弐拾伍 ~ 要塞道中記 ~
午後になると、長かった行程もようやく三分の二ほどが消化された。現地へ着いたとしても、実際の作業に取り掛かるのは時間的に翌日以降になるので、車両を下りずにこのまま一泊することもありうる。
直通とはいっても、まさかAIの目の前まで乗りつけるものでもないだろうし。何より、移動しているだけで疲れていたりする。そして特に何も起こらなければ、時間的なゆとりは大いにあるので、焦らず着実にお仕事をこなしていきたい。
現統括AIが、余計なことをしてくる可能性もないではないが、すでに依頼を受けている以上、恐らくこちらから何か言わない限りは動くこともないだろう。向こうも進捗は監視しているはずなので、作業を進めている分には何も言ってこないはずだ。進捗を鑑み、合理的な行動をしてくれればだけど。
「にしても、これをあと三回も繰り返さにゃならんのか」
それもすんなり作業が進めばの話であり……。途中路線が損傷している個所を迂回するとなった場合は、現場へ辿り着くのにどれだけ時間を費やすことになるのか。想像もつかない。しかも迂回ルートは、強固に武装されたセキュリティがあるというし。なおさら気が重くなる。
「あ~も~。先が思いやられるなあ」
「そうね、でもなるべくそうならないようにしたいから、初めに向かうのは保守管理区画にしているのよ」
「この先のAIを再起動できれば、各箇所の修復がかなり楽になるんだったかね」
「それも間違いではないけれど、保守管理区画担当AIが動いてくれないと、あちこちの修復ができないと言う方が正しいわ」
この車両が向かっている区画は、惑星機能の維持管理や、新設などを担当する区画だということで。この機能を復旧しないことには、他の区画の復旧はまず不可能だろうという。
リソースが潤沢であれば、自律作業機械を大量投入するなどして、簡単に修復もできるのだろうけど。現在は、動力区画からの電力供給が、各区画要求値の最低限にまで抑えられている。よってそのような膨大な数の自律機械を生産し、運用できる余裕はない。今の要塞惑星は、爪に火を点すようなエネルギー運用を、各ライフラインでなんとか行っているのが現状なのだ。ない袖は振りようがないのだ。
「そんな状態なのに“IMAKUL”とかぽこぽこ使ってごめんなさい」
「いいえ。この星がこんな状態なのに、そんなアプリを作って自慢げに配布しているあのガラクタがいけないのよ。ああもうまた腹が立ってきたわ……」
「はいそこ、思い出し怒りしない。もし次あんなことがあったら、本気でそのかわいらしい唇を奪いに行くぜ?」
ここで汚らしい投げキッス。
「んなっ!」
ユカリを宥めるにはこの手に限る。けれど、弱みに付け込むようで気が引ける。それでも、あんなに取り乱されるのは二度と御免だから、この程度は許容してほしい。
窘めらたユカリは、授業中の居眠り学生のような格好でテーブルに突っ伏し、静かになった。そんなユカリの耳元へ、自分は極力イケボを作り、「スフレ」と謎めいた言葉を優しく囁く。
「意味が解らないわよ!!」
ユカリは真っ赤な顔で跳ね起きて、速攻で突っ込みを入れてくる。かーわいー。たーのしー。
「はいはい。なんにしても、保守管理区画への道のりが順調なのは助かったよ。いきなり出ばなを挫かれたりしたら目も当てられなかっただろうしさ」
対面では仲居ヨリ達が全く同じ動きで、今度は緑茶を飲んでいる。午後の茶請けはマロングラッセだ。あまくて美味しい。
「もうあと六時間くらいで現着だけれども、いきなり目の前に担当AIがいるわけじゃないんだろう?」
そこで自分は、先ほど考えていた懸念をユカリに伝える。
「一応、プラットホームからは転送で飛べるはずなのだけど……。これはきちんと機能していればの話ね。もし使えないようであれば、徒歩も含めた移動手段を用いる必要が出て来るわ。それでも正規ルートには違いないから、セキュリティに引っかかることはないでしょうけれど」
え~。歩くのですか~。
「因みに転送が使えない場合の移動距離は?」
「そうねぇ……。MAPによればざっと三十七キロメートルくらいかしらね」
「ちょ。徒歩はきついなその距離だと」
車を使っても、街乗りくらいだと一時間はかかる距離だ。それでも直通ルートだとは思うけれど、歩くとなると途端に萎えてくる。さらに高低差などがあったりすれば、猶更厳しい道のりになるし。
