弐拾肆 ~ 要塞超特急の車窓から ~
目が覚めたとき、車両内の照明は殆ど落とされていた。薄明りの中で時刻を確認すると、バックライトに透過された腕時計の液晶文字は、五時十四分を指している。
「まだあと十五時間ほどは移動か」
大体二十時過ぎには床に就いたと思うので、九時間くらいは寝られたようだ。
にしても、セキュリティ対策とは言え、二十四時間が丸々移動に費やされるというのは、移動距離と速度が近い地球の旅客機でもまずありえない。なら鉄道ではどうかというと、そもそもこの速度で移動する鉄道がない。しかもこいつはノンストップ。
透明人間の車掌さんがいる方の銀河鉄道でも、列車は停車駅に何度も立ち寄って、乗客も停車惑星の宿泊施設に泊まるなどしていた。幸いなことに、この車両には衣食住の環境が完璧に整っているので、何も心配は無いけれど。
「いかんせん、この有り余る時間を缶詰めになるというのは……」
「んにゅ……。おふぁよう晴一。早朝からぶつぶつうるさいわぁ」
自分の声でユカリは起こされてしまったようで、掛け布の中から文句を言われた。
「おはよう。悪いね起こしちゃって。今朝も世界一かわいいぞ」
「ふぁっ!」
軽く掛け布をめくってそう声をかけ、はにかむように表情が固まる様子をにやにやと眺める。
彼女がかわいいのは事実だし、そういった時の反応もまたすごくかわいいので、かわいい弄りをするだけで心は癒される。それきりユカリは静かになってしまい、一方ですっかり目が覚めてしまった自分は、残りの時間をどうして過ごそうかと頭を悩ませる。
気晴らしに外の景色を眺めようにも、そもそもコレには窓などない。よしんば窓があった所で、地下鉄のトンネルのような内壁を延々と眺めてみたとして何が楽しいものか。こいつはいよいよ困ったな。
「二度寝した?」
「ううん、起きてるわ」
「そっか。静かだから寝たかと思ったよ」
ユカリは頭まで掛け布をかぶり、中でもぞもぞしている。掛け布と枕の間からはみ出すアホ毛も、何やらにょろにょろと揺れている。それどうなってんの……。
対して。両端にいる仲居ヨリのふたりは、まだ目を閉じたままだ。こちらはしっかり眠っているらしい。そこで軽く悪戯をしてみようと思い、自分の髪の毛を一本引き抜いて仲居ヨリの鼻の穴を刺激する。
「くしゅんっ」
こういう反射も同じなのか。中居ヨリの人間と同じ生理反射を見て、よくもここまで精巧なレプリカを作ったものだと感心してしまう。ではなくて、寝ている人に悪戯するのはよくない。ごめんなさい。しばらく彼女らを眺めていたら、ユカリに聞きたかったことを思い出した。
「そうだユカリ。地球の生命体がなぜ彼らの遺伝子情報を持っているのかって話、今聞いてもいいかい」
睦言にしては色気もへったくれもないような話題をユカリに振る。後日話そうって言てたし、これも隙間時間の有効活用と思えばね。
「またいきなりね。でも、そうよね。後で話すって言ったものね」
「うん、たのむ」
ユカリは過去に、彼らの体組織の残滓から、クローニング技術を用いた複製を試みたことがあったそうだ。しかし、複製元とするための彼らの痕跡が全く発見できず、その目論見は早々と失敗してしまう。仮に成功していても、クローンではセキュリティ認証をパスすることができなかっただろうと思われ、それは後の失敗でも証明されているらしい。
次の手段を模索する中で、偶然ユカリは、彼らが太古に行っていた人工進化計画というものを知った。この計画は、有望な惑星の原始的な生命に、自分たちの遺伝子情報を埋め込むことで進化を促し、やがては惑星を支配させるというものだったらしい。最終的に、後日彼らが訪れたとき、速やかに拠点とすることができる環境を、あらかじめ構築させておくというのが目的だったそうだ。
しかし。彼らが消えてしまったことで、その目的は果たされることのないまま現在に至っている。そうして進化発展してきたのが、地球上の人類やその他の生物なのだという。
「なるほどね。地球の生き物が彼らのDNAを持っているのはそういう経緯があったからなのか」
「ええ。他にもいろいろやってたみたいだけど。解析を掛けて復元できたのは、この計画に纏わる情報の一部だけだったわ」
ユカリは掛け布の中でもそもそしゃべっている。彼女が声を発するたび、はみ出たアホ毛がレベルメーターの如く、伸びたり縮んだりしていた。どういう仕組みなのこれ。
