花火にありがちな怪しい説明文に、得も言われぬ懐かしさを感じ、説明通りに火口の長いガスライターで火をつける。

 速やかにその場を離れると、間もなく鮮やかな炎を吹き出した花火が高速回転をはじめる。独楽の花火は、派手な炎を噴きながらブーンという音をたて、しばらくの間地面に光の輪を描く。やがて一通り炎を噴き終わると、小さな火種を残した花火の残骸は、ほとんどが炭化した燃え殻となった。

 物足りなさを感じた自分は、もうひとつ花火を手に取る。今度のは、赤いプロペラ状の紙が胴に付いた、トンボのような形をした短い筒状の花火だ。先の花火と同じ要領で点火し、その場を離れる。しばらくして導火線の炎が筒の内部に進入した瞬間、花火は激しく炎を吹いて空中に舞い上がった。花火は一拍置いてから、更に回転を加速させて、空高く飛んで行く。この花火は羽の確度を急角に変えると、ものすごい勢いで空に飛んだりする。

 花火が炎を吹き終えたので、落下地点を目で追おうとする、しかし、火の消えた燃え殻の行方を、暗がりで探るのは困難を極める。そこで、目視での追跡を諦め、落下音を探ろうと耳を澄ます。けれどここは砂浜だ。となれば当然打ち付ける波音があるので、これもうまく行きそうにない。仕方がないので、燃え殻の回収は翌日以降にしようと諦める。

 そろそろ落下してくる頃合いだと思っていたとき。仲居ヨリが自分の数メートル前方へ歩み出て、空に向けて開いた手のひらを、自分へ向けて突き出した。何事かと思った瞬間、彼女の手のひらの上へ、先ほど舞い上がった花火の燃え殻ががぽとりと落下してくる。燃え殻は、彼女の小さな手に見事収まったのだ。

 火傷をしないか心配になったけれど、彼女は事も無げにそれを(たもと)へ仕舞う。やばい。超クール。


「なんと……。凄いなあ仲居のテク。何でもできるじゃないか」


 当たり前のように繰り出された彼女の技に感動し、素直に賞賛の言葉が出た。超かっこよくて超かわいい。


「恐れ入ります」


 暗がりで薄い笑みを浮かべる様は、売店に立つ彼女らがいつか見せた事務的笑顔とは一線を画し、すこし照れ臭そうに見える。これまで目にすることはなかった愛らしさを含む所作に、おじさんはまたも感動し、礼を言いながらつい丸い頭を撫でてしまった。こりゃうっかりだ。

 そこで聞こえてきた歓声に振り向くと、ヨリとリエが仲良くしゃがみ込んで、手持ち花火を楽しんでいた。また、一段と賑やかな声のする方を見れば、ユカリがもうひとりの仲居ヨリと、連発花火を撃ち合うという過激な遊びをている。悪い子めえ。

 ユカリの打ち込む連発花火を、ひらひらと(かわ)す仲居ヨリの動きは圧巻だ。まるで舞を舞うような動きで、色とりどりの火球をよける彼女は、両手に供えた花火による反撃も(おこた)らない。派手さはないが堅実である。

 ユカリの方は仲居ヨリのような回避を行わず、展開した物理保護領域によって、全ての火球を直角方向へ()らしている。射線が重なろうが重なるまいが、お構いなしに弾き飛ばすという雑な防御で方法だ。その様子もそれはそれで見るのは楽しく、ふたりの演舞に見入ってしまった。また手数を確保するために、周囲に浮かせたロケット花火を絶え間なく射出して、常にけん制を加えている。凄い物量作戦。見た目はかっこいいけどね。

 やがて、宴もたけなわといった具合に盛り上がりを見せていた花火大会も、そろそろ終盤へ近づいた頃。締めはやはり線香花火かと思い、自分はまたバッグを覗く。だが、すでにそれらはユカリの手によってまとめて処理され、夏の夜の情緒は台無しなものとなっていた。


