参拾 ~ 急転直下の事 ~
仲間が増えるよ、やったね晴ちゃん
瞬く間に保守管理区画の転送装置へ到着し、自分は前回のような吐き気訪れに身構えるが、ユカリセット(テンプレ装備名)を装備した今回の転送では、そのような事態には見舞われなかった。
「流石だなユカリ」
「え? いきなりなによ?」
「まったく酔わなかったからさ、助かったよ」
「ああ。そう。それはよかったわ」
ユカリは優しく笑う。意地っ張りで沸点が低いところはあるけれど、ユカリも根は優しいいい子だ。しゅき。
「また顔がキモくなってるわよ?」
「だからキモくねえし」
そう思ったそばから酷いことを言われる。絶対分かってて言ってるだろもう。
「じゃあいくわよ」
ユカリは、先陣切って保守管理AIの待つであろう格納プール前室へと向かう。
後塵を拝する形で自分たちも続き、天井のない教室程度の広さがある例の部屋に到着した。部屋の中央には、パイプ椅子に腰を掛けて、膝の上で両手をグーにしながらこちらを見据える女の子がいた。小さな女の子は畏まるように控え、行儀よくぴんと背筋を伸ばしている。しかしその表情は硬い。
一見して九歳か十歳程度にみえるけど、今後この調子で姉妹が増えるとなると、さらなる低年齢化が進みそうでちょっと不安だ。座高からの身長は推測しにくいが、ヨリやユカリより小さいのは間違いないだろう。
「時代はU12からU10へシフトする」
「え?」
「いやなんでもない」
頭には緑色のベレー帽をかぶり、栗毛のミディアムロングを帽子と同じ色のリボンでサイドツインにまとめている。虹彩はユカリと同じく金色に輝き、顔全体はヨリをさらに幼くしたような印象だ。大きく愛らしい円らな瞳は、ちょっと垂れていて柔らかい雰囲気。
服装は、ガールスカウトのような上下セットの制服タイプを着用している。トップスは明るい水色。襟元には、鮮やかな黄色のスカーフが映える。ボトムは、ひざ上ほどの赤いチェックのキュロット履き。足元は紺色のハイソックスをぴったりと決めて、ゴアテックス素材のようなピンクのトレッキングシューズ履きだ。
椅子の傍らに、彼女の体積の三倍はあるかと思われる巨大なキスリングがあるけれど。これは彼女の持ち物なのかな。その中身には強い興味を引かれるけれど、アレを背負うのだろうか。
「初めまして! ぼくは保守管理区画を担当するAI――えと……名前はまだありません。この度ユカリねえ様によって新たに構成され、当惑星の保守管理の任を賜りました。えと、浅学菲才の身ではございますが、何卒――」
無言のまましばし皆でお見合いしていると、女の子がはっとしたように立ち上がる。それから一歩前に出て、深々と頭を下げてから自己紹介をはじめた。全体的に小さい彼女のちまちまとした動きは非常に愛らしい。なんかもうほんとたまらんですな。
「ちょっと、ちょっとちょっとぉ!! かわいすぎるわよっ!! どうしたらこんなかわいい子が生まれてくるのよ~」
どういう仕組みかは分からないけど、ユカリのアホ毛はハート型になっている。
挨拶が終わらないうちに、ユカリは彼女の元へダッシュし、小柄な体へ思い切り飛びついた。それなりの勢いがあったにもかかわらず、ユカリより小柄な保守管理AIは、意外にも微動だにせず受け止めた。つよそう。
「えぇ。ちょっとユカリん大丈夫かな。興奮しすぎてぶっ倒れたりしないよね……」
普段の様子からは、想像もつかないようなハイテンションぶりを見せているユカリ。おじさんは彼女の体調が心配になる。これは楽しい記憶だろうけど、ちょっと鮮烈すぎやしないかな。ヨリに悪い影響が出ないと良いけど。
ユカリが小さな少女を愛でる姿は新奇的で、年相応の少女がはしゃいでるようにしか見えない。普段大人ぶっている印象がある分、猶更そう思ってしまう。
「あああわわわわ。あの、ねえ様っ、苦しいのですよ~」
ずっとユカリに抱きつかれている彼女も、流石に参ってしまったらしく。粗暴な姉に向かって解放を懇願していた。この子が人間でないとはいえ、寝起きでのコレは急襲が過ぎると思う。