「俺嫌だぞ。ずっと階段上るとかそういうのは。三十七キロメートルも階段上ったら膝がもたない。命ももたないかもしれない」
死ぬ前に休むという発想はないものか。
「MAPには階段はないから、その心配はないわよ」
階段は無いようでよかった。いやよくはない。平地を歩くことになってもそれはそれで辛いし。最低限乗り物などがほしいところではある。
「そういや転送って、かならず先に何かがないとできないのかい? なんかビーコンとか言ってたようだけど」
転送という移動法について、座標をこちら側で決めて跳ぶことはできないものかと考えていたので、ユカリに聞いてみる。
「いいえ跳べるわよ。跳ぶだけなら自由に」
「んん?」
「跳ぶこと自体はできるのよ。ただし、どこに出るかは分からないわ」
「え~……。ランダムワープかい」
「ある意味そういうことかもしれないわね。詳しくはわからないのだけれど、転送地点には、こちら側への現出を観測する“何か”が必要になるらしいわ」
何やら観測者効果めいたことを言うユカリちゃん。厳密に言うと違うのだろうけど。
超空間リンクで結んだ地点間を、自由に行き来する転送技術とは、簡潔に言えば、重力制御で生み出した事象の地平面を裏返して、トンネル状にすることでチューブのようなものを作り出し、彼我の地点間をリンクさせる技術だという。
ただこのチューブは実体のあるような物ではなく、地点間距離を直接結んでいるわけでもない。あくまでも概念として、そういった事象を生み出すものなのだそうだ。故に双方の地点には、リンクを確定させるための原因が必要になるのだと言い、これらの仕組みを纏めて超空間リンクと呼ぶのだそうだ。うむ、まったくわからん。
そのチューブの内側に入ったものは、転送先となるビーコンに呼ばれなければ、指定した通常空間へ到達することはできないらしい。ユカリは“呼ぶ”と言ったが、その実やはり詳細は不明のようだ。場合によっては、永遠に通常空間へ出られなくなることもあるので、基本的にはビーコンなしの転送は、リスクが大きすぎて意味がないという。
ここで言う通常空間とは、あくまでも自分たちが存在した元の時空間という意味であって、超空間側が特に異質な空間というわけではないそうだ。これもやはり詳細は不明なようだが、ユカリの言によれば、超空間は別の宇宙に繋がっているらしい。
ただ、ビーコンを持った無人機などがランダム転送されて、偶然こちら側のどこかへ出られた場合は、その座標への行き来は自由にできるようになるため、有用性が皆無というわけでもない。この手法は、新たな活動宙域を開拓するためには、かなり有効であるとのことである。確かに無人機であれば撃ち放題かもしれないな。
また、転送された先になにか別の物体が重なっていた場合などは、大爆発を起こすことになるという。そのときに発生する爆発的なエネルギーの放射は、双方の質量差によって決まるらしく、質量の小さいもの同士が激突した場合の方が規模が大きくなるらしい。
衝突した物質は、同じ空間の同じ座標には存在できないため、どちらかの物質は強制的に空間位相をずらされることになる。よって、位相がずれた物質はその空間上から消滅し、無理やり超空間側へ押し出されることになるそうだ。
物質衝突は、位相をずらされる際にかかわった物質を構成する粒子の数に応じて、エネルギー放射規模が変化するそうだ。しかし、位相ずれは質量の大きいものほど生じ難く、その場合エネルギー放射の規模は小さくなる。ゆえに、質量が小さく高密度の物質が同数衝突した場合に、最も大きなエネルギー放射が起こるのだという。
これは、質量がエネルギーに変わる核反応とはまったく別のプロセスなので、その威力もけた違いに大きいものになる。ユカリ曰く、一円玉四枚ほどで国が亡ぶ規模らしい。どないやねん。
「う~ん、まさに一長一短……。技術が進んでもうまい話ってのはそうそうないもんだなあ」
「同感ね。利便性には必ず対価になるものが必要になるわ」
やることがないと、お茶と雑談ばかり進むのが世の常か。行程はなかなか進まないというのに。やんなっちゃうなあ。
「で。現地の転送が使えなかった場合の移動手段なんだけれども……」
「ふふふ。実はね晴一、こんなこともあろうかと、砂浜で乗り回したATVを持って来ているわよ」
超優秀な副長のようなことをユカリは言いだす。なんと、持って来ているのかMLAZL。
