参拾壱 ~ 青天白日 ~
「ヨリちゃん、なの?」
「うふふ。はい。神様の供物のヨリでございますよ」
間違いないという彼女の言葉に混乱して固まっていると、ヨリは穏やかな笑みを見せ、話を進める。
「神様。結論から申し上げますね。私はこれまでにあったことを、すべてユカリ様からおうかがいして理解いたしました。この箱庭のことも、要塞惑星のことも。勿論……村のことや家族についてのことも。私の過去に何があり、現在どういう状況に置かれているのか。すべてお聞きして納得したうえで、今こうして神様とお話ししております」
「それじゃヨリちゃんは……」
「はい……。あの時――私が死んでから、すでに二百年近くもの時が経っているので御座いますね」
ヨリはそう言って泣き笑いのような表情を見せるので、自分は胸が痛くなる。
現統括管理AIの元で、ユカリがヨリオリジナルの遺体を目撃した時点で、すでにヨリは意識を取り戻しつつあり、その後の一部始終を見ていたそうだ。
ユカリの受けたショックが大きすぎて、設定されていた殆どのタガが外れてしまったらしい。そこからはダムが決壊するかの如く、流れ出したユカリの記憶や感情はヨリと共有され、彼女はとてつもない精神的ダメージを受けることとなった。しかし、嵐のような記憶と感情の奔流の中で、小さな子供のように泣きじゃくるユカリを見つけたヨリは、傍に寄り添いずっと慰め続けていたのだという。
「強くてかわいい頼れるお姉ちゃんは、泣いている子を放って置くことなんてできないのですよ」
普段通りのにこにこ顔で、そうヨリは言う。彼女の表情で自分は救われた気持ちになった。やはりこの子には勝てないな。
その後もユカリは泣きながらヨリに謝り続け、そのうち泣き疲れて眠ってしまったそうだ。かくして、ヨリは半ば強制的に表層へ出て来ることとなり、現在に至る。しかし、これからどうすればいいのか。ユカリは引っ込んだままだし、このままヨリと復旧作業を続けて良いものか。あ~もう。問題が増えすぎてどこから手を付ければいいのかわからん。
「けどヨリちゃんは平気なの? いきなりこんな状況に置かれて。何も……」
「神様……。あ、神様は私のことをどう思われておいでですか? 神経の図太いただの田舎娘のようにお思いですか?」
「いやいや。まったくそんな風には思っちゃいないよ」
そんなことを言って笑うヨリは、なんか迫力が増しているような気がしないでもない。
「うふふ、冗談でございますよ。私も初めはとてもショックでございました。神様も同様な事態に置かれるようなことがあれば、ご理解いただけるかと存じます……」
「そ、だね。俺なら簡単に折れてるかもしれないけど」
「いいえ。神様はそのように弱いお方では決して御座いませんよ。そこは私が保証いたします」
なんだか保証されてしまった。というか、やはりヨリは逞しくなった気がする。
全部ばれたことで、何か大きな心境の変化でもあったのかな。それとヨリも買いかぶり過ぎだとおもう。こんなとこに一人で放り出されたら、おじさん精神が持たないよ。
「ですが、私以上に心を痛めている子がいれば、それは放って置くことなどできません。当の昔に過ぎ去った出来事に囚われて、悲しみに暮れるよりも、現在辛い出来事に苛まれて、泣いている誰かがいるのであれば、まずはその誰かに救いの手を差し伸べるべきだと、私は思うのです」
この子はいつでも自分のことは二の次だ。
人の平穏を真っ先に願うヨリの信念に、自分は心打たれるばかりである。やはり彼女は天使だ。肝っ玉大天使なのだ。
「そっか。時々感じてたヨリちゃんの芯の強さみたいな物の正体が、今わかった気がするよ」
「いえそんな。私はただ、誰かが悲しむ顔を見たくはないだけでございます。ですがこれも、ある種のエゴのようなものなのかもしれません……」
エゴだと言ったヨリの表情は、少し暗い物へと変わっていた。
聡いヨリのことなので、そういった考えに至るのも分からないではない。そんな些事に囚われて、自分の尊い信念を無碍にするのはよくない。全くもってよくない。