「何てことしてくれたんだ」

「晴一。トリをつとめる花火がこんなみみっちい物じゃ私は納得できないわ。これは悪い文明よ。最後はやっぱりどーんと大きな打ち上げ花火で締めるべきよ!」


 やはりというか。ユカリは何かと派手なイベントことを好むらしく、またある種のこだわりを持っているようだ。まあ、言ってもそんなに線香花火がやりたかったわけじゃない。ただちょっと、ヨリと一緒にひと夏のアバンチュールを演出してみたかっただけだし。

 ところでアバンチュールってなんだろう。猫のおやつか何かだろうか。とかくこの世は謎だらけだ。


「なんかこないだのBBQの時も似たようなこと言ってたな」

「そうよ! やるからには徹底的に派手にいきましょう!」


 家庭用の花火セットごときに、ここまで鼻息を荒くするAIも珍しい。むしろAIの花火シーンが珍しい。いやむしろ汎用AIという存在自体が珍しく、自分の置かれた現状すべてが珍しいという珍世界である。珍珍世界である。

 しかし、そんなユカリの楽し気な様子を見るのも悪くはない。ここは好きなように遊んでもらおう。


「というわけで~。こので~っかい打ち上げ花火でラストを飾ることにするわね~っ」


 最後の花火は自分がと、ユカリが火口の長いガスライターを仲居ヨリから受け取る。

 彼女はちょっとびくつきながら、地面に立てた筒から生える導火線へ火をつけた。そんな直ぐには発射されないから落ち着いてほしい。花火セットの中でも、際立った威容を放つ御立派な打ち上げ花火。それは袋の一番外側に詰め込まれ、豪華にディスプレイを飾っていた本セットの看板商品のようだ。

 火付け役のユカリが駆け足で退避し、皆の視線が集中する静寂の中。導火線を進む炎が筒の中へと消える。タイミングを同じくして、浜辺の方から強めの潮風が吹きつけ、立て方が不安定だった打ち上げ花火の筒は、見事にあおられて倒れてしまった。

 運の悪い事に、その先端部は自分の方を向いている。やばいと思ったのも束の間。逃げる間もなく、筒は眩い閃光と共に無慈悲な爆炎を噴き出した。長く光の尾を引いた火球は、自分を目掛け一直線に飛んでくる。人は命の危機に瀕すると、脳機能が視覚処理へリソースを集中し、見える物がすべてがスローモーションになるという。今まさに、自分はそれを体感し、高速で迫り来る火球が足元へ着弾するのを見届けるはめになった。