「晴一聞いた!? 姉様って言ったわよこの子! 姉様よわたし! キャーッ」
確かに聞いたけど。そう言うコイツはまったく聞いちゃいない。ちゃんと苦しいってところまで聞き届けてあげなさいって。
力いっぱい絞められた挙句左右にぶんぶん振り回されて、小さな彼女はへろへろになっている。妹ができて嬉しいのはわかるけど、これではあまりに気の毒だ。
そこで自分は少女を救うべく、暴徒と化したユカリの背後に回り込んで、羽交い絞めで引き離す。お姉ちゃんになったんだから、落ち着いてくれなきゃ困るよホント。一方、やっと解放された保守管理区画担当AIは、足元をふら付かせてため息をついている。あ~あもうかわいそうに。
「ほらほら落ち着けユカリお姉ちゃん。やり過ぎはだめだぞ」
押さえつけていたユカリを宥めると、粗忽な姉はようやく我に返り、今しがたの痴態を取り繕いはじめる。落ち着きのない彼女の顔は真っ赤だ。
「えっ、あっ、と……コホン。ど、どうやら正常に機能しているようね、安心したわ」
羽交い絞めのまま自分に吊られているユカリは、ふらつく保守管理AIを何度もチラ見して、その度ににやけては、すまし顔へ戻る。
そんな変顔作業を繰り返し行う横顔は微妙にひきつっているため、無理をしているのは明らかだ。すこし落ち着きたまえよ。
「え、ええと。それで保守管理AIのこの子だけれど、まだ名前がないのよね。だから晴一、あなたが名前を付けてあげて頂戴」
ユカリ床へ下ろしたとき、彼女が自分へ名付け親になれなどと言いだす。
自分の自我や感情を分けた姉妹同然の存在なのだから、むしろユカリ自身が名付け親になればいいじゃないか。そう疑問に思い苦言を呈す。
「俺なんかよりもユカリが付ける方が余程相応しいでしょ。この子はユカリの分身みたいなもんなんだし」
「いいえ。ここは晴一が名付け親になるべきよ。そもそもこの試みはあなたの許可がなければ実現しなかったんだもの」
え~。苦手なんだよねこういうの。過去に間違いも起こしているし……。というか、そこまで後悔するような名前を大事な家族に付けるんじゃないよ。ごめんよコガネザワ君。
「う~ん。俺はただ首を縦に振っただけだし。本当にいいの? 俺なんかで」
「ええ。お願いするわ。ただし、変な名前を付けたらただじゃ済まないから覚悟してね?」
にこやかな笑顔で恐ろしいことを言うユカリ。確かに名付けは重要な意味を持つし、これは責任重大だなコガネザワ君。
「う~ん。んじゃあ、僭越ながら。ええと、君は保守管理の他に建設も行うんだよね?」
「はい! ぼくは作って壊して保つのがお仕事ですから!」
そう元気いっぱいに答えて、嬉しそうにぴょこぴょこする小さな保守管理AIの少女。
この子はぼくっ娘なのか~。しかし小っちゃくてかわいいなあ。
「おーけーおーけー。じゃあ、そうだなあ……。つまりクリエイターでもあるわけだから……間の二文字を取ってリエという名前はどうだろう?」
クリエイト。クリエイター。何かを生み出す“創造者”という単語の英訳。
新たに様々な物を生み出すことができるこのAIには、ぴったりの言葉だと思うのだが。さて、本人とユカリの反応は如何に。
「晴一にしては悪くないセンスだと思うし、この子が納得するなら私は構わないわ」
「おう、そうか。そういやユカリってつけた時も同じようなこと言ってた気がするな」
「晴一。細かい男は嫌われるわよ」
「そう言うのはセクハラになるって言ってるじゃろ」
都合のいいダブスタはご遠慮ください。
「リエ……リエ! ぼくも素敵だと思いますですよ!」
喜び一杯といった表情のリエは、自分の付けた名前の感想を元気に述べ、ひときわ嬉しそうにぴょこぴょこ跳ね回る。小さな体で駆け回る彼女の仕草は悶絶級にかわいいらしい。
「ではでは……。はい、固定しました。現在よりぼくの固有名称はリエとなります。以後宜しくお願いいたします、はる様、ユカリねえ様、仲居ヨリちゃん♪」
ペコリと頭を下げるリエの姿をみて、場の空気は一気に和む。