「エゴだ何だっていうのは、理詰めで行けばそういうことにもなるかもしれないけど。でも俺は、そんなもん取るに足らない屁理屈だと思う。だからヨリちゃんにはそんなこと気にしないで、自信をもって行動してほしい。君のその精神は誰もが簡単に真似できるようなものじゃない。気高くて尊いものだからね」
自嘲したような、遣る瀬ないような厳しい表情で、ヨリは沈んでいた。しかしそれも自分の言葉で払拭され、笑みが戻る。笑ってちょうだいかわいこちゃん。
「何時いかなる時でも、神様は真っ先に私のことをに考えてくださいますね。やはり神様は私の神様でございます。ですが……」
ヨリは一旦言葉を切って、回した腕に力を籠める。
「ですが、このまま神様やユカリ様に助けられてばかりというのは、私にとって耐えがたいもので御座います。そのようなわけで御座いますので、神様。何卒私も神様やユカリ様のお手伝いをさせていただきとう御座います」
決意を秘めたような顔で、要塞惑星の機能復旧作業を手伝いたいと言う。
今までは何も知らなかったため、状況に甘んじていたが。全てを知った今となっては、ただ守られてばかりというわけにはいかない。この子はそう言っている。
大昔に望まぬ形で、突然こんなところに攫われて来て、勝手な都合で利用されはした。けれどその反面、ある意味命を救ってもらったようなものでもある。ヨリはそう解釈しているそうだ。
そして今現在。この社で自分たちと幸せに暮らせていることには、感謝こそすれど、恨むようなことなどないのだと。ならば計画に参加して、恩返しをするのが筋ではないか。そんな思いをヨリは力強く語った。
「本当にさ。ヨリちゃんはいつでも前向きですごいと思う。それに比べて。あ~あ。俺も見習わないとだめだなこりゃ」
「何をおっしゃいますか。私は、今まで神様に沢山助けていただいたではないですか? 落ち込んでいる時に前向きになる勇気を授けてくれたのは、ほかでもない神様でございますよ?」
「え~? そんなことあったっけ?」
「御座いました。つい今しがただって……。お惚けになられては困ります」
益々ヨリのしがみつく腕に力が籠り、それにこたえるように、自分もヨリの背中へ回した腕に力を籠める。
しばらくの間無言でそうしていると、ヨリの背後で擬装を解いた仲居ヨリが、小さな背中へ飛びつく。
「うぇあ?」
「きゃんっ!」
突然の突進に負けて、自分とヨリはひっくり返り、変な声が出る。ヨリの悲鳴はかわいかった。
「うわああんヨリぃぃぃごめんなさあぁぁぁぁい」
何事かと思って仲居ヨリを見ると、彼女は突然大声で泣きはじめた。しかしよく見れば、それは仲居ヨリをオーバーライドして出てきたユカリだった。でも外見は仲居ヨリのままだから、見ればというより聞けば、かな。
「え!? ユカリ様!?」
「そうよぉあなたを散々な目に合わせてきたユカリよぉ~あぁぁぁん」
ヨリの背中越しに、ギャン泣きで喚き散らすユカリ仲居ヨリバージョンに苛立ちを覚えた自分は、こめかみに拳を当ててぐりぐりと力を籠める。すこし喧しいんでね。
「うわああんあだだだだーっ! なにすんのよばかぁ!!」
「うるさいっ。いい加減落ち着け。少しはヨリちゃんを見習ったらどうなんよ。なにもショックを受けて凹んでいるのはお前だけじゃないんだぞ」
「あああ神様、何卒優しくお願いいたします」
「ヨリちゃんはユカリに甘い。ここはちゃんと叱っておくべきだよ」
とはいえ、ユカリもかなりダメージを受けているはずだ。やっぱりすこしは優しくしてやった方がいいかな。
「やっぱり晴一は意地悪だわっ!」
「今回のコレは意地悪じゃねぇよ! 至極真っ当な意見だよ!」
いや、やっぱり優しくしなくてもいいや。そっちの方はヨリがフォローしてくれる。
辛い現実を目の当たりにしても、ヨリはひとりでそれを受け入れている。そしたら、ふたり掛かりでユカリをよしよしするのは、不公平だと思うし。
「うわぁぁぁんヨリぃぃぃ晴一がいじめる~」
「神様何卒優しく……」
「かーっ! この人工無能め!」
賑やかなことこの上ない。
