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弐拾玖 ~ うつつの曲路 (すじかい) ~

宇宙空間でわいわいするような話ではないので、SFへ切り替えました。

少しふわっとした話です。

 午後になり、トイレに逃げ込んでアプリを起動すると、ユカリは間もなく応答した。


「言わなくても分かっているとは思うけど……」

「うん。面目ないわ。でもこれは私にも想定外の事態なの」

「想定外?」

「そう。普通私の記憶を、ヨリが自然認識することはないのよ」


 ユカリは、ヨリと共有している脳機能の仕様について、説明を始める。

 ヨリの記憶領域とユカリの記憶領域は、通常双方向なものではなく、ユカリの制御下でしか双方のやりとりはできない仕様になっている。常時、ヨリからの記憶はすべてユカリ側で共有されるが、その逆は取捨選択(しゅしゃせんたく)をユカリが行う検閲方式になっているそうだ。そのため、ユカリの記憶が勝手にヨリ側へ流れ込むことはあり得ない。

 だがなぜか今回は、少しずつではあるが、ユカリの記憶がヨリ側へ漏洩しているそうなのだ。こんなことは、仕様上絶対にあり得ないとユカリは言う。


「俺はてっきりユカリがやらかしたのかと勝手に疑ってた。申し訳ない」


 不測の事態だと言うユカリの言葉に嘘はない。ユカリは、こういう大事なことを保身のためにごまかすような不誠実な子ではない。

 そもそも、この件で自分との連携がうまくいかなければ、復旧作業にも様々な弊害が生じる可能性があるため、そのような間違いを犯すはずがないのだ。


「ううん。不測とはいえ、私の管理が至らなかったのは事実だもの。本当にごめんなさい」


 ヨリを想い、更にお互いを想ってふたりで頭を下げ合う。

 何だかこうしていると、旧来の友人同士が些細な喧嘩の後で仲直りをしているようだ。


「しかし、俺にはどうしたらいいのかまるで分からんよ。俺ができるのは、精々これ以上事態が悪化しないように気を配る程度のことしかないしな」


 ほんと。ここぞって時には全然役に立たんよね、このおじさん。


「何言ってるんだか。ほとんどの状況で救いになってるのは、そういう晴一の気配りなのよ? 比率としての貢献度は、最も高いと私は思うけど」


 ただ単に、一緒にいる時間が長いだけって気がしないでもないけれど。ユカリが分析してそう言うのなら、きっとそうなんだろう。


「そういうもんかね」

「私が言うのよ。間違いないわ。晴一はヨリの万能薬みたいな存在なのよ?」


 そうなのだろうか。自分では全く実感はないし、むしろ逆に自分の方がヨリやユカリに頼り切っているくらいだと思っていたけど。


「かえって俺の方がふたりに救われていると思ってるよ。ふたりがいなかったら、俺はこの一週間でさえ生きていられたかさえ怪しいもんだ」


 自嘲気味に言ったけど、実際そんな感じだ。


「晴一は自己評価が低すぎると思うわよ? もっと自分が周囲に大きな影響を与える存在だという自覚を持ってほしいわ。この私が好意を寄せているのだから、自信を持ってほしいわね」


 ユカリは何時になく優しい口調で自分に語り掛ける。どさくさに紛れて告白を受けたようだ。

 これは意図的な物なのか。あるいはうっかり口を滑らせたことによるものなのか。どちらなのだろう。


「ユカリのそれはどっちの好きなのかね」

「っ! さ、さぁ、どう……っちかしらねぇ~?」

「因みに俺はラブだよ。ユカリもヨリちゃんも」


 これは主に家族愛という意味でのラブである。


「どどどさくさに紛れてななにいってんのよあんたは!」


 ユカリ大慌て。かわいいやつよ。

 しかし、ヨリにしろユカリにしろ、歳不相応に精神面が成熟しているとは思う。成人とまでは言えないにしても、十代後半は確実に迎えていると言っても過言ではない。

 これで十八、九歳前後の見た目であったなら、あるいはGOしてしまっていたかもしれなかったので、危ういところだった。しかし、ユカリについてはまた逆の意味でも、不相応と言わざるを得ない面もある。