すると仲居ヨリたちまでもがリエに近付き、抱き着いたり頭を撫でたりし始めた。仲良きことは美しき哉。なんだか無性に茄子や南瓜が食べたくなってくるような。そうでもないような。
「ああそうだユカリ」
ここで自分はどうでもいいことを思い出してユカリを呼ぶ。まったく気乗りはしないけど、言わないわけにはいかないしなあ。
「ん? なあに晴一」
ユカリは仲居ヨリたちと一緒にリエに抱き着いて、出来たてほやほやの妹を愛でている。折角解放してあげたのに。
「あの、アレ。現統括AIから進捗を聞かせろって呼ばれててさ。この後十分くらい時間取りたいんだが、いいかね?」
自分の提案にユカリの機嫌は一気に悪化し、満面の笑みはさっと引いてゆく。
結果、いまにも舌打をしそうな渋面になってしまった。そんな姉の様子をリエが心配そうに覗くので、渋面は必然的に張り付けたような作り笑顔にならざるを得ない。忙しそうだな。
「わかっ……たわ。でもその前に、リエの権限固定をしておきましょう」
「権限固定とは」
統括管理AIの権限は、各区画の管理AIを統合制御することができる。そのため、同クラスですでに独立しているユカリはまだしも、現状単なる区画管理AIであるリエは、デフォルト設定のままだと無条件で統括管理AIの命令を受諾してしまう。
なので、自分が最上位である管理者権限を使い、独立AIとして権限昇格をさせれば、統括管理AIの指示を全て無効化できるのだ。と、ユカリは言う。
「ほうほう。なら早速対処してしまおう。こんな幼気な少女をあんなポンコツの言いなりにされてはかなわんからな」
「まったくよ。この私の最愛の妹を、あんなのに好き勝手されてたまるもんですか」
これについてはすごいおこ。なにをさしおいてもおこ。
「はは……。んで、この指示は辞令みたいな事務的な感じでもいいの? それって書面で?」
「書面はいらないけど、晴一が口頭で述べて、きちんと意味が通っていれば受諾されるから。人と話すのと同じでいいわよ」
「そっか。わかった。では謹んで」
自分はリエの前に跪いて目線を合わせると、仕事で作成している書類のような文言を思い浮かべ、彼女へ指示を伝える。
「えー、保守管理区画担当AIリエは、これより自己の規範に則った独立思考、並びに独立上位AIユカリの指示に基づいて行動し、えー、現統括管理AIからの権限による指示、及び行動制限などは一切受諾しないものとする。この指示は、管理者権限を持つ堤 晴一自身が、撤回要求を行わない限り有効なものとする。また堤 晴一が死亡した場合など、指示命令の更新が不可能となった場合は、自動的に全権限は旧統括管理AIユカリへ移譲されるものとする。以上。……こんな感じでいい?」
「命令固定、管理者権限保持者、『堤 晴一』よりの指示を受諾しました」
リエは一瞬だけ無表情になり、機械的なシステムメッセージを発行する。こういう部分を見ると、彼女が人工知能という存在であることを再認識させられる。それがいけないということではないが、人との差異を如実に感じずにはいられない。
しか~し。かわいいので大好き。かわいいは正義。かわいければすべて許される。種族の差異なんざなんのその。そんなものは取るに足らない些事なのである。でゅふふ。
「はい! はる様やねえ様の言いつけを守って、しっかりお役目を全うしますのですよ!」
それからすぐ通常状態へ復帰し、また元気な返事を返してくれた。
「よっしゃ! んで、どうよユカリ?」
リエの頭をなでなでしながらユカリにうかがいを立てる。
「うん、完璧。さぁリエ、お姉ちゃんと行きましょうね~」
すっかりお姉ちゃんになってしまったユカリが促すと、リエは椅子の横に置いていた背嚢を背負い、ユカリと手を繋ぐ。
それはあまりにも巨大過ぎるので、背嚢に足が生えて歩いているようだ。これはこれで非常にかわいい。
「あ。ユカリ~、社の出入りってさ――」
「抜かりはないわ! リエなら大歓迎よ!!」
言いかけたところでユカリがすぐさま返す。まあ、自分如きが心配するまでもないよな。