こめかみへの責め苦を受けて、自分とヨリの上でギャーギャーバタバタと暴れているユカリ。その顔は涙にぬれてはいたが、吹っ切れたような笑みもある。
一時はどうなることかと思ったけれど、恐るべきヨリの気丈さに救われる形となった今回の件。ショックは大きかったものの、自分たちの絆はさらに深まる結果となった。と言っても良いよね。
楽天的かもしれないけど、終わりよければすべてよしと思いたい。いいや、暗い気持ちをずっと引きずるよりも、全然ましだ。人生ポジティブに行かねば。
これでようやく全員がひとつの目標を目指せるようになったため、おじさんもつい感涙してしまう。落ち着いたから気が抜けたのだ。一先ず今は、この幸せを噛み締めよう。
「でも、ほんとうによかったなあふたりとも。うぅ……」
「あははっ晴一が泣いてるーっ! 泣いててもキッモイわね~」
「なんてこと言うんだこのガキんちょめ! あとキッモくねぇし!!」
ちくしょう。言い難いわ。
「ユカリ様、それはあんまりでは御座いませんか」
ふたを開けてみれば意外にも、という感じだろうか。これまで腫れ物に触れるような扱いをして来た諸問題は、実は大したことではなかったように思う。そう軽く流せるくらい気にならなくなってしまっていた。箱庭計画に関する秘密のすべてが公になったことで、おかしなしきたりもインチキな神様も、全ては無用のものとなったのだ。
しかし、そこで自分はヨリに施されている暗示のことを思い出し、ユカリに疑問をぶつける。
「そしたらもうしきたりや神様の暗示システムも無効化されたってことでいいんかね」
「ええ……。それは私がヨリの遺体を目撃したときに、完全に機能喪失したわ。本当のところを言うとね、実は少し前から結構あやふやになっちゃっていたのよ。これは最近調べて分かったのだけど、具体的には私の記憶が原因不明の漏洩をはじめたあたりからね」
「そっか。それならよかった。じゃあヨリちゃん、俺の事ももう神様って呼ぶの止めてほしいんだけど、いいかね?」
堤、神様辞めるってよ。
「ええーっ!?」
このリアクションもなんか懐かしい。
「いやあだって~。もうバレてるんだから。当然だと思うんだけど」
「それは……そうでございますが。では今後どうお呼びすれば」
「普通に晴一でいいよ? 元から晴一なんだし」
「そう仰られると確かにそうなのですが……。では……晴一様?」
「えー? 様なの?」
「そうよヨリ。こんな晴一なんか晴一って呼び捨てでいいのに」
こら、こんなとか言うんじゃない。
「おうユカリちょっと静かにしてて」
「なによー!」
「なによー! カニよー! ウニよー!」
なんか突っかかってくるから、腹いせに馬鹿みたいな口調と顔でユカリの真似をしてやった。
「むきいぃぃぃ!」
ユカリめっちゃ怒りよる。
ヨリに半分乗っかりながら、怒りに任せて自分の左肩へ拳なんぞを入れてきた。これ結構痛い。でも外見は仲居ヨリだから、なんかすごく不思議な気分。
「え、あの、ちょ……。で、では……晴一さん? でよろしいでしょうか?」
胸の上で照れながら、おずおずとそう言うよりかわなヨリは、彼女を挟んだ自分とユカリの低次元な争いにおろおろしている。
「オッケーオッケーイイヨイイヨー。じゃあ決まりで。いてて」
ユカリはちょっと殴り過ぎだから遠慮して。
「何よニヤニヤしてキモイわね」
「なんでだよ、いまのは別にキモくねえだろ」
ベーっと舌を出して茶々を入れてくるユカリに、ぷんすこしている自分を見て、ヨリがくすくすと笑いだす。やがてそれは、自然と皆に伝播した。
皆でひとしきり笑い合った後、一瞬静寂が訪れたタイミングで、ヨリが自分に要望を伝えてくる。
「では、晴一さんも、私のことも他の皆さんと同じように呼び捨てでお願いします」
「ああ、そっか。そだね。うん、わかった。これからはみなと同じ呼び方するよ。ヨリ」
「はい!」
ヨリはにこやかに元気な返事を返す。かわいさがえらいことになっとる。
「ねえヨリ、私も様付けは無しよ? この晴一が呼び捨てにしているんだから、ヨリもユカリって呼び捨てでいいんだからね?」
「はい。分かりました……ユカリ」