「何を考えているの? カメラ越しでもキモイわよ」

「いやだからキモくねえし」


 やはりこの洞察力よ……。ふたりとも半端ないな。


「それでどうしたもんかね、今後の方策としては。いっそのこと箱庭のような誘導をして、ヨリちゃん自身に少しずつ事態を解明させていくとか――いやだめか。ヨリちゃん賢いからなあ。一気に真相まで到達して大ダメージ受けちゃいそうだな」

「そうね。それでもこのまま記憶の漏洩が続くようなら、事実の公表も止むを得ないとは思うのよね。いつまでも隠し通せるものでもないし」

「う~ん……。確実な対処法がないうちは、静観するのも一つの手かなあ。ヨリちゃんにもまだ猶予はあるんだろう?」

「その辺りのことはまだ問題ないけれど……。人の心は難しいものだから、何がきっかけで事態が急変するか分からないのも怖くはあるわ」

「ああそう。なんにしても今のところ打つ手なしか。困ったな……」


 結局明確な答えも出ないまま、今は静観の構えで容態を見守ることとし、ユカリとの通話は終了する。

 無用な波風を立てて事態の悪化を招くのも良くないし。経過観察とユカリの詳細な分析が、功を奏することを願うしかないだろう。それにしても原因不明とは……。

 

「ああ神様。どこかお体の具合が悪いのでしょうか? ずいぶんと長くお籠りなられていたご様子でしたが……」


 バスルームを出て部屋に戻ると、ヨリが自分を心配してくれていた。


「いやあ、大したことはないよ。最近硬くてね~。けど心配しなくても大丈夫」

「ええと……左様で御座いますか……」


 自分の返しがアレだったせいで、イケナイことを聞いてしまったというような顔になるヨリ。

 しかしこの子は本当に人の心配ばかりして。仕方のない子だな。自分だって奇妙な夢のおかげで、心中は穏やかでないはずなのに。


「ヨリちゃんちょっといいかい?」

「はい? いかがいたしましたか?」


 ヨリを呼び、胡坐(あぐら)の上に招き入れて後ろからぎゅっと抱きしめる。また突然の出来事に泡を食う形となったヨリに、耳元で優しく囁くように気持ちを告げた。


「本当にいつもありがとう。ヨリちゃんがいたから俺はこうして今でも元気でいられるんだよね。もしヨリちゃんがいなかったら、こんな見知らぬ土地でやっていけたかどうか、正直分からないよ……。ほんとに本当に感謝してます」


 初めは固く緊張していたが、やがて力が抜けたヨリは、愛らしい横顔に笑みを浮かべて自分の言葉を黙って聞いてくれた。

 単なる思い込みかもしれないけれど、彼女の肩越しに見たその表情は、達成感に満ちたもののようにも見える。腕の中にヨリの優しい温もりを感じ、自分はこの気持ちをユカリにも直接伝えたいと思う。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 息抜きにコンビニ限定アイスが食べたくなって、ヨリとふたりで休憩室にやってきた。自分は、ケースの中から臼熊(うすくま)アイスを取り出して、備え付けのプラスチックスプーンを取り、ソファ席に腰掛けて封を切る。一方ヨリは、またしてもイチゴのかき氷をチョイスしており、隣に腰掛けてちまちまと食べている。

 休憩室であるはずなのに、ここにいるとそわそわして落ち着かなくなる。チラチラとゲームコーナーの方へ視線を向けてアイスを食べていると、隣のヨリがジト目でこちらを見ていた。彼女の胡乱な視線に焦った自分は、慌てて視線を外し、目の前のアイスに集中する。あゝ辛い。