 火球が着弾した瞬間、スローモーションの世界は解除され、大きな破裂音と共に無数の小さな火球を周囲へまき散らす。まさに爆発四散。

 かくしてその火中におじさんはいた。


「おあっちゃちゃちゃちゃぁ! おるぁユカリおまえぇぇっ!」


 脛と言わず腿と言わず。ハーフパンツから晒していた足のあちこちに火花を喰らい、毛が焼け焦げた。臭い。

 こうして不運にも、細かな軽い火傷を負うこととなった自分は、ユカリへ向かって走り出し、怒声をあげながら追いかけまわす。おじさん激おこだよも~、ぷんぷん。


「おるぁ~ユカリぃ~!! このがきゃーまてこるぁ~!」

「わ~っ! わざとじゃないのよ~! 不幸な偶然よ~っ! あはっあははは~」

「おま笑ってんじゃねぇっ! めっちゃくちゃ熱かったんだぞごるぁ~!」


 確かに熱かった。

 すね毛なんかも結構燃えてたみたいだし。それでも火炎放射器にあぶられた訳じゃない。傷自体は大したことないだろう。

 不運に巻き込まれたことに(いきどお)りは感じているけれど、ユカリに対する怒りはない。これはただの当てつけだ。


「あああ晴一さんお怪我の方は、お怪我の方は大丈夫ですか~」

「追いかけっこ~! ぼくもやるですよー!」


 最後に酷い締めをもらい、激おこになった自分の身を案じて駆けつけるヨリ。肩越しに振り返ると、リエまでもが追いかけて来ていた。

 逃げるユカリを追い回す中、チラリと見やった仲居ヨリたちは、淡々と撤収作業を進めている。淡い蝋燭の明かりの元、ふたりは楽しそうな笑みを浮かべていた。


 ◆ ◆ ◆ ◆


というわけで、無事花火大会は大騒ぎのうちに終了となった。いやまったく無事ではないけれど。


「は~あ。んとにもう。ひどい目に遭ったぞ」


 花火の後は、大浴場へ直行して入浴となり、自分とユカリは並んで浴槽に浸かっている。

 洗い場の方では、面倒見のいいヨリがリエのせわに掛かりきりだ。その隣では、なぜか仲居ヨリのふたりが互いの背中を交互に流し合っていたため、意外にも風呂に入るのかと失礼な感想を持ってしまう。これはふたりに申し訳ないので、心の中で謝罪する。口には出していないので、どうか許してほしい。


「ごめんなさいね晴一……。本当にわざとじゃないの」


 右隣で申し訳なさそうに小さくなっているユカリは、あの後自分に捕らえられ、こめかみぐりぐりを受けた後、ヨリに泣付いていた。

 嘘泣きでヨリの胸にしがみつき、時折こちらの様子をちらりと窺うユカリを見て、自分はため息をつくしかなかった。そもそもユカリに怒ることでもないし。

 さらにヨリの援護も手伝い、自分は毒気を抜かれてしまった。実際あれは不可抗力だったし。ユカリだって、わざと仕掛けたわけじゃない。あの仕打ちはただの八つ当たりだ。


「ユカリがわざとあんな真似をするような子じゃないことくらいわかってるよ。ただ遣り場のない(いきどお)りをぶつけたまでだ。俺もやりすぎてごめんよ」

「ううん。花火を設置したのは私だし。もっと気を付けるべきだったわ。ホントにごめんなさい」

「いいよ。火傷も大したことなかったし。すね毛は結構なくなったけど、またすぐ生えてくるだろう。これを機に脱毛してつるつるにしてみるのも悪くないかもしれん」

「そう……。私は晴一がそう思うなら、それも良いんじゃないかしら」

「そうかい。そうかもな~」


 普段ハーフパンツはよくはく方だが、以前からすね毛を晒すことには若干の抵抗を感じていた。自分で言うのもなんだが、野郎のすね毛は絵面的にも非常に汚いと思う。むしろ、脛毛など何のために生えているのか分からないし、そのやる気をもっと頭皮の方へ回してくれれば、人類の幸福度は上昇するはず。

 などとどうでもいいことを考えていると、洗髪などを終えたマッパのリエが、ダイブの掛け声とともに浴槽へ飛び込む。それと共に立ち上がった水柱が空中へ水をまき上げ、ユカリと自分の顔と頭はずぶぬれになった。それからリエは、四つ足で泳ぐようにしてこちらへ寄って来て、自分の胡坐(あぐら)の上に陣取り「えへへ」と笑う。それを見た隣のユカリがムッとなり、すぐさまリエを取り上げて自分の膝の上へ着陸させた。あ~あ、もってかれちった。

 やがてヨリもやってきて自分の左側に落ち着いたため、四人で肩を並べて静かに湯を楽しむ。気づけば対面の(ふち)では、仲居ヨリのふたりが並んで湯に浸かっていた。今の今まで洗い場で泡にまみれていたはずなのに。

 自分の居場所が悪いためか、先ほどから時折湯気が水滴となって頭上に落ちてきている。なにかこんな拷問があると以前聞いたことあるな、などと考えていたが、そろそろ茹だって暑くなってきた。そこで皆に声を掛け、自分だけ一足先に上がることにする。