「ふ~ん。でもその計画って、全然しっくりこないな。いろいろ乗っ取るにしてもさ、同等のレベルまで発展させちゃったら、力も拮抗して面倒なことになるじゃん。逆に、彼らより稚拙な技術しかない文明を簒奪しても、得られるものがあるとは思えないし。そんなことするくらいなら、いい条件の星を見つけた時点で直接入植した方が手っ取り早くね?」
「そうよね。その辺の詳細は私も分からないけれど、確かに不自然なのよ。明らかに回りくどいことをしているし」
生物の人工進化という部分的な目標は達成していても、そのあと希望に沿った利用ができるかというと、疑わしいと言わざるを得ない。あるいは、この計画はほんの触りにすぎず、もっと大きな目的のための前段階だとか、そういった何かがあるのだろうか。
いずれにしても、彼らはとうの昔にいなくなってしまっている。なにより残された手がかりも皆無となれば、これ以上調べようもないし、断片的な情報からの推測にも限界がある。
「まあ、神様みたいな連中が考えたことだから、そんな杜撰なわけないだろうし。自分たちの知らない目的があるのかもね。しらんけど」
そこでふと話が途切れ、仲居ヨリたちが起き出す。時計を見ると六時丁度。この子らはスケジュールでも設定してるのかな。
「さて、俺も起きるよユカリ。興味深い話ありがとう」
「うん。どういたしまして。私も起きるわ」
ふたりでベッドから降りようとすると、仲居ヨリたちが履物を用意してくれた。
「あれえ? スニーカーになってる~」
しかもおじさんの普段履きブランド、ハナツカリンクス。
「私が用意しておいたわ。いつまでも雪駄というわけにもいかないでしょ」
「確かに。そういやユカリもずっとその着物だよね。洋服なんかは着ないのかい?」
ヨリとまったく同作りをした、小袖の暗赤色バージョンを身に着けているユカリに、他の服装のことを聞く。着物もかわいいけど洋服も似合いそうなんだよね。いや、これだけの美少女なのだ。確実に似合う。
「ん~、特に不便も無いから、考えたことないわ。でも、晴一が何か提案してくれるなら、着替えてもいいわよ?」
「まじか! よしきた!」
自分はふたつ返事でコーディネートを引き受け、スマホを取り出し子供服を漁りはじめる。うひょう、可愛い服を選んでやるぜぐへへ。
「スマホもそうだけど、部屋の電話とかテレビって、あれも超空間リンクとかで地球から回線引いてたりするの?」
「ええ、その通りよ。衛星とか地上の物理回線に割り込んでるわ」
「そっかー。便利だなー」
宇宙でもインターネットが使えるなんて、便利な世の中になったものだ。
などと阿呆なことを考えながら、適当な通販サイトで子供服を見繕ってゆく。ユカリの雰囲気と身長などから候補を絞ってゆくと、良さそうなコーディネートが決まったので、組合せシミュレーションサイトで見繕った画像を彼女へ見せた。
「こんなんでどう?」
「ふ~ん、晴一にしては悪くないと思うわ」
「遺憾。一言多い」
ユカリは両手の指先を肩甲骨辺りに当てて目を閉じる。
やがて着物が強烈に輝き、光の粒を散らすと、瞬時に画像の服装へと変化した。特にラッキースケベとかはない。でもハイスピード撮影とかしたら、一瞬くらい見えるのかなとか考えてないよ。
「お? なにそれ、変身? バンクとか毎週あるの?」
「ちょっと言ってる意味が解らないわ……」
「うん。まあ、大した意味はないから忘れてくれていいよ」
今まで身に着けていたユカリの着物は、見本で示した画像と寸分違わない服装へ変化していた。
紺と白の太めのボーダーが入った七分袖のカットソーに、大人びたオリーブ色のワンショルダースカートを合わせただけの、簡素なスタイル。だが、思った通り、とても似合っている。靴下は、紺色でソックレットのような丈の短いものを履き、靴はモカのキャンバス地でできたデッキシューズ。自分が選んだにしては多分シャレオツな方。だと思う……。
「すげえなユカリ。思った通り、やっぱりかわいいぞ!」
「あり……それは……どうも」
ほめちぎると、ユカリはそっぽを向いて赤くなった。ぶひぃ。
ヨリの体格数値は、現代っ子の平均値よりも色々と低い。となれば当然、共存しているユカリの体も当然小さい。それでも、比率的に見れば足はすらりと長く、今風の服装でも問題なく着こなせている。身長は小さくてもバランスは良いのだ。