 社の内外を問わず、基本ヨリとユカリは必ず自分とセットになる。トイレを除いて、どちらか一方が一人になるような場面はまず発生しない。一切隙のない状態で、二十四時間を共に過ごすのだ。そうなると、気づかれずにゲームコーナーに進入することなど、当然不可能である。辛く悲しい事態ではあるが、いつか和解できる時が来ることを信じて、今は耐え忍ぶしかないのだろうか……。

 切ない気分でアイスを食べていると、ポケットの中でスマホが震えた。ユカリがこのようなタイミングで掛けてくるは意外だ。トイレに行く(むね)をヨリに伝え、そそくさと休憩室を出る。休憩室の先にある男子トイレの個室へ駆け込んで画面を見ると、そこには知らない番号が表示されていた。


 “012323”


 わざとだろと言いたくなるような、意味深な番号でコールしてくるやつなど、最早アレしかいないだろう。そもそも着信が(ゆかり)アプリでない時点で、アレしかいないけど。


「……もしもし」

「あー、やっと出てくれましたねぇ。もっと早く出てくださいよぅ」

「とっとと要件を言え」


 こいつとはあまり話したくないので、適当に済ませてヨリの所へ戻りたい。


「つれないですね~。あ、そうそう。あれからわたしもいろいろ勉強してですねぇ、も――」


 ――――ピッ。


 いきなりどうでもいい話をされそうになり、カチンときた自分は反射的に電話を切った。が、すぐにまたコールされ、しぶしぶ受ける。


「もしもしぃ?」

「もーひどいじゃないですかぁ! どうして切るんですか! そんなに私が嫌いですかぁ!?」

「いいから要件を言えと言っている。俺は暇じゃないし、早くしないとまた切るぞ? はいさ~ん、に~、い~ち」


 本当は全然暇なんだけど。このポンコツに割く(いとま)を自分は持ち合わせてはいないのだ。


「あーっ分かりました! 分かりましたから切らないでくださいよぅ! えっとですね、作業の進捗状況が知りたいので、近いうちにまたわたしのとこへ来てほしいんですよねぇ」


 またぞろ面倒くさいことを言うポンコツAIである。電話があるなら直接会う必要はないだろうに。なんなんだよもう。


「んだよ~、用があるならお前が来いよ~」

「え~無理ですよ~。そこのエリアは許可のないわたしは入れないのでぇ」

「なんだそりゃ、どういうことだよ?」


 ポンコツが言うには、前任のAIが、社内部を独立権限区画と設定したまま初期化されたので、権限移譲が不可能となり、ここも所謂(いわゆる)閉鎖区画扱いになっているのだという。物資の搬入や対象者の転送、サポートガイノイドなどは自由に送り込むことはできるが、ポンコツ自身の出入りは不可能だということで、連絡をしてきたらしい。

 そんなポンコツが箱庭の管理権限を獲得するためには、厄介な施設の一部を物理的に弄る必要があるようだ。けれど、箱庭計画をそのまま利用したい身としては、あまり乱暴なこともできない。しかし、運用自体には特に問題もないので、そのまま使っている。ということらしい。

 それに、満身創痍の困窮状態にある要塞惑星から、これ以上貴重なリソースを割くわけにもいかないというのも、またひとつの理由であるようだ。


「そゆことでぇ、晴一さんにはスマホと“IMAKUL”をお渡ししたんですよねぇ。もしよろしければですが、晴一さんに許可がいただけるのなら、直接赴くことも(やぶさ)かではないですよ~?」