 脱衣場で髪を乾かしていたら、この間雲海の向こうに見えた飛行物体のことを思い出した。ユカリに聞いてみようと思っていると、ちょうど浴場から五人が出て来る。すると、自分の姿を認めて先頭を駆けてきたリエが、足を滑らせて転び、「いたーい」と声をあげた。

 咄嗟に彼女の元へ行こうと思ったけれど、すぐヨリと仲居ヨリがフォローに入ってくれたので、その必要はなくなった。そこでタイミングよくやってきたユカリが、バスタオル姿のまま鏡の前に座り、髪を拭きはじめる。ナイスタイミング。


「この間風呂に入ってたときにさ。窓の外を飛ぶ編隊を見たんだけど、ありゃ何だい」

「あ、見えたのねアレ。運がいいと丁度哨戒時間に見られることもあるのよ」

「哨戒時間て。あれ何かの見張りなの?」


 哨戒とはまた穏やかじゃないな。

 そう思うも、本来この惑星は兵器なのだ。社にいる間はほとんどリゾート気分だから、つい忘れがちになる。


「ええ。惑星内殻の警備をしている哨戒機なの。この星はね、直径一万四千八百キロメートルほどの岩石惑星を中心にして、外殻を被せた構造をしているのだけれど。内包している惑星から外殻内壁までの間には、おおよそ三十キロメートルほどの空間があるから、その隙間を哨戒警備しているのよ。だからあの雲海は、外殻と地表との間にある大気層の風景なの」

「お~、そうなのか。てっきり俺たちは地表の建造物にでも暮らしているのかと思ってたよ」

「そうよね。この中からじゃ外の様子なんてわからないものね。この社や諸々の箱庭システムは、外殻の内部に作られているのよ。外殻とはいっても厚さは五十キロメートルくらいあるのだけど」

「じゃあ外殻外周は地球よりでかいんだな」

「そうねぇ。それでも直径は約一万五千キロメートルくらいだから、多少大きいくらいね」

「それは多少と言えるのだろうか……」


 もっと適当な映像を流しているものと思っていたので、何気なくみていた景色が、意外にも壮大なものだったことに驚く。これは、現在暮らしているこの星の情報を、自分が殆ど知らないということに気づかされた瞬間でもあった。

 中心部の構造体となっている惑星は、元々大気を持つが、その主成分はアンモニアが九割以上を占め、残りはメタンとわずかな窒素が構成しているという。窓から見えた雲海はアンモニアの雲であり、核となっている惑星の地表には、ほぼ連日アンモニアの雨が降り注ぐという恐ろしい環境なのだそうだ。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 すっかり浴衣姿になった皆と共に部屋へ戻ると、座卓は部屋の隅へ片づけられていた。そうして空いたスペースには、今までに見た事のないほど横に広い布団が敷かれている。先に戻っていた仲居ヨリに聞くと、座卓と同じ手法で面積を増やしたものだとのことだが……。


「布団の数を増やすという発想はないものか」

「はい。これはユカリ様とヨリ様からのたっての希望で御座いまして。晴一様におかれましては、ちいさな女のお子様が大好きであると、ユカリ様より強く確認されております」


 与り知らないところからまたひどい捏造被害を受けたものである。そろそろ法テラスにでも相談するべきか。


「こらユカリ。おまえまた変なこと言っただろ」

「なっ、なによう。私だけじゃないでしょ~。ヨリだってぇ」


 口を尖らせて、途中から力なく言い訳の声が小さくなってゆくユカリ。ウソがばれて気まずいのだろうか。いやそこまで殊勝かな。


「ヨリもそう言ったの?」

「いえいえ。私はその……は、晴一さんと同じ布団がいいとは思っています!」


 思ってはいるものの、特に口に出してはいないということかな。この子らのその辺りのことは、最早暗示も何も関係ないのだな。それにしても、これは一体誰のせいだろう。


「何よ嫌なの? いいじゃないの。別に何も困ることないでしょう? 知らない仲じゃないんだからいい加減慣れなさいよ」


 一見もっともらしいことを言っているようだが、実際には大きくずれているユカリのご意見である。これは事案。


「いや確かにそうではあるけどさあ。てかこの長さ六人分だよな……?」


 そう言って仲居ヨリの方を見ると、ふたりは無言でこくこくと頷いている。

 先陣を切ったリエは、早速布団に潜ったり中を這いまわったりと、異様に横へ長くなってしまった布団を堪能していた。最早これは布団というよりも、布団めいた謎の寝具であり、すでにふーとんであった。実際長い。