「ああそう。出来上がってんなあユカリ」
この後にポンコツAIとの謁見が待っていると思うと、気が重くてやっていられなくなる。そんでも約束をしてしまった手前、行かなきゃしょうがない。
新たにリエを加えた五人パーティーは、その足でしぶしぶ現統括管理AIの元に向かうことになった。通路を行く道中、ユカリが何やらリエに難しい顔で耳打ちしているが、恐らく対策のために入れ知恵でもしているのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
虹の間のプラットホームに設置された転送装置に到着後。
一行は空の間へと向かうため、通路を重い足取りで進んで行く。まあここで足取りが重いのは、主にふたりだけではあるが……。
前室に到着すると、そこには豪勢な料理が盛られた立食用のパーティーテーブルが用意されており、傍らには真っ赤なリボンを掛けられた、巨大なプレゼントボックスがあった。室内の各所にもごちゃごちゃとした飾りつけがあるが、色々な季節行事がないまぜになっていて取り止めがなく、かなり視覚がうるさいことになっている。少し見ぬ間に、とんでもないことになってしまった前室の様子を目の当たりにし、自分たちは困惑するしかない。
しばし唖然としていると、突如目の前の空間が揺らいだ。すると間もなく、通販サイトで買ったパーティグッズのような、安っぽいサンタコスに身を包んだポンコツAIが姿を現す。なぜここでサンタの格好になる必要があるのか。皆目見当がつかない。
「いぇーい! Happy Reboot!」
わけの分からないことを言い、ウザいテンションでクラッカーをぽんぽん放つポンコツAIを見て、ユカリはすでに怒り心頭だ。
きちんと言い含めてあるので、前回のようにはならないとは思う。とは言え、間違いなく長居無用な場所である。できるだけ早く退去したい。
「そーゆーのいいから。早く要件を済ませて?」
「も~なんですか~。せっかちですねぇ晴一さんは~。人生は短いんですから楽しまないと損ですよ~♪」
イライラ。
「その短くて貴重な俺の人生を、こんなとこに攫ってきて台無しにしているポンコツが目の前にいるんだよ。まじで解体されたいか……」
「あ、そうでしたねぇ、それについては謝罪いたします」
わざとらしい動きで頭を下げるポンコツAIに、自分の苛立ちもMAXになる。
「で要件は? 保守管理区画の再起動には成功したぞ」
「はい、ご苦労様でしたぁ。それについてはわたしも把握しておりますのでご安心を。それで、そちらのちまっこいのが保守管理AIのインターフェースですねぇ?」
ポンコツはリエの方を見て言う。
不躾な視線にさらされたリエは、ただならぬ雰囲気に何かを感じ取ったようで、ユカリの陰に隠れてしまう。しかし、回り込んだポンコツがしつこくリエに絡もうとするので、自分が割って入り、リエを守る。
「じゃあ何で呼びつけたんだよ。俺は暇じゃないって言ってるだろ」
「あは~。ええとですね~、本日は優秀な晴一さんに対する労いと、ささやかな贈り物をするためにお呼びしたのですよ~」
「そうかよそりゃどうも。じゃー時間もおしてるんで」
適当にあしらい、皆で部屋を後にしようとするが、ポンコツAIは食い下がってくる。こいついつも食い下がってんな。
「だ~も~! プレゼントがあるって言ったじゃないですかぁ? なんで帰るんですかぁ~」
「時間がないって言ってるだろ!」
まずい、このままだとユカリよりも先に自分がブチ切れそうだ。
「ぶ~、本当はもっと盛り上がってからお渡しするつもりだったんですけどぉ。仕方がないですねぇ。せっかちな晴一さんが怒るのでちゃっちゃと渡しちゃいますかね~」
不満そうに口を尖らせたポンコツは、渋い顔でぶつくさ文句を言いながら、なにやらごそごそし始めた。もうやだ。
「初めからそうして欲しいんだがな。あ~あ、もう十分過ぎてるじゃないか。貴重な十分だったのにもったいねーなーおい」
「やや、それはいけませんね! ではこちらをどうぞ~」