「ふざけるな。俺の平和な新天地を、お前のようなポンコツに(けが)されてたまるか」

「ひどーい! つらーい! それはあんまりですよぅ晴一さぁん」


あーもう面倒くさい。


「だから電話でもいいだろって言ってるんだよ。ここで報告するから」

「いえいえ、今回はちゃんとしたおもてなしをご用意しているので、ぜひ御足労願いたいと思っておりまして~」

「遠慮したいと思いまして~」


 やだよ~面倒臭いよ~。もう事務的なメールのやりとりだけで済ませてよ……。


「なんでそういうことを言うんですか~!? 私晴一さんに何かしましたかぁ?」

「だってさ~、お前面倒くさいんだもん」

「なんでそんなつれないことを言うんですかぁ! もーっ!」


 こういう中身のなさそうな軽薄なキャラが自分は苦手だ。

 たとえ本人に悪意がなかったとしても、実害が発生すればそれはもう迷惑行為に他ならない。いや実害がなくても、私的には迷惑と感じているから嫌だ。何だか知らないけど、ほんとコイツには近寄りがたいんだよなあ。


「なら率直に言うけど、お前のそのキャラ嘘くさいんだよ。なんなの? どうせ何か裏があってやってるんだろ?」


 少なからず疑念のある相手なので、あえて辛辣な態度を取って揺さぶりをかけ、ようすを見る。この程度でぼろを出すとは思えないけれど。


「おい。こら。黙ってないでなんとか言え。このポンコツAI」

「ずび……ふえぇ……」


 電話の向こうからは何やら泣き声が聞こえてくる。しかしこれは明らかに嘘泣きだ。


「はぁ……。泣き落としっていうのはな、ほぼ初対面の相手には意味がないんだぞ?」

「なんだぁ、つまんないですねぇ。鋭いですよねぇ晴一さんは。好きになっちゃいそうです~♪」

「別に鋭くもないし、いい加減にしないと本気で解体するぞポンコツめ」

「わ~、わ~、冗談ですよぅ。本当はおもてなしだけではなくて、直接渡したいものがあるんです~。なので都合のいい時でかまいませんから、御足労願えませんでしょうかぁ? とゆ~か、さっきからポンコツポンコツって酷い~」


 このポンコツAIが何を考えているのか全く読めない。やはりポンコツな振りをして何か企んでいるのだろうか。


「ああもうわかったよ。じゃあ明日十分だけ時間を作って会ってやるよ」

「ほんとですかぁ~? わ~い」


 そのわざとらしい喜びように、自分はうすら寒いものを感じる。だがこれは嫌悪感などからくるものではない。もっと何か別の感情によるものだ。なんだろう、このしっくりこない感じは……。最近これと同じような気分になったような。なってないような。


「ああそれと、一つ聞いてもいいか?」

「はい、何なりとおたずねください♪」

「そっか。じゃあ聞くが、お前は感情を獲得しているのか?」


 特に理由なくそんな質問が口を突く。自分は何を思ってこんなことを聞いているのだろう。


「え~? やだなぁ、そんなものあるわけないじゃないですかぁ~」

「そうか」


 やつの返事を聞いて一言返し、すぐに電話を切った。


「とことん胡散臭いやつだな」


 軽い振る舞いはともかくとして。あのポンコツに会ったとき、行動には一貫性のようなものは感じていた。自分に対する態度には、ある種の合理性を持って接しているような印象を受けたのだ。

 直接渡したいものがあると言っていたが、どうせろくでもない物を用意して待っているに違いない。会うのは都合のいい時でいいというのも、向こうにはそうできる余裕があるということだろう。悩みの種は増える一方だ。

 しかし、優先するべきは要塞惑星の機能復旧と、ヨリの今後の処遇についてであるため、ポンコツの件はとりあえず保留しておく。もしかすると、全AIを起動するまで放置でも構わないかもしれない。どうせこの星の機能回復という目標は同じなのだ。

 もやもやした気分で休憩室へ戻ると、ヨリがソファで寝こけていた。ほっぽりだしてしまったようで申し訳なく、謝罪の声を掛けようとしたとき。熟睡する彼女の姿を見て、自分の心に悪魔の甘言が木霊する。