「やっぱ女の子はいいよなあ。かわいい服とか沢山あるし。そういう意味では俺も女に生まれたかった気がする」
おじさんは、目の前の小さな女の子を舐めまわすように、頭からつま先まで視線を巡らせる。日本では、おいそれとよその子を眺められないからな。
しかも、ヨリやユカリのような飛び切りの美少女はそうそういないし。いや別に普段から眺めてるわけじゃないけど。
「……ちょっと……晴一。あまりキモイ顔でジロジロ見ないでくれないかしら」
頬を染めて愛らしい笑みを湛える美少女は、悲しいかな毒舌だった。
「まったくお前と言うやつは。黙ってれば超絶美少女なのにさ」
「なによそれ失礼ね!」
失礼とかどの口で。人の顔を見て軽々しくキモイとかいう人には、まず言われたくない言葉。
「ユカリがそんなことばっかり言うなら、俺は仲居ヨリを着せ替えしまくって癒しを得るしかないな。あの子らは俺に毒も吐かないし、俺の要望にも完璧に答えてくれるだろ。毎日なすがままの愛でまくりだ。いいのか? んん?」
良く解らない脅し文句が勝手に口を突く。こんなもん鼻で笑われて終わりだろうね。かなC。
「な……。わ、わかったわよ。いいわよもう、自由に見ればいいじゃない」
「……おや!? ユカリ のようすが……!」
なんか急にデレはじめたぞ。何事だユカリ。
そもそも着替えの提案を受け入れといて、今更見るなというのもひどい話だとは思わんかね。裸でもあるまいし。むしろ風呂では積極的に脱ぐくせに、おかしいじゃないか。考えれば考えるほど、理不尽な乙女AI心がわからなくなるぜ。
「でも見られるのは嫌なんだろう?」
「別に嫌じゃないわ! 恥ずかしいの!」
あらあら、おかわいいですこと。
「ああ、そういう。へぇ……」
「な、なによその顔!」
「失礼な。この顔は生まれつきだ。俺の両親に謝って?」
「ぐにゅにゅぅ……」
にやけ顔を怒られたので、戯れに両親を引き合いに出すと、彼女は悔しそうに歯噛みして口を閉ざす。然しものユカリでも、人の親までこき下ろすような真似はしないらしい。
この子は、ある程度助走をつけないと素直になれないようだ。それはそれで大変かわいいが、面倒な性格であるとも言えよう。対して、ヨリはいつでもすごく素直であり、模範的良い子である。このふたりはつくづく表裏一体の関係なのだ。
「俺としてはね、もうちょっと素直になってくれるとユカリはもっともっとかわいくなると思うんだよね。いんや、一般論としてもか」
「う~。そんなこと私だって……わかってはいるのよ。でもつい意地になっちゃうの。……晴一にも怒られて、ちゃんといけないことってわかってるのに」
ユカリは、自分の注意をちゃんと聞いてくれているようだ。そこは素直で偉い。
しかし世の中にはいるよね。ひとの忠告を聞かずに、しょっちゅう周囲へ迷惑を振りまいてちっとも反省しない輩とか。ほんと最低だよなあ。
「そういう根っこの部分ていうのは、なかなか変わらないもんだからな。でもそれを直したいと思っているんだから大したもんだ。それにユカリは賢いんだから、深く思いつめる必要は無いよ」
凹んでしまったユカリの頭に手を置いて、エールを送る。すると彼女は、ちいさな声で「うん」とこたえた。ユカリはまだ成長中なのだ。もう少し時間が経てば、しっかりとした自覚も出てくるだろう。出て来るといいな。
◆ ◆ ◆ ◆
キッチンスペースのディスペンサーで、簡素な朝食を済ませた後。おじさんはまた先頭車両に出向き、知的好奇心を満たすべくあちこち観察しはじめる。
一通り見て回って、十分満足したところで座席に腰を掛ける。ついでに浮かび上がるコンソールの表示から、行程の項目を呼びだす。確認した車両の進行度合いは、まだ半分にも至っていない。早速気分が萎えてしまう。ああ……。
「遠いなあ~」
「計器と睨めっこしてても到着は速くならないわよ?」
嘆きの言葉を吐いたところ、ユカリからそんな言葉を掛けられる。
「それはわかっちゃいるけれどさ。あーもう。この動く横穴式住居めえ~」
「ふふふっ」
愚痴を言ったらユカリが受けている。かわいい。
「ねえユカリん。おれっち暇だよ~」
逆向きに椅子へ正座したおっさんは、背もたれに覆いかぶさって、回転しながら不満を言う。