「でもあれふたり乗りだぞ?」
「そこは心配ないわ。E四に改造しておいたから」
「まじかー。ホイールベース長いと面白くないんだよなあ」
この期に及んでも遊び心を忘れない悪ガキおじさん。
「贅沢言わないの。仕事が済んだら元に戻すから我慢して」
まあ直してくれると言うならば構わないし、四人乗りのままでも駄目というわけではないけれど。
「そっかーって、なんかE四とか言った? 四は四人乗りだろうから流したけど。Eって何さ」
「ElectricのEね」
「え? 電気にしちゃったの?」
「だって、今更内燃機関は効率が悪いもの。でも四輪インホイールモーターだから、制御性は段違いだし、走破性も大きく向上しているはずよ。軽くもなっているし」
そんなの自分の知ってるMLAZLじゃない。しかし、電動機のレスポンスは気になる。やばい、楽しみになって来てしまった。でもこれにのらなきゃいけないコースは辿りたくない。多分すげー時間かかるだろうし。ケツが捥げるかもしれないからなあ。
「じゃあ、電源は電池とか使うのかい」
「いいえ。金属水素ペレットが燃料になってるの」
「……それって燃料電池かなんか?」
「厳密には違うのだけれど、近いのはMHD発電かしらね」
「あ~なるほど。そういや最近聞かないなMHD……。それと金属水素ペレットって、吸蔵合金とかじゃなくて?」
「ええ。水素を高重力で加圧して金属化したものよ。それを時間軸固定容器に封入して、ごく小さな領域だけ開放すると、プラズマ化した水素が得られるから、電磁誘導によって電力に変換してるの」
「はあ。いろいろ凄すぎてわけわかんなくなってくるな……。つまりは、それで電磁流体発電するってことでいいのかい」
「そうね、分かってるじゃない」
元となるプラズマの生成法からして、おかしなことになってるので、そこは突っ込まないが。
MHD発電は、核融合炉から電力を取りだす手段としても、深いかかわりがある技術のはずだ。地球上でも、ずいぶん昔から理論体系はでき上がっているけれど、まだまだ研究途上の未踏技術であることに違いない。核融合炉もそうだけど、MHDに関しても主に材料工学の面でブレイクスルーが必要だろうと思われる……。だったかな。学生の頃すこし齧った程度だから、うろ覚えだけど。
「足が確保できているなら、時間以外は特に問題はないっぽいな。通路が壊れているとか、番犬がいるわけでもなければすんなり行けそうだし」
「まあねぇ。それでも転送装置が使えるに越したことはないのだけれど」
両肘をテーブルについて、組んだ手の甲に顎を乗せたユカリが言う。自分だって、できればとっとと仕事を済ませて社へ帰りたい。
色々話をしているうちに、時計は十八時を指し、予定ではあと二時間程度で現地へ到着する距離となった。この辺りで、仲居ヨリたちが夕飯の用意をしはじめたので、キッチンを覗くべくリビングエリアを離れ、ダイニングエリアへ足を運ぶ。キッチンに行くと、ひとりは鯛をさばいている。聞けば夕飯は、刺身と潮汁、それから鯛めしと鯛尽くしになる予定だそうな。ほんとに何でも出て来るなあ。
高度なプログラムによって汎用化され、レシピに沿った調理を行っているとはいえ、その手際の良さには目を見張るものがある。作業の一つ一つが正確無比で、見ていてとても気持ちがいい。
作業風景に見蕩れていると、横合いからそっと手を伸ばしたユカリが、刺身をひと切れつまみ、口の中へ放り込む。そのタイミングで自分と目が合い、彼女は目線を逸らすともう一切れつまみ上げ、自分の口元へそれを突き出した。戸惑うことなく自分もそれにかぶりつき、つまみ食いの共犯者となる。
そんな自分たちの行動を知ってか知らずか、仲居ヨリのふたりは特に咎めることもなく、黙々と作業を続けている。これ以上長居して邪魔になっても悪いので、ユカリを抱き上げてダイニングのテーブルのシートに座らせた。
キッチンの横にはドリンクバーもあるので、ユカリに飲み物のうかがいを立てると、オレンジジュースを注文された。快諾を返してドリンクバーへ向かい、オレンジジュースとカロリーゼロコーラをグラスへなみなみと注いで、テーブルに戻る。すると、丁度仲居ヨリたちが配膳をはじめ、四人分の夕飯が卓上に揃ったので、皆で“いただきます”をして夕食になる。ドリンクバーにはクァンタオレンジもあったのだが、ユカリは炭酸が苦手だと言う。ちょいちょい子供っぽいユカリのこういう所は、実にかわいらしい。