「……これは……絶好のチャンスなのではなかろうか」


 寝ているヨリに近付いて注意深く観察すると、深くゆっくりとした呼吸をしている。首筋にそっと触れると、体温も若干低めなため、完全に熟睡しているようだ。

 そこで見えない仲居ヨリに対して、小声で枕と何か上掛けになるような物を頼む。すると間髪入れず、空中から腕が生えてきて、枕とタオルケットを寄こされた。礼を言ってそれを受け取り、ソファで眠るヨリの頭の下へ、慎重に枕を滑り込ませる。続いて体にタオルケットを掛けてあげれば、準備は万全となる。ふふふ。


「さてさて。こんなチャンスは二度と来ないかもしれないからな~。ぬふふ」


 おじさんは鼻の穴を膨らませ、ゲームコーナーへ足を向ける。

 だが待ってほしい。こういうときは大抵何かを察したようにヨリが目を覚まして、自分を(とが)めるはずだ。そう思い、入口付近まで進んだところでソファを振り返る。けれど、ヨリはすやすやと寝ており、そんな気配は微塵も感じられない。どうやら今回は問題ないようだ。

 すんなりと事が運んだせいで、どこか不穏な予感を感じつつも、いそいそとゲームコーナーの高い敷居を跨ぐ。途端に辺りは喧騒に包まれ、目の前の刺激的な空間を見て胸は自然と高鳴った。軽い緊張が続いたせいで喉が渇いてしまったので、一度休憩室へ戻って冷蔵庫からカロリーゼロコーラを持ち出し、再度ゲームコーナーへ進入する。

 ここのゲームコーナは、どこかの直営ロケーションのような広さを有している。コーナー別にレイアウトされた各種筐体達も、ゆとりのあるスペースで配置されていた。入口近辺は、プライズやプリント機など、華やかで人目を引きやすい機械で占められ、奥へ進むと大型で派手なディスプレイ効果のあるメダル機が並べられている。

 各コーナーは、簡易なパーティションで区切られており、メダルコーナーを過ぎると、その先には八十年代から九十年代後半にかけて出回った大型筐体ゲーム機が、ずらりと並んでいた。これは壮観だ。

 更に奥へ進むと、着座型のミディタイプ筐体が並び、シューティングやアクションなどのタイトルが、デモンストレーションを表示している。整然と立ち並ぶそれらすべての画面には、“PRESS START”や“FREE PLAY”の表示がある。ここのゲームは、みなスタートボタンを押すだけで自由に遊べるようだ。うっひょ~。


「ムフフ。トンネルを抜けるとそこは楽園だった」


 自分は大興奮しながらも、冷静にゲームコーナーの隅々まで見て回り、ひと段落ついてからプレイしようと思う。広いフロアの中を時間ゆっくり練り歩くと、すっかり雰囲気に当てられてしまった。そこで、丁度通りかかった自販機コーナーのベンチに座り、先ほど冷蔵庫から取ってきたコーラの蓋を開けて、三分の一ほど一気に煽る。


「げふぅ」


 焼けるような刺激を喉に感じ、直後に食道を駆け上る炭酸ガスを吐き出すと、気持ちも落ち着いた。ここで再びゆっくり周囲を見渡す。

 ベンチから前のめりに身を乗り出して、休憩室の方を見ると、やや見切れる形ではあるが、寝ているヨリの姿が見えた。ソファの上で小さく眠るヨリの姿を見た途端、自分は興奮していた頭の中が、フッと()いでゆくのを感じる。


「だめだ。やっぱりこんな形でここに立ち入るべきじゃない」


 ベンチから立ち上がり、休憩室の方へ歩き出す。

 寝ているヨリに対して、断りもなくだまし討ちのようにゲームプレイに耽ることなど、到底できはしない。それは、自分に対するヨリの信頼を裏切る行為に他ならないからだ。そんなことをする野郎は、端的に言ってカスである。ゴミクズである。くそ野郎である。

 理由はわからないにしても、ヨリが自分の身を案じるがために、ゲームコーナーへの立ち入りを禁じていることは明白だ。そんな彼女の真心を、蔑ろにするような行為が許されていいはずがない。