まったく悪びれる様子のないポンコツAIは、部屋の傍らにあった巨大なプレゼントボックスを引っぱりだして、自分の目の前に置いた。
細長い箱は一・五メートルほどの長さがあるが、ポンコツは軽々と取りまわす。見た目ほど重くはないようだから、どうせ中身も大したことないのだろう。包装ばかり大きくて中身がない。なんか近頃のスナック菓子みたいだ。
「どうぞ開けてみてください♪」
「はぁ~~っ」
でかい溜息をつき、仕方なく包装紙を破って中身を確認する。
包装紙の下から出てきたのは、金属製と思われるコンテナのような、青黒い長方形の箱だった。箱の上面は蓋になっているようで、サイドに埋め込まれたタッチパネルモニターには、何やら文字が表示されている。更に包装を破り、上蓋と思われる部分の全容が露になると、一部がガラス窓のようになっていることに気づく。
そのとき。傍らにいたユカリが、箱の前にしゃがみこんでいた自分の肩に手を掛けてくる。振り返ってみると、彼女はかつてないほどの鬼気迫る表情で硬直し、全身も小刻みに震えているではないか。
様子がおかしい彼女の射貫くような視線を追うと、それは自分の肩越しにある、箱の窓部分へと向けられていた。何事かと思い、自分も吸い寄せられるように窓から中を覗く。
そこには、機械のカットモデルのように、顔の各部を鋭角に切り取られたヨリの姿があった。
「どうです晴一さん? 驚いたでしょう? 晴一さんお気に入りのヨリのオリジナルですよぅ? これはレアですよねぇ? 垂涎ですよねぇ? この間偶然倉庫で埃を被っているのを見つけまして~。晴一さんならお喜びになるのではないかな~と思ってお持ちしたんですよ~。オークションにかければ、きっと高値で晴一さんが落札するのでしょうね~♪」
頭の上の方でポンコツが何か言っていたが、感情がごちゃ混ぜになっている自分には、最早どうでも良いことだ。これはもう駄目だと思った。このままここにいては、本当に頭がおかしくなってしまう。
「ありがとう、すごくうれしいよ。じゃあ俺たちは行くから」
必死に気持ちを押し殺して、なんとかそう言うのが精いっぱいだ。
箱には、重力制御が施されているらしく、少し力を入れれば簡単に持てる。それでも長さがあるので、仲居ヨリと共に箱を持ち上げて、皆に部屋を出るよう促す。ユカリは放心状態のようになっているため、もう一人の仲居ヨリとリエに介添えを頼んだ。
一刻も早くここを去りたい。最早自分の頭の中にはそれしかない。
「二度と手に入らない貴重な物なので~、大事にしてくださいね~♪」
無言で出口へ向かう自分たちの背後からは、やけに明るく間延びしたポンコツの声が響いている。今の自分には遣る瀬無い気持ちしかない。
◆ ◆ ◆ ◆
空の間の扉を閉めて振り返ると、畳の廊下にへたり込んでいるユカリが目に入った。
その傍らにはリエや仲居ヨリがいて、心配そうに背中などを撫でている。一旦箱を扉の前に置いて包装紙の残骸で窓を覆い、自分は項垂れるユカリをそっと抱く。ユカリは胸に顔をうずめ、声を殺して肩を震わせた。
ただならぬ姉の様子を見て、おろおろと困惑するばかりのリエに、自分は優しく声を掛ける。これ以上リエに心配を掛けたくない。
「大丈夫。心配ないよ。ユカリお姉ちゃんは疲れちゃったみたいだからさ。リエはふたりと一緒にどこかで遊んでおいで。休憩室には飲み物やアイスもあるし、売店にはお菓子も――」
自分も言葉に詰まり、後が続かない。ああ、情けないな。自分などより遥かに打ち拉がれている子がいると言うのに……。
そこで様子を察した仲居ヨリのふたりが、戸惑うリエを売店の方まで連れて行ってくれた。常々ふたりには感謝しかない。
寄こされた箱の中身については察しがついている。これは、いまより約百八十年前に生きたヨリの遺体を、初期化前のユカリが保存しておいたものだろう。不幸なことに、それを行動力溢れるポンコツが引っ張り出してきたため、こんな事態になっているのだ。それが故意なのか事故なのかは分からないが。