夕飯の後、またドリンクバーへ行き、ホットコーヒーを出して食後のコーヒーを楽しむ。ユカリが三杯目のジュースを取りに行っている間に、仲居ヨリたちは速攻で食器を片づけ、ジュースを持って戻る頃には、緑茶で一息入れていた。
こうして狭い室内で、各々の動きを俯瞰するのは楽しく、いい暇潰しになる。特に仲居ヨリたちは、絶対に自分とユカリの動線に重なることがないよう、動きを徹底していて、その対処能力はとても興味深い。ふたりは、まるで機械学習を用いた自動運転御術のような、一定の合理性に沿った動きをしているようだ。連携するときも、効率を重視した選択をしているようで、単独行動が良い場面では無駄な連携を解除する。そうして未来の最高効率点を予測して、現在と状況比較することで最良のタイミングを見出し、共同作業を省力化するなど、高度で複雑な動きをしているようだった。
自分の携わる仕事ではライン設計もしているため、こういった流れ作業に纏わる効率化が、ある程度見て取れるようになってしまっている。こうなると、実生活上でもついくだらない考証をしてしまうことが多々ある。この癖は職業病に近いのかもしれない。まあ個人的には楽しいので、良しとしているけれど。
「凄いなあ。目に見える範囲だけでもこれだけ凄いんだから、全体を知ったらもっと感動するんだろうなあ」
「なに? 私のこと?」
グラスいっぱいにジュースを注いだユカリは、独り言にそう返す。まったく、昭和の頃ならいざ知らず……。いくら飲み放題だからって、今日日小学生でもここまでがっついた注ぎ方はしないと思う。
「ユカリも含めてのことかな。こういうのは逆立ちしても人間は勝てないだろうからさ」
「ふーん。晴一って意外と謙虚ね」
「そうか? そうでもないと思うが、傲慢でもない……と思う。多分。でも、これについては謙虚って言葉は当てはまらんと思うぞ」
高度に進化した汎用型人工知能に、人間が勝る部分など、果たして存在するのだろうか。
ユカリのように人と見紛うほどにまで成長し、ある意味究極到達点のような存在となった人工知能に、人類如きが対抗する術を生み出せるとは到底思えない。もしかすると、この要塞惑星を建造した彼らも、そういった感情やある種の危惧から、ユカリたちには自らの生み出した叡知を伝えなかったのかもしれない。
「案外人間と大差のない考え方をしていたのかなあ。主に尻の穴が小さい方面で」
「突然なにを言いだすのかと思えば……変態なの?」
「人がシリでアスになっているというのに、何てことを言いやがる」
自分はユカリを押さえつけ脇腹をくすぐる。けど尻とかASSとか言ってるから、変態と言われても仕方ない。
「うぇ!? うひゃひゃひゃっあんたやめっひゃひゃひゃ」
「かわいい顔してかわいくないことを言う子はこうだ。こうしてやる~」
「うひひひひゃやめぇぇっ!!」
しばらくくすぐり続けてから解放すると、ユカリはシートに倒れ込み、ぐったりしてしまった。
胸で荒い息をする毒舌幼女を放置して、コーヒーのお代わりを取りに行き、今度はミルクだけを入れて席へ戻る。シートに座ると、仰向けに倒れたままのユカリが、真っ赤な顔と涙目でこっちを睨み、自分の尻でASSな辺りに蹴りを入れ始める。別に痛くはないけど、体が揺さぶられるので迷惑。
「こらこらユカリ、やめたまえ。コーヒーがこぼれるから」
少し濃いめに出したお代わりのコーヒーは苦かったが、仲居ヨリたちが用意してくれたマロングラッセを口へ放り込むと、強い甘味がそれを中和してくれる。
口の中では、栗の香ばしい風味とコーヒーの香りが絶妙に絡み合い、素晴らしい相性を示していた。もしこの相乗効果をふたりが予測していたのだとしたら、恐ろしいまでのおもてなし力だと思う。
ユカリにヘルメットを要求し、壁のパネルへ視線を向ける。そこに表示されている行程は、残り三十分程となっていた。到着が近いことを再確認した自分は、じんわりと迫る睡魔を伸びで押しのけて気合を入れなおす。
「現地に着いたら、まず転送装置の確認と周辺の探索を軽くやって、風呂に入って寝る」
背もたれに寄り掛かり、天井を仰ぎながらぽつりと言う。
何気に見やった隣では、自分の腿の上に両足を投げ出してお腹の上で手を組んだユカリが、同じように天井を見つめていた。