操縦席から見る外の様子は代わり映えせず、ずっとチャンバー内の映像が続くばかり。そこには何も面白いことなどなにもない。車両内のあちこちをパカパカするのは、それなりに楽しいけれど、そればかりでは飽きる。まだ一日も経ってないというのに、すでに思い切り退屈している。
「もう、堪え性がないわね。子供じゃあるまいし我慢なさいよ」
いやまったくその通り。しかし暇を持て余しているのは事実だ。何か現状を打破する手段を見つけたい。
「……ユカリの服ってどうなってんの?」
先ほど目にした魔法少女の変身シーンのような光景を思い浮かべ、またユカリに服の話を振ってみる。もしかしたら何か面白い話が聞けるかもしれないし。
「この服? これは食べ物とかと同じ操作で作ってるわよ。それと、この星で利用しているほとんどの物も同じ手法で作られているわ」
「原子配列転換操作って言ってたやつか」
「そうよ」
任意に原子の配列を操作し、別の原子と入れ替えて物質を直接構成する技術だと、ユカリは言った。これは彼ら由来の技術の中でも、最も幅広く利用されているテクノロジーだという。
“重力制御技術”“原子配列転換操作技術”“自律微小機械群応用技術”。
彼らが生み出した三大革命と呼ばれるらしいこれらの技術は、短期間の内に飛躍的な進歩と繁栄を彼らの文明にもたらした。
とはいえ、それらを扱うには膨大な電力が必要となる。恒星を丸ごと外殻で覆い、ひとつの発電所とするような埒外なエネルギー運用が可能になって、初めて活かすことができる技術でもあるとのこと。逆を言えば、無限ともいえる宇宙のエネルギーを効率的に活用できるようになったからこそ、実現できた技術ということでもあるだろう。
「はあ。シンギュラリティってなんだろなあ……」
地球人類が未だ到達し得ない技術格差に、深い感銘と畏敬を感じ、ため息と共にそんな言葉が漏れる。
「それを私に聞くの? 晴一にしては面白い冗談ね。まあ、私はそんな過渡期よりも遥か後に生まれたのだけれど、っと。ふふ」
言いつつユカリが椅子に乗り、自分の背中に覆いかぶさってくる。
背中には荷重が加わり、それと共に上半身は下方向へ押し下げられた。そうなれば当然、背もたれにかけた顎は自動的に突き上げられ、体勢は苦しくなる。
「ユカリん重たいよう」
「私はそんなに重くないわ。それに男の子でしょ。我慢なさい」
「それってセクハラになるわよユカリちゃん」
なぜか唐突なおねえである。
時計は九時少し前を指している。味気ない走行映像もそろそろ見飽きたため、背中のユカリに戻る旨を伝え、また彼女を負ぶったまま居住区画に戻る。ダイニングエリアを通過するとき、キッチンでは仲居ヨリたちが何やら作業をしていたが、特に気にも留めず横目に通り過ぎた。
リビングエリアに来たところで、背中のユカリがやっと降りて、ボックスシートのようなソファーに腰を下ろす。自分も対面に座ろうとしたのだが、ユカリが隣のスペースをぽんぽんと叩くので、落ちかけた尻を持ち上げた。
席へ着くと床が開き、テーブルがせり上がる。幅の狭いテーブルは、最大高に達すると同時に、庇を拡幅し、理想的な面積が確保される。次いで天板の中からは、紅茶と思しき温かい飲み物がカップと共に出現し、濃密な芳香を放ちはじめた。
「なんとも有難い仕組みだあねこりゃ。ときにこれは紅茶かね?」
「ええ、そうよ」
一瞬だけこちらへ笑顔を向け、すぐにすまし顔へ戻ったユカリは、カップを手に取り紅茶を飲みはじめる。
自分も出来たてほやほやのそれを手に取り、口へ運んだ。それは普段飲むようなチープなインスタントではなく、お高い缶入りの茶葉を理想的な条件で抽出したような、贅沢な味わいがあるものだった。普段はなかなかお目に掛かれない芳醇な香りと、上品な味わいに頭がクラっと来てしまう。久しぶりに上質な紅茶を口にして、真に紅茶をキメるというのはこういうことなのだなと感慨深く思い、目を閉じる。
余韻に浸っていると、仲居ヨリたちがキッチンから皿を持って現れた。テーブルの上にさし出された皿には、丸いベイクドチーズケーキのような菓子が乗せられている。それを仲居ヨリが綺麗な四等分に切り出し、それぞれの前にある取り皿へ小分けにした。ケーキを分け終えると、彼女たちは自分たちとは反対側のソファに並んで座り、新たに出現した紅茶を飲みながら、それを食べはじめる。