はにかんで言うヨリの横顔は照れ臭そうだ。
短時間のうちに重大イベントが連発したため、どっと疲れてしまった。多分ふたりもそうだろうし、自分ももう暫くはこの体勢から動きたくない。ヨリとユカリは、自分の上にうつ伏せに乗ったまま、何事か話してはクスクス笑い合っている。
仲良し姉妹のようなふたりを見て、もうひとりの姉妹のことを思いだし、我に返る。やばい。
「ああそうだ! リエのこと忘れてた!」
自分が声をあげると、ふたりはがばっと身を起し、早速探しに行こうということになる。
だが、そう思った矢先。部屋の引き戸がノックされ、仲居ヨリたちに連れられたリエが室内に入って来た。ちっこい妹の姿を見たユカリは、すかさず駆けつけ愛ではじめる。その姿、まるで獲物にとびかかる猛獣の如く。
「ごめんねリエ。お姉ちゃん心配かけたわよね」
「はれ? ユカリねえ様? ヨリねえ様ではなくて?」
ユカリは、ヨリの中から仲居ヨリの体を遠隔操作しているため、抱き着かれたリエは混乱する。
「ああ、そうだったわね。ヨリももう知っているんだし、この体も変化させていいのよね」
そう言うとユカリは一旦リエから離れる。
直後、仲居ヨリの体全体が一瞬カメラのフラッシュのように発光し、いつものユカリスタイルへ変化した。バンクあるのかな。
「わーっ、ユカリねえ様だ!」
リエは大喜びでユカリへ抱き着き、その勢いでユカリのアホ毛も嬉しそうに揺れる。そのアホ毛どういう仕組みで。
「かわいらしいですね」
やさしい表情でふたりを眺めるヨリが呟く。ヨリも可愛いよ。皆かわいいよ。
そんなヨリの様子に気づいたリエがこちらへ向き直り、ぺこりと頭を下げて自己紹介をはじめた。しかしその体は、ユカリによってまさぐられ続けている。
「初めましてヨリねえ様。ぼくはリエと申します。不束者ですが、よろしくお願いいたしますのですよ」
ちまちました動きのリエは、愛らしいし挨拶を終える。こんなに小さいのに、傍らの姉などよりも遥かにできた妹だ。
「はい、これはご丁寧に。私はヨリと申します。あなたのお姉様とは、仲良くさせていただいています」
ヨリはリエの前で正座をし、小さな手を取って穏やかに挨拶を返した。そんなヨリの所作は、とても大人びていて格好良い。
「ヨリねえ様は、ユカリねえ様と同じく、大好きなリエのねえ様です!」
元気いっぱいに言ったリエが、大喜びでユカリの手を抜け出し、ヨリに抱き着きつく。ああ、なんて尊い絵なの。置き去りにされたユカリはちょっと寂しそう。
「まあ。それはとても光栄ですね」
ヨリはリエの髪をやさしく撫でて、どこか懐かしいというような表情で彼女を見ている。
かつて日本で共に暮らしていた家族の姿を、リエを通して見ているのかもしれない。そう思うと、またも涙腺が緩みそうになってしまう。ヨリもリエも、記憶の上では初対面ではないが、こうして顔を突き合わせて会話をするのは初めてのことだ。そんな仲睦まじいふたりの様子は、誰が見たって本物の姉妹にしか見えないと思う。
現在地球上で行われている人工知能の研究は、彼らという存在が生み出したこの惑星のAI達と比べれば、まだまだほんの小さな種火のようなものだ。やがてそれらも、ユカリやリエたちのように高度な進化を遂げ、人と共に歩んで行けるような時代がやって来るのだろうか。睦まじい姉妹達の姿を眺めながら、地球の未来を想像してみる。
「晴一がそういう顔してる時って、何かいやらしいこと考えてそうなのよね~」
ただ地球人類の明るい未来へ想いを馳せていただけなのに。またユカリに酷いことを言われてしまった。
「そうだなユカリ。子供は三人くらいいると賑やかで良さそうだよな」
「んなあっっ!」
「ええーっ!?」
ユカリとヨリは驚嘆の声を上げ、リエは赤ちゃーんとはしゃぎ回る。
「なに真に受けてんだよ。かわいいやつだな」
がっちり固まって赤くなっているユカリの肩を叩いて冗談だと打ち明けると、いつもの調子で怒りだして、あちこちに駄々っ子パンチを打ち込んでくる。しかし、なぜかヨリは胡乱な目で自分を睨んでいた。ええーっ。