「あ~もうわかったわかった、突っ込んだ俺が悪かったよ。もうとっとと寝よう。明日も早いし」


 やけっぱちといった勢いで、自分は素早く布団の一番端に陣取る。

 しかし、(おもむろ)に仲居ヨリのふたりが布団の両端を持ったかと思うと、自分の寝ている方が持ちあげられ、ゴロゴロと中央へと追いやられてしまった。そこですかさず両側をヨリとリエとユカリに固められ、更にその両端へ仲居ヨリが収まるという、いつものフォーメーションが決まる。


「……まことに遺憾である」

「あわわ。す、すみません晴一さん。でも私はどうしてもお隣がいいんです!」


 布団に潜ったまま、もごもごとヨリが言う。ヨリに対して遺憾の意を表明したわけじゃないから大丈夫。

 ひょいと中を覗くと、彼女は耳まで真っ赤になっていた。好き。


「はる様のとなり~」

「むー」


 元気に振る舞うリエとは対照的に、むーとか唸る大人しいユカリ。

 甘えん坊の姉は、妹に場所を譲ったことでご機嫌ななめなご様子だ。それとも、心情的な難しさに困惑しているのか。下の子ができると、上の兄弟姉妹は複雑な気持ちになる時期を経験するものだしな。ユカリの心もまだまだ成長途中だから、こういうのもいい経験になるかもしれない。と、人という区切りでの年長者が上から目線で分析してみる。

 皆が横になると、勝手に明かりが落とされて、室内は就寝モードになった。仲居ヨリのふたりは(あお)向で目を閉じ、すでにすやすやと寝息を立てている。恐るべき早さだ。自分の右では、ホームポジションといった感じで潜り込んだヨリが腕を抱きかかえ、左腕の方はリエがホールドしていた。頭を上げてその向こうを覗くと、リエの体をユカリが抱くような形になっている。

 明日の夜には、また似たような配置が車両内のベッドで展開されると思うと、ちょっとだけ気が滅入る。でもこれも彼女らの望みだし、それに応えるのが自分の役目だと思えば、なんてことはない。

 こうして床に就いてもすぐに瞼は重くならない。しばらくは、ナツメ球が照らしだす薄暗い室内を眺めて、眠気が来るのを待たないといけない。布団に横になり、意識が落ちるまでの間というのは、様々な考えがよぎるタイミングでもある。脳裏には、日本での生活や自分の将来についてなど、今ここで考える必要のないことが次々と浮かんで消えてゆく。しかし今は寝る時間なので、そんな考えを払拭して頭を右に向ける。そこで、布団からはみ出たヨリの頭が目に入った。


「あぐ」


 おじさんは衝動的にヨリの頭を甘噛みする。洗いたてのヨリの髪からは、シャンプーのいい香りがした。


「ひえぇっ??」


 ヨリはまだ起きていたようで、布団の中でおかしな声を上げる。


「こら。何してんのよ晴一」

「んー。内緒」

「ヨリに変なことしたら承知しないわよ?」


 ユカリの心配した変なことは分からないけれど、すでに事後だ。

 その後も左の方からは、がみがみと世話焼きな声が聞こえていた。そろそろおふざけはやめて、真面目に寝よう。ここでの通勤には二十四時間もかかるし。

 今回は、何か暇つぶしになるような物を持って行こうかという思いを最後に、意識は落ちた。

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