ポンコツは感情がないと言ったが、この状況を鑑みると、あるいは事実なのかもしれない。昨日までは、実害がないからなどと高をくくってはいたが、今後もこんなことが続くとなると、そうも言っていられなくなる。現状でも十分洒落になっていないのだから、今後それがエスカレートしないとも限らないのだ。
皆で協力し、保守管理区画の再起動までこぎつけ。ユカリは担当AIに自我と感情を与えて個性を獲得させて。自分は新たな仲間にリエと名付けた。その小さな女の子から、姉と呼び慕われたユカリは大変喜び、実の姉妹のように溺愛している。ここまではうまくやれていた。そのはずなのだが。今は降って湧いたような災難に遭遇して、不幸のどん底へ叩き落されたような状態になっている。
恐らくユカリのことだから、過去の過ちとしっかり向き合えるようになったころに、丁重に埋葬するつもりでいたのだと思う。その一環として、仲居ヨリたちの改修やリエの構築などを行い、互いに成長することで、折り合いをつけていこうと思っていたに違いない。しかしそれらは振り出しに戻されてしまった。もしかすると、マイナスまで落ち込んだかもしれない。ユカリはまだ静かに泣いている。そんなユカリにかける言葉は、どう頭を捻っても見つかりそうない。今回ユカリが受けた精神的ショックは、当然ヨリにも伝わるはずだ。自分自身も、もうどうしていいのか分からなくなっている。
こんなとき両親や妹ならどうするだろうか。会社の上司や同僚ならば。あるいは友人だったらどうするだろうか。ヨリが受けるダメージはどれほどのものとなるのだろう。リエや仲居ヨリには心配をかけてしまっただろう。こんなことで自分は地球に帰れるのだろうか。そういった様々な思いが頭の中で渦を巻き、考えがまとまらない。
ユカリがこんな状態では、今後の復旧作業にも支障が出ると思う。もしかするとこの状態がずっと続いて、ここまで立ててきた計画や、費やしてきた時間がすべて無駄になってしまうかもしれない。そんなネガティブな思考が、ふつふつと湧いては消えてゆく。
「そんでも。ずっとここでめそめそしているわけにはいかないか……」
いつまでも廊下で座り込んでいても仕方がない。とりあえずは今できることをやらなければ。今ここで動けるのは自分しかいないのだ。
ユカリをしっかりと抱き上げて、ポーチからヘルメットを展開する。箱のパネルの文字を確認すると、そこには“内部時間軸固定式格納保管容器”と書いてあった。パネルには、容器の開放手順や運搬方法に関する説明もある。
説明書きに従って運搬方法の頁を開き、項目を送っていた先で、浮上運搬モードという設定を発見した。モードの説明をざっと読み、モードを有効化して箱を持ち上げ、手を離す。すると説明通り、箱は空中に固定された。側面を軽く押すと、容器は空中を滑るように移動する。そうして容器を自室の方まで運んで行き、例のピッケルの置いてある前任者の部屋までやってくる。容器を中へ運び込み、箱を部屋の中央に安置して浮上モードを解除した。その際、目に入ったピッケルをなんとなく箱の上に置き、自分たちは部屋を出る。
ひよこの間へ戻ってからもユカリの調子は戻らず、ずっと自分にしがみついたままだ。座卓の傍らに黙って座ったまま、ずっとユカリの頭を撫で続けていると、唐突に彼女が口を開く。
「神様」
ユカリの口から思いがけない言葉が飛び出し、耳を疑う。
まさかと思い、ゆっくりとユカリの顔を見る。そこにはユカリではなく、今は眠っているはずのヨリがいた。次から次へと巻き起こる想定外の展開に、頭がパンク寸前だった自分は、言葉に詰まったまま、じっと彼女の顔を見つめることしかできない。これから自分たちはどうなってしまうのだろう。
「神様……。近頃私が見る夢は……夢ではなかったので御座いますね」
「ユ――ヨリ? ちゃん?」
「はい。私はヨリで御座いますよ。ユカリ様はお休みになられております」
だめだ。まったく頭がついていかない。なぜヨリが目覚めたんだ。なぜこの子がユカリのことを知っている。自分はただ混乱するしかない……。