「そういや、お前さんたちがなんか食べてる姿も初めて見るね。おいしいかい?」
「「はい、とても美味しゅう御座います」」
にこやかにそう答えた仲居ヨリは、それぞれの所作から声までが、完璧にハモっていた。そういやこのふたりとはこれが初めて交わした会話だな。
昨日あたりから、なんだか人間臭い気配がするこのふたり。その様子を不審に思い、行動を注視していたらユカリが口を開く。
「この前晴一が私に言ったでしょ」
「なにが?」
「箱庭が上手く行かなかった理由……」
「ああ。うん」
確かに言ったね。でもこの話をするとユカリが辛そうにするから、積極的に触れたくないな。
「そのことについて私なりに考えてみたの。それで少しだけど、仲居ヨリたちにも人間味を持った行動をとらせるようにルーチンを変えて……。ええと具体的には、私とヨリと晴一の関係と、それに纏わる思いを抽出して、人格と感情構成情報の一部を置き換えたのだけど」
「そうなのかー。どうりで」
「……それで、ね。どうかしら? 晴一の目から見て、何かおかしなところとか、気持ちの悪い箇所とか。そういうのはない?」
ユカリが不安そうな目を向ける。自分の施した改良の成果がきちんと出ているか、余程心配なのだろう。
箱庭計画自体はもう過去の物だし、何となく自分が言ったことを、ユカリがそこまで真剣に考えるとは。全然思っていなかった。あのときは本当にただ思ったことを口にしたまでだったし。
今までの箱庭は、殆どが失敗してしまったけれど。今回、自分たちの関係が構築されてからは、とんとん拍子で事が進んでいる。それを踏まえて、あらためて人とは何かということをユカリなりに考えて、反省してみた結果、こういった改善案の一つを導き出してきたのだろう。過去の失敗をそのままにはしておくのが、彼女は悔しいのかもしれない。
「いいんじゃないかな。まだまだ感情の起伏のようなものは見えないけど、これはこれで魅力的だと思うよ。それかユカリみたいに、ある意味天真爛漫な感じにしてもいいと思う。これは個人の好みになっちゃうけどさ」
「む~。意見は参考にさせてもらうけど、私そんなに子供っぽくないわよ」
ユカリは天真爛漫という言葉にムッと来たらしく。さらには子供っぽさを暗に指摘されたとでも思っているようだ。そういった意味を含ませたつもりはないのだけど、しかしそれらはほぼ事実だし。妥協は必要かもしれないよ、ユカリん。
「俺からすれば、割と大人ぶってる感は否めないんだけどな。と言っても、それが悪いと言っているわけではないよ。そこがユカリの魅力でもあると思ってるからさ。それに、ユカリが一生懸命考えたこの方向性も間違っちゃいないと思う。だから、もうちょっと自信をもってほしいな」
ほっとしたような、釈然としないような。微妙な表情でユカリは仲居ヨリたちを見つめていた。
これまでに見てきた、そんなユカリの人間臭さは本物だったし。そこに疑う余地はない。ユカリというAIの人格は、真っ当な人間性を獲得していると自分は確信している。
それに比べて。昨日会った現統括AIはあまりにも嘘臭く、全く信用が置けない。彼女には警戒をしておくべきだろう。むしろ愚者を自ら演じている可能性もあるかもしれないし。色々やることが多くて悩みは尽きないが、今はとりあえずおやつを食べよう。
少しぬるくなった紅茶を口へ運び、ふたりが用意してくれたベイクドチーズケーキを一口食べる。うん、おいしい。だがしかし。
「あれえ。これスフレじゃん」
「スフレよ? 何と勘違いしてたの?」
「あいや、何でもないです」
チーズの香りとレモンの爽やかな風味、そして酸味が口の中に広がり、茶請けのレモンチーズスフレはとても美味かった。てっきりチーズケーキだと思ってたよ。
「これってふたりが作ったの?」
そう聞いてみると、W仲居のふたりは無言でコクリと頷く。さっきキッチンスペースでふたりが何かしていたけど、これを作っていたのだな。
いつもは生成食糧を運んでくるだけのふたりだけれど、今回のこれは、ちゃんとレシピ通りの手順を踏んで作られた正真正銘の手作り菓子だ。素晴らしい業前。
「レシピや材料もいくらだって用意できるし、あとは時間さえあれば何だって作れるわ」
これは仲居ヨリたちの生み出した成果なのに、ユカリが得意気に言う。でも今は、そうしたくなる気持ちもわかる。