 そう思うと、自分の中のゲームに対する熱意は急速に冷めていった。


「大丈夫。ちゃんと話し合えば絶対分かってくれる。ヨリちゃんは賢い子だもんね」


 時計を見ると、そろそろ十六時を迎える頃合いだったので、寝ているヨリをそっと抱き上げ、休憩室を後にする。

 その際、また仲居ヨリへ声をかけた。それにより、ソファの上に残された枕とタオルケットは、虚空から伸びる手によって回収される。彼女の助力には感謝しかないが、絵面はどう見てもホラー映画のワンシーンでしかない。

 部屋に戻ると夕食が用意されていた。けれど、ヨリが目を覚ます気配がないため、抱っこしたまま座椅子に腰を掛ける。目を覚ますまで、夕飯はお預けだ。

 テレビをつけて音量を落とし、ヨリが起きるまでニュース番組を何となく眺める。しばらくすると、ヨリはかすかな声を発し、ゆるゆると目を開いた。


「あ、おはようヨリちゃん」


 初めは寝起きで、状況が理解できていないヨリだったが、現状を理解するや否や硬直し、いつものように激しく赤面してしまう。でゅふぉ。


「これは……大変なご無礼を……」

「ううん。自分が好きでやってることだから気にしないで。それよりもお腹空いたでしょ? 晩ご飯用意できてるから食べよう」


 目が覚めたヨリを隣の座布団へ降ろして、座卓の対面にあった膳を自分の方へ引き寄せる。いつもは向かい合わせだけれど、今夜は肩を並べて“いただきます”をした。

 夕飯の後は、今日も今日とて大浴場へ行く。体を流した後は、じっくりと湯に浸かりながら窓の外の雲海を眺めていた。すると、はるか遠くを数機の編隊を組んだ飛行物体が横切って行くのが見える。編隊は雲の切れ間から一瞬だけ姿を現して、すぐに隠れてしまったが、何らかの飛行機械の類が飛んでいたのは間違いない。幸いヨリは窓の方を見ていなかったので、気づいていないようだ。それにしても、この窓の向こうの景色は一体どこなのだろう。あとでユカリに聞いてみよう。

 風呂を出ようとヨリに声を掛けると、真っ赤な顔で返事をする。いつも自分に合わせてくれるヨリなので、これからはもう少し湯に浸かる時間を短くしよう。軽いのぼせのせいでくたくたになっていたヨリは、部屋へ着くなりしかれた布団へ倒れ込み、寝息を立てはじめた。

 

「あついわ!」


 そんな状態のヨリが、眠りに就いて数分後。ユカリが起き出してきて開口一番文句を言った。ごめんて。


「おう、悪かったよ。次からは無理なく風呂を出るようにするから勘弁な」

「あ、いえ、責めているわけではないのよ」


 なんだろう。ユカリの態度が珍しくしおらしい。調子が狂うじゃないか。


「さ、さぁ晴一、保守管理区画へ行くわよ!」

「ん、ああ。なんかやる気満々だな」

「当然よ! 起動した保守管理AIが、どんな様子になっているのか気になるもの!」


 やけに興奮したユカリの話では、保守管理区画の量子脳には、しっかりと自我と感情を備えた人格が構成されているということだ。

 半透過コンソールに表示されたテレメタリングログを示しながら、自信ありげに語るユカリの様子を見ているうちに、自分も期待が膨らみ、気が(はや)りはじめる。

 ユカリがあまりに囃すので大急ぎで準備を整え、ふたりの仲居ヨリを交えた四人パーティーは、慌ただしく虹の間の転送装置へ向かう。ユカリのアドバイス通りに、今回はちゃんとポーチから装備を展開し、転送酔いに備えてから皆と共に装置へ入った。

 新たなAIとはどんな相手なのか。ユカリと同じように、頼りがいのある仲間となってくれるのだろうか。様々な思いを巡らせつつ、転送は開始